yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

2006年1月16日 (月)

2006-01-16 20:14:44 | Yuuの日記
2006年1月16日 (月)
晴れていたが夕方から雨が降ってきたこれから寒くなるのか・・・。

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晴れていたが夕方から雨が降ってきたこれから寒くなるのか・・・。

今日一日九太郎のもりをしていた・・・。外に出たがって困る・・・。自転車のロープを繋いで外を歩かせる・・・。猫の散歩を散歩中のおばさんに笑われる・・・。
劇団滑稽座の大道具搬送用の軽トラが邪魔になって・・・駐車場がないので破棄をするか・・・。スタジオの入り口に止めれば邪魔にならないのだが・・・。3月までにどうにかしなくては・・・。プレステ2と交換した軽トラだが・・・。よく動いてくれました・・・。
今日の夕餉は久しぶりに肉じゃが・・・。底がつきそうだったので少し水を足したら薄口になっている・・・。こんなことは初めて・・・。人参もおじゃがもほんわりと煮えて美味しい・・・。
今日は買い物に行かなかった・・・。家人はとろろ昆布と牛乳がいるというが・・・。葉野菜がこの温かさで少しは安くなったか・・・。黒酢の効果はまだ表れません・・・が・・・。飲みだして体の調子はとてもいいのだが・・・。これで痩せればめけっけもの・・・。
風邪はあと少し・・・残って・・・。咳喉には大根すりの蜂蜜か・・・かりん酒か・・・。とにかく栄養をつけると思って食べたのですが・・・。早くすっきりとしたいです・・・。
明日は小嶋の証人喚問・・・テレビが忙しい・・・。前回の自民の喚問はテイタラクだった・・・。あの議員は御免蒙りたい・・・。見るのもいやだ・・・。
ライブドアに査察が入った・・・。ホリエモンはどう対処するのか・・・。逃げられない・・・もろいか・・・。
今日は「西遊記」がある・・・。昔、榎本健一が孫悟空になったものを見たが・・・堺、唐沢、慎吾の誰がエノケンを越えられるのか・・・。世紀の喜劇王エノケン・・・。映像技術は低かったが中々面白かった・・・。今あれば見てみたいが・・・。そう言えばエノケンの映画はよく見ている・・・。私が浅草大学へ入ったときにはもう居なかったのだが・・・。
小林信彦が書いた「日本の喜劇人」のその後はどうか・・・。 さんまやたけしや所やタモリは入ったか・・・。昔は半端でない喜劇人がいたのだが・・・。今は小物が幅をきかしているが・・・。

 冬の日の雨はしとしと降る夜は
             春を思って爪を切るなり

 2006/01/16今日は雨が降ってますこれで温かくなればいいが・・・。


小説 秋の華

2006-01-16 15:04:11 | 小説 秋の華



この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華の続編である彷徨する省三の青春譚である。
ここに草稿として書き上げます。書き直し推敲は脱稿の後しばらく置いて行いますことをここに書き記します。

 


秋の華 (省三の青春譚)

秋の華は黄昏が似合う、それは明日を連れてくるものだから・・・。



1

 死の海だった。こんな恐ろしい光景を見たことがないと省三は思った。
 寒風が波を立たせ海の上をお覆った油を拡散していた。黒い波が漂っていた。黒い帯が東に西にと流れた。海岸線には打ち寄せる油が岩にこびりついて黒く光かっていた。魚は油の海に浮かび、鳥は油だらけになって飛び立たなかった。水島はむせ返るような臭気だった。
 漁師は小船を出して魚場を守ろうとオイルフェンスを引いて止めようと必死だった。海上保安庁の巡視船が中和剤を撒きながら航行した。何艘もの消防船がサイレンを鳴らしながら沖へ出て行った。水島灘はおろか備讃瀬戸内海も油と行きかう事故処理の船で一杯だった。上空を何機もヘリコプターが飛びかっていた。騒音の中マイクの声が交錯し劈いていた。緊迫した状態が続き緊張感が漲っていた。総てが興奮の中で作業に没頭していた。
 タンクには各企業の科学消防車から中和剤が放水され、市の消防車も中和剤の散布に追われていた。消防ホースは縦横に走り零れた油の中に沈んでいた。構内の殆どが油で足の踏み場もない状態だった。オイルはタンクを取り巻く堤防を越えて海へ流れたのだった。バケツで掬いドラム缶へ移す人海戦術しかなかった。陸続と応援の人が詰め駆けていた。
 工場の玄関は押しかけた市民で埋まっていた。企業の保安係りと警察が血走った目をしてそれを阻止していた。
 新聞記者がフラッシュをたいて写真を撮ろうとし保安係りにカメラを壊された。火災になったら大変だった。
 連日海に中和剤が撒かれ、岩にこびり付いた油を手でこさげて取り、タオルでふき取る作業が続いていた。
 日本最大のオイル流失事故だった。
 省三は全国から集まった反対デモの中にいた。二度とこのようなことのない設備の改善を訴えた。水島の目抜き通りを工場へ向けて横断幕を掲げ、旗を立て、拳を突き上げ、防止を訴えて歩いた。それを警察官が取り巻きデモと一緒に流れた。衝突はなかったが言葉の応酬はあった。デモ参加者の写真は証拠写真として撮られた。こちらが警察官にカメラを向けるとプライバシーの侵害だと息巻いた。
 この事故の自然破壊は回復するまで何十年もかかると専門家は推論して言った。
 昭和四十八年の師走だった。

「これからのる物書きは行動力がなくてはらならんて゛」と言って山下は走り回っていた。彼は流失事故を題材にして戯曲を書いて載せた。風刺の効いた読み応えのあるものだった。省三も村上水軍の末裔が瀬戸内海の浄化に立ち上がると言う戯曲を書いて発表した。
 実験的な作品が多かった。テーマ主義を貫こうとしていた。合評も文章の幼拙を語らずテーマが如何に表現されているかに重点がおかれた。
「長編を書くのだったら、ドストエフスキーを勉強したほうが早いで。哲学と心理学を学んだと誰かがいっとったな」
 山下は、長編を書いている梅本女史に言った。
「すいませんわね・・・勉強不足で・・・ドストエフスキーさんは誰を参考にしたのでしょうね・・・」
 梅本も負けていなかった。
「それは・・・」と山下は口ごもった。
「山下さんの負けや、何もそんなことせんで、独自のものでええのや。模倣から生まれるのは絵だけでええのや」
 益田がそう言った。
「何だ、それなら俺の絵は模倣だと言うのか」
 武本が突っかかった。
「模倣を超えて自分の絵が描ければ立派なものだが・・・」
 山下が火をつけた。
 こんな拉致もない論争は毎度のことだった。
 「怠け者」は号を重ねていた。

ドストエフスキーの「罪と罰」 物書きの参考書は「カラマーゾフの兄弟」が良いのかも・・・。
 
 新幹線は西へ、岡山から博多の開業が始まった。
 「たいやきくん」が巷に流れていた。

 育子は省三が文学の勉強をして一日のんべんだらりと生活していることに何も言わなかった。子供が出来てから省三は育子に代わって店番をする時間は増えたが、それ以外は本を読んだり原稿を書いたりするだけだった。
 育子は大きな腹を突き出してカウンターの中でコーヒーを淹れ客の席へ運んだ。悠一は育子の母が面倒を見てくれていた。
 省三は農繁期には育子の里の農業を手伝った。田植えの後始末、稲刈りの後、脱穀機で籾を取り、籾を干してトオスで玄米にする、その過程を手伝った。作物を育てるときどのように手入れをすれば良いかを習った。手をかけたらかけただけ作物は応えてくれた。自然の恵みと作物の命の偉大さに改めて驚いたのだった。前より良くなったとは言え公害の地で花を咲かせ実をなして次へと渡す命を思った。
 育子が出産したとき、省三は十五分おきに起こる陣痛に「力め、力め」と叫んでいた。命を産み落とす感動を育子と共有していた。
 男の子だった。
「頑張ったね」
 省三が言うと、育子は腫れぼったい顔を向けて頬を緩めた。命を懸けて子孫を産み落とす女性のその勇気を思った。男には何処を探してみないものだった。
 店を掃除しコーヒーを淹れて開ける、途中看板を準備中にして育子の病院へ走ると言う生活が続いた。
「晩御飯は何が良い」
 省三は産後に栄養がいると思って育子に尋ねた。
「いいわよ、病院食を美味しく頂いているから・・・それに・・・」
 育子はそう言って窓のほうへ目線をずらせた。
 そこにはたくさんの見舞い物がうずたかく積まれていた。
「持って帰ってくれる」
「食べればいいじゃないか」
「幾らおなかが空くと言っても、こんなには・・・」
 省三はそんな会話をして持って帰るのだった。持って帰っても悠一が食べるくらいで余ってしまった。それを育子の里へ持っていくのだ。
 育子が退院した時に赤飯を炊いて祝った。
「動いたつもりでいたのだけど、こんなに大きな子が生まれました」
 育子はそう言って何時もの笑いを浮かべた。
 四キロに近い子だった。悠一が物珍しく生まれた子の頬を指でつついた。
「それより、この子の名前・・・」
「義父さんはなんと・・・」
「あなたが決めて」
「うん・・・親父さんの名前から一字貰って豊太にしては、どうだろう」
「それて良いわ、今日からあなたは豊太ちゃんよ」
 育子は寝ている豊太にそう呼びかけた。
 そう言えば父はどうしているだろうと省三は思った。時折兄の久の所にときの消息を尋ねる手紙が届くと言うことだったが、大阪で何をしているのかと案じていた。ときのことも気になっていた。喘息はどうなのか、後遺症は・・・。ここのところ久の所へ行っていないことに気がついた。豊太の首が据わったら見せに行ってと考えた。
「お父さんはどうしているのかしら・・・。帰ってきてここで一緒に暮らしてくれれば良いのにね」
 育子が心配そうに言った。
「ああ、だけど・・・。何も言って来ないと言うことは元気なのだろう。そのことを考えていたんだ」
「もう歳だし・・・。お兄さんと相談してみたら」
「ああ、何処で何をしていることやら」
 心配してくれる人がいるということを重太は知っているのだろうかと省三は思い腹が立ってきた。
「そうだな」
 省三はそう言って俯いた。
  育子は順調に回復していた。悠一も豊太も幸いなことに母乳で育てることが出来た。
 父親の情愛は子供の夜鳴きで初めて芽生えるのか、省三は父親を実感していた。おしめを替え、風呂に入れ、省三は忙しい毎日を送っていた。人の親になるという幸せを感じていた。
「勉強をして東大へ入り国を動かす人間になるより、人様の邪魔になる石を動かす人間になれ」
 省三は二人の子にそのように呟いていた。
 親になって初めて今までより人への思いが広がっていったのはどうしてか、省三はその事を感じていた。
 「省ちゃん、子供は可愛いで・・・。この子のためなら何でも出来る・・・こんなやくざな家業も・・・人様に笑われ辱めを受けても子供の為なら耐えられる・・・子供は天使・・・元気でいてくれるだけで親は幸せなのよ」
 舞台から降りて胸のあたりの汗を拭きながらそう言った踊り子さんがいたことを思い出していた。

 「怠け者」の仲間は次々と賞を受賞していた。県の文学賞はおろか新聞社の賞まで貰っていた。その受賞パーティーの段取りをするのは省三だった。受賞者がどのように付き合いをし生きたかで参加の数に開きがあった。そこを考えて埋めるのが省三の役目だった。
「ああ、そうですか・・・。ですが、ぜひ先生の参加をお願いいたします・・・。これは本人ではなく私がお願いしているということで参加を願えませんか・・・。先生の文化賞の時にはみなを引き連れ参加させていただきますから・・・」
 脅したり賺したりあらん限りの手を使い席を埋めた。
「なにももろうてないんはわいら四人だけか・・・まあ、わいは貰える様なものを書いてないが・・・賞がほしゅうて書いてないからな・・・賞を貰いたいから書いているのではない」
 山下が強がりを言った。
「あれでは無理やないですか・・・色が出すぎていますから」
 益田がそう言った。
「そうじゃ、自分の色ではなく・・・」
 武本が絵描きらしく色に譬えた。
「何が言いたいんじゃ」
 山下が大きな声を上げた。
「まあまあ、そのうちに貰えますよ。我々の勉強が間違っていないことははっきりとしているんだから」
 省三はそう言って中に入った。
 省三に随筆を書いてくれないかという話が入ったのはそんな時だった。紙面が開いたのでそれを埋めてくれというものだった。新聞社の連載で三年間「父親の育児日記」を書くことだった。
 家のこと、おじいちゃんおばあちゃんのこと、母親のこと、悠一豊太のことを書くことにした。
「それが好評だったら、小説を書いてもらいたいと言うことです」
 省三はみんなには言わなかったが小説の入選をしていた。言えば何を言われるか分ったものではなかった。特に山下が何を言うか分らなかった。
 後に中央紙の岡山版に「大風呂敷の中の小石」という世の中を風刺する随筆を書くのだが・・・。
 省三は店と子育て、それに執筆と忙しい生活をすることになった。
「大丈夫」
 育子は心配をしていた。 
 水島の空に赤い風船は上がらなくなっていた。鳥が戻り、川には魚が川上を目指していた。だが、曇った日にはかつての臭い匂いが流れてきた。



2

  重太は病んで帰ってきた。

菊池寛「父帰る」を収録・・・是非日本の近代演劇の基を・・・。

  省三が幾らこちらへ来るように誘っても、長男のところが帰るところだといって来なかった。久に負担が増えるので省三は仕送りをした。重太は今までの罪滅ぼしのようにときの面倒を甲斐甲斐しくみた。時折四十分もかけてバスで来てコーヒーを黙って飲み、いらないと言っても代金をきちんと置いて満足そうな表情をしていた。その時の服装は背広を着て颯爽としていた。省三は昔見た重太の若い頃の正装した写真を思い出した。大地主の家に生まれ、今なにもかも失っていてもその血は争えないその姿は悠然としていた。病を抱えていても些かも品格を失っていなかった。
「達者でな」「ぼんは大きくなった」
 孫の姿を見ても何も言わず優しい眼差しを投げていた。それが重太の精一杯の愛情表現だった。明治生まれの男の心意気だった。
 重太は短く言っただけで、バス停へと踵を返した。
 重太はそれから入退院を繰り返し、久の家で亡くなった。
 ときは分るのか分らないのか手を合わせてじっと祭壇の写真を見ていた。
 省三は泣きながら「有難う」を繰り返した。
省三は重太と子供たちのことも書いた。寡黙な男の愛情の出し方を重太の為に書いた。それが省三の父重太への鎮護だった。
 重太は出奔して何をして生きていたのか語ることはなかった。戦争に行かなかった重太は国の為に海を浚渫し飛行場を造ることで戦死した人たちに詫びていたのを省三は知っていた。外大を出て経験のない土木工事をしたのだった。大正から昭和にかけて三宮の駅前に本店を置き、上海、大連、京城、台湾、香港、シンガポール、ジャカルタと支店を持ち貿易の仕事をしていた重太の繁栄は一人の支店長の使い込みで終わっていた。連帯保証人で何もかも失うと言うこととにかより、人の良さが災いしたのか、総てを自分の所為にして何も言わずに生きたのだった。                
「人は信じるもの、信じられない生き方は寂しい」
 重太はそう言ったことがあった。満足そうに言い後悔の色はなかった。
 久は重太の介護と葬儀に疲れその後入院した。
 省三はときを引き取った。
 陽だまりの中で悠一、豊太と遊ぶ時の顔はくしゃくしゃに綻びていた。言葉を失ったときは獣のような叫びを上げ左手であやそうとしていた。
 ときは夜明けに咳き込んだ。見えないが大気の汚れを感じた。おしめを外し布団を汚すことがたびたび起きるようになった。
 駄目ですよ、と手の甲を省三は軽く抓った。手の甲には十円玉のような痣が出来た。皮膚は薄く脆かったのだった。
 その痣は三ヶ月間も消えず省三を苦しめた。風呂に入れて洗っても洗ってもその痣は消えなかった。だが、そんな省三の悩みを知らずにときは幸せそうだった。
 久が退院してときを迎えに来たときは車に乗ろうとせず困らせた。無理矢理乗せて久は連れて帰った。
「これでいいの」
 育子は省三に小さく言った。
ときは重太が亡くなって二年後後を追った。
「男は両親が亡くなって初めて自立が出来るものだ」
 重太がかつてしみじみと言った言葉が省三の脳裏に蘇っていた。 
 
  省三は毎週二回戸倉と共に青年に演劇を教える為に倉敷の公民館へ出向いていた。公演が近づくと毎日出かけた。
 倉敷を題材に戯曲を書きそれを公演した。その演出を手がけていた。練習を見て、
「そこのところ少し考えよう」と言うだけだった。手取り足取りの教えはその人の成長にならないという考えだった。役者は演出の人形であってはならないと言うものだった。
 公演は百回を超えた。青年たちはハードなスケジュールに付いて来てくれた。
「怠け者」は会員がそれぞれ一人歩きをしだした。集まりも悪くなり自然に解消する形になった。

 公民館からの帰り、省三は追突事故に合った。
 それを機に何もかも捨てて生きなくてはならなかった。
 新聞の随筆連載、小説連載もそこで閉じた。
 六ヶ月間病院に通って治療したが、欝が出て二十年苦しむことになる・・・。
 
 公害闘争は子供達が小学校へ入学したことで終わりとした。人質にとられては何も出来ないと思ったのだった。

「観客が乗ってこなかったら舞台で転ぶんですわ」
 コントの役者が言った言葉を思い出した。これから何べんも転ばなくてはならないと思った。
 
 ローキード事件で東京地検は田中角栄前首相を逮捕のニュースがながれていた。昭和五十一年のことだった。
 省三、三十三歳の夏、日差しが厳しい頃であった。

 省三の青春の華はどんな色で咲いたか・・・。これからどんな花を咲かそうとするのか・・・。

 

 2005/11/15 「秋の華」草稿脱稿。
 一ヶ月間、長いあいだご愛読有難うございました。海、冬春夏秋の華は構成推敲いたし改めてここに載させて頂きます。
時を置きましてこの続編「冬の路」「春の路」「夏の路」「秋の路」を書き発表いたします。

この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華の続編である彷徨する省三の青春譚である。


小説 夏の華

2006-01-16 15:02:23 | 小説 夏の華
夏の華 (省三の青春譚)

1


昨年、東大紛争は機動隊八千五百人、催涙ガス四千発で安田講堂に立て籠もった学生を排除し終結した。この紛争の発端は東大医学部学生自治会、インターン制に代わる登録医療制導入に反対して無期限のストをしたことが原因だった。
成田空港阻止集会で反対同盟と全学連が警察隊と衝突した。
日大では経理が二十億円の使途不明金を国税の調査で発覚し、日大紛争の発端になった。
この年は学生運動が盛んで、日米安全保障条約延長反対、アメリカの原潜寄港反対と相次いで警察、機動隊と衝突をした年であった。
 
日本は大阪万博で賑わっていた。
省三は育子と結婚をし、新しい店をオープンさせた。質素で簡単な式を挙げて二人の門出としていた。
  省三は公害闘争をしながら育子の喫茶店を手伝っていた。全国の市民運動は連帯し相互の支援を行っていた。
森永乳業砒素ミルクの責任追及を糾弾し不売不買を訴えた。岡山は砒素ミルク中毒によって多くの幼い命を奪われていた。
企業は煙突をより高くし煙の拡散を図っていた。五十メートルの火焔は大半がなくなっていた。まだ何本かは夜空を焦がしていた。曇りの日には山が消えた。公害センターの赤い風船はあがる頻度はすくなくなったが、風のない日にはあがり大気汚染を警告していた。それらは省三の店から外に出るとよく見えた。
省三は文学の勉強の為、直木賞の候補になった大林が主宰する同人誌「備前文学」の同人になった。
育子は曇り空の日は頭が痛いと言った。雨の降る前日は頭が重くなるのか、明日は雨が降ると予言した。足が良くなればと、良く治すというところへは治療に通っていた。育子が留守の間は省三が店番をしコーヒーを淹れた。
店は、新聞記者、文学青年、絵描きの溜まり場になっていった。
店の窓枠に掲示板を掲げそこに時事を皮肉った壁新聞を貼った。その壁新聞を読むためにわざわざ車で来る人もいた。
「今村さん、これでも真剣にやっとんのやで、新聞記事まで茶化すのんかいな。めったな記事は書けへんがな」
 中央紙の記者の益田が笑いながら言った。益田は大阪の大学で新聞学を修め、記者一年目で倉敷に来ていた。北陸の金沢出身でおっとりした性格だった。
「挿絵があったほうが面白いで」
 銀行に勤めながら絵を描いている武本が言った。
「ミニコミ誌でも出すか」
 学生運動ばかりしていて就職口がなく、本屋を開いた山下が言った。
 山下は公害闘争の仲間で、成田、水俣、四日市へオルグとして出かけることが多かった。中学校の教師だった奥さんに店番を任せ飛び歩く活動家だった。
 省三は山下と活動をしながら一線を引いて独自で動くことが多かった。
「今村さん、山下さんをあんまり信用したらあきまへんで・・・」
 益田が省三にそのように注意をした。
「・・・」
「分りますやろ・・・あの人は鶏コケコッコや」
 省三は笑って聞いていた。
「頭があこうて体が白や」
「何が言いたいのだ」
「頭は革新で体は保守と言うことやがな」
「何か掴んだのか」
「商売上手で仰山金儲けて・・・せっせと貯めこんどるちゅう噂やで」
「それが悪いと言うのか」
「そら、金持ちの共産党員は仰山いるよって・・・不思議ではないけど・・・。今村さんの生き方と違うような気して」
「有難う、心配してくれて・・・。山下には山下の考えが・・・俺には俺の・・・。それでええと考えとる」
「わかっとったらええんです」
 省三は若いが観察力があると思った。
 
