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がんに克つ

父のがんを治すためにがんを研究しました。がんは意外と簡単に治ることを知ってもらえたら、亡き父も喜んでくれると思います。

粉ミルク断食療法

2023-06-10 10:18:21 | 健康・病気

前回は、国立がん研究センターが多くの「がん難民」を生み出してきたということをお伝えしましたので、今回は「がん難民」となった人々を数多く救った人物をご紹介しましょう。

それは、健康再生会館の館長・加藤清氏で、彼は医師ではないのですが、指圧と粉ミルク断食によって重症のがん患者を数多く治療したそうです。

『婦人生活』(婦人生活社:刊、1982年1月号)という雑誌によると、この人はもともと指圧と断食で病人を治療していたようですが、あるとき、彼のところに医者に見放されたがん患者が訪ねてきたそうです。

そこで、加藤氏はそのがん患者を入院させて断食を開始したのですが、その患者がどうしても水を飲まないため、脱水症状を起こさないよう、水の代わりに粉ミルクを与えたところ、やっと飲んでくれたそうです。

ところが、驚いたことに、やがてその患者のがんが影も形もなくなってしまったため、それ以来、「がんは粉ミルクと整体指圧でよくなる」ということを公表して、多くのがん患者を治療するようになったそうです。

また、この雑誌には、この治療法を習得した医師による治療例も掲載されています。

その医師は、神奈川県平塚市の十全病院副院長・石神正文氏で、彼は加藤氏の講演を聞き、これはインチキではないと確信し、病院のマッサージの先生2人とともに大阪の健康再生会館で治療のやり方を教わったそうです。

その後、石神氏の知人で、某大学病院でS字状部結腸がんと診断され、患部を切除して人工肛門を作る手術をしなければならないという症状の人がいたのですが、その人は手術を拒否して石神氏のところに来たため、粉ミルク断食と整体指圧で治療することにしたそうです。

【粉ミルク断食療法の治療例】

1981年6月27日 粉ミルク断食開始。薬は一切使わず。がんの大きさは触診で10x10センチ。
 粉ミルク大さじ5杯、五健草1グラム、バイエム酵素小さじ1杯を朝昼2回、夕食はその5分の2。

6月28日 マッサージ開始、午前11時と午後3時の2回、以後毎日。粉ミルクは2杯ずつ。

6月29日 粉ミルクは朝2杯、昼3杯、夕4杯。

6月30日 この日から粉ミルク5杯、五健草2グラム、バイエム酵素1杯を1日3回。

7月2日 この日から排便中にがんの剥離したものが混じってきた。

7月4日 排便に血液のかたまりが出た。

7月7日 親指頭大のがんのかたまりが出てきた。魚の腹わたの腐ったようなものすごい悪臭。

7月10日 触診でのがんは3x4センチ。出血はないが、潜血反応あり(11月まで継続)。

7月17日 がん様の触診全くなし。驚くべきスピードでがんが消失した。

8月15日 昼だけおもゆ。この日以降、ゆっくりと復食。

11月1日 この日から普通のごはん(昼食だけ)。月末に退院の予定。

以上です。それにしても、10x10センチのがんがわずか20日で完治したというのは驚きですね。

加藤氏は、『ガンは助かる』(主婦の友社:1980年刊)などの8冊の著書を出版しているので、この治療法にご興味のある方は図書館等で探してみてください。

ガンは助かる
【加藤清:著『ガンは助かる』】(画像はAmazon通販サイトより拝借)

なお、『知識』(彩文社:刊、1988年7月号)という雑誌によると、加藤氏は無資格で七千人を治療したため、1988年2月に医師法違反で逮捕されたそうです。(朝日新聞が一面トップで報道)

私は、こういった素晴らしい治療法を考案した人は表彰されるべきだと思うのですが、本人は逮捕され、粉ミルク断食療法は医学界から黙殺されてしまったわけですから、日本は本当に救いのない国ですね。

その一方で、多くの医師が標準治療(手術、抗がん剤、放射線)という名の有害無益な処置によってがん患者を不具者にし、死に追いやっているのに、彼らが医師免許を持っているというだけの理由で野放しにされている現状には、本当に驚かされます。

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国立がん研究センターとは?