川は異臭を放っていた。川の流れより家庭排水のほうが多く泡が立ち淀んでいた。合成洗剤と中性洗剤が槍玉に上がっていた。住宅が急速に増え、川は何でも捨てられごみ捨て場と化していた。川下の児島湖のヘドロが問題になり、水質の汚濁が激しいと警鐘をならす記事が飛び交った。
 川上の住民が天麩羅油で石鹸を作って話題になった。天麩羅油と苛性ソーダーを炊いて作ると言う簡単なものだった。そのことが正しいか・・・いや・・・家庭は浄化槽を作り、行政が下水道の完備をしなくては問題の解決にならないと省三は思った。
 省三と育子は、歯は塩で磨き、体は固形石鹸を使い、頭は酢を水で薄めて洗った。食事の後の洗い物と洗濯物は植物性の粉石鹸を使った。車は乗らないようにし、バスと自転車で用を足した。公害運動をしている者が公害に加担出来なかったのだった。
「大事の前の小事・・・そんな瑣末なことをするより・・・市に下水道の完備を、車のメーカーに無公害の車を作らすことが大切なのだ」
 山下はそう言って省三の行動を暗に批判した。
「そこまでせなあかんのですか、大変やな。今村さんは完璧主義なんやな・・・不自由ではないんですか」
 益田はそう言って感心した。
「バカらしい、そんなことをしてどうなると言うのだ」
 油絵の具の筆を洗って川に流しているのだろう武本が言った。
 省三はなんと言われようと人に公害反対と言う以上これがけじめだと思った。育子は不自由だが省三に従っていた。
 川の自然浄化は三百メートルだが、護岸がコンクリートになり、水が流れていなければそれも無理だった。水が流れていれば合成、中性洗剤も植物粉石鹸も自然浄化をされるのだ。流れ込む海の自然浄化が追いつかない汚染が広がっていた。
 赤潮が発生して酸欠で大量の魚が死ぬという事件は頻繁に起きていた。
 瀬戸内海が死の海へと変わろうとしていた。瀬戸内海から獲れる魚で日本人の魚蛋白は賄えると言う事だったが漁獲量は激減していった。
 公害についての勉強会は週に一回もたれていた。
 水俣の、川崎の、四日市の、富山の公害発生源とその対策を学んだ。ゲストはその各地から呼んだ。警察官が会場を見張ていた。赤丸の付いた活動家が何人か出席していた。企業の人事担当が出入りをチェックし、出席した社員は外の事業所に飛ばした。
「わいらが新渓園で集会をしていた夜、隣の大原美術館で絵が盗まれたんじゃ・・・。その集会には何十名と言う警官が張り込んどったのにだ」 
 山下はそれを自慢話にしてよく言った。
 山下と省三はミニコミ誌を出すことにした。発言の場が欲しかったのだ。壁新聞では限界があったからだった。
 
月に一回、同人の集まりがあって、課題作を合評していた。年に二回同人誌が発行されていた。編集は主宰の大林が行い掲載作品を決めていた。この同人誌は東京でも有名だった。同人は五十人ほどいて集まりがあると早く行かないと席がなかった。
 省三は東京の下宿であったことを書いて出した。それが主宰の目に留まり処女作が掲載された。それは「文芸」の同人誌批評に取り上げられ、主宰は中央に出しても遜色がないと評価した。省三は自信を得て次々と作品を書き発表した。が、処女作を超えるものは書けなかった。
 育子の店を手伝い、公害市民活動をしながら文学修行を続けていた。ストリップ劇場のコントの書き方は精通していたが、小説は初めてで、初めて書いたものが褒められたと言うことで、こんなものかと高を括るところがあったのだった。同人の間ではサルトルと言う言葉が飛び交っていた。それを省三は猿飛びと間違って聞くと言う文学音痴だった。カフカをカフェーと聞き、ジィドを柔道と勘違いすると言う時期を通り越して文学に親しんでいった。
 
「青年のために台本を書いて呉れんだろうか」
 夕刊紙の記者をしながら公民館で青年に演劇を教えている戸倉が言ってきた。
 四十分の台本で地域性があり青年の生き方を書かなければならなかった。
「ええよ」
 簡単に安請け合いをしていた。演劇と言ってもコントの延長くらいに思っていた。
 東京に出た娘と送り出した親のやり取りを書いた。
ーとおさんの背に乗って倉敷川に流れる櫻の花びらを見たの、忘れないー
 そんな湿っぽい中に笑いを盛り込んだ人情喜劇だった。
 それが全国青年大会演劇の部へ出場することになった。倉敷からは初めてのものだった。
 全国青年大会とは、国体とインターハイと同じで勤労青年の体育と文化の祭典で各県代表が東京で競うものだった。
 国立競技場で開会式が催され、目黒公会堂で公演することになった。脚本賞、最優秀演技賞、最優秀舞台美術賞と総なめし、青年会館で受賞公演をして帰った。倉敷は沸き返っていた。だが、倉敷を批判したとして倉敷市教育委員会より戸倉は注意されたのだった。
「そんな小さいことを言うとるから観光客に『一度でたくさん、二度と来ません』と言われるんじゃ」
 戸倉はそう言って鬱憤を晴らしていた。事実、倉敷を観光した人たちはそのように言っていたのを省三も聴いたことがあった。倉敷川を挟んで三百メートルの江戸情緒を思い浮かばせる蔵屋敷と、世界の名画を所蔵する大原美術館だけでは一度でたくさんというのは当たり前だった。商人は気位が高く人情にかけたところがあった。良く言えばマイペースで悪く言えば融通が利かなかった。
 以後、倉敷の勤労青年は全国青年大会へ五回出場したがその総てが省三の創作劇によるものだった。いろいろと小さな賞は貰ったが初出場のとき貰った賞を超えなかった。初出場の公演を超えてなくては大きな賞につながらないことを痛感した。
 
 安保反対のデモが国会に押しかけ、原潜寄港反対のデモが横須賀に集まり警察官と衝突していた。全国の市民運動家も参加していた。
作家の三島由紀夫が盾の会会員四名を率いて、市谷の自衛隊に乱入しクーデターを訴え失敗し会員一名と割腹自殺をして世間を驚かせた。

 省三の店は刑事に見張られていた。省三の行動を監視していたのだった。
「この店は安全やな、警察官が無料で護衛や」
 益田が笑いながら言った。
「コーヒーでも出さなくては悪いかな」
 省三も冗談を言った。
 益田は警察官の悪事を些細なことまでメモに書き付けていた。何処の店でただ呑み、ただ食いをしたか、抱き逃げをしたか、暴力団の誰と仲が良く飯を食ったか、スピード違反を何時見逃したか等を記録していて取引に使うと言っていた。

 店にはやくざが来なかったが、お客も寄り付かなかった。刑事に後を付けられたら気持ちよくはなかったろう。実際、やくざに潰された喫茶店がかなりあった。外車を店の前に横付けし、コーヒー一杯で何時間もおられたらたら、それは嫌がらせ以外の何もでもないのだ。
 省三の店も一度その手の嫌がらせを受けたことがあった。大きな声で喋り居座っていた。育子は脅えていたが、省三はそうではなかった。
「外のお客さんに迷惑がかかりますから、小さな声で話してくださいませんか」
 省三はやくざに言った。やくざは一人ではなかった。仲間が居ると居丈高になるのだ。
「何や、わし客ではないんか」と怒鳴った。
「誰に頼まれたか知りませんが、お帰りください」
「何んやと」更に大きな声を上げた。
 省三はやくざの前に近寄った。
 怖いと後に引くとよけいに声は大きくなるのだ。こんなときは前に出ると声は小さくなるものだ。
「何やお前」
「大里さんをご存知ですか」
 省三はこの手は遣いたくはなかったが、と言うのも逆効果になることもあるからだった。
「おおさと・・・」
 やくざはそう言って口ごもった。
「お元気ですか」
「知っとんか」
「この前・・・肩が痛いと言ってましたが・・・」
「なにもんや、お前」
「しがない喫茶店の手伝いですが・・・」
「そんなあんたが、大里さんを知ってる訳がないやろが・・・」
 やくざの声は小さくなっていた。
「それは、大里さんにあなたが聞いてみてください」
「あほな、顔も見られへん」
「有難う御座いました」
 やくざはすごすごと帰っていった。
それからと言うものやくざの嫌がらせは起こっていなかった。
 大里は昔気質のやくざだった。大阪から若い衆を連れて製鉄会社の港で荷揚げの仕事をしていた。若い衆の何人かがその荷揚げの材料を横に流すと言う事件があった。小さな事件だったが、水島署に挙げられた。それを省三は追っていたのだ。やくざでなかったら賠償で済んでいる事件だった。倉敷に詳しくない大里は弁護士に困っていた。大阪から呼ぶのも費用かかり大変なことだったので省三に相談を持ちかけたのだった。
「そこにお兄さん、誰かええ弁護士しっとらんか」
 一人で記者クラブにいた省三がそれを受けて紹介したのだった。
「恩にきまっさ、何かあったら何時でも言うてや、兵隊送るよって」
 大里は女の子ばかり五人いた。足を洗うために水島へ来ていたのだったが、若い衆がその足を引っ張ったのだ。
「今村はん、水島の水はあいまへん、大阪へ帰りまっさ・・・。あんたのことはここのもんへあんじょ言っときましたさかい・・・大阪へ来た時は寄っておくんなはれ」
 奥さんと五人の子を連れて寄ったことがあった。そして、帰って行った。
 水島にはそんな人たちのドラマがいっぱいだった。
 ひと山当てようと水島に来て、何人の人がその山を当てたろうか・・・。身包み剥がされて帰った人が多かったのは事実であった。水商売の女と、やくざは多かった。女性がいればハエのようにやくざは集まった。彼らは金の臭いと女の臭いに非常に敏感に反応した。
 業界紙の記者は名刺一枚で良い金儲けをしていた。企業へ行って中央の政治家の名刺をちらつかせ車代をせしめていた。政治家の名刺の裏にはOO君をよろしくと書いてあった。省三も企業の忘年会でそこの製品を一杯貰ったことがあった。一種のご挨拶、口止め料だった。やり場に困って企業の玄関口に捨て、それからは二度と行かなかった。
 戦後、水島飛行機製作所の物資を横流しして莫大な財産を作った三人組がいた。一人は何軒も映画館を持ち市会議員になり、もう一人は百貨店の社長に納まり、後の一人は大きな酒屋の主人になっていた。
 ストリップ劇場の照明さんが言った人間を横から眺めて掴んだものだった。
 「人間の腹は塵溜めさ、何でも貪欲に流し込む・・・それがなんともいじらしい」
 座付き作家が言った言葉を省三は思い出したものだった。

2

「地域闘争」「エロス」の雑誌との係わり合いが出来ていた。
地域闘争は全国の地域で闘争するグループを支援し、情報を流していた月刊誌だった。エロスはウーマンリブを掲げる女性が出す月刊誌だった。男の不貞を素に会社に押しかけるウーマンリブとは一線を引いていて、女性の本質を書き訴えるものだった。どちらにも省三は原稿を送りページを賑わしていた。

 ミニコミ紙「さぶいまち(寒い町) 」は一ヶ月に一回発行し、全国の市民クーループへ配っていた。が、そこに書いてあるような意識も行動はなくかなり誇張したものであった。山下が編集し省三は巻頭の記事を入れていた。多分にふざけたもので省三の壁新聞と大差はなかった。公害は収まってはいなかったが、記者を辞めた省三は取材する機会に恵まれず、情報が少なくなって、バッグにカメラとテープレコーダーを入れ何時でも飛び出すことが出来るように待機していた。
 工場の爆発は頻繁でその都度一番に現場に着いていた。
 
省三は夜中にせっせと小説の原稿を書いた。毎号同人誌「備前文学」に省三の作品が載った。主宰の大林が連載小説の依頼を受け大阪で生活をすることになったのを機に省三は同人をやめた。そして、岡山の物書きを集めて同人誌を出すことに決めた。
その会議だと言って、益田や武本、山下とよく夜の街へ出かけ酒を飲んでいた。カウンターに並んで呑みながら文学や哲学の話をした。ホステスは近寄ろうとしなかった。                         
「土手で一番流行っていない喫茶店の前」と言うとタクシーは省三の店の前につけた。物書きの放蕩を気取っていた。
 育子はどんなに遅くなっても省三が帰るまで起きて待っていた。それには省三も参った。何時になるか分らないから早く休むようにと言っても生まれたばかりの長男の悠一を抱えて待っていた。
「今起きたのよ、悠一が泣いて・・・」
 育子はそう言った。それは育子の抗議なのだと省三は思った。が、そんな女性ではないことを知っていた。交通事故で後遺症を残し、今は幸せな生活をしているそのことで何も言えないと言うのでは夫婦ではないが、何も言わずに明け方まで起きて待っている姿は省三に後悔を齎せた。
「怠け者」の同人は八名が集まった。その中に益田も武本も山下もいた。女性文学賞を貰った梅木女史、歴史文学賞を貰った栗田女史、解同文学賞佳作の大道、随筆賞の石川女史もいた。そうそうたる顔ぶれだった。創刊号を出す前から新聞もテレビも取材に来た。
「この同人誌は賞を目指し、次の賞を頂く為に作りました。それだけの才能がここに集いました」
 省三はそう言った。
 この倉敷から文学を変え発信すると山下は言っていた。
 同人が提出した作品はコピーをし総ての同人に渡し読む責任を課せ一作一作を徹底的に合評した。主張を曲げず言いあいになり席を立つものもいた。同人誌を出して合評をすると言う常識を破るものだった。出して幾ら合評してもそれは次の作品に役立っても発表した作品に何のプラスにもならないと考えたのだった。その為に事前にそれをやったのだった。
 同人誌の扱い方は前の同人誌で学んでいたからスムースにことは運んだ。東京の出版社に送り、呼んでくれそうな作家に送り、新聞社に送った。そして、有名な同人誌の主宰者へも届けた。載せる載せない、そして枚数に関係なく負担は全額を同人の均等にした。書けなかった責任を取らせたのだった。本は事務局置きを取り後りを同人で分け、売って費用の足しにしょうと言った。
 創刊号は二百七十ページ、「文学界」より厚かった。掲載した作品はそこから独り歩きを始め、作者の元から離れた。
作者はその作品の行くえをただ見つめるだけで、良い人に出会い読んで貰えと祈るだけだった。
 省三は「冬の彷徨」と言う安楽死を題材にした小説を発表していた。「備前文学」の主宰は医療の現場にない人が軽々しく安楽死の問題を書くべきではないと言う批評を寄せてきた。森鴎外の「高瀬舟」を例としてあげていた。
森鴎外「高瀬舟」読んでない方はここで買えばよい・・・。
 
  同人誌「怠け者」は評価が二分した。評価に拘るものはいなかった。みな次作へ向けて取り組んでいた。
 省三は店の手伝いをしながらお客に尻を向けカウンターで書いていた。
 
 育子は悠一を生んだ頃から頭が痛いと言わなくなっていた。額の十円玉のような痣が薄くなっていた。それまでは何か出来ないときは後遺症の所為にして逃げていた。後遺症が原因だと言わんばかりだった。
「その傷を背負っている間はお前さんの負けだよ・・・その痛さを胸に抱かなくては勝てないよ」
 傷を忘れてこの傷はみんな持っている傷だと自覚して生活するところに人間の努めがあると言いたかったのだ。何事も傷の所為にしなくて、自分の至らなさの所為にする事の大切さを説いたのだった。
 育子は省三の言ったことを守ろうと一生懸命だった。傷の所為にしていたときより前向きな生き方へ変わって行った。乗り越える過程で表情が明るくなって行くのが分った。
「最近、表情が良いね」
 省三が言うと、
「また、あなたに助けて貰ったわ」
 育子ははにかむ様な仕種で言った。
 ときを水島に連れてきて一緒に生活がしたかったが、この空気の悪いところでは余計喘息が悪くなるかもしれないと省三は思い躊躇していた。

 長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが管理人を人質にして立て籠もりという事件が起き、一週間にわたり終日中継放送された。
 連合赤軍逮捕者の自供から妙義山中で殺されたメンバーの十三名凍死体を発見したと発表した。
 日本人ゲリラが、イスラエルのテルアビブ空港で自動小銃を乱射二十六名を殺害した。
 森永乳業は砒素ミルク中毒の責任を認め、患者・家族の救済要求を受諾した。
 川端康成が仕事場でガス自殺。
 中国からパンダのカンカンとランランが上野動物園に到着した。

 赤軍幹部が逃走していて立ち寄ったことはないかと刑事が尋ねてきた。映画監督の田川が接触していたことがあり、その友達の省三の所へ聞き込みに来たのだった。
 森永砒素ミルク事件は解決に向けて動いていたが、十分な補償は得られず次々と法廷へ持ち込まれていた。
 省三たちが行った公害闘争で良い成果が出ると各政党の手柄になっていた。
 喘息患者が次々と亡くなっていた。年寄りと幼い命が奪われていた。
 国は公害認定患者を承認し、公害障害手帳を交付、医療費の全額を免除し障害補償費給付した。
 (公害健康被害補償法(昭和四十八年法律第百十一号)第十八条及び第百三十五条の規定に基づき、並びに同法を実施するため、公害健康被害補償法施行規則を次のように定める)
 大きな前進だった。これで金がない為に医者の門を潜ることの出来なかった人たちが助かる、喘息で仕事も出来なかった人が給付金を貰え安心して治療に専念できると省三は思った。

 オイルショックでガソリン価格が急騰し品不足の為ガソリンスタンドは日曜、祝日の休業を国から定められた。町には紙等の品薄が広がりなくなるという流言が買いだめへと走らせた。新聞、雑誌のページ数は減っていた。
 町のネオンは消され暗い日本に変わっていた。
 戦後の復興から成長経済へ移行していた日本の不安定な地盤を露呈した感があった。
 省三は書くことに追われ、「怠け者」の発行に躍起だった。

 省三が危惧していた事件が起きたのは次の年の師走だった。
 三菱石油水島製油所の重油タンクに亀裂、一万五千リットルが流出したのだった。
 瀬戸内海は油の皮膜で覆われた。沿岸魚業は壊滅的な被害をこうむったのだった。
 省三はカメラとテレコをバックに入れて飛び出した。
 死の海だった。こんな恐ろしい光景を見たことがないと省三は思った。
寒風が波を立たせ海の上をお覆った油を拡散していた。黒い波が漂っていた。黒い帯が東に西にと流れた。海岸線には打ち寄せる油が岩にこびりついて黒く光かっていた。魚は浮き、鳥は飛び立たなかった。むせ返るような臭気だった。
 漁師は小船を出して魚場を守ろうとオイルフェンスを引いて止めようと必死だった。海上保安庁の巡視船が中和剤を撒きながら航行した。何艘もの消防船がサイレンを鳴らしながら沖へ出て行った。水島灘はおろか備讃瀬戸内海も油と行きかう事故処理の船で一杯だった。上空を何機もヘリコプターが飛びかっていた。騒音の中マイクの声が交錯し劈いていた。緊迫した状態が続き緊張感が漲っていた。総てが興奮の中で作業に没頭していた。
 タンクには各企業の科学消防車から中和剤が放水され、市の消防車も中和剤の散布に追われていた。消防ホースは縦横に走り零れた油の中に沈んでいた。構内の殆どが油で足の踏み場もない状態だった。オイルはタンクを取り巻く堤防を越えて海へ流れたのだった。バケツで掬いドラム缶へ移す人海戦術しかなかった。陸続と応援の人が詰め駆けていた。
 工場の玄関は押しかけた市民で埋まっていた。企業の保安係と警察が血走った目をしてそれを阻止していた。
 新聞記者がフラッシュをたいて写真を撮ろうとして保安係りにカメラを壊された。火災になったら大変だった。
 連日海に中和剤が撒かれ、岩にこびり付いた油を手でこさげて取り、タオルでふき取る作業が続いていた。
 日本最大のオイル流失事故だった。
 省三は全国から集まった反対デモの中にいた。二度とこのようなことのない設備の改善を訴えた。水島の目抜き通りを工場へ向けて横断幕を掲げ、旗を立て、拳を突き上げ、防止を訴えて歩いた。それを警察官が取り巻きデモと一緒に流れた。衝突はなかったが言葉の応酬はあった。デモ参加者の写真は証拠写真として撮られた。

小説 春の華1

2006-01-16 14:45:40 | 小説 春の華
1

水島にコンビーナートが出来る前は、水島灘に高梁川が流れ込む河口には干潟を埋め立てて造られた戦前の水島飛行機製作所がその目的を終わり放置され草の中に隠れていた。周囲の山肌には蜜柑や桃が栽培され、田地には稲が実り麦に藺草が植えられるという二毛作が行われていた。ビニールハウスの中にはぶどう棚が広がっていた。水島灘に面した半農半漁の小さな村が点在していた。高梁川が押し流す土砂で三角州が出来て一面に葦と芒が茂り、潮が引くと遠浅が広がり足の下で海老が跳ね、魚を手で掴まえる事が出来るほどの魚場だった。瀬戸内海の早い潮に揉まれた魚は脂が乗り、身がしまり大阪の料亭に人気があった。漁業権が買い取られ海は埋め立てられ、飛行機製作所跡地を中心にしてコンビーナートがそれらを呑み込み造られたのだった。 
 水島の空は灰色の雲に覆われているように見えた。煙の帯が垂れ込め終日明かりの差さない町だった。煙突から炎があがり油田の様相を呈していた。夜になると何十本の煙突から五十メートルもあろうかと言う火焔が上がり、町全体を昼のように照らし、新聞が読めた。オレンジ色の火炎は水島の空を燃やし夜空を焦がしていた。
 
  省三は倉敷支局の水島担当が記者となっての第一歩になった。水島警察署や倉敷市役所水島支所の記者クラブに詰めていた。大変な町に来たと省三は思った。
  水島灘の東には呼松という漁師町があった。そこの漁師が揚げた魚が臭いと、工場廃水口へセメントをぶち込み、魚を工場の入り口へ、県庁の玄関へぶちまけると言う事件が起きた。工場が出す廃水が原因で魚が臭くなったので工場と県はその責任を取って保障しろというものであった。入浜権も漁業権も売り渡した漁師の最後の儚い抵抗であった。海を返せ、魚を返せと書いたむしろ旗を掲げてデモ行進をした。工場と県は態度をあいまいにし話し合いは平行線だった。走り回って漁師の話を取る、県の見解を聴くと忙しい時を過ごした。それは省三が記者になって一番大きな事件だった。時折工場が爆発をしたり、事故が起ったりで死傷者を出すという事件があったが、それ以外は仕事で来ている男たちの喧嘩を取材するくらいで暇だった。     
 省三は時に起きる事件以外は記者クラブで本を読んだり、外の記者仲間と囲碁将棋をしたりして時間を潰していた。

「今村の原稿料は松本清張より高いのう」
  支局長の阿東がそう言ってからかった。実際一月に一度も記事を入稿しないことがあった。一文字も書かなくて給料を貰っているのだから、松本清張が一文字二十円の原稿料としても省三の方が高いことになるのだった。
「ドカンとスクープしますから」
 省三が茶目て見せた。
「おいおい、物騒やのう。記事なんかないほうがええのや。暇なときは勉強しとけよ、記者は潰しが効かんからのう・・・野垂れ死にがええところやからのう」
 鉛筆を耳に挟んだ阿東が顎鬚を撫でながら言った。この支局には阿東と省三の二人が在駐していた。阿東が外出をしているときは奥さんが電話番をするのだった。
 警察官と新聞記者は辞めたら役に立たないと言われていた。大きな権力を背負い生きて、辞めてもその癖が抜けないから失敗することが多いと言うことだった。
 省三は水島の街中にあるスナックの二階に部屋を借りていた。コンビナートで事故があると直ぐカメラを担いで駆けつける事が出来るように待機するというものだった。事故が起きると岡山や倉敷から真昼でもヘッドライトを点けクラクションを鳴らしながら駆けつけていた。ここなら一番に事故現場に走れるというものだった。毎朝、倉敷の支局に顔を出し阿東の指示を受けた。記事は電話で入れることが多かった。
 
  漁場を取られた漁師はコンビナートの企業に勤めた。天気と相談しながらの不安定な収入の仕事より、毎日仕事があり月給のもらえるサラリーマンになる事を選んだ。企業としても優先して雇って口封じをした。金が入って先祖代々の家を壊して新築する家が多かった。農地も宅地に変更され会社の社宅や寮が建ち、田地が値上がりしそれを売った農家が借家を持ち、家も建て替えた。農家の子供たちは企業に職を求めた。娘がいれば喫茶店をやらせ、農繁期が終われば廃水の番や検査に雇われて勤めた。企業はあの手この手と次々と住民の懐柔に手を打っていた。企業の病院が次々と建ち医療環境も充実していった。コンビナートは大量の就労人員をつくり全国から人が集まった。企業の街づくりが着々と進んで、新しい町に生まれ変わり、住民の生活は一変して行った。
 不動産屋が土地を買い漁っていた。
 ある土地を狙ったら絶対落として買った。最初は坪二万円で売ってほしいと持ちかけ、売らないと言えば、別の不動産屋が一万五千円で売ってくれと持ち掛け、前に来た不動産屋は二万円で買うといったというと、よくもこの土地に二万円も出すものだとあきれたように言って帰り、前の不動産屋が一万八千円で買った。売らないと言えば別口の不動産屋が次々と来て値を下げた。段々と土地の値が下がり損をすると慌てた。農家はその手口にまんまと引っかかり簡単に土地を手放した。不動産屋の心理作戦は功を奏したのだった。
 このようにして先祖からの土地を手放して大金をものにした人たちは、持ちなれない金をどのように使うかその術を知らず、中には湯水のようにネオンの巷にばら撒いた。挙句の果て夜逃げや女を殺して自殺ということも起こった。
 省三はその様をつぶさに眺めていた。人間の愚かさと哀しみを見つめて、自戒にした。
 
  省三は三ヶ月間あらゆる本を読んで勉強し、三ヶ月間は夜の街を彷徨った。映画を見て回った。記者は映画館へ出入り自由のパスを持っていたから無料だった。
「ブン屋を続けるんだったら、岩波の新書は全部読んどかんとのう・・・。それに遊ばんと人の心は分らんからのう」
 阿東の言葉がその切っ掛けだった。
「例えば、凄惨な事件の記事を書き、終わりに野辺の健気に咲く一輪を添える・・・これは記者の心・・・ものの哀れ・・・雅性と言うもんや」
 阿東は全国紙の記者生活をある事件の記事で棒に振り地方紙へ落ちてきていた。大きなところから小さなところへという流れは新聞業界にもあった。記者と言う特権階級から離れられず流れ落ちてきたのだった。
「ブン屋を辞めたら丘に上がった河童やからのう」
 阿東はしみじみと言ったのだった。

  時々、玉野にいる母のときの所へ顔を覗かせた。症状は変わらなかった。右手の麻痺、言葉の不自由さの改善はみられなかった。兄の久のところで生活し介護されていた。

  製鉄所、石油精製所、自動車会社、電力会社、科学会社、造船所、そしてそれらの下請け会社が水島コンビナートを形成していた。企業は火災事故に備え科学消防施設を持っていた。

  パトカーや救急車、消防車は終日サイレンを鳴らして走っていた。その都度省三は記者クラブから飛び出していた。
「また、事故でしょう」
 他社の記者がうんざりする様に言った。
「記事にもなりませんからね。行っても仕方がないでしょう」
 と続けた。椅子から立ち上がろうともしなかった。
 実際、記事は水島で事故と言うだけだった。それが記者の務めだという風に省三は現場へ急いだ。

 町医者は事故の怪我人を労災扱いにせずに済ますことで儲けが膨れ上がり病院へと大きくなっていった。企業病院は救急患者を扱わず一般の病院に任せた。それは操作をして発覚したときの社会的責任を追及されないようにする為だった。 企業は労災扱いになれば操業停止にあうことを恐れ病院に頼み込み、病院側も事故の怪我ではないと処理した。被害者には会社側から一時金が支払われ、それれを呑むしかない被害者は泣き寝入りしていた。
全国で廃坑になり職を失った石炭労働者が企業に殺到していた。町全体が全国からの人口流入で活況を呈していた。朝鮮戦争の軍需景気が終わり景気は冷えていた。コンビナートの労働者需要に明かりを見出しての転職が重なっていた。企業はそのために何十棟もの社宅を建てて受け入れた。それでも足らずに周囲の山肌は削り取られ次々と社宅が建てられていった。
海は埋め立てが続き拡張工事が行われていた。新しい企業の進出も盛んだった。土地は日に日に値を上げて土地持ちの人間の懐を膨れ上がらせ、情を狂わせて行った。
 企業の廃水垂れ流しが行われ海は従来の色を失っていた。水島灘の魚は臭くて食べられなくなっていた。空は煙突の炎と煙が青空を奪い灰色に変わっていた。飛ぶ鳥の数が激減していった。農業用水は汚れ泡を吹きザリガニがいなくなり、鮒が消えた。藺草が先枯れし、蜜柑に桃が育たなくなっていた。
「今村、この記事は駄目だ。自分が通しても、本社のデスクもよう受けんで」
 阿東が記事に目を通して省三に付き返した。
「どうしてですか」
 省三は怪訝そうに言った。
「幼いのう・・・これを載せてみい・・・袋たたきや・・・この関連した会社の広告はみんなパーや」
「それは・・・」
 省三は口ごもった。新聞は広告収入でやっていることは分かるが、それでは何も書けないことになるではないかと言いたかった。
「新聞が真実を報道するという妄想は捨てたほうがええで・・・。これを載せてみい、広告も減るが、労働基準監督署が黙っとらんで・・・分かってお目こぼしてやつがばれるしな・・・本社は次の日から労働監査やのう・・・」
 そう言う阿東の目には厳しい光があった。
 水島の企業と病院の癒着を書いたのだった。労災を受けられずに途方にくれる人たちの取材も多く取り入れて書いたものだった。
 省三の純真な正義心は社会の柵の中で砕けた。
 省三はスナックの二階の窓から吹きあげる煙突の炎を見つめていた。省三の目に炎の灯かりが映り燃えていた。それは怒りの炎だったのか、情けなさに苛立つものがあったのか、その時省三には分からなかった。体は熱くなっていた。
「省三、ナニヲ悲シンデイルノカ、アナタワ間違ッテイナイ。イツマデモソノ綺麗ナ心ヲ大切ニシテ欲シイ。アノ夕日ノコト忘レナイデ欲シイ」
 キャサリンの顔が浮かび声が聞こえたように思った。

 省三が人としての苦しみを味わっているあいだもコンビナートは化け物のように拡大していった。

「今村、少し休暇を取ってどこぞへ行って見てはどうなんや」
 阿東が省三の元気のなさを心配して言った。
「何処にも行きたくありませんから」
 省三はきっぱりと言った。
「なんや・・・。一本気だけではこの世は渡れんぞ」
「それで良いと思っております」
「前のことで、おこっとんのか」
「いいえ、もう忘れました」
「わいのように成りたいんか・・・。政治部の記者として自由党の幹事長を追っていた・・・。雪国の選挙区にもしばしば足を向け取材を重ねた・・・。汚職を掴んでそれを書きデスクへ出した・・・。没だった・・・。噛み付いた・・・。
北海道へ転勤になった・・・。熊しかおらん土地だった・・・。
今村、どうする、熊に取材をするか・・・。わいは殺されたんや、怪物にな・・・前途を奪うことで殺したんや・・・。それがこの社会と言うものやと納得するまでには仰山の時間がいったがのう・・・行って来い・・・北海道の雪で分からず屋の頭を冷やして来い・・・」
 阿東は煙草を吹かしながらとつとつと語った。省三は黙って聴いていた。
「そこの通信局でぎょうさん本を読んだ・・・。スキーも上手くなった・・・。女房もそこで調達した・・・。今ではそのことが有難かったと思える・・・考える時間を作ってくれたことが・・・。東京では考えられなかったことが分かるようになった・・・。だけど、生活になれると退屈になって・・・。記者として仕事がしたいと・・・ここの新聞社に流れてきた・・・」
「それなら・・・」
「判れと言うのじゃろうのう・・・。一人で通信局でいることの寂しさ辛さが・・・。何が辛さや寂しさじゃ、前の戦争でのうした命を・・・未だに後生大事に・・・」
 阿東は言葉を呑んだ。そして、その思いを振り払うように続けた。
「記者は記事を書いて始めて記者じゃからのう・・・。何も書くものがない記者ほど惨めなことはねえ・・・。 あの記事を読んだとき、昔の自分を見ていた・・・。
 新聞はいろいろな柵の中で出しとる・・・。記事は書いた、それで記者としての仕事は済んだ・・・記者としての限界がある・・・」
「それでは黙って見捨てろと・・・」
 省三は咳き込みながら言った。
「今、新聞社をやめ一人で戦うべきだったと・・・。だが、新聞社の看板がなかったら簡単に葬られていたろう・・・。戦うときが必ず来る・・・。いや戦わなくてはならないときが必ず来る・・・その時のために・・・。記者として外に何か出来ることがあるはずだ・・・。それを探してくれ・・・」
 阿東は苦しそうだった。重い響きの言葉だった。
「探す・・・」
「ああ、今村個人で何が出来るかを・・・」
「個人で・・・」
「ああ、人間としてだ」
「人間として・・・それは・・・」
「これから公害が人間を襲う・・・その時・・・社会の柵がどうのこうのと言っておられんようになる・・・。新聞の使命は・・・」
「分かりました。有難う御座いました」
水俣では猫が狂ったように飛び上がり死んでいた。川崎病、四日市喘息が時々報じられている時期であった。
「休みをいただきます」
「おいおい、短気はいかんでのう。自棄はなしやで」
 阿東が笑いながら明るく言った。
「いって来い、今村のこっちゃ、北か南か・・・公害の先進地を見て来い・・・そこで起てることがここの何年か後だからのう」
 省三はこころの曇りが晴れたようだった。清々しい気持ちで立ち上がった。外に出ると太陽の光が眩しくて手を額に翳して遮った。

 省三のもとにときが喘息で毎晩咳き込むという電話が久からあった。
 省三が水島へ来て三年目を迎えようとしている、春まだ浅い日であった。

 
 2

車窓に瀬戸内海の島影が流れていた。それが暮色の中に消え暗い海に変わっていった。寝台列車は西を目指していた。

ベトナムではアメリカがベトナム解放戦線と熾烈な戦いを続けていた。

  新幹線開通、東京オリンピックの開催。東京の夢の島で大量にハエが発生。新潟大地震により二十六人の死者、二千二百五十戸の全壊が報じられた。そんな年を過ぎて新しい春が来ようとしていた。工業国日本の弊害が日本を深刻な公害に導き人間を襲おうとしていた。
  水上勉が「海の牙」と言う推理小説で水俣病を書いたのはこのころのことである。

 工場廃水が海を殺した!猫が狂い、鳥が墜ち、そして人が次々と…。
 不知火の海を襲った戦後最大の惨劇を描く。
 「海の牙」の腰巻(帯)にはこのように書かれてあった。

熊本県水潟市に発生した恐るべき「水潟病」。原因は工場廃水中の有機水銀と推定されたが、調査に訪れた東京の保健所員結城が行方不明に。大学教授とその助手と称する怪しい二人組と、結城の妻郁子の不審な行動…。探偵好きの医師が刑事とともに調べはじめる。問題作を再び。

  省三は不知火の海が見たかった。どのように海は変わっているのか、その様を見て水島灘を推し量りたかった。海の自然浄化さえ許さない有機水銀の恐ろしさをこの目で確かめたかった。
「今村、水俣へ行くんやったら、石牟礼道子さんを紹介しょうか」
 阿東がそう言ってくれたが、断った。取材で行くのではない、ただ不知火の海に尋ねたい事があるだけだった。
 石牟礼道子は「苦界浄土」と言う本で水俣病を告発していた。
 寝台列車は昼前に水俣駅へ着いた。この町はチッソ会社の城下町のようなものだった。市民は何らかの形で会社と関係があって、何も言えない立場にいた。会社に飯を食わせて貰っていると言うことだ。水島と一緒ではないか・・・。水島の公害で死者が出ても表ざたに出来ず一時金で済ますのか・・・。企業を県を国を訴えることすれ出来ない、そんな水島の人たちを思った。
 不知火の海は穏やかに流れ、太陽の光を白く跳ね返していた。この海の底で何か異変が起こり、人間に復讐をしようとしているのだ。省三は立ち去り難くそこへ佇んで見つめていた。淀んだ海の底からぷつぷつと不気味にあがる気泡を見たように思った。なぜかわなわなと震えていた。
  これから水島がどうなるのか・・・。魚は異臭を放っている、動物連鎖が人間にも・・・。川からザリガニが、鮒が、鯉がいなくなった・・・。空には飛ぶ鳥いなくなった。藺草が枯れ、蜜柑が桃が梅が育たなくなっている・・・。空気は化学薬品の臭いがしている・・・。今度は人間か・・・。どのように公害が人を襲うのか・・・。喘息の患者は増えているというが・・・。
 省三は様々な思いに駆られていた。
 公害阻止・・・その為になにをすれば良いのか・・・。新聞の使命・・・否、人間として・・・。新聞記者という身分でそれをすることが出来るのか・・・。記事として書くには地方紙ゆえに限界がある・・・。
 良否を問いながら安保闘争をした人たちの思いが、切羽詰った行動が理解できるようであった。自分の将来のこと考えず、国の国民の将来を憂い行動していたのだ。それを善として・・・。事実、学生運動をした人たちには就職の門は狭かった。だが、人間としてそれをしなくてはならなかった大きな思いがあったのだと今の省三には理解することが出来た。ならばどうする・・・。省三は記者としての自分の限界と、人間としての良心の狭間にいた。
 チッソ会社が廃水を垂れ流した不知火の海に夕陽が沈もうとしていた。明日のない夕陽・・・地獄の修羅場になった水俣に明日があるのだろうかと言う不安が省三の心を支配していた。

「喘息は確かに増えていますな、だが、それを大気汚染の所為だと断言するにはまだ早々ですな。急激に人口が増加し元々その因子を持っていた人、それから元炭鉱労働者の方たちの職業病である塵肺を持っている人も多くて・・・。因果関係がはっきりとしておりません」
 省三が最近の喘息の増加をどのように思うかと言う問いに医者はこのように返した。医師たちの総ては断定を避け曖昧な態度を貫いていた。厚生省の、県医師会の通達かと省三は疑ってかかった。
 省三は水俣から帰り精力的に取材をした。企業は丁寧に応対し、これも国の方針なのだと言う態度だった。国は戦後の立ち直しに躍起だった。明治維新と同じで追いつけ追い越せと焦っていた。そのためにはインフラとしての重工業が急務だった。その為に各地にコンビナートの建設が急がれていた。
 省三は取材したメモを大切に仕舞っていた。いつかこれが役に立つ、人間として使うときがくると思っていた。使わないで良い世の中が来ることを願っていた。

  省三は水島の東にある喫茶店にいた。ここは記者のたまり場で、岡山や倉敷からここに来て情報の交換をしていた。商売敵の上辺だけの付き合いだった。外の記者は誰もいなかった。記者は事故がない限り倉敷市役所の記者クラブから出なかった。総ての情報は本庁に通達が来るのそれを取材すればよかった。それを待って記事にしていた。足で稼ぐ記事は殆どなかったのだ。あったとして記事に書いても新聞には載らないことを知っているからだった。
風がやむと周囲の山々が見えなくなり、百メートル先の人家が消えていた。 洗濯物は黒く色づいて、車には白い埃が積もっていた。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
 お茶をデーブルの上において女性の声がした。省三はちらりと見て、
「いただきます」と言った。
 そこには見たことのない若い女性が立っていた。
「なにを、何をきょとんとしているの・・・。私の妹で手伝ってもらうことにしたのよ。宜しくね」
 ママの房江が笑いながら言った。
 この店も農家の父親が土地を売った金で、娘に喫茶店をやらせていた。ママの亭主はコンビーナートの中にある電力会社へ務めていた。
「今ちゃん、この子は育子。昨日までTデパートでネクタイを売っていたのよ。私に子供が生まれるのでそろそろ覚えてもらおうと思い辞めてもらって・・・。覚えたら選手交代です」
 房江はコーヒーカップを洗いながら言った。
「そうですか・・・」
 省三はどきまぎしていた。
「今村です、やくざな仕事をしています」
 そう言うのが精一杯だった。
「こちらこそ、姉同様宜しくお願いいたします」
「それはそうと、今ちゃん・・・。どこか箪笥店を知りませんか」
 房江がそう言いながらカウンターを出て来て言った。
「箪笥店ですか・・・」
 省三は考えようとしたが、その前に房江が言葉を横取りして言った。
「今ちゃん、今度の休みにでもこの子連れて買い物をして来てくれないかしら」
「はあ・・・」
 言葉を挟む隙を房江は与えてくれなかった。
「兄が・・・この子の兄が・・・私の弟が今度結婚することになって・・・船員をしていたのですけど結婚を契機に丘に上がることになって・・・長いあいだ外国航路に乗っていて・・・その祝いに応接セットとベッドをと思って・・・」
 房江は早く喋ろうとしてつかえた。
「姉さん、そんなに言っては・・・ご迷惑でしょうね」
  育子が困惑している省三を見て助け舟を出した。
省三は休みが何時だったかと考えをめぐらせていた。人の出会いはこんなものか・・・。記者連中が集まっていたらこうはいかなかったろうと思った。
  キャサリンのときも偶然が仕組んだものだった。
「行きますか・・・安くて良いものを探しますか」
 仕事に明け暮れ女性とお茶を飲むこともなかったことに気づいた。仕事は壁に突き当たっていた。気分転換も良いかと省三は快諾したのだった。

 「どう、あの子どう・・・。あの子も気に入ったみたい」
 房江がコーヒーを運んできて言った。
 省三は育子を連れて買い物をし、本社の近くのレストランで食事をした。半田山の浄水場を散歩した。
 育子は大人しい女性だった。この人がデパートでネクタイを売っていたとは思えなかった。
「休みのとき何所かえ連れてってください」
 育子は車を降りるときに小さくそう言ったのだった。そのような言葉を言える人ではないと思っていただけに省三は驚いた。
「ああ、良いですよ」
 省三は簡単に約束をしていた。楽しい一日であった。こんな気分になるのも良いなと思って返事をしたのだった。
「・・・」
 省三は房江に笑いを返した。
「今ちゃんを見ていると肩が凝って・・・。一途な男も素敵ですけれど・・・疲れます・・・。女を知れば今まで見えなかったものが見えてきます・・・そう思って・・・。外の人は女にだらしがないし、ギャンブル狂いだし・・・あの子には今ちゃんが一番だと思って・・・。泣かしたら私が許しませんよ」
 房江は真剣に言っていたが最後には頬を緩めていた。
「何をそわそわしているの・・・あの子は今日から運転免許を取りに行っています・・・。あの子に会いたいなら、朝か夜に来てください」
「今日のコーヒー美味しいですね」
「こら!」
 省三はそんななんでもない会話に人の情けを感じていた。省三と育子は急速に近づいていった。房江の仕組んだお膳立てに感謝していた。
「灯かりは前から当てるだけが能じゃないぜ。横から当てるほうが人間の心を照らすこともあるんだぜ。踊り子も横サスの灯かりのときに総てが分かるもんだぜ。どんな過去を歩いたか・・・灯かりは正直だからな」
 ストリップ劇場の照明さんの言葉が思い起こされた。
 省三は頭を叩かれてように思った。正攻法だけが成功への道ではないのか・・・物事は上から下から横から見ることなのか・・・。照明さんの言葉で省三は新しい目を見つけたように小躍りをしていた。何か心に引っかかっていた思いが晴れたように思った。