2023-05-14 08:47:41 | 健康・病気

みなさんは、国立がん研究センターについてどのようなイメージをお持ちでしょうか? もし、がんを治療する際の「最後の頼みの綱」などとお考えでしたら、それは大きな勘違いです。

今回は、その誤解を解くため、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(上昌広:著、講談社:2014年刊)という本の内容をご紹介したいと思います。

なお、この本の著者の上昌広(かみまさひろ)氏は、東京大学医学部卒業後、東大病院や国立がんセンター(現在の国立がん研究センター)で勤務した経歴の持ち主です。

上氏によると、国立病院というのは、「先端医療をおこなう施設」でも「治療が難しい重症患者を受け入れる施設」でもなく、「国の政策医療」を推進する施設なのだそうです。

そして、厚生労働省は、国立がん研究センターを「新規治療の開発のための臨床研究の推進」を最大の目的とする組織として考えているそうです。また、「臨床研究」とは、長い時間をかけて患者の経過を観察していくことが必要な研究だそうです。

したがって、「臨床研究」をおこなうためには、症状の軽い患者をできるだけたくさん集めることが大切であり、臨床研究に参加できない患者、すなわち、「進行がん」によって全身が衰弱していたり、すでに腎臓や肝臓の機能が低下している患者は、重症患者ということで門前払いをされてしまうそうです。

そのため、国立がんセンターはあまりに多くの「がん難民」を生み出していると報道され、国会でも批判されたそうですが、「患者切り捨て」の判断は医師が個々に下しているわけではなく、組織として上から「受け入れるな」という指示があるということです。

実際、上氏自身も、「合併症が多い重症患者を受け入れるな」と医師たちに指示をしている上司の姿を何度も目にしたそうです。また、これは東大病院や国立がんセンターに限った話ではなく、日本中の国立病院でごく当たり前のようにおこなわれていることなのだそうです。

以上、国立がん研究センターの実情をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか? とんだ勘違いをしていたという方が多かったかもしれませんね。

ところで、勘違いといえば、日本政府の経済政策についても大きな勘違いをしている人が多くいるようなので、ついでにご紹介しておきましょう。

次の図は、2010年度から2022年度までの日本銀行(日銀)の資産の変化をグラフ化したものです。

日銀のバランスシート:資産
【日銀のバランスシート:資産】

なお、このグラフにおける貸出金とは、具体的には「共通担保資金供給」とよばれるものです。

これを見ると、黒田東彦氏が日銀総裁に就任した2013年3月には、日銀が保有する国債は125兆3556億円でしたが、今年の3月には581兆7206億円(約4.6倍)に増加していて、これを政府や日銀は「異次元の金融緩和」だと称しています。

そのため、多くの人が、政府や日銀は景気を良くするために頑張っていると思っているようですが、日銀の負債の変化をグラフ化すると、これは大きな勘違いであることが分かります。

日銀のバランスシート:負債
【日銀のバランスシート:負債】

これを見ると、日本銀行券(すなわち、一万円札などの紙幣)は、2013年3月に83兆3782億円だったものが、今年の3月には121兆9550億円(約1.5倍)に増えているわけですから、確かに金融緩和をやってはいるのですが、増加率は年約4%ですから、とても「異次元」とよべるレベルではありません。

一方、当座預金(民間の金融機関が日銀に預けているお金)は、2013年3月に58兆1289億円だったものが、今年の3月には549兆781億円(約9.4倍)まで増加しており、これは、日銀が民間の金融機関から買い上げた国債の代金が、ほとんど市場に流出することなく日銀の内部に蓄えられているということを意味します。

これは言い換えると、日銀が民間の金融機関から莫大な借金をして国債を買っているということですから、日銀が本当にやっているのは「異次元の国債買い支え」であり、景気が良くならないのは当たり前だということです。

こういった勘違いは、医療にしろ金融財政にしろ、専門家に任せておけば大丈夫だと思い込んでいる人ほど激しいのではないでしょうか?