小説 春の華2

2006-01-16 14:42:24 | 小説 春の華

3





水島の空を覆う煙がじわじわと人間の体を蝕んでいた。年寄りと子供たちに最初にその症状は現れた。
 企業は脱硫装置を付け、煙突を高くして煙を拡散しだした。それは大気汚染地域を広めただけで、隣町で作物が枯れるという現象を齎した。浄化槽を設置し廃水浄化に努めこれほど綺麗な排水を流しているのだと金魚を泳がせて見せた。それは市民を納得させるパフォーマンスだった。
 倉敷市公害センターが出来て光化学スモッグが出ると赤い風船を上げて外に出るなと警告した。海水と、空気を検査測定しppmが基準以下であるから心配はないと発表した。
「ppmかなんか知らんが、そんなものは信用してねえ・・・。海に魚が、空に鳥が、川に鮒が帰らんと信じねえ」
 と公害反対の住民は叫んだ。
 住民と企業のいざこざは尽きなかった。
 小学生の少女が喘息で亡くなるという事件が起きた。
 普段なら一行か二行の記事だが新聞は大きく取りあげた。少女は大気汚染による喘息に対して疑問を投げかけていた。優しい言葉で書かれてあったが痛烈な告発の手紙があった。それは弱弱しい崩れた字で書かれてあった。

 ―私が何か悪いことをしたのでしょうか・・・。なぜこのような病気になるのでしょう・・・。あの赤い風船が憎い・・・。―
 
 関係者や住民はその事実に一様に戸惑いを見せていた。
「アホや、こんないたいけない子の命を犠牲にせんと分からんというのか」
 省三の入稿を読んだ阿東が叫んだ。それは省三の遣り切れない怒りと同じであった。
 省三は自分の非力を泣いた。胸は熱く背筋に冷たいものを感じていた。

「もう辞めたら・・・」
 育子が見かねて言った。
「辞める」
 省三は育子を見上げて言った。
「辛いわ・・・そんなあなたを見るのは・・・」
「辛いか・・・」
「記者を辞めても良いわよ・・・私が食べさせてあげる・・・お母さんに来てもらって一緒に暮らしましょう」
 育子は省三の頭を抱いた。
「何時か言っていたわね・・・辞めたら色んなことが出来るって・・・」
 育子は省三の苦しみをじっと見つめて来ていた。
「記者の限界があるって・・・。これから人間として生き、戦って欲しいの」
 省三は育子を力強く抱き寄せた。
「結婚して勉強しながら戦って欲しいの・・・。私の用心棒・・・この町の監視役になって欲しいの」
 育子は優しく言った。ジュークボックスから「さよならはダンスの後に」が流れていた。

新潟で有機水銀中毒患者の発生を告げていた。厚生省は企業の工場廃水が原因と発表した。
「新潟へ行きたいかのう」
 阿東は記事を書きながら言った。
「はい、出来れば」
 省三ははっきりと言った。
 秋の台風シーズンだった。電線が風に泣いていた。雲が流れていた。
「反れてくれれば良いがのう」
「はあ」
 省三は新潟大地震の復旧がまだ終わっていない新潟を思っていた。
「台風のことだ」
「はい」
 省三は心に騒ぎを感じていた。
 その時阿東の前の電話が鳴った。阿東は受話器を取り顎に挟んで聞き、書き取ろうとした。
「今村だ」
 阿東は受話器を省三へ差し出した。
 顔から血の気が引いた。
 何処をどう走ったか覚えていなかった。病院に翔びこんだ。育子は頭に包帯をぐるぐると巻かれてベッドに横になり、点滴注射が腕にされていた。育子の両親と房江が取り巻いていた。
「大変なことになってしまって・・・。今ちゃんと結婚できるんだってあんなに喜んでいたのに・・・」
 房江は省三を見て言った。省三はじっと育子を見つめ黙っていた。
 海を彷徨う善さんを思っていた。今、育子は荒海にいる、どうする、育子が死んだら自分も死のうとふと思った。
 その夜嵐が来た。病室の小さな明かりが雨と風に耐えていた。
 意識不明が何日も続いていた。意識が戻らないと絶望だと医者は言った。省三は泊り込んで見守った。
「心配いりません、気がつきます・・・諦めないで下さい・・・。私は回復の治療をいたしますから」
 岡大から来ている研修医の清水だけが治ると言った。(清水医師は後年臓器肺移植の権威になっている)
 十五日間、死線を彷徨い意識が戻った。脳挫傷、左大腿骨骨折、アキレス腱裂傷。治療とリハビリーの日々が続くことになった。
 水島の空は終日燃えていた。連日公害センターには赤い風船が上がっていた。
 コスモスが風に揺れながら病院の隣にある公園に咲いていた。省三は育子の病室からそれを眺めていた。この公害の町に健気に咲いているコスモスにそっと笑顔を向けていた。それは育子の症状が好転した余裕か、張り詰めていた心の綻びであったのか省三には分からなかった。
 日日が薬というが育子は二年間入退院を繰り返した。額に十円玉の様な赤い痣が残り、左足がビッコという後遺症が残った。
「ごめんなさい、こんなことになって・・・。待たしたわね・・・私の杖になってくれる」
 育子は潤んだ目で言った。
「結婚しょう」
 省三はそう言って育子の手を握った。
「良いの、こんなになった私でも・・・」
「結婚したら記者は辞めるつりもりだったんだ。二人でコーヒーを淹れよう」
「うん」
  育子は頷いた。頬に涙が流れていた。
「育子が言ったように、育子専属の用心棒になる・・・。そして、この町の監視役になる・・・。記者という身分がなくなれば色々な圧力がかかって来るぞ。それを覚悟してくれ」
「いいわ、一度死んだ体だもの、何が来ても怖くないわ」
「そうだったな」
 省三は笑い、育子もつられて笑った。この笑いは二人を祝福するものだった。


   後年省三は環境問題を台本に書いて風刺した。


    戯曲 三太郎の記紀(クリック)宜しかったらどうぞ


5 川の心

           三太郎が川を覗き込んで、



三太郎  川が可哀相でやす。櫻の花弁が切ないでやすニヤン・・・。

五右衛門  鼻がひん曲がりそうですワン。

主人  川の汚れと人間の心の汚れは比例するぞい。嗚呼、日本民族もここに極まれり。 三太郎   イリオモテヤマネコもあと百匹位になったニャン。

五右衛門  我々の先祖である日本狼も絶滅して久しいウーワン。

主人  なんだ、この匂いは。まるで糖尿病患者の病棟のトイレと同じでわないかいな。 三太郎  でやしょう。この前なんか臭気で涙が出てしょうがなかったでやすニャニャン 五右衛門  鼻水が垂れるワン、目が痒いやらで困ったですワン。

三太郎  この前なんか、魚の大群が川を逆登って行きやしたょ。こんな捨て台詞を残しやして。「おまえも人間に愛想をしへり下っていて人間と一緒に滅んでしまえ」と。ニャーン・・・

五右衛門  先だってザリガニのデモがあった時に「母を返せ父を返せ子供を返せ。綺麗な川を返せ」と、鋏を高々と挙げて行進して、川上へと移住しましたョ。クンクン。

主人  魚の、ザリガニの心はよく分かるぞい。この川で生きていると糖尿病になってしまうからして・・・。実に賢い選択であるぞい。

三太郎  あっしなんか、水道の水は信用していないもんね。汲み置きの水しか飲まないもののねゴロゴロ。

五右衛門  俺はどんな水でも濾過する装置がついているものねワンワン。

主人  その点、人間は情けないな。水が違えば下痢をし、食物が違えば腹を壊すぞい。 三太郎  下痢をするとどの草を食えば治るか知ってるものねニャニヤン。

五右衛門  便秘になればどの草を食えばいいか知ってるものねワワン。

主人  おまえらは、誰に教わることもなく自然に体が知っているのだなや。その点、人 間という動物はなんにも知らんぞい。腹一杯に食いすぎて、運動不足で糖尿持ちに。理 性と自制がままならなくて、ストレス溜まって鬱病に。半端な知識が讐となり、胃を病 み腸病み心病み。知ったかぶりと我儘が、馬鹿と阿呆と恥知らず。無知とやり過ぎやら れ過ぎ、体が腐るエイズ持ち。早期発見百パーセント、じっと我慢のガン患者・・・

三太郎  人間も楽じゃあありやせんねニャン。

五右衛門  糞は大地を肥やすため、種を運んで草花咲かす・・・自然の理を忘れたのが原因ですょキャンヤン。

主人  嘆かわしいぞい、呆れるぞい。日本人の愚か者、僅か一億二千万人でこの地球の 資源を使い果して食い荒らしておるぞい。糖尿病になるのは自業自得と言うもんだぞい 。人の事はどうでもいい、隣に腹を空かした人がいようと、寒空に裸で震えていようが 、見様としない無関心。心に糖が回ってしまっているぞい。

三太郎・五右衛門(交互に)先進国病・繁栄病・豊かさのツケ病・つける薬と飲む薬・馬 鹿と阿呆に付ける薬はありません・哀れ誘う合併症・腎臓機能の低下・眼底出血・神経 障害・・・ニャニヤン・・・ 



           三太郎と五右衛門が唄う。

           吠えながら、泣きながら、戯れながら、踊りながら唄う。



           犬も歩けば棒にあたると言うけれど

           猫に小判と言うけれど

           匂いを嗅ぎ分け月に吠え 鼠を追い駆け天井へ

           匂いを尋ねて三千里 夜目遠目は猫の目だ

           犬はくわねど高楊子 猫の耳に念仏           

           犬の面に小便 猫も木から落ちる

           犬も煽てりゃ木に登る 猫掘れニャンニャン

           犬も鳴かずば打たれまい 猫撫で声の猫可愛がり

           犬神様に犬公望 猫の手も借りたい招き猫

           犬侍が犬死にか 猫が西向きゃ尾は東

           犬に雷火事親父 猫が死んだら三味線の革

           犬が死んだら太鼓の革よ 猫の鳴かぬ日があっても

           犬の鳴かぬ日はない 猫は炬燵で丸くなり

           犬は喜び庭駆け回り 猫ババ猫舌猫要らず

           犬に鰹節犬被り   猫背猫耳猫柳

           犬も杓子も犬の額  猫と犬の中猫車

           犬掻き犬子ろ犬張り子 猫畜生で恩知らず



主人  (二匹に)もういい加減にしてはどうかいな。何も訳の分からん事をほざいて人 間の真似をすることもあるまいぞい。

三太郎  なぁーに、チョツトした発声練習でやすょニャニャンノニャン。

五右衛門  そうさ、馬鹿にでもならなきゃ生きてはいけませんからねワン。

主人  それにしても、この川の汚れと匂いは非度いものだぞい。

三太郎  空き缶、ポリ缶、アルミ缶、洗濯水に風呂の水、家庭排水に屎尿水、燃えない 塵残飯、燃える塵、残飯落葉要らぬ物、何でも川に流しましょう。それでは川が可哀相でやすーニーャン。

五右衛門  合併漕に下水道、奨励完備を怠った、行政サイドの手落ちもあって、汚れに 任せてどぶ川になった流れが痛々しいワーンー。

主人  表面ばかりよそ装って、何がいまさら環境だぞい。

三太郎  顔に化粧をぬたくっていても、心の化粧を忘れていやすょニヤーン。

五右衛門  車をせつせと研いても、心を研くことを忘れていますワワーン。

主人  人間と言う奴は際限もなく馬鹿で阿呆であるらしいぞい。塵と真心の選別も出来 ないとは人間は粗大塵かも知れないぞい。

三太郎  最近は名を残しやすお人が少なくなりやしたニーヤン。

五右衛門  色々と好きな方が多くなりましたねワワワワーン。わのいろ賄賂、女の好き な助けべはピンク、やくざが好む黒のスーツ、戦争大好きカーキ色、ナースは清潔白の 色、灰色高官やべえ色、使い古した土留め色、腎臓病みの顔はどす黒の、皺に似合うは 赤色か、主人の一物黒光り、金髪銀髪目はブルー、白胡麻黒胡麻中は白色・・・ワン

主人  (五右衛門に)おまえは一体何が言いたいのだや。

五右衛門  ワンワンワンワワン。

主人  都合が悪くなると犬語で言いおって・・・。三太郎、通訳をいたせや。

三太郎  分からん、何を言ったか忘れた・・・と言ってやすニヤーン。

五右衛門  ワワワン。

主人  どうせ人間を小馬鹿にしたのであろうわいな。

三太郎  その通りでやすニャワン。

主人  昔の人間は中々味なことをしておったぞい。漁師が山の木を守り、山に神社を造っていたぞい。

三太郎  山の樹木が雨水を綺麗に変えて海に流すって奴でやすね。山土で汚れたの水で はプランクトン、も魚の寝床も荒らされるって事を知っていたて訳でやすねニャン。

主人  うむ、うむ。おまえもなかなか造詣が深いぞい。

五右衛門  この俺だって知っていますよ。琴平さんは海の神様、どうしてかと言います と「こんぴら」とは鰐と言う意味でしょう。だから・・・ワン・・・

主人  ワンワンニヤーンニヤーン。お前達はどうしてそんな事を知っているのぞい。

三太郎  新聞紙の上の染みから拾いやしたニャン。

五右衛門  道行く人の立ち話から覚えましたワンワン。

主人  そんなご仁がこの近所にいるのかいなや。だが、お前達は賢いぞい。木をいとも 容易く伐採することが、魚の漁獲量を減らしている事を知っているだけでもたいしたも んだぞい。環境問題を公害闘争をしている奴らに、爪の垢でも飲ませたいものぞい。

三太郎  そいつらには効きやせん。金と言う物しか目に映りませんでやすょニヤン。

五右衛門  女しか目にありませんワン。

主人  ニヤニヤンニャンニャンニャニャニヤン。ワワワワワンワンワンワンワ・・・

三太郎  旦那どういたしやしたニャーン。

五右衛門  春が旦那を狂わしたのですかワン。

主人  私はいっそ猫になりたい、犬になりたいぞい。

三太郎  猫になるより、マントヒヒに・・・ニヤン・・・

五右衛門  オランウータンに・・・ワワワンワンワン・・・



           主人は卒倒した。FOして、




この年、国は公害対策基本法を公布した。が、企業の過失責任なく、曖昧なものだった。
富山県の奇病、イタイイタイ病を企業の廃水が原因と岡大教授が発表した。
四日市ぜんそく患者が石油コンビナート六社を相手に慰謝料請求訴訟を起こした。これはわが国初の大気汚染公害訴訟であった。


 佐藤首相は非核三原則を言明したのはこの年の終わり十二月だった。
「核を製造しない、持たない、持ち込ませない」と言うものだった。

 

「春の華」はここで終わらせていただきます。ご愛読有難う御座いました。
 しばらく置いて推敲いたし完成作を載させて頂きます。
 2005/11/06 草稿脱稿

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小説 冬の華1

2006-01-16 14:33:02 | 小説 冬の華
この小説は 海の華の続編である。彷徨する省三の青春譚である。
ここに草稿として書き上げます。書き直し推敲は脱稿の後しばらく置いて行いますことをここに書き記します。


冬の華 (省三の青春譚)

 冬の華は鮮やかに凍てつく中に咲く。だが、それはあまりにも短く脆い・・・。

1 



 省三は学生運動を他人事のように眺めていた。
実際、彼はそれどころではなかった。学校へ足を運ぶより、アルバイトに明け暮れていたのだ。


 省三の父重太は彼が小学校三年の夏、事業に失敗して出奔していた。連帯保証の判子を押したのがその原因で、五軒あった家も五町歩の土地も総てを失った。母のときは重太の知り合いがやっている製材所に手伝いに出だした。ときは今まで何処にも勤めたことがなかったから、よくよくの決心だったのだ。兄の久は高校を中退して船のプロペラを製造している会社に勤めた。  戦後二十六年、日本は復興に躍起だったが、世の中はまだGHQが全権を握っていて民主主義を浸透させようとしていた時期であった。
「憲兵ですらやらなかった親書の検閲をして何が民主主義か」
 そう叫ぶ人が多かったが・・・。
 

初老の男  日本は破れた。これでいい・・・。今日から国民が一つになれる。鎌倉、室 町、安土桃山、徳川、と続いた武士の政治、明治大正昭和の朝廷と長州の政治が終わっ た。今日から本当の国民の手にこの国が委ねられるのだ。人はロシアを仲介にしてこの 戦争をもっと早く終決させていればと言ったが、ここまで叩かれた方が復興はやりやす い。今までが傲慢な猿であったからだ。人ではなかった、ただ人の真似の上手な猿であ ったのだ。明治より諸外国の真似をしてやたら西洋気触れをしよつて、日本独自の文化 遺産を継承することを忘れ、伝統の和の精神も川に流し、わびさびの雅性もほったらか して・・・、日本人はなんと愚かしいのだろうか・・・。だから総てがなくなればいい と言ったのだ。なにもかもなくなれば心の餓えに嘗てあった精神の種から芽が出ょう・ ・・・。だが、敗戦したとは言え、あまりにも酷すぎる。これでいいのだろうか。私は 思う。今はなんと言う時代だ、新憲法は制定され、国民の自由は保障されたが、だがね 、現実はどうであろう。言論の自由、思想の自由、集会結社の自由、総ての自由はGH Qに握られている。今のGHQは戦時中の憲兵でさえもやらなかった親書の検閲まで関 わっている。新聞も政府もそんなGHQにお伺いを経なければ何も出来ない。これでは 國ではない。日本人は格子なき牢獄に入るようなものだ。

 どれほどの力があるかわからんが、果なき望みだが、老骨に鞭打ち私はもう一度この

 国の為に命を張ろう・・・。

  日本の為。いや、これからつづく國の為、誤りを償い糾し、もう一度総理大臣になっ てGHQと戦い、講和条約を結び、誠の日本国の独立を勝ち取ってみせる。(後年、省三は吉田茂の台詞として書いた)

戯曲「ふたたび瞳の輝きは」宜しかったら(ク
リック)をどうぞ 


国鉄の人員整理に伴い、下山、三鷹、松川事件が起こり、レッドパージによって共産党員の追放が行われた。朝鮮戦争の軍需景気が始まろうとしていた時期であった。
そんな世相の中ではあったが、省三は元気で活発に生きていた。学校から帰ると広場に集まって日が暮れるまで野球をして遊んだ。子供はみんな野球少年だった。

西空に雲をオレンジ色に焼きながら太陽が沈んでいた。大きな太陽だった。
 その夕陽を背負うようにときは自転車を押しながら帰ってきた。荷台には木っ端が括り付けられてあった。木っ端は台所の燃料だった。そんな母を出迎えるのが省三の日課になっていた。どんなに野球に興じていても時間が来れば帰った。
「帰るんか、省三はええ子じゃのう。おかんのオッパイをまだ飲んどんか」
 友達は一人減ると困るのでそうかにかって言った。
「腹が減って、もう立っておれん」
 省三はそう言ってみんなから抜けるのが常になっていた。
「省三、今日はどうだったの」
 ときは穏やかに言った。手ぬぐいを被っていたが髪の毛に大鋸屑がこびり付いていた。
 サドルを握るときの手はささくれ立っていて、母の手ではないように思った。
 鋸が回る中に材木を差し込んで板に製材するのが仕事だった。省三は何度かときの仕事場に迎えに行ったことがあった。大鋸屑が飛散し、音が激しく体を震わせるものであった。
 その製材所は饂飩を入れる木箱を作っていた。茹で上げた饂飩をお椀にとって玉を作りそれを取り出し並べて店頭に置く陳列台を兼ねた物だった。饂飩はその当時庶民がたくさん食べたものであった。干し海老で出汁をつくりざる饂飩として食べた。生醤油を掛けたり、酢醤油で食べたりしていた。
 かたパンの配給がなくなったのは・・・まだまだ食料が十分に行き渡っていない時期だった。米、麦は米穀通帳を持って食料配給所に行き家族の人数分だけ買った。俗に言うマル公であった。そうして買える人はまだ幸せな人たちであった。
 ときの賃金では饂飩を買うのが精一杯だったのかもしれなかった。
 兄の久が僅かな給料の中から省三にグローブを買ってくれた。今まで母が縫ってくれた手袋の親方のようなグローブで野球をしていたのだった。
「ほんとに、ホントにくれるんか、もろうてもええんか」
「これからは何でもでける日本になるから、勉強もせいよ」
 久はそう言って省三の頭を撫でた。学業半ばで辞めなくてはならなかった無念を省三が理解するには幼すぎた。
「うん」と省三は大きく頷いた。

  
 省三は下落合に下宿をして、新宿のラーメン屋で皿を洗った。
 皿洗いからそばの飾り方に変わり、そばの麺の茹で上げ、スープを作りと役割を変えていった。
 大学へ入って一年が過ぎていた。学業よりはそれが面白くなっていた。
 学生運動が続き休校状態だったので、省三は後ろめたさもなくラーメン業に専念できていた。
 梅雨の雨が長く続いていた。
 日米安全保障条約破棄のデモは続いていた。審議可決の日・・・。
 学生たちは新宿の駅舎から線路に下りて敷石をリュックにつめ、ポケットに詰め込んで国会議事堂を目指しデモ行進していた。
 全国で五百八十万人がデモに参加していた。左翼、右翼が入り乱れ、文化人が先頭に立ち、学生、労働者が続いていた。雨は湯気となって立ち上っていた。ヘルメットを被った隊列が蛇行しながら進んでいった。デモは国会議事堂を取り囲んだ。怒号が起こり、投石が始まり、鉄パイプが振り下ろされ、拡声器が悲鳴を上げた。一斉に国会議事堂に雪崩れ込もうとした。
 機動隊との衝突で東京大学の樺美智子が亡くなった。
 テレビはそれを報じていたが、省三は茹で上げるそばの麺に目を注いでいた。耳には「誰よりも君を愛す」が流れこんでいた。

 
 省三は新しいグローブを付けて張り切っていた。打ったり取ったり走ったり、何の悩みもなく遊んでいた。ときのことも、久のことも頭にはなかった。
重太からはなにの連絡もなかった。大阪にいると言う噂を聞いたとときが言った。その時は現実に返ったが、直ぐに忘れた。
 省三は毎日寝る前にグローブにオイルを塗りこんで磨きボールを挟んで寝た。宝だった。自慢の種だった。皮のグローブを持っている子供は少なかった。殆どが布のものだった。みんな平等に貧しかったのだ。だが、みんなの継接ぎだらけのズボンのポケットには友情が一杯詰まっていた。夕陽が雲を赤く染めていくように、子供たちのこころは赤く燃えていたのだ。夢と希望が目の前に広がっていた。
「省三、わし孤児院へ行くかも知れん」
 野球の帰り道夫がぽつりと言った。二人はグローブの網にバットを差し込んでそれを肩に担いでいた。夕焼けが二人の影を道路に長く作っていた。
「道夫、なんで・・・」
 省三は道夫を見上げて問った。道夫は省三と同じ歳だったが背が高く六年生に見えた。道夫の直球は速く、みんな打てなかった。将来はプロ野球の選手になると言うのが口癖だった。
「岡山の空襲でみんな死んで・・・おじいと二人・・・。おじいは近頃調子が悪いけえ・・・療養所に入ったら・・・わしは孤児院へ行く事になるんじゃ」
 道夫は空を見上げた。
「孤児院てどんな所なんじゃろう」
「分らんが・・・行った事ねえし・・・」
「ほんと、ほんとにいくんか」
「ああ」
「寂しゅうなるな・・・それでええんか・・・」
「仕方がねえ・・・それが浮世と言うものじゃ」
「野球がでけん様になる・・・」
「壁がありゃ、キャッチボールはでける」
「浮世か・・・」
「綺麗じゃな」
 道夫は夕陽を見て言った。オレンジに燃えた太陽が駅舎の向こうに沈もうとしていた。
「綺麗じゃ・・・あの夕陽、忘れんで」
 道夫の瞳に映る夕陽が滲んでいた。
「うん」
 省三は大きく頷き「僕も、忘れん」と言った。
「省三、夕焼けに向って立ちションせんか」
「うん、するする」
 道夫と省三は太陽に向って並んだ。
「発射」
 道夫が大きな声で叫んだ。だが、二人は立ち尽くすだけで発射しなかった。出来なかったのだった。
「どうしたんじゃろう、壊れてしもうたんじゃろうか」
 省三が情けなさそうに言った。
「バカ・・・これが壊れたら大変じゃ。これは男の勲章じゃけえ」
 道夫が笑いながら言った。笑いが段々と涙声に変わっていた。
 ふたりは夕陽を浴びて何時までもいつまでも立ち尽くしていた。逢う魔が時が忍び寄っていた。

 
 省三はラーメン屋が休みの日にはよく浅草に出かけた。新宿よりなぜか親しみを感じた。
 浅草寺の境内には屋台が並び、一杯30円の丼を売っていた。省三はその丼に故郷へ残してきた母を思っていたのだった。
 学生運動に夢中になる青春もあり、浅草の軽演劇に魅せられる青春もあって良いと省三は自らを納得させていた。
 省三はストリップ劇場に入るのではなく、客寄せの呼び込みを聞きに行くのだった。
「そこを行く好きもののあなた、明美嬢が肩から着物を・・・帯を解いて・・・ああ、白い肌が・・・」このトークは延々と続くのだ。客は自然に吸い込まれていくのだ。
「ここは浅草・・・別名浅草大学とも言う・・・ここを卒業すればあなたは立派なご性人・・・今日の講義は男と女の垣根を払う・・・」
 踊り子と仲良くなり、役者に可愛がられたことが、出入り自由の特権を与えられる元になっていた。
踊り子の裸を見て省三はキャサリンの事に思いを馳せることがあった。キャサリンはどうしているだろう。ガラス戸越しに海を眺める全裸のシルエットが鮮明に蘇っていた。   
「省三、コノ夕日、省三ノ夕日・・・。ソシテ、ミーノ夕日・・・ホント二綺麗・・・忘レマセン」
夕陽が浅草を包み込もうとしていた。東京駅の方が赤く色づいていた。
スターの名前を書いた幟が風を受けてパタパタ鳴っていた。冬はそこまで来ていた。
省三はジャンパーの襟を立てて永井荷風がよく覗いていたと言うレストランへ足を急がせたのだった。坂本九の歌う「上を向いて歩こう」が巷に溢れていた。


 道夫のことがあって省三は少し落ち込んだが、それは一時のことで相変わらず野球に興じていた。記憶は忘却の彼方へいつの間にか消えていった。
人間とは辛い苦しい橋を渡るがそれはひと時のことで、新しい出会いがあることを省三は学んだ。記憶は薄れ思い出の倉庫に自然に入り、時ににじみ出て懐かしさを呼び起こした。

小説 冬の華2

2006-01-16 14:32:06 | 小説 冬の華



 省三は後にこのような台本を書いた。


                 
                 公園、銀杏が夕日に焼かれている。
                 道夫が引っ繰り返っている。
                 弘、菊夫、佐助、健太が来る。

菊夫  道夫、何処へ行ったんじゃろうか。
弘  お爺が死んで、なーんも言わん様になってしもうて・・・。
佐助  あいつ、本当は寂しがり屋じゃつたんじゃなぁー・・・。
健太  道夫は、一人になってしもうた。本当に・・・。
弘  言うな、その先は言うな・・・。
健太  じゃ言うても・・・。
弘  何もしてやれんし、おいらではなにも出来んけえ。
菊夫  葬式の時にあいつ歯を食い縛って・・・。
健太  言うな!
佐助  涙を一つもこぼさんで・・・。
弘  アホじゃ、道夫のバカ!なぜ泣かなんだんじゃ・・・。
健太  おめえの方がアホじゃ。泣いて泣いて涙がのうなっとつたんじゃ。
弘  道夫は孤児院へ行くんじゃろうか。
佐助  弘なら心配じゃあけえど、あいつなら・・・。
菊夫  佐助なら・・・。
健太  行くな、絶対に行くな!

                道夫が起き上がり、

道夫  所詮この世は・・・。無情の風に・・・。花も嵐も踏み越えて・・・。
健太  どうしょうたんなら。
佐助  どこへ・・・。
菊夫  いっとったんなら。
弘   飯食べたか・・・。
道夫  あれからずーとお爺の田舎におったんじゃ。骨箱の前に座って話しとったんじ。 色々と仰山何やかやと教えてもろうたけえな。
    お爺が言うには・・・。
健太  死んだお爺がなにか言うたんか。
弘  バカ・・・。
佐助  言うたように思えたんじゃがな・・・。
菊夫  骨がなにか言うたら・・・。
道夫  言うたんじゃ。道夫、何があっても死んだ気で頑張れと、何処へ行っても太陽と 月はあると・・・。
健太  それで・・・。
道夫  おめえが太陽になるか月になるかは努力次第じゃあと・・・。
菊夫  ようわからんな・・・。
佐助  わしにもピントこんがー・・・。
弘  ええな、そう言うたんか・・・。
健太  太陽と月か・・・。
佐助  弘と健次には分かるんか・・・。
弘  なんとなくな・・・。
健太  分かるような気がする。
道夫  それで、おらお爺に聞いたんじゃ・・・。人間にはどちらも必要じゃと言うた。                
健太  うん、そうじゃ。
弘  どちらものうては困る。
菊夫  それで・・・。
佐助  どちらに決めたんじゃ。
道夫  きめん、いいや決められなんだ。決めようと思うたらどちらかを捨てにゃあおえ ん。それじゃあけえ、両方になろうと決めたんじゃ。
佐助  欲張りじゃ。
菊夫  道夫・・・。
弘  良かったな・・・。
健太  それで帰って来たんか・・・。
道夫  お爺もそれでええと言うたけえ。おらそう考えたら何処にいても生きられると思 えるようになったんじゃ。
佐助  それで・・・。
菊夫  行くんか・・・。
弘  決めたんか。
健太  おおい、道夫の門出を祝って立ちションの連れションじゃ。
弘   おお!
菊夫  やろう。
佐助  やるぞ。
道夫  有難う。
健太  おい、湿っぽいのは後免だぜてカラスが泣いて西の空へ飛んで行くぜ。

                弘が走り上がった。

弘  何をしょうんならはようけえ。

                佐助、菊夫、健太、道夫が走り上がった。
                一列に並んで構えた。
                言葉が滲んでいること。

道夫  桑原道夫くん万歳!
菊夫  これからなんでも出来る世の中の為に万歳!
佐助  道夫元気でなに万歳!
弘  道夫、ミチオ、みちお・・・。何処へ行ってもこの弘がついとるからに万歳!
健太  今日の立ちションは一生忘れんけえな。
道夫  夕焼け閣下に敬礼!

                みんな一斉にはじめた。

道夫  真っ赤な夕日に染まった銀杏が・・・銀杏の時雨じゃ。まるでおらの門出を祝福 してくれるような・・・。みんなのことは・・・。みんなのことは・・・。
弘  道夫、言うな・・・。
菊夫  みちお・・・。
佐助  ミチオ・・・。
健太  道夫、門出に涙は不吉だぜ。

                道夫、走り込んだ。
                みんな振り返って「道夫!」と叫んだ。
                          



               公園。
               夕焼けが銀杏を黄金色に染めている。
               弘、健太、菊夫、佐助、が肩を落として出てくる。

弘  おめいらほんまに道夫を送りにいかんのか?
菊夫  今からでも間に合うけえ・・・。
佐助  あいつの顔を見るのは嫌いじゃ。
健太  何が、あばよじゃ。道夫のバカ!
弘  おいらこれから・・・。
菊夫  行こう・・・。
健太  行って、あいつを泣かすんか・・・。
佐助  泣くのは、泣き虫健太じゃねえか。
弘  あいつの直球は早かった。手が痛かった・・・。
佐助  太陽になれよ、月になれよ。そして、馬鹿な菊夫を応援してやってくれよ。
菊夫  俺も行きてえー・・・。道夫と一緒に孤児院へ・・・。
健太  道夫、寝小便をするなよ。
佐助  みちお、泣くなよ・・・。なんかあったらわしのことを思い出して元気出すんじ ゃぞ。
菊夫  ミチオ、勉強なんかせんでもええ、風邪ひくなよー・・・。
弘  見送ってやれんですまん。みんな佐助がわりいんじゃから。
健太  ぼく・・・。行く、行く、あいつの顔をもう一度見ときてえ・・・。

                良吉が出てきて。

良吉  弘、それにおめい等なにをしょうんなら、どうして道夫を送りに行かんのんなら 。
弘  あいつの顔を見るんが・・・。
佐助  つれえ・・・。
菊夫  わし・・・。
健太  行こうな、行こう・・・。
良吉  この大馬鹿もんがぁー、おめい等の友情はそげんに薄っぺらなもんじゃつたんか 。
弘  あんちゃん!
良吉  もう二度とあえんかもしれんのんじゃぞ。つれえから、それはなんなら、道夫は お爺に死なれ、おめい等と別れていく、口じゃあ大人びたことを言うとるが、道夫の悲 しみに比べり屁のようなもんじゃ。戦友は・・・戦友は一番大事なんじゃ。
 この、馬鹿、阿呆、もっと正直になれ。哀しいときには泣け、辛いときには叫べー・・ ・
                
                 良吉、膝ま付き泣き崩れた。

弘 あんちゃん・・・。

                菊夫、佐助、健太、呆然としている。
                そして、気が付いたようにみんな走り込もうとして、他の子供たちとぶつかる。

加代子  この悪がきのバカ、なにしょうるん。
弘美  道夫くん、あんたらを待っとった・・・。
弘  これから・・・。
由美  もう、汽車は出たは・・・。
節子  デツキでじっと見とった・・・。

                汽車の汽笛の音。
                健太、弘が土手の方へ走る。
                佐助、菊夫が追う。

由美  こっち、見える見えますわ。

                由美が客席の方を見つめる。
                土手の四人が走ってくる。

弘  道夫、元気でなぁー・・・。
菊夫  みちお、俺事は忘れんなよ・・・。
佐助  道夫、おめいなんか何処でも行ってしまへ、帰ってくるな・・・。
健太  なんの力になれなんですまん。何時でも帰ってけえよをー。
弘  道夫のバカ。
菊夫  みちお・・・。

                 汽車が走っているのにつられて移動する事。

良吉  「貴様と俺は同期の櫻・・・」

                 良吉が歌うとみんなが唄いだす。

弘   道夫の好きじゃつた銀杏が泣いとる。

                 銀杏が真っ赤に燃えて降りかかる。

健太  何もしてやれんけえど、これだけは約束してやれる。ここで何遍でも何遍でも一 緒にこの夕日に染まる銀杏を見ることは・・・。
佐助  この野郎、ええかっこしゃがって・・・。

                 石井が出てきて、
                 それを見た女の子達が近寄り「先生!」
                 石井はみんなを抱えた。

菊夫  道夫の好きじゃつた、立ちションの連れションをしょう。
弘  ああ、やろうやろう。
佐助  おーい、みんな土手に並べー。
健太  道夫への虹を架けるぞ。

                 男の子全員、土手に並んだ。

弘美  うちもする。
加代子  うちも・・・。
節子  いいな、いいな・・・。
由美  男の子っていいですわね。
石井  綺麗、美しい・・・。
健太  ええか、一斉に発射。

                 安治が出てきて、並んで、

安治  道夫に敬礼!

                 舞台の全員が敬礼をする。
                 虹がホリゾントへ出る。弘が走って降りてきて、

弘  虹じゃ・・・。

                 次々とみんな降りてきて、

菊夫  みんなの立ちション虹じゃ。
佐助  汽車の上に・・・・。どんどんのびて道夫に架かったぞ。
弘   綺麗な虹じゃ。
健太  道夫!これがみんなの気持ちじゃ。友情の虹じゃ。

                 舞台の全員が「道夫」と叫び手を振る。
                 汽笛がけたたましく響く。
                 石井にスポット、子供たちにスポット。


 省三はあれから道夫と会っていない。どこかで元気に過ごしてくれていればと時々思うのだった。
 ときは相変わらず製材所へ行って大鋸屑だらけになっていた。
 久は仕事が終わるとダンスホールに通っていた。
「野球を続けるんなら、肩を大事にせいよ」
 久は省三によく言った。
 省三は小学校が終わる頃肩を痛めたのだった。普通に球を投げられなくなった。久とのキャチポールでカーブやドロップを投げ過ぎたのが原因だった。野球を諦めなくてはならなかった。
朝鮮戦争の軍事需要で鉄や銅、真鍮、鉛の値段が高騰していた。子供たちのあいだでは小遣い銭を稼ぐため古鉄拾いが流行した。ぞろぞろと道を目を皿のようにして歩き、釘一本も見逃さなかった。
 省三は学校から帰ると線路や工場跡へ出かけて拾った。
「キョウワ、銅(あか)カ値カイイヨ」
 リヤカーを引いて朝鮮人のおばさんが買いに来た。
 売って金を貰い、映画館へ直行した。
 省三は野球少年から映画少年に変わって行った。
 ターザンや西部劇、東映の新諸国物語にのめり込んでいた。実存主義のフランス映画もよく分からなかったが見た。

 
 省三は浅草に三年間通った。大学を中退した。子供たちが幼稚園の砂場で人生の総てを学ぶように、浅草で総ての生きる知恵を学んだ。ストリップ劇場で踊り子の踊りから踊りの基礎を学び、役者の動きと台詞で演出の初歩を物にし、照明の作り方を、音響の効果を、台本の書き方をマスターした。踊り子や役者さん、裏方さん、呼び込みのおっさん、座付き作家が先生だった。彼は何処へ行っても食うに困らない腕を持った。ラーメン作りであり、劇場の裏方だった。何かやって食えなくなったらストリップ小屋へ潜り込むか、ラーメン屋にでもなろうと決めていた。
 ときが脳溢血で倒れたのを潮に省三は東京の生活から足を洗った。ときは十日間意識不明であったが、右手の麻痺と言葉が上手に喋られないと言う後遺症で持ち直した。
 久は結婚して一女の父になっていた。
 大学を中退したことはときにも久にも言わなかった。
ときは自宅で手を動かしたり、歩き回ったりとリハビリの真似事をしていた。じれったくなって涙をこぼしていた。言葉は喋られなかったが目の向け方や、体の動きで何をしたいか分るようになった。久の妻の絹子がかいがいしく世話を焼いていた。
 省三は地方の新聞社に就職が出来て、三ヶ月の見習い期間を経て記者になった。学歴の件がネックになったが、面接で学生運動をしなかったことを語り、東京での生活を滔滔とまくし立てたそれのことが功を奏して入社に至ったのだった。


  省三は中学に入っても勉強はせず、部活もせず、映画館へ通っていた。アメリカのミュージカル映画が全盛だった。ターザン、西部劇の映画からそれに移っていた。
「省三、今の家庭の経済状態だと高校へやらせられんかもしれんが、勉強はしといたほうがええよ」
 ときが省三の姿を見て言った。
「うん・・・俺、働いて母さんを楽にさしてえ」 
 不甲斐ない自分を悔いたのだろうか、その言葉にときは何も返さなかった。
 三年に入って進学相談があって、
「今村、この成績じゃ、何処の高校も無理じゃから就職でもするか。就職係の先生にどんな仕事がええか相談してみい」と担任に言われた。
 その時、なぜか道夫を思い出していた。どうしているじゃろう、何処におるんじゃろうと思った。将来の選択を迫られどの道を選んだのだろうかと聞きたくなった。野球は続けられたのだろうか、肩は壊していないか、そのことが案じられた。野球が上手ければ就職も進学も容易い事を省三は知っていた。
 一学期の期末試験の結果が校内の壁に張り出された。総ての科目の順位が一目で分るようにしていた。そして、総合の何位にいるのを知らしていた。
「お前はこれだけの努力しかしなかった、さて、これからどうする」と呼びかけているようだった。
 五百人中三百五十番。
「何や、今村は・・・。映画ばっかり見とるからじゃ。これからどうすんじゃ」
 と心配してくれたのは河田だった。
「省三はバカじゃから、なんぼう勉強してもだめじゃ」とからかったのは山崎だった。
「なにを」
 省三は突っかかって言った。
「怒ったか、バカな省三が怒ったぞ」山崎は執拗に言い放った。
「文句があるのなら、わしを追い抜いてからにせえ」
 省三は惨めだった。勉強して山崎を追い抜いてやると心に決めた。
 夏休みと九月十月十一月で小学校と中学二年までの勉強をやり直した。
「省三、なにかあったんか」
 久が不審がり心配して言った。
「おっかが勉強しておいた方がええと言うたけえ」
 省三はけろっとして応えた。
「高校へいけたらええな」
「行かんでも、勉強は邪魔にはならんし・・・」
「勉強がでけたら、奨学金をもろうて行けるのにな」
「そんな事が出来るんか」
「それには成績がようなかったらおえん」
「そうか・・・」
 省三は考え込んだ。
「行きたかったんか」
 久は中途退学をしている、省三は言えなかったのだった。黙っていると「頑張れよ」と言って肩を叩いた。
「じゃが、無理はするなよ。体を壊したら元も子もねえから・・・」
 省三はそれから今までよりまして勉強に励んだ。映画はすっかり忘れていた。
 十二月はじめ、成績が張り出された。
「やったな、負けたよ」
 山崎はニコニコと笑いながらやって来って言った。
「やると思ったよ・・・。小学校で一番のIQの持ち主なのだからな」
「なんなら、それは・・・」
「小学生の頃、担任の長尾が言ったんじゃ・・・。今村が本気で勉強しだしたら敵わんぞとな・・・。その時なんでと問うたら、IQが違うと」
「そうじゃたんか・・・山崎、お前はええやつじやな・・・」
 省三は人の思いの暖かさに涙を飲み込んだ。
 高校に入り奨学金を貰いながら、三年間で三百日間アルバイトに明け暮れた。
「おい省三おるか」
 そう言って覗いたのは角次だった。
 ときの見舞いに寄ったと口実をつけたが、人夫集めのついでだった。
「省三、勉強忙しいか」
「何か・・・」
「ああ、帳面付けに金持って逃げられてな・・・一月でええ手伝ってもらえんか」
「学校休んで・・・」
「ああ」
 角次は言い難そうに言った。よくよくの事情があるのだろうと省三は思った。
「二三日待ってください、出席日数を調べてもらいますから・・・。なにせ、アルバイトでよう休んどるけえ」
 卒業だけはしたかった。出席日数で卒業が見送られるということはしたくなかった。久も応援してくれた、その期待に沿わなくてはならなかった。
 四十日近く大丈夫だった。
 十一月の終わり、角次と十五名の人夫たちと汽車に乗った。
 省三はこれからの人生をこの旅に賭けようと思った。何かがある・・・そう思って・・・。


 倉敷支局に転勤をした新米記者省三は、水島コンビナートにある何百本の煙突から吹き上がる煙を見上げて大きな溜息を付いていた。



  ご愛読戴き有難う御座いました。ここで「冬の華」を一旦閉じさせていただきます。少しおいて校正、推敲をいたします。
         2005/10/31 「冬の華」草稿脱稿

この小説は 海の華の続編である
この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華へ続きます彷徨する省三の青春譚である。