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胃腸潰瘍の診断法

2023-04-09 08:47:55 | 健康・病気

前々回ご紹介した『癌の治った話 どうして治ったか』(大浦孝秋:著、人間医学社:1951年刊)という本には、臀部を指圧して胃腸にできた悪性腫瘍を発見する方法が書かれているのですが、これはあまり知られていないと思いますので、少し詳しくご紹介します。

この方法を発見したのは、九州帝国大学医学部教授の小野寺直助氏で、『小野寺教授論文集』(小野寺直助:著、日本医書出版:1944年刊)という本には、次のように説明されています。

1.圧する点(小野寺臀部圧診点)は左右腸骨節に沿い、前上腸骨棘と後上腸骨棘との中間、かつ節より約3ないし4cm下のところで、中臀筋起始部に一致する。(腸骨は骨盤上部の骨、腸骨節はその上縁、「節」は原文では「櫛」、棘(きょく)は尖った部分)

2.検査するときには、患者を診察台の上に横向きに寝かせ、股と膝で軽く脚を屈曲させ、指頭を腸骨面に垂直に立ててひねり気味に強く圧迫する。

3.この際単に局所の圧痛を訴えるのみであれば(+)とする。胃腸カタル、下痢等でも(+)となる。便秘があれば左側のみ(+)となる。

4.圧痛が放散して膝の裏側に達するものは(++)とし、さらに足の裏または足の指先にまで放散して感じれば(+++)とする。臀部圧診点が(++)または(+++)となる場合は必ず胃または十二指腸の粘膜に欠損を伴う。なお、患者によっては、悲鳴を上げて反転し、放散するか否かを判断できかねる場合がある。

これは、解剖学の知識がないと理解しにくく、しかも使われている医学用語が古く、掲載されている説明図も不鮮明なのですが、『生体症候観察』(高橋華王・菅原克夫:共著、成文堂:1967年刊)という本に同じ図があったので、それを元に「小野寺臀部圧診点」を再現してみました。

小野寺臀部圧診点
【小野寺臀部圧診点】(骨盤の原図は『人体系統解剖学 巻之一』(鈴木文太郎:著、丸善:1918年刊)より)

『生体症候観察』の図も大まかなので、この図の赤丸の位置は参考程度に考えていただきたいのですが、このように胃や十二指腸とはまったく関係がない部分に痛点が存在するというのはとても興味深いですね。

小野寺氏が、この臀部圧診点と潰瘍の関係を確信したのは、腸チフス患者は一定期間必ず小腸に潰瘍を生じ、同時に臀部圧診点が陽性になることを経験したためで、この方法は腸チフスの診断に有効なのだそうです。

この経験から、小野寺氏は「小野寺臀部圧診点」が胃腸の潰瘍や食道疾患を発見するのにも有効であることを実証し、胃がんや食道がんの患者においても強陽性を示す場合が多いことを明らかにしました。

ただし、胃がんや食道がんと診断されても「小野寺臀部圧診点」が強陽性とならない場合があるため、潰瘍を伴わないがんはこの方法では発見できないのかもしれません。

さて、『癌の治った話 どうして治ったか』に戻ると、大浦氏はちょうど胃がん患者を治療していたので、早速この方法を試してみたところ、患者は相当強烈に圧痛を感じたらしく、小野寺氏のいうように悲鳴をあげんばかりであったそうです。

また、大浦氏は通常左側の臀部を調べるのですが、念を入れる必要があれば右側も調べるし、左で出ない場合に右でやることもあると書かれています。

なお、『胃潰瘍・胃下垂の根治療法』(田村豊幸:著、日本文芸社:1966年刊)という本によると、内臓下垂の場合でも「小野寺臀部圧診点」が強陽性となるため、正確に診断するには、診察の際に患者を両肘、両膝で四つん這いにさせる必要があるそうです。

ところで、この本には、胃酸過多症や、それに伴う胃・十二指腸潰瘍を治療する方法として、ジャガイモをすりおろした汁、または10%の澱粉浮遊液を毎食前に飲む方法が紹介されているので、ご興味のある方は『胃潰瘍・胃下垂の根治療法』をご覧ください。

胃腸の病気は、現代では内視鏡やコンピュータ断層撮影(CT)によって正確な診断が可能ですが、いずれも苦痛と出費を伴いますから、胃腸の具合が気になる人は、手軽にチェックできる「小野寺臀部圧診点」を試してみてはいかがでしょうか?