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yuuの創作メモ8

2006-01-16 01:06:43 | 創作メモ

創作メモ8・・・

創作メモ8・・・
まず登場人物の箱書きをします・・・どのような両親に育てられ、幼年期少年期青年期をどのように過ごしたか・・・過去の出来事で何を感じえたか・・・その過去・・・そして今どのように生きているのか・・・何を生きる糧にしているのか・・・何を思い過ごしているのか・・・現在を書く場合過去にその伏線がないと不自然になる・・・そして過去、現在を考えて将来の展望が見えてくる・・・それを一人ひとり行うと・・・テーマ、ストリーに絡んでくるものです・・・
貫通行動はこの作品のテーマです、必然です・・・反貫通行動はそのテーマを盛り上げる小さなテーマです・・・つまり反感通行動とはテーマに対するコントラストと考ええてもいいでしょう・・・
大きな紙に貫通行動の横線が書かれテーマを書き込みます、それに交差する小さなテーマの反貫通行動が書かれるのです・・・その交差が物語の始まりなのです・・・コントラストのテーマで物語が弾むのです・・・それがうまく流れるとテーマを引き立たせます・・・
後は自然に流れます・・・箱書きがしっかりしていれば登場人物が一人歩きをしません・・・箱書きは小さなことまで書き込んでいてください・・・それを総て信じなくてもいいのです・・・ここまで出来ると80パーセントは出来たも同然です・・・後はみなさんの勉強したことを信じて書いてください・・・
独自の表現も必要ですが・・・難しいことを平明に・・・
平明なものに重みを・・・(こんなことを井上ひさしが言っていたなーーー) ・・・
出来上がりました・・・
声を出して読み上げ耳で聞いて文脈を確かめてください・・・
その繰り返しを遣ってきました・・・
命を抵当においてと、覚悟のある方は・・・プロになってください・・・命の惜しい方は撤退を・・・

小説 海の華 3

2006-01-16 01:01:57 | 小説 海の華 2


  海の華は波に遊ばれ彷徨い、やがて藻屑となって消えていく・・・。    

海の華 3 (省三の青春譚)

9



冷たい海風が吹きつけトタン屋根をバタバタと鳴らしていた。海も鉛色の大きなうねりに変わり、大波が新しく出来た堤防に打ち寄せていた。風は段々強さを増し、堤防につながれたドラム缶の筏を木の葉のように弄んでいた。筏は何本もドラム缶をつないだものを並べて造ったものだった。その上にはパイル打ちのクレーンが設置されていた。
その日の夜、嵐になった。波は海を底から揺らせていた。凄まじい音が裂け、重なり唸った。バラック建ての飯場は土台が懸命に大地にしがみ付いていた。板戸がバタバタと悲鳴を上げ飛ばされそうだった。石油ストーブの火が消えた。
「おーい、誰かおらんか、筏が流されるぞ」
 ガス燈を持った角次が海の音にも負けないくらいの声で叫んだ。 みんなは雨の為仕事が休みで町へ出かけていていなかった。いるのは善さんと順ちゃんと省三だけだった。
「鳶の奴らはどうしたんだ、錨も下ろさんで・・・お前らはよう海に行って錨を下ろせ」
 サーチライトは海で翻弄する筏を照らしていた。三人は堤防に立った。潮が満潮とぶつかり水位を上げ、大きな波が狂ったように総てを呑み込んでいた。
「よっしゃ、縄を引っ張ってください。僕が泳いで筏まで行きますから」
 順ちゃんがそう言って海に入ろうとしていた。
「お前はじっとしとれ、俺に任せろ。その縄を力一杯引っ張ってくれ。離すなよ」
「善さん、やめて下さい」
 順ちゃんは叫んだ。善さんは何時ものように酒を飲んでいたのだった。それを知って順ちゃんが叫んだのだった。
 善さんは耳に届かぬふりをして海へ入ろうとした。順ちゃんと善さんの争いになった。
「善さん、僕が行く。酔っていては危険だ」
「誰だっていい、早くしろ」
 角次が怒鳴った。
「バカ、お前はしっかり綱を引け」
 そういって善さんは順ちゃんを突き飛ばして海へ飛び込んだ。
「善さん!」
 順ちゃんの声は風の中に散った。
 網は角次と順ちゃんと省三が引いていた。足元が定まらない、引きずり込まれる、体が宙に浮いていた。
 善さんは波に弄ばれ浮き沈みをしながら泳いでいた。
「僕も行きます」
 順ちゃんが海へ飛び込もうとした。
「バカヤロー!」
 角次が順ちゃんの頬を張った。
「このヤローこんな時に・・・もう誰もおらんのか」
 角次が小さく呟いた。
 綱は今にも切れそうだった。海の中へ引きずり込まれた。綱は離さなかった。波の中で善さんが見え隠れしていた。
「善さん、早く」
 省三は祈った。
 順ちゃんの顔は飛沫なのか涙なのかぐしゃぐしゃだった。
 サーチライトが善さんの動きを照らしていた。
 省三は順ちゃんの行き方心のあり方を見たように思った。金だけさ、その言葉は嘘だったのだ。
 綱が切れた。ずるずると海へ持っていかれた。足は砂を踏んではいなかった。
「順、省三、手を離せ、どうもならん」
 角次が後ろで叫んでいた。角次も波に揉まれていた。
「離しません」
 順ちゃんの泣き声が響いた。
「善さん!」
 声が喉につまり声にならなかった。
「バカヤロー」
 角次が吐き捨てた。
 綱を離した省三を波は堤防へ押し返した。順ちゃんが沈んだ。省三は海へ飛び込んだ。
 善さんの泳ぐ姿が見えなかった。
 波が大きくうねり筏の上のクレーンを呑み込んだ。筏が流されていった。一葉の枯葉のように波と風に流されていった。
「省三!はようあがって来い。順もだ。わしは警察に電話をする。お前らは人を集めろ」
 角次の叫びが僅かに届いた。
 省三は泳いだが流された。順ちゃんが流され見えなくなった。
 全身が震え手足が冷え切っていた。何処かしこの家の戸を叩いた。嵐の夜に船を出してくれる人はなかった。ただ荒れ狂う海を眺めているだけだった。
 サーチライトの灯かりが海の上で踊らせていた。
 
次の日、昨夜の嵐は嘘のように晴れ上がった。透き通るような寒い日であった。
 筏は二つに分かれ、一つは須磨に浜に、もう一つは淡路島の魚港に流れ着いていた。
 善さんの姿はどこにもなかった。順ちゃんは隣の垂水の浜に上がって大丈夫だった。
 順ちゃんは魚師に船を出してもらい海上を探し回っていた。省三は警察の事情聴取やら海上保安庁の人たちとの対応に追われていた。
 善さんを探して終日大掛かりな捜索が続いた。
 角次は人夫たちに仕事をさせた。角治には工事責任があり、気になっていても工事を続けなくてはならない事情があったのだ。
 捜索の甲斐がなく善さんは見つからなかった。
 海は白く凍ったように二十日月の下で光っていた。
「善さんはどこへ行ってしまったんだろう」
 順ちゃんがポツリと疲れた顔で言った。
「さあ・・・」
 省三は頭を抱えて言った。
「僕が行けばよかった。あの時善さんをぶん殴ってでも行くべきだったのだ」
 順ちゃんの声は潤んでいた。
「どうしょうも、なかったね、あの時」
「僕が一人になっても善さんを探すよ。金は全部使い果たしたっていい。波に流されながら僕は考えたんだ。金でロマンが買える・・・違う・・・生きていることがロマンなんだって・・・その時思ったんだ。足らなかったら親父に出させる。それでも足らなかったら東京に帰り・・・」
 順ちゃんの頬に涙が伝っていた。
 順ちゃんは父親の会社に勤めたがみんなの見る目が嫌になり辞め、全国の飯場周りをしたということを善さんから聞いていた。
「順ちゃん」
「善さんとは北海道で一緒になり・・・。雪崩のときに助けられた・・・。命の恩人さ。僕にとっては本当の親父のような存在だったんだ。・・・省ちゃん、僕に付き合うことはないよ。善さんと僕にはそんな因縁があるんだ。だからと言うんじゃないけど、善さんを探すよ。善さん寂しがり屋だったから・・・海に一人で置いとく辛いから・・・。それに僕は耐えられないから」
「善さん、寂しそうだった・・・。いつも遠い海を見つめて涙ぐんでいた。そんな善さんの姿をなんども見た」
「省ちゃんは聞いたことがなかったのか・・・。善さんが戦争から帰ってきたときには戦士をしたことになっていて、奥さんは男と・・・。善さんは奥さんを殺して・・・。愛していたんだな、殺すほど・・・。善さんも死のうとしたが・・・」
「それでは・・・」
「善さん、区切りを付けたかったのかもしれない。奥さんを殺した決着を・・・。その苦しみから逃れる為に・・・そう思うと余計に・・・」
 善さんはもう苦しまなくて良い所へ行ってしまったのか、それで本当に良かったのか、省三の胸の中に善さんの思いが沸き立っていた。
「男も女も悲しい生き物よ」
 善さんの声が耳の奥で響いていた。(2005/10/17)
 
10



寂しかった。何かが欲しかった。省三は放心したように砂浜を歩いていた。いつの間にか新しく出来た堤防の下に立っていた。そこはキャサリンの家の浜だった。
「省三、上ガッテラッシャイ」
 キャサリンが堤防の上から呼んだ。
 省三はキャサリンを見て胸が詰まった。目頭が熱くなった。
「寂シイ、辛イ、省三ノ心ワワカル・・・ミー二ナニガデキル」
 省三はソファーに深深と腰を落としていた。その後ろにキャサリンが立って省三の方に手をおいていた。
「いいんた」
 省三は小さく言った。
「省三ガ辛イ顔ヲスルト。ミーモ辛イ」
 キャサリンの手が省三の首にかかった。手の温もりが伝わってきた。その手を両手で愛おしそうに包んだ。覗き込むようにして唇を重ねてきた。省三はその唇を音を立てて吸った。息が苦しくなるようなキッスだった。
「有難う、キャサリンのこころは嬉しいよ」
 省三は口火を離して言った。
「パパとママは・・・」
 省三は問った。下心があるわけでなく何時ものやり取りであった。
「ハイ、今日モパーティーデス」
 キャサリンは窓へ歩み寄り、
「省三、海ガトテモ綺麗」
 海は紅くたなびいていた。善さんを呑み込んだ海があった。海は夜の気配を見せていた。周りが段々と黄昏していた。
「キャサリン、酒はないか」
「アリマス、ワインデイイナラ・・・ミーモ」
キャサリンはそう言って奥に消えて、ワインとグラスを持ってきてテーブルの上に置いた。
 省三は窓から海を眺めながらワインを空けた。体が熱くなってきた。
 キャサリンの白い肌がピンクに染まり顔が赤みを差していた。
「キャサリン」 
省三は上ずって言った。キャサリンを抱いて唇を重ねた。省三から求めた初めてのものだった。キャサリンはそれに優しく応じた。
 何かが省三を突き上げていた。辛さと寂しさがそれに拍車をかけた。キャサリンの腰を力強く引き寄せ、更に唇を求めた。体が火のように熱くなりただそれだけの行為を急いだ。
「省三、寂シイ、省三」
 キャサリンは潤んだ瞳で省三を見つめて言った。
「ああ、寂しい、もう海を見るのはいやだ」
 省三は狂ったように叫んだ。
 酔いが狂わせたか、男の本性なのか、理性は吹き飛んでいた。
「ミーノ部屋ニ行キマショウ・・・ミュージックデモ・・・ネ、ソウシマショウ」
 キャサリンは柔らかく解いてから省三を見つめて言った。
 ベッドにはピンクのカバーが掛けてあり、窓際には机が置かれ、中央にはロッキングチェアーがあった。壁にはスターや歌手のポスターが貼られ、外国の風景画が飾られていた。キャサリンの体臭が満ちていた。
「省三、何カ飲ミマスカ」
「いや、欲しくない」
 省三はいきなりキャサリンを抱きしめた。
 キャサリンは笑っていた。
「キャサリンが欲しい」
 省三の声はかすれていた。喉がからからに渇いていた。水を欲しがる獣のようにキャサリンに襲い掛かっていた。
「省三」
 キャサリンが悲しそうに言った。
「省三、コレデヨカッタノデスカ」
 キャサリンは裸で横たわる省三に声を掛けた。気だるい声だった。それは咎めるものではなく、優しい響きがあった。額に前髪が数本汗でこびり付いていた。
「省三、ミーワ、省三ニハッピーニューイヤーヲイエナイ」
「なぜ」
 「アメリカニ帰リマス。日本ノボーイフレンド省三一人・・・ナニモカモ、コレデヨカッタノデス」
 キャサリンは全裸のまま窓辺り立ってカーテンを開けた。
「僕も母の町に帰ります」
「省三、モウ会エナイノデスネ」
「すまないこんなことになって」
「スマナイコトハナイ、イイデス、良イ思イ出ニナリマシタ」
「思い出・・・」
「省三、海ヲ見テ」
省三は裸のままキャサリンの傍に立った。外はもう暗い海辺の景色だった。狂った様に荒れた海が穏やかに何時もの海に帰っていた。
「省三、忘レナクテハイケマセン。コノ海ガ善サント言ウ人ヲ殺シタカモ知レナイケレド、悲シクミツメテハイケマセン」
 小さな船の灯が海を渡っていた。その灯は善さんの魂のように見えていた。
「キャサリン、有難う。僕にはいい思い出が出来たよ。キャサリンのこと一生分かれないよ」
「イイエ、忘レナクテハイケマセン。善サンノコトモミーノコトモ・・・。デモ、ミーノコトワトキドキオモイダシテ欲シイ、ソシテ、善サンノコトモ。ミーモ、省三ノコトキットオモイダシマス」
 キャサリンは幼く言って省三を見上げた。
「省三」
 キャサリンが誘った。
 窓が開けられ風がカーテンを揺らせた。
「省三、明日ノ朝、浜デ会イマショウ」
 そう言って、キャサリンは全裸に毛布を巻いて出て行った。(2005/10/18)

11



省三は次の日朝早く起きた。寒い風が潮の香と共に吹き付け泣いていた。
キャサリンは大きな花束を胸に抱いて砂浜で待っていた。省三を見つけるとあどけなく笑って手を振った。昨日のことなど何もなかったようだった。
「省三」
「キャサリン」
 省三はなにか戸惑いがありキャサリンを直視できなかった。
 キャサリンは花束を省三に渡して、
「善サンニアゲテ」と言った。
「二人してあげよう」
 省三はキャサリンの手を持って、花束を打ち寄せる波間に浮かべた。花束は波に揉まれながら少しずつ沖へと流れていった。省三はキャサリンをじっと見つめた。
 そう言えば、海辺に彷徨する花束を見たとこがあると事を省三は思い出した。花束を流した人の心が判るように気がした。
「キャサリン」
 省三は何かを感じていた。それは省三の心の中に生まれた人を愛すると言う感情だった。キャサリンの手を強く握り締めた。そして、引き寄せて額を合わせた。
「ごめん」
「ナニヲ・・・」
「いいんだ」
「寂シイ・・・」
「もう一度会いたい。二人で夕焼けを見たいんだ」
「オーケー、ココデ会イマョウ」
 そういってキャサリンは砂浜を走った。
 省三は花束の行くへを何時までもいつまでも見つめていた。

「省三、キャサリンの味はどうやったんや」
 二人の様子を眺めていたのか、高山が堤防の上から言った。
「知りません。なにもなかったんですよ」
 高山によって二人の仲を汚されたくなかったので省三はそう言った。二人の心は花束のようにどこかへたどり着くのだ。それでいい、昨夜、二人の心と体を一つにすることが出来た。それは自然のうちにそうなったと思いたかった。
「ええムードやったな、二人がでけとる雰囲気やったで・・・。省三は隅に置けん奴や。ワイの負けや、一万円は帰るときに渡すよってな」
「キャサリンがアメリカに帰るというので別れを言っていたんです」
「一回きりか、それはかわいそうやな・・・。約束は約束や、男の約束は石より固いのや」
 高山がそう言って堤防からいなくなった。
省三は頬が緩んでいた。高山は大阪弁が混じっていた。夜の街で学んだのだろうと省三は思った。

 省三は夕方キャサリンと砂浜で会った。西空を真っ赤に焦がして沈もうとする太陽を手をつないで眺めた。
「さようなら、キャサリン」
「省三」
 キャサリンが省三に覆い被さってきた。鼓動が激しく波打っていた。
「省三、コノ夕日、省三ノ夕日・・・。ソシテ、ミーノ夕日・・・ホント二綺麗・・・忘レマセン」
「僕も忘れない。二人で見たこの夕陽・・・夕陽が終わると朝日です。これからは朝日に向って走りたい」
「省三ワ朝日二向ッテ走ル・・・ミーモ走ル」
 二人の影は砂浜に長く伸びていた。暗闇が降りても二人はそこにいた。
 それから数日して、キャサリンは省三に何も言わずにアメリカに帰った。
 (2005/10/18)

12



工事のほうは正月を目の前にして急ピッチで進められ、片付けられていた。みんな善さんの事など忘れているようだった。
 順ちゃんは仕事もせずに毎日海に出で善さんを探し続けていた。
「順ちゃん、僕は帰らなくてはならないんだ。母が待っているのでね」
 省三は順ちゃんにすまないと思って言いそびれていた言葉を言った。鳴海にしても角次にしても警察に任せ手を下そうとしなかった。
「帰ればいい。それでいいんだ。僕はまだまだ善さんを探し続けるよ。海の中に一人おいて置けないから・・・。今の僕にはそれしか出来ないんだ」
「すまないね」
「謝ることはないよ・・・。僕は今やっていることで区切りを付ける、親父の会社に戻って後を継ぐよ。善さんが見つかったらな」
「そうなのですか、それはよかった。
「あの子帰ったんだって・・・いい娘だったのに・・・。僕は見たんだよ、省ちゃんと二人で善さんに花を・・・」
「見ていたんですか・・・善さんはまだ・・・」
「いいんだ、あれでよかったんだ・・・。夕陽が海を黄金色に染めて・・・二人はシルエットのように・・・海に流す花束・・・。綺麗だったよ・・・。・・・善さんはもう・・・。本当は僕も一日も早く決着をつけてと思うんだが・・・、善さんの遺体が見つかったら、花をいっぱい買って、舟を漕いで、海を花で埋めてやるんだ」
 順ちゃんは涙をこらえていた。が、頬に幾筋もの涙が流れた。
「順ちゃんの心は綺麗だね」
「そんなことはないよ。金で買えないものを見つけたんだ」
「順ちゃん」
「うん、寂しすぎるよな、甘えていたんだ。だけど今は生きているよ」
「ええ」
「うん、生きている、そして造る」
「分かるものか、誰がわかっているというのだって、善さん酔うと言っていたね」
「分からないから生きられるって言いたかったんだ・・・。今ならそう思う」
「そうだね、そうなんだ」
 省三は順ちゃんを見ていて頷いた。
「これでお別れですね。 来年は来られないかもしれないから。大学の準備をしなくてはならないから」
「明日また誰かに出会えるよ」
 順ちゃんは明るく言った。そんな顔を見たことがなかったように思った。
 
煙草の煙が立ち込めていた。赤子がしきりに泣いていた。
 省三は故郷へ帰る汽車に揺られていた。
 善さん、順ちゃん、キャサリン、有難う、と省三は心の中で繰り返していた。カタンカタンと言う音が善さんの歌う「黒田節」に聞こえていた。
 善さんの遺体が見つかったと言う記事が載ったのは大晦日の朝だった。
 順ちゃんが舟いっぱいに積んだ花を海に投げる光景を省三は思い浮かべていた。

省三の17歳、昭和36年は終わろうとしていた。

 これで草稿を終わらせて頂きます。 
 少し寝かせて書き改め推敲いたします。お付き合いいただき有難う御座い ました。  Yuu yuu
2005/10/19   草稿脱稿



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小説 海の華 1

2006-01-16 00:56:43 | 小説 海の華 1 「今拓く華」より
海の華
 

1

 

海が朝を迎えた頃、夜汽車は山陽本線の塩屋という駅舎に着いた。
ホームに降りたのは省三と省三の叔父の角次、それに十五人の男たちであった。
「おおさむうー」誰となくそう言い手袋の上から手を擦り白い息を吹きかけた。省三はジャンパーの襟を立てた。男たちは足早に陸橋のほうへ急ぐ角次の後について歩いていた。省三は角次の重いボストンバックを提げてみんなの後にいた。まだ周囲は薄暗かった。プラットホームには等間隔に裸電球が薄暗い明かりを落としていた。その明かりは朝空けの光の中に溶け込んでいた。陸橋の上から海が見えた。東の空には紀伊半島に上る朝日が真っ赤に燃え、波は黄金色に輝いていた。岸に打ち返す波の音が静まり返っている町を包んでいた。小さな明かりを点けたいくつもの漁船が港へと海を渡っていった。
 ぞろぞろと足を引きずるような一団は人気のない駅前の細い路地を賑やかに通った。前や後ろで話し声がし笑いが弾けていた。
 その時店の表戸が引かれ中年の男が眠そうな顔を覗かせ男たちを見つめた。が、男たちの目が一斉に男に向けられて直ぐに顔を引っ込めた。
男たちの服装は背広にネクタイ、その上にコートかオーバーを着ていた。ボストンバッグかスーツケースを提げていた。
 新開地が、福原が、元町がと男たちは言葉に端に名前を挙げて猥談に花を咲かせ黄色い歯を見せて笑っていた。農繁期を終えての出稼ぎ人夫であろうと省三は思った。省三の住む所とあまり離れていないことは言葉の端々から分かる。まるで団体旅行のような雰囲気で心を開放させていた。
 先頭の角次はハンチングを深めに被り、男たちの喜声に頬を歪めながら、背を丸くして両の手をズボンのポケットに突っ込んで歩いていた。
 
  海を前に山を背にした細長い町だった。山肌には別荘風の建物がしがみつくように建てられ、山陽本線と第二国道を挟んだ海岸線に沿って同じような洋館建築が並んでいた。
 陽はとっくに上がり海沿いの町には朝が訪れていた。波が繰り返し繰り返し岩に砕け砂浜を洗っていた。単調な波音だった。白いマストに帆を張ったヨットが朝靄の中を滑る様に渡っていた。
 伊勢湾台風で崩壊した堤防を修復するのが角次の仕事で、男たちは土方として雇われて、省三は帳面付けとして来たのだった。
 飯場は国道に面した別荘と別荘の間にあるガソリンスタンドの裏にあった。トタン屋根のバラックが三棟あった。雨と風が凌げればいいという粗末なものであった。
 角次は男たちを三十畳ほどの大部屋に集めた。その部屋には前からいた十名ほどの人がてんでに布団を敷き眠っていた。男たちは部屋の数箇所にあるストーブを取り囲んだ。
「少し眠っておけ。昼からコンクリートうちをやるからな」と角次は濁声で言った。男たちは棚に荷物を置き隅に積まれた布団を空いているところに広げ、そのまま横になった。
「省三、お前も呆けっとしとらんと眠っておけ」
 角次はそう言ってボストンバッグを提げて出て行った。省三はその後姿を見送った。(2005/10/09)
 