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早期発見・早期治療のウソ

2023-03-12 09:04:49 | 健康・病気

前回ご紹介した『癌の治った話 どうして治ったか』には、著者の大浦孝秋氏が「きわめて良心的な人格者で、私たちが常に信頼し尊敬するにたる医師」と絶賛する人物が登場します。

それは、東京都杉並区の開業医・藤田正直氏で、この人は食物の改善と指圧法(参考:「血液循環療法」)によって重症のがん患者を数多く助けてきたそうです。

そこで今回は、この人が書いた『ガン治療に残された道』(藤田正直:著、日本文芸社:1967年刊)という本から、「早期発見・早期治療」に関する話題をご紹介しましょう。

日本で「早期発見・早期治療」ということを西洋医学の専門家が言うようになったのは、おそらく肺結核に関するものが最初だろうと思いますが、これについては、本ブログの「呼吸器病」という記事で問題点を批判してありますので、よかったら参考にしてください。

藤田正直氏によると、がん治療において「早期発見・早期治療」という言葉を日本に広めたのは、医学博士の田崎勇三氏だそうです。

田崎氏は、癌研究会常務理事と癌研究会附属病院長を兼任し、わが国の対がん運動の総帥として、早期発見・早期治療でがんは根治すると日本全国に宣伝してまわったそうです。

しかし、彼は『癌と長寿 ガンは征服できる』(田崎勇三:著、実業之日本社:1962年刊)という本を出版した翌年にがんで亡くなっています。

田崎氏のがんは歯肉がんで、1961年6月には自分でがんに気づき、6月24日に東京大学教授の太田邦夫博士が組織検査をしてがんと診断したそうです。

これは理想的な早期発見であり、田崎氏の本に書かれていることが真実なら、早期治療によってがんは簡単に治るはずでしたが、現実は違っていました。

ラジウム照射が大量に行なわれた結果、歯肉がんは1か月後には完全に消えてしまったのですが、田崎氏のからだは衰弱し、右頸部のリンパ腺が腫れはじめてきたのです。

がんの転移でした。

これによって田崎氏は、専門医として十万にあまる患者を手がけてきた経験から、なおる自信を失い、8月28日には遺書を書いています。(その詳細については『ガン治療に残された道』をお読みください。)

そして、公務を続けながら、1962年5月25日、田崎氏は実業之日本社から『癌と長寿』を発行したわけですが、藤田氏によると、これは、国民を失望させまいとの一心からあえて虚勢を張って書いたのだそうです。

その後、8月12日に右頸部リンパ腺の切除手術を受け、コバルト照射とマイトマイシン(制がん剤)の注射も受けたのですが、翌年の2月14日には右の顔に顔面麻痺があらわれ、右頸部の耐え難い激痛もあって、ついに公務を続けることが不可能になり、4月15日に癌研病院に入院し、5月24日に田崎勇三氏は64歳で亡くなりました。

つまり、田崎氏が宣伝した「早期発見・早期治療」では、自分自身を救うことさえできなかったわけですから、彼の主張はウソだったということになります。

ところが、西洋医学の専門家は、この貴重な症例に学ぶことをせず、今でも「早期発見・早期治療」と叫び続けているわけです。

それでは、なぜ「早期発見・早期治療」がウソなのかご説明しましょう。

まず、本ブログの「デザイナーフーズ計画」という記事でご紹介しているように、がんを予防する食品が多数知られています。

そして実際、食事療法、すなわち栄養補給によってがんを治療した例は、前回もご紹介しましたし、それ以外にも古来より数多く報告されています。

つまり、極論すると、がんの原因は栄養失調であると言うことができるわけです。

みなさんは、手術で栄養失調が治ると思いますか? 抗がん剤で栄養失調が治ると思いますか? 放射線で栄養失調が治ると思いますか?

常識のある人なら、当然そんなことで栄養失調が治るはずはないと思うでしょう。

その栄養失調を、西洋医学の専門家は手術や抗がん剤、放射線で治療するのが最善だと考えているわけですから、本当に驚かされます。(参考:「最近読んだ本のご紹介 その3」)

彼らは、がんを殺すことががんを治すことだと錯覚し、100年以上も前からこの間違いに気づかないまま、意味のない処置を施して患者を苦しめ、殺し続けているのです。(参考:「医原病」)

なお、「早期発見」には価値を認める人もいるかと思いますが、検査のために放射線を浴びれば発がんリスクが高まりますし(参考:「低レベル放射線被ばくリスク」)、そもそも治療方法が間違っているので、がんの発見がどれだけ早くても、結局寿命を縮めることになってしまうのです。

がんの心配をしながら毎年検査を受けるよりも、毎日の食生活を見直し、がんを予防する食品を積極的に摂取するよう心掛けるほうが、よっぽど賢明なのではないでしょうか?

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青汁の効能

2023-02-11 10:54:14 | 健康・病気

実は昨年末から、国立国会図書館デジタルコレクションというサイトにログインすることによって、非常に多くの本が自宅のパソコンから閲覧できるようになりました。

例えば、図書に限ると、これまで36万冊あまりだったものが、新たに56万冊以上増え、雑誌も82万冊以上が新たに閲覧可能になりました。(なお、ログイン方法については当該サイトの説明をご覧ください。)

そこで、今回はこれを記念して、これまで閲覧できなかった『癌の治った話 どうして治ったか』(大浦孝秋:著、人間医学社:1951年刊)という本のなかから、「青汁で重症の癌が治る」(報告者:田中六兵衛)という記事をご紹介しましょう。 

それによると、田中六兵衛氏は福岡在住で、昭和23年10月28日に、某建築会社の社長宅より彼のもとに使いが来て、胃がんの治療を求められたそうです。

彼が夜間往診してみると、53歳の患者が苦痛にうめいていて、当時内臓外科の医学博士1名、他に3名の内科医が患者を診ていたのですが、3週間たっても激烈な胃痛がどうしても止まらない状態でした。

この患者には、がんの診断が下されていて、衰弱のため手術不能で、触診してみると肝臓部、胃部を中心として臍(へそ)の上部はひどい硬結(こうけつ=かたくなること)膨隆(ぼうりゅう=ふくらんでもりあがること)で触診も十分出来ず、便にはかなりの下血があり、これが10日以上続いているとのことで、絶望的な状況だったそうです。

そこで、田中氏は一切の普通食をやめさせ、1日2合の青汁を飲むよう厳命し、制がん食として、つるな、菱の実、鳩麦をあわせて煎じたものを服用させて経過をみることにしました。

また、治療法としては、胃部を極めて軽く、下腹部は強く掌圧(しょうあつ=てのひらで圧迫すること)し、強烈な熱刺激を加え、翌日からビワ葉の電気高温湿布を主体として施療したところ、1日でやや疼痛を減じ、4日たつとさしもの激痛がほとんどとれたそうです。

そして、1週間目から青汁を3合に増量したのですが、便通も順調となり、食欲も進み血色も出て、正月には柔らかく煮た餅2個を食べることを許し、一応往診を打ち切りました。

その後、患者は1月末に床払いをして、元気が回復したため若松へ出張したのですが、彼は美食家でかつ大食いであったため、その際の多食と美食がたたって、帰宅早々疼痛を発して寝込んでしまったそうです。

そこで、今度は離れ座敷に寝床を移し、面会を謝絶して夫人の熱烈な協力によって完全に食事療法が実行されたので、患者は急速に回復することができ、田中氏が6、7か月振りで面会した際には、元気旺盛で、血色がよく、殊に肥満が目立つので、当時の枯木のような姿を知る田中氏は唖然としたそうです。

なお、青汁は1日も欠かさず実行し、材料は主としてホーレン草を用い、細く刻んで少量の食塩とともにスリ鉢でよくすり綿布で強く搾って、これを直ちに飲用したそうです。

また、1把のホーレン草をよく搾ると0.7~0.8合の青汁が出来ることや、初めは果実または蜂蜜を混用していたが、馴れるにつれて食塩だけ用いた、ということも書かれています。

田中氏は、この体験談の最後を「この重症癌を征服した力は、ラジウムでもレントゲンでもなく青汁であった。菱の実、鳩麦等の神が与えた薬草であった。自然と人との合掌によってあらゆる病気は癒され、健康は増進される。」と結んでいます。

この本には、抗がん作用のある食材や薬草も多数掲載されているので、ぜひ『癌の治った話 どうして治ったか』を国立国会図書館デジタルコレクションでご覧になって、参考にしていただきたいと思います。

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