  男たちはもう安らかな眠りの中にいて、高い響きの鼾をたてていた。省三は布団を出して横になったがなかなか眠られず何度も寝返りを打った。夜汽車で僅かにまどろんだだけであったので眠りの中へ入りたいと懸命に目を瞑った。がそれは徒労に終わった。しばらくすると異様な臭気を鼻腔に感じた。それは布団に浸み込んだ他人の体臭であることに気がついた。それが気になりだすと余計に眠られなかった。
 海に広がる潮騒と焼玉エンジンの音が妙に寂しさを募らせた。省三は起き上がり部屋を出て堤防の上に立った。潮風が凍てつくように肌を刺してきた。 
 二号線に車が走り、山陽本線に列車が通過し一瞬海のあらゆる音を消した。
 こんなに近くに海を見、波の音を聴くのは小学校の夏の臨海学校のとき以来であると思った。
 打ち寄せる波の単調に繰り返えされる音は省三の心を孤独にした。少しの間堤防に立っていたが砂浜に下りた。黒い砂浜を波が洗い七色の油の皮膜が鮮やかに広がった。
 少し歩いたとき寂しそうに肩を落として東の空を見る中年の小柄な男が映った。男は気配を感じて振り返った。男の両眼には涙が溢れ頬を伝っていた。省三は目線を落とした。
「あんたが親父さんの甥の省三さんかい」潮焼けした声であった。
「はい」と言って少し引いた。
「今日の、いや、今のことは見なかった事にしてくれ」男は海の方を向いて言った。
「はい」小さな声だった。
「俺は山中善太郎だ、よろしくな」
「省三です、よろしくお願いします」
「まあ、のんびりとやろうよ」
 善さんが振り向いた時の目は柔和になっており口元が緩んでいた。
「じゃあ・・・」
 善さんは少しはにかんだ様に言って砂浜を見つめながら歩き階段に消えた。善さんの肩は寂しそうに何かを語っていた。
 
  省三は砂を踏みながら太陽に向って歩いた。堤防が大きく崩れ別荘の庭を噛み砕き、波がその下に打ち寄せていた。風と波が残していった爪あとを省三は見て回った。工事は三分の一も捗っていなかった。海岸線には同じような別荘がペンキの色を代えて建っていた。
 その時、見上げていた別荘のカーテンが引かれガラス戸が開いた。
「*****」外人の若い女が顔を覗かせて省三に向って叫んだ。省三は訳が分からずに立ち竦んだ。女はベランダに出て来た。パジャマ姿で手摺りに身を乗り出すようにしてなにやら喋った。省三は慌てて逃げようとした。
「逃ゲナイデ」女は日本語で叫んだ。
「アナタハ、コンナニハヤク、ソコデナニヲシテルカ」女は省三の慌てる姿が面白かったのか笑顔で言った。
「仕事です」声が震えていた。
「シゴト・・・」
「はい」
「ネームワ」
「省三です」
 省三は勇気を出して女を見上げた。二十歳くらいに見えた。パシャマ姿を通して発育が窺がえた。省三は急に恥ずかしくなって振り返り足を速めた。
「ショウゾウ・・・」
女の声が背にぶつかり落ちた。省三は走った。足元で白く泡立って広がり消える波があった。
 飯場に帰ると若い女と年老いた男が朝飯の用意をしていた。女はせっせと釜戸に木っ端を投げ込み、男は幾本もの大根の漬物を切っていた。女が省三に気づきにっこりと笑った。男は鋭い視線を向けていた。(2005/10/10)

2                  

 

  省三は誰が何時から何時まで仕事をしたかを手帳に書き込み、それを労務台帳に記載し、賃金計算をするのが仕事だった。
 この現場には、現場監督の鳴海と事務の高山、班長の角次夫妻、大工に鳶に土方、賄い夫婦の総勢五十人ほどであった。
 鳴海は図面を覗いて測量をし、直ぐ何処に行くのかいなくなった。元町の女のところへ行くのだという噂があった。高山は工事材料の調達と経理全般の仕事をしていた。工事現場を見ることもなく神戸のダンスホールに浸かっていた。
角次は現場を見て歩きそれ以外のときはオートバイを磨き町に出て行った。

  工事は昼夜進められた。
工事は潮の満干で左右された。潮が満ちているときは休みだった。干いた時に鳶が海岸に鉄のパイルを杭打ちし、太い鉄筋を縦横に組み、足場丸太を立てた。大工がパネルを打ち据えナットで締め上げる。足場の上にバター板を敷きレールが走り、土方の押すコンクリートと入ったトロッコが行き交う。コンクリートミキサーは重い唸り音を出してガラガラと回った。サーチライトとガス燈がその風景を照らし出していた。
 十一月下旬の海辺は潮風が冷たく、夜になるとスコップを握る手も悴み、モッコを担ぐ肩も軋んだ。
 省三は砂浜で焚き火をして見ていた。サーチライトが煌々とした光を放ち、足場丸太の所々にぶら下げられたガス燈は蛍火の様に青白い灯かりを落としていた。その光は海にこぼれ夜光虫が群がっているように見えていた。
「省三、どんどん燃やしとけ、もう直ぐ小休止をするからな」
 ニッカズボンを穿いた角次が足場の上から叫んだ。
 砂浜の人夫たちはパネルの上にモッコを担いで砂を運びバラスとセメントを混ぜ、その上から水を入れスコップで捏ね上げた。それをスコップですくいパネルの中へ投げ込んでいた。上では数人の人夫がパネルの中に長い竿を差してコンクリートをまんべんに行き渡らせていた。スコップの背でパネルが激しく叩かれた。
 それらの騒音は単調な波の音に溶け込んでいた。
「あと少しだ、パネルをもっと力を入れて叩け、その音では隅々までいっとらん、お前ら何年この仕事をやっとんだ」
 角次が大きな声を張り上げた。
 省三は木っ端を投げ込み石油をかけた。火勢は火柱となって夜空を焦がした。黒い煙は吹き上がり暗闇に呑まれた。
「ショウゾウ・・・」その声に省三は振り返った。
炎の向こうに人影が僅かに見えた。省三はその人が誰だか直ぐに分かった。
省三は少し砂浜の方へ移動した。間近に見ればまだ幼さを残した貌だった。下半身をぴったりしたジーパンで包み白い徳利のセーターを着ていた。髪は背に自然にたらし頬に幾つものそばかすが散っているのが見えた。なぜか省三は冷静に見ることが出来た。
「ミスター省三・・・」少女はふたたびそう呼んだ。
「喧しいですか・・・」滑らかに声が出た。
「ハイ、デモイイデス。波ト風ガ庭ヲ崩ス時、大変ニ怖カッタカラ・・・」
 少女は笑顔で言った。
「そうだったでしょうね」
 省三は短く応え暗い海へ視線を向けた。海を渡る別府航路の豪華客船が不夜城のように見えた。
「アノミーワ、キャサリン十六歳、ヨロシク・・・」
 キャサリンは右手を省三の前に差し出した。手を握ったとき小刻みに揺れた。それは寒さの所為ではなかった。
「省三、ヨカッタラアスニデモアソビニキテクダサイ、ニホンノボーイフレンドイマセン・・・私寂シイデス・・・」
「・・・」省三はじっと見つめていた。
「デワ、ヤクソクシマシタヨ」
「・・・」省三は頷いていた。
「デワ、サヨナラ」
 キャサリンは手を離して砂浜の暗闇の中へ消えて行った。
 その後姿を省三は放心したように眺めていた。省三の手にはキャサリンの温もりと心臓の鼓動が残っていた。(2005/10/10)

3



  ガラガラという牌の音で省三は目を覚ました。
 省三は賄いの夫婦がいた小部屋に移っていた。女がぷいといなくなり、その後を追うように男も消えたのだった。
 周りは冷たい空を灰色に変えようとしている頃であった。朝の六時まで引き潮の中コンクリート打ちが続いたのだ。風呂に入り、朝飯を食べ、洗濯をして布団に入ったのは十時を回っていた。
 省三は万年床より蓑虫が殻を破って這い出すような緩慢な仕種で起き上がった。
 省三は階段を下りた。粉のような砂が風に舞い足に纏わり付いてくる。西空には黄昏の中僅かに太陽の残り陽がオレンジ色に輝き、砂浜に干してある洗濯物が風に弄ばれるのを照らしていた。
 省三はすばやく洗濯物をしまい胸に抱えて帰ろうとした。その時足元で波に漂う花束を見た。数日前、若い夫婦が昨年この浜で亡くなったわが子のために流がした供養花であった。二人で波に花束を浮かべ男は遠くの海辺に眼差しを投げ、女は砂浜にしゃがみこんで砂を指の間からさらさらと落としていたのを、省三は不思議な気持ちで堤防の上から眺めたのだった。その光景に一瞬胸に熱いものが溢れたのを覚えている。省三は花束を海から奪い取るように手にして砂浜に立てた。
「省三、何をしとんや」
 高山はあばた貌を緩めて堤防の上から声をかけてきた。
「何でもありません、洗濯物を仕舞いに・・・。それに夕焼けがとても綺麗いじゃけえ見とれてたんです」
「夕焼けくらい毎日見とろうが」
「海に沈む夕日はそんなに見ておりません」
「ワイは子供の頃から見とるからなんとも思わんが、省三はロマンティクやの」
 高山は日生諸島を魚場に持つ網元の息子で、東京の大学を出てK土木に入りここへ来ていた。
「それより、今日外人の別嬪におうたんや」
 高山らそう言われて省三はドキリとした。昨夜の約束を思い出した。行こうか行くまいか迷っていたのだ。
 「省三、お前しっとろうが」高山はにこにこしながら言った。
「いいえ知りません」
 省三は高山にキャサリンとのことを知られたくなかった。知っているといえば紹介しろと言うに決まっていた。キャサリンのことは秘密にしておきたかったのだ。
「本当か・・・嘘をついてもすぐ分かるんやで。その別嬪は省三のことしっとったで」
「ほんまに知らんのです」省三は強く言った。
「今日の昼間、向こうの崩れた堤防の測量をしとったら別嬪が庭に出てきて省三はどうしていると尋ねよったで、嘘はいかん、なにかあったんか」
 高山の目が光っていた。獲物を狙う猟師の目だった。省三はドキリとし、そこまで知られているのならいわなくてはと思った。
「一度だけ会いました。ここに来た朝、砂浜を歩いていると声を掛けられました」
「それだけか・・・」
「ええ」
「こいつ隅におけんのう、ええことしょつてからに」
「なにもしておりません」
「外人の女はませるけえ、省三の童貞を奪われるかもしれんで・・・。けど外人でもあれだけの別嬪は珍しいで。さすが神戸や」
 省三は昨夜のキャサリンの手の温もりを思い出していた。
「これから神戸に行くんや、一緒にどうや」
 省三はその言葉が聞こえないふりをして階段を上がった。
「おもろいところを見つけたんや、ええ女もいたで」
「今日は大潮で仕事も長いし、飯食べて少し寝ようと思います」
「そうか・・・あの外人の裸でも想像してマスでもかけばええんや・・・けどわいはあの別嬪をものにするで」
 と高山は言って事務所の方へ消えていった。
 高山に押さえ込まれるキャサリンの姿が省三の頭を掠めた。そんなことは出来るはずがないと打ち消そうとしても、高山の貌が笑っていた。省三はキャサリンに逢って高山のことを注意するように言わなくてはと思った。

  省三は洗濯物を部屋に投げ込んで大部屋の方へ回った。窓の傍でジャン卓を囲んで牌を摘み口撃を盛んに応酬していた。反対側の隅には省三と同じくらいの歳の順二郎が、トランジスタラジオを抱えイヤホーンで聴きながら目を瞑り足でリズムをとっていた。
 省三は順二郎の肩をゆすった。順二郎は顔を向けイヤホーンを外した。
「順ちゃん、何処にも行かないのですか、仕事は十二時からですから・・・時間はありますよ」
「金がねえ、金がないのよ」順二郎は上品な顔を崩して言った。飯場の住人には見えなかった。
「それによ、少し眠ってなくてはね。十二時を回った仕事は金になるが体にはきついよ。寒いし飯食って起こしてくれるまで寝るよ」
 順二郎は安田といい二十歳と労務台帳に記載されていた。前借がないのは順ちゃんと省三と一緒に来た男たちで、前からいる男たちは何ヶ月も前借があった。
 順二郎は省三に手を上げてごろんと横になった。 
 部屋には三箇所にストーブが置かれその上で薬缶が湯気を立てていた。それを囲むように十数人の男たちが眠っていた。その人たちは省三と一緒に来た男たちで、マージャンをしている男たちは前からいる人たちであった。外の人たちは夜の街へ出かけているらしかった。
「省三! どうだ」その声に省三は振り返った。奥の布団置き場の前で一升瓶を前にして胡坐かきコップ酒をしていた善さんが声をかけたのだった。
 善さんはいつも酒を飲んでいた。潮焼けが酒焼けかわからないほどであった。
目は混濁して輝きをなくしていたが現場に立つと猫の目のように光った。
「俺の現場で一人として怪我人はだしゃしねえ」それか善さんの口癖だった。
 省三は善さんの前に立った。
「どうだ」善さんは酒の入ったコップを突き出した。
「呑めないんです」
「なに呑み方をしらねえ?」
「そうじゃないんです、呑めないんです」
「座れ」
「はい」省三は素直に座った。
「幾つになる」
「十七ですが」
「じゃあ練習するんだ・・・俺なんか省三くらいのときには一升空けたものだ」
「それよりあんまり呑んだら仕事が出来なくなって・・・親父さんに・・・」
「省三、俺に説教垂れようと言うのか」
「そうではありません、善さんの体が・・・」
「省三、有難うよ。だがな、呑みたいときに呑めるってことが人生の花よ。・・・省三ここに来て何日になる・・・」
 善さんは酔った目を据えて省三を睨み付けた。省三はその目の奥に、朝の誰もいない砂浜で海を見つめて涙を浮かべていた光を見たように思った。
「今日で二十日になります」
「そうだろう、それだったら少しはおれ達のことを知ろうとしろ」
「知ろうとしろ・・・」
「省三はしっかりしているが・・・俺たちとの間に一線を引いている、大工や人夫じゃないと・・・」
「そんなこと・・・」
 省三は思い当たるのか声が途中から消えた。
「ここを腰掛だと思っている証拠だ。そんなことでは何処に行っても役立にたたず仕事の出来る人間にはなれねえぞ。・・・モッコの重さを知っているか、棒が肩の骨に食い込んでくる痛さを知っているか、よろけて土に這い蹲る辛さを・・・。人の前に立ってやろうとする人間はその痛み辛さを知って耐えなくてはならねえ」
 省三は黙って聴いていた。
「どうして酒を飲むか、呑まなくてはおられないか、そこのところを理解しねえと人は使えねえぞ」
 善さんは滑らかに喋った。仕事中は無口で唇を真一文字に閉じ、人夫たちの動きを睨みつけていたが、酒が饒舌にさせているのだろう。
「はい、分かります」省三は鼻をすすっていた。 
この二十日間省三は角次に言われるままに仕事をしていた。人夫たちの立ち振る舞いを見ているだけで、どのような心で生活をしているかを知ろうとする努力はしてなかった。酒と博打と女、それをだけを生甲斐に生きていると思っていた。省三の頭の中に二十日間の出来事がめぐっていた。
「酒は一概に気違い水ではねえ。疲れを癒し、痛み苦しみを忘れさせてくれるものだぜ。・・・時々この部屋を覗きな、そして、話し笑い泣きな、そうすりゃあ、ここの人間の心の隅々まで見え読めるというものだぜ」
 善さんは茣蓙の上にコップを置いて一升瓶から注ぎ、顔を近づけて啜り上げ、手で持ち上げて一気に飲み干した。善さんの顔がいっそう赤黒くなった。目はぎらぎらと輝き始めた。
 善さんは角次の弟分のような存在であった。小頭という身分で角次がいない時は工事の手配をし進行の号令をかけた。
 善さんは「黒田節」を歌い始めた。この歌が出ると酒量に達しているのだった。今日のように絡んでくるようなことはなかった。そんな善さんだったが角次より人夫たちに親しまれていた。
「誰が、誰が本当のことを知ってるというんだい。知るもんか、知るものか」
 善さんが突然寝言のように叫んだ。それは善さんの心に蹲るものにたいしてのようであった。
(2005/10/11)

4

 

  省三は懐中電灯で砂浜を照らしながら歩いた。
善さんは喋るだけ喋ると枯れ木が倒れるように横になった。善さんの言葉が省三の心の中でくり返されていた。暗い海を渡る船の為に光り続ける灯台のように思えた。何か考えなくてはならないその指針を投げかけてくれたように思えた。
今日も別府航路の豪華船が汽笛を長く鳴らして海を渡っていた。
「八時か」省三はそれを見て呟いた。
「省三」キャサリンの声が降って来た。
キャサリンは崩れかけた庭に立っていた。家の明かりがその姿をくっきりと見せていた。省三は近寄っていった。
「来テクレタノデスカ・・・パパトママワパーティーデイナイ」
 省三はその言葉に躊躇し迷って黙り込んだ。
「シンパイハイラナイ、少シ話ヲシテ行ツテ欲シイ、省三、オ願イ」
「それは・・・僕はこれから夕食を食べて・・・十二時から仕事があるから少し・・・」
「省三ワ約束ヲ破ルノデスカ」
「約束?」
「昨日、約束シマシタ。食事ワ出シマス、私一人デ食ベルノサビシイデス」
 省三は善さんの事を考えていた。寂しい、その言葉が善さんのいいたかった総てではなかったかと思った。
「ソレジャ、ミスター高山ニオ願イショウカ」
「それは困ります。あの人には近寄らないほうがいい」
 省三は慌てて言った。
「デモ省三ノボーイフレンドデショウ」
「ええ、だけど、怖い人ですから」
「ミーワ、勇気ノナイ人嫌イデス。デモ省三ワ別デス・・・。省三、ドウゾ」
 キャサリンは省三を執拗に誘った。
 その時省三は砂浜を踏む足音を聞いた。振り返った。黒い上下の背広を着た大工の石原が近づいていた。
「石原さん、お出かけですか」
 省三は何か悪いことを見つかったような気拙さを言葉に代えた。
「うん、ちょっとな・・・」
 石原は一瞬立ち止まり省三をちらりと見て言った。
「仕事の時間までには帰って来てくださいね」
「うん・・・じゃあ、うまくやんな」
 石原はそう言い残し急いで東の砂浜へ消えていった。省三はその後姿に何かを感じていた。
「ドウスル、サァ、遠慮ワイリマセン、パパトママニワ省三ノコト話テアリマス」
省三は今まで若い女性と一対一で話したことがなかった。胸に激しい動悸を感じていた。                            「少しの時間なら」
「サンキュー、ヤハリ省三ワイイ人」
キャサリンに導かれて省三は家に入った。映画でしか見たことのない家具と調度品が置かれていた。マントルピースの上に肖像画が掛けられてあった。その前に立ってじっと眺めた。
「ソレワ、ミーノグランドファザーデス」
暖炉には赫赫と燃えていた。省三はロッキングチェアーに腰を落として辺りを見ていた。キャサリンはコーヒーとケーキを運んで来てソファーに座った。
「コノルーム二、ニホンノボーイフレンド、ハジメテデス」
省三にはどう見てもキャサリンが十六には思えなかった。背丈は同じくらいだが、大きく見えた。胸の大きさ、腰のくびれ、ヒップリ張りのよさ、金成とした脚の線は、ニホンの同年の女性にはないものだった。
 省三はここに来て始めての友達が外国の女性であることに戸惑っていた。
「それは光栄です、と言わなくてはならないのですね」
「コウエイ?」
「嬉しいと言う意味です」
「ソウデスカ、ソレデワ、ミーモ、光栄デス」
 キャサリンは笑って言った。
 省三はキャサリンの体臭に胸が苦しくなっていた。
「ドウゾ、メシアガレ」
「有難う、キャサリンは日本語が上手だね」
「ハイ、此処二来ル前二、横浜二イマシタ。パパワ、貿易ノ仕事ヲシテイマス・・・。
ミーワ、日本ノボーイフレンド出来テトテモハッピーデス」
「それで何を話せばいいのでしょうか」
「ハイ、時折話シ相手二ナッテクレレバ嬉レシイ・・・。ミーワ、アノ朝、省三ヲ見タ時好キニナリマシタ。ナンダカ寂シソウデシタ、トテモ省三ノ顔・・・」
「母を残してきましたから・・・」
「ママヲ・・・。ソレハイケマセン。キット寂シガッテイマス。時々帰ツテアゲルベキデス」
「ええ、この仕事は来年に一月いっぱいですから・・・一度正月には帰ります」
「ソウデスカ、一月ガ終ワレバ・・・」
 キャサリンは小さく言った。
「はい、その約束で来ていますから」
「ソレワ困リマス、折角フレンドニナレタノニ・・・」
「でも仕方がありません。・・・僕も、ここに来てキャサリンに逢えたこと良かったと思っています。・・・それまで時々来て話し相手になります」
「嬉シイ、省三・・・」
 キャサリンが省三に歩み寄り唇を重ねてきた。大きな一枚ガラス戸は潮騒を消し暗い瀬戸内海の海を映していた。


小説 海の華 2

2006-01-16 00:32:07 | 小説 海の華 1 「今拓く華」より
5



省三はキャサリンと夕食を食べ部屋に戻った。男と女の係わり合いがこんなに簡単に行われていいものかと考えた。キャサリンへの慕いが段々心に広がっていった。欲しい、その欲しいという気持ちが怖かった。
「ドウシテ、日本ノ人ワ、私達オ珍シイ物ノヨウニ見ルノカ。私達ワミンナ兄弟ト教エラレテイマス」
 省三はキャサリンの言葉を思い出していた。
「おおい!省三いるか」
 角次が部屋の板戸を叩いた。その声で省三の思いは吹き飛んだ。
「ハイ、いますよ」
 省三は慌てて板戸の掛け金を外しあけた。
「石原は何処へ行ったかしらねぇか」
 日焼けした角次の顔の中の目がギラついていた。
「知りません。六時前だったか砂浜で会いました。仕事の時間までには帰ってくださいといいました」
「ふん。サッが来とるんじゃ、雇用名簿を持って直ぐわしの部屋まで来てくれ。・・・何かありゃ探りにきゃあがる・・・。ここを悪のたまり場のように考えてやぁがる、まったく嫌になるぜ。早くしろ」
 警察は一週間に一度の割りで飯場を覗き入った人夫と辞めていった人夫のことを調べた。
 省三は机の上の雇用台帳を持って角次の部屋へ急いだ。
 征服の巡査と私服の刑事が角次の
部屋の前に立っていた。
「ご苦労様です」省三は頭を下げて言った。
「石原はどこへ行くとも言わなかったんだな」
 角次が念を押すような言い方をした。いつもの角次の口ぶりではなく目が何かを語りかけているように思えた。それは滅多なことを言うなということなのかと省三は悟らせようとしていたのだ。
「はい、何処へとは・・・」
「変なそぶりはなかったかね」
私服の男が低い調子で言った。
「いいえ、何時もの通りでした」
「石山・・・ここでは石原はいつも夜には出かけていたのかね」
「分かりません、でも、仕事はきちんとしていました」
「そわそわしていたとか、沈み込んでいたとか・・・」
 制服の巡査が言った。
「そう言えば・・・」
「そう言えば・・・」
 私服の男が反復した。
「何かよそよそしかった・・・」
「省三!」
 その時角次が大きな声を上げた。
「ふん。気づかれたか、遅かったか」
 私服の男は爪を噛みながらいらいらと歩き回った。
「何時ごろでしたか」
「五時前だな・・・省三が砂浜で会ったのは・・・」
 角次が傍からそう言った。
「まずいな、服装は」
「ニッカズボンにジャンパーだと言ったな」
 角次は省三に何も言わせなかった。
「どちらの方へ」
「国道へあがったと・・・」
 角次は指差して言った。
 そこまで聴いて、二人は飛びだして行った。
「おやじさん、石原さんに何かあったのですか」
 角次は苦り切った顔で、
「馬鹿なやつよ、三角関係の縺れから殺ったらしい・・・。女なんか履いて捨てるほどいるというのに・・・。惚れてしまやあ何も見えなくなる」と言った。
「男も女も哀れな、哀しい生き物よ」
 何時の間に来たのか省三の後ろで善さんが言った。手には酒の入ったコップを持っていた。角次はうつむいて黙り込んでいたが顔を上げて、
「省三、よく覚えておくのだ。ここでは自分のことしかわからねえ、他人がどんな服を着ていようが、何処へ行くといったか・・・。どんなことをしてきた男であろうが知っちゃあいけねえ、知っていても他人に言っちゃあいけねえ。ここじゃあ、善も悪ねえ・・・。あるとしたら仕事の出来る奴と出来ねえ奴だ。とにかくここじゃあ、自分のことがわかりゃあいいのよ、それだけでいいのよ。・・・早く帰って休め」と角次は吐き捨てるように言った。
 省三は砂浜に降りていった。二十日月が波の上で揺れていた。僅かにこぼれた飯場の灯かりが海に落ちていた。長靴の下で砂が鳴いていた。
 省三は出来上がった堤防を古里の刑務所の塀のように眺めた。
「おい、省三」
 善さんがぶらぶらしながらガス燈をぶら提げて近寄って言った。
「男にとって女は極楽でもあり地獄だよ。石原は地獄の中にいたのよ。地獄は最初甘い蜜の味がする。それが段々と心を狂わせる。そうなりぁもう地獄の中にどっぷり浸かっているのよ」
「善さん・・・」
「少し歩こうか・・・。みんな地獄の入り口を彷徨っているのよ。ここにいる奴はみんな地獄の味を知っている奴よ。常識なんか通用する世界ではないよ。地獄にはそんなものないからよ」
「善さん」
「みんな地獄の味を味わいたいから金を稼ぐのよ。・・・この現場だって工期は決まっている、そのためには悪と分かっていても仕事の出来る奴が欲しい・・・。
働かしゃあいいのよ、こき使って地獄で遊ぶ金をやればいいのよ、多少のことは目を瞑って、地獄の切符を買う金をやればいいのよ。そう割り切らなくてはここでやって行けねえょ」
「地獄ですか、そんなに魅力のあるところなんですか」
 省三はキャサリンのことを思った。
「省三には分かるまいが、みんな極楽だと思っているが、俺には地獄に見えるのよ。極楽の喜びも地獄の喜びも紙一重だからな」
 善さんは眼差しを遠くへ投げていた。
 沖を行く船の汽笛が潮騒を裂いた。
「善さんは石原さんのことを知っていたのですか」
「うん、うすうすわな、なにかあると思っていた。酒も飲まない、喧嘩もしない。ここに来る奴で酒も喧嘩もなしというのはおかしいのよ。何か前を背負っていると思っていた。酒を飲んで酔っ払えばぺらぺらと喋る。喧嘩をしてサッにあげられたら大変だ。・・・とにかく何もしない、真面目に働いていたらサッの目から逃れられる。石原は・・・」
「石原さんは戸籍がでたらめでした」
「言うんじゃないよ。滅多なことを聞くんじゃないよ。奴ら自分が助かる為には人殺しなんか平気でするからな。知ろうとするな。知らないほうがいいのよ。知っていてもそれを自分の心においてきなよ」
 波は足元で白く砕けていた。
「色々とあるけど、様々な人がいるけど、みんなそれなりに一所懸命に生きようとしているのだからな。それをじっと見ていりぁあいいのよ」
 善さんの声はくぐもっていた。
「省三、御免よ、愚痴ったようだ・・・人間なんてなにかの切掛けで・・・。戦争が何もかも・・・」
 善さんは何を思い出しているのだろうと省三は思った。
「おおい、省三!」
 遠くで角次の呼ぶ声がした。省三と善さんはその方へ振り返った。(2005/10/13)

6



  数日して、石原が捕まったと新聞は報じた。古里へ帰ったところを張り込んでいた刑事に逮捕されたのだった。
「あいつにも故里があったのだな。帰るところがないようなことを言っていたがよ」
 善さんは独り言のように呟いた。
 外は冷たい雨が降っていた。仕事は休みで、殆どの人夫は町へ遊びに出かけていた。
「善さんだってあるのでしょう、故郷が」
「うん、ある・・・。いや、あったと言った方がいいかな。俺は、今、生きている所が故郷だと思うことにしているんだ。故郷を捨てたときから・・・」
 善さんは寂しそうに言って、薄くなった頭髪をかき上げた。
「帰りたいと思ったことはなかったのですか」
「帰りたくないと言えば嘘になる。・・・でもな、帰ったって何もないよ・・・」
 善さんはくぐもった顔になった。
「でも、そこで育ったのでしょう」
「ああ」
「じゃあ、あるではありませんか」
「ある・・・なにが」
 善さんは厳しい目を省三に向けた。今日の善さんはアルコールが入ってなかった。日焼けした顔がより赤みをおび黒く見えた。
 雨はトタン屋根を叩き、窓からの海の景色を閉ざしていた。
「思い出が」
「思い出!」
「石原さんだって、帰るところは故郷しかなかったのですから・・・」
「俺はもう歳だよ。思い出を探す為に故郷へ帰るなんてよ・・・。 それにそんな暇も金もないよ・・・。それよりも何よりもそんな感傷は何処を探しても出てこないよ・・・。誰かが言っていたな・・・人生って奴は、思い出を作ることだと・・・。俺にとっては人生って奴は、思い出を忘れることだったよ・・・。今まで生きてきたのは、その思い出を忘れる為だったのかもしれないよ」
 善さんは遠くに眼差しを投げていた。
「善さん」
 善さんの体は小刻み振るえ、背に何か重い荷物が乗っているように見えた。
「そう、忘れる為さ。俺を苦しめてきた思い出をよ。俺についてはなれねえ過去をよ」
 善さんは丁寧に言葉を落としていた。
 善さんは外の人夫とは違っていた。酒に溺れているように見えるが、理性だけは失わなかった。付いて離れないン湖を酒によって忘れようとしているのだが、それはより寂しさを齎す結果となり、ついつい深酒をすることになったのだ。黒田節を歌うのは、その寂しさを忘れる為、辛さから逃げる為、故郷への郷愁を断つためだったのかも知れないが、それはより故郷を蘇らすことになったのだ。早朝の海辺に立っていた善さんこそ今の善さんを語っていたのだ。
 省三は善さんを見たように思った。
 外の人夫たちは稼いだ金を女に入れあげ二三日帰ってこなかった。パチンコに、マージャンに、花札に、金を使って一時の快楽に浸るのだった。が、善さんはそれを達観したように説教するではなく暖かく見つめてニコニコ笑っていた。
 羽目目を外すことが出来るときはどんどん外せと言っているようだった。祖何善さんにも生きて歩んだ過去があったのだ。飯場で生活をしている、そこに善さんの人生の縮図があるのだった。
 省三は善さんが砂浜で遠くの海を眺め、肩を落としていた姿を何度か見ていた。何かを祈る姿に、慟哭している姿に見えた。
「おい、省三!女を知っているか」
 善さんは何かを振り払うようにいった。
「いいえ」
 それは自然に出た言葉だった。省三は善さんの前では素直になれた。
「そうか、市って悪い歳ではないよ。とにかく知って悪いことはないだよ・・・女が天使か悪魔かを・・・」
 善さんはぶつぶつと言い、自分を納得させるように頷いた。
 省三はキャサリンとの初めてのキッスを思い出し体が熱くなるのを覚えた。
「俺に任せろ、ついて来い」
「は、はい」
 省三は戸惑っていた。
「好きな女でもいるのか?」
「・・・いいえ」
 省三は声を小さく落とした。
「好きな女がいるのなら辞めといたほうがいが・・・俺も古いな・・・男も女も悲しい生き物よ」
 善さんは湿っぽかった。
 省三はキャサリンの熱い唇を思っていた。(2005/10/14)

7



「省ちゃん、初めての感想はどう」
 省三が砂浜で洗濯物を干していたら、順ちゃんが近寄ってきて言った。
「入らなかったんだ。表まで行ったけど、善さんすっかり酔っ払ってしまって・・・」
「それは残念だったな・・・。今度僕が連れてってやるよ。知るまでさ、女なんて」
「いいよ」
 省三は手早く洗濯物を留めながら言った。
 あれでよかった。省三はそう思っていた。キャサリンとの事のように、男と女は思わぬところで結びつくように思われたからだった。
 売春禁止方法が施行されても元遊郭では公然と売春が行われていた。新開地では昼間から客引きが男の袖を引いていた。長田警察の前でありながら売春宿があった。
 善さんと雨の中を二人して遊びに行ったが、結局善さんは女を買わなかった。
 善さんには最初からそんなことは出来ることではなかったのだ。女を抱くことで悩みから開放されないのだということを知っているのだった。むしろ、女を抱くことで辛い過去を思い起こし、より苦しみの淵へ導くことを知っていたのかもしれなかった。
 電車に乗るとそわそわして降りてから直ぐウィスキーを買ってラッパ飲みをした。
「なぁに、元気付けよ」と善さんは言ったが何かと一生懸命戦っているように省三には思えた。
 雨は夜のうちにあがって冬の陽が雲間から零れ海へ降りていた。
「善さんには買えないよ」
 順ちゃんが海に小石を投げながら言った。
「どうして」
「それはなぁ・・・今はやめとこう・・・いつか話し時があるだろう・・・。それよりどうしてここに来たんだい」
 順ちゃんはそう言って洗濯バサミをパチンパチンと鳴らした。
「どうしてって・・・おじの手伝いにだよ」
「それだけかい・・・僕には分かるんだ・・・夢に破れた、現実が夢を粉々に打ち砕いたんだろう」
「それもあるよ、だけど、とにかくなにかをしたかった・・・」
「ここでは何が出来る」
「さあ・・・」
「みんな愚たらに見えるだろう」
「・・・」
「僕も最初はそう見えた・・・だけどみんな生きていた・・・」
「生きていた・・・」
「自分の為に生きている。誰かの為に生きるって、所詮、自分の為なんだから・・・」
 陽射しが雲に入ったのか薄暗くなった。海の色が油色に流れた。
「酒が飲みたいから飲む、女を抱きたいから抱く、眠たいから眠る・・・。僕はここに来て自由を持ったんだ。・・・ここに来る前、親の反対を押し切ってサラリーマンを二年した・・・」                 「順ちゃん」
「二年間勤めて・・・何もなかった、何も出来なかった・・・そんな自分に腹を立てた・・・。それから金だけを目的に生きようと決めたんだ。人間には頭を下げまい、金に頭を下げようと決めた・・・」
「何でも目的があっ羨ましいよ」
「みんなそうさ、金に頭を下げているのよ。僕はここで働いて得た金をみんな貯金している。男のロマンは金でしか買えないからさ・・・。才能もない、頭も良くない、そんな僕が夢をかなえられるのは金があればこそだからね」
「それは少し寂しいね」
「それにこの仕事は永遠に残る・・・あれは若い頃、汗と血を流して造ったダムだ、堤防だ、道だってね。青春の証明。それに金が・・・。それが生甲斐でこの仕事をやっているんだ」
 順ちゃんの目は泳いでいた。
「そんな生き方、考え方もあるんですね。僕なんか目的もなくのんべんだらりとしていて・・・世間の醜さに嫌気を感じて・・・それを打ち破る努力もしないで・・・」
「僕には目的があるんだ、金を貯めて、ヨットを買って・・・アメリカへ行くんだ・・・そんな夢でもなきゃこの世の中は侘しいよ」
「いいな、その夢」
「夢を夢のままで終わらせないよ。やりたいことをやらなくて金を貯めてるんだから」
 省三は順ちゃんの考えは分からないではないが、それではさもしい気がしていた。だが、一途に何かに向って突き進んでいる姿を羨ましいと思った。
「僕は金の亡者ょ。それでいいのよ、誰がなんと言おうと耳にしない、気にしない。ここには個人の自由があるからね。僕は気に入っているんだ。・・・省ちゃんがどのように思おうが、そんなこと関係ない。・・・今日も雨になるのかなぁいやな雲行きだよ」
 順ちゃんはそう言い残して踵を返した。
 いろいろな人がいて、いろいろな人と出会い、色々な考えに触れる、それが人生かと省三は思った。 
「分かってたまるか」
 善さんの声が耳の奥で繰り返されていた。
 
  省三は努めてみんなの中へ入ろうとした。厳つい人もいる、言葉の汚い人もいる、服装の整わない人もいる、体に墨を入れている人もいる、だが、ここではみんな善良で純粋だった。自由に生きていた。一人ひとりの心を見つめなくては、外見で人を判断してはいけないと分かった。スコップを握り、モッコを担いだ。その苦しさ痛さを味わった。
 中には仕事の時間になっても帰ってこない人もいた。省三はその人を迎えに行くのだった。あの男は何処の女と親しくし馴染みかを聞いて出かけるのだった。
 省三は長靴を穿きジャンパーの襟を立てて出かけた。
 ベニヤ板一枚で部屋は仕切られた小さな部屋が並んでいて、その中で男と女の戯声がしていた。
「いい子がいるよ」とやり手ばばぁが声を掛けるが笑って断り中へ入っていくのだ。やり手ばばぁに案内されて部屋を開けてみると・・・。そんな場面に何度も出くわした。最初の頃は顔を赤らめたが、
「仕事だから帰りましょう」と冷静に言える自分に驚くのだった。
 女物の下着を着けて帰る人夫がいて、
「ええ年をして、このスケベー」とからかわれていた。
「女のところから連れて帰れれば一人前だ。省三も一人前になったか」
 角次が愛想を言ったのだった。
 そんな日々が続いて、省三は段々とここでの生活に染まっていった。
(2005/10/15)

8



  現場監督の鳴海は時折工事現場を見て回ってチェックをして帰って行った。妻子を故郷へ残しての単身赴任をしている鳴海に女が出来てセメントを横流しをしていると高山が得意そうに喋った。高山もその分け前を貰い女を買ったと自慢した。
 角次は角次で二メートルのパイルを一メートルしか基礎として打ち込まず、残ったパイルをトラックに積んで古鉄屋に売りに行っていた。その代金の半分を取り、残りをみんなに分けた。省三も五百円貰った。その金がどのようなものか分からなかったが、高山から教えられ嫌な思いをした。
 善さんと順ちゃんはその事実を知っているのだろうかと思った。順ちゃんが金を貰ったとなると順ちゃんにとっての青春の証明は耐用年数より早く、風と雨と波に跡形もなく消えてしまうのだ。二メートルのパイルを地中に打ち込んで、その上に五メートルのコンクリートの堤防が築かれてこそ何十年も保つのだ。一メートルではどれだけ持つか分からない。セメントも十分に使われず、塩を含んだ海の砂でコンクリ゜と打ちをすると脆く崩れるのが早いのだ。
 仕事が中身のない張子の虎のように感じられた。虚しかった。
 冬の海は荒れる日が多くなった。波頭は白く弾け、打ち寄せる波は早かった。
 省三はキャサリンの家には時折行った。キャサリンの親には日本語の勉強を教えていると言っていたが、日常的な会話を楽しみ遊ぶだけだった。キャサリンといるときだけが心が安らいだ。その心は恋心へ移って行くのを感じていた。日増しにその想いは膨らみ想いを持て余すようになっていた。
 師走の半ばを過ぎた頃までに、真新しいコンクリートの堤防は三分の二ほど完成していた。
 空は幾重にも雲を重ねていた。海は小波が大波に変わっていた。
 省三は堤防に立ちキャサリンのことを考えていた。
「省三、もうあの外人の別嬪とやったんか」
 高山がニヤニヤ笑ってそう言い、近寄ってきた。
「いいえ、そんな仲ではありません」
「省三、嘘をついたらあかんで、外人のあそこはどうなっとんや」
「知りません」
「今度紹介してくれや。省三がまだならワイがぶちこんだるよって」
「そんなこととはしていません」
「省三、マスばかり掻いていると体にようないで・・・たまにはさせてもらえや」
「高山さんはそんなことばかり考えているのですか・・・ぼくは・・・」
 美しいキャンバスが高山によって汚されていった。甘い夢が現実の醜さの前で萎んでいった。キャサリンが欲しい、抱きたいという欲望に翻弄されるときもあるが、それは自然の成り行きでそうなるべきだと考えていた。
「男とおながすることは一つや。あれしかないんや、はようしたれや・・・。省三は甲斐性なしやから駄目やな。女はやってしまえば自分の女になるんや・・・。
やってしまわんと気が変わるんや・・・これと思う女がいたらやるんや。・・・それが男と女と言うもんや」
 高山はそう言って扇動した。省三は胸を熱くなり、キャサリンの白い肌がちらついていた。
「それより、正月には帰られるのですか」
 省三は話題を変えた。もうこれ以上キャサリンを辱められることに耐えられなかったからだ。
「うん、帰るで、帰ってから小遣いをもろうて来んと、ろくな女と遊べへんからな・・・。
省三はどうするのや」
「帰ります・・・母をひとり残していますから」
「マザコンの省三か・・・それで女も抱けへんのか」
「違います」
「そんなら、帰るまでにあの別嬪をモノにしてみい、ワイが二万円やるよって」
「嫌です、そんなこと・・・」
「やっぱりそうか・・・」
「なんです」
「省三のこと、人夫たちがインポやというとんや。男と女がやっとるところへ行っても平気な男やと。噂になっとんや」
「あれは仕事ですから」
「それやったら、やってみい。やらなんだら一万円もらんで」
「嫌です」
「怖いんやろ」
「そんな・・・」
「なあに、押し倒し・・・」
「やめてください」
「分かったな、一万円やど」
 高山は執拗にからかった。
 省三は頭に血が昇っていた。
 キャサリンの裸が頭に溢れていた。唇が乳房がお尻が、すんなりとした素足がスライドしていた。
 省三は海の水を両手で汲んで頭にかけた。(2005/10/16)


9からは「海の華」2をご覧下さい。フリーページにあります。

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今日から復帰・・・。

2006-01-16 00:10:11 | Yuuの日記

2006/01/15 日曜日・・・。

晴れ昨日の雨が上がり穏やかな日である4月気候か暖かい・・・。

家人と買い物・・・ハマチ一本360円、秋刀魚一尾58円を6尾、牡蠣200g
300円、鰤の粗298円・・・お好みソース1150g259を2本、ポン酢98円を2本、シップ30枚880円 緑茶380円、卵58円2パック・・・。買いました・・・。
ハマチはさばいて刺身に、鰤の粗は大根と・・・。秋刀魚は冷凍庫へ、牡蠣は酢牡蠣に・・・。夕餉はそれら・・・。
これで少しは買い物をしなくていいか・・・。
気まぐれにアフリィエイトを日記に貼ったところ、そこで買い物をしてくださった方がいるのです・・・。今月に入って30000円もです・・・。どなたか分りませんが有難う御座います・・・。今月は300ポイントになっています・・・これからが楽しみです・・・。昨年の12月に250ポイント・・・何時の日かそれは振り込んでいただけるとのこと・・・パソコンを始めて初の収入です・・・。月に何十万と言う人もいるそうですが・・・。ブログに訪れてくださる人を増やさなくてはならないでしょう・・・。少しでもポイントが増えていれば嬉しいものです・・・。お金儲けをしようなんて考えては居ませんが、ポイントが増えると言うことはやはり満更でもありません・・・。これからも楽しいアフリィエイトを貼り付けますので宜しくお願いいたします・・・。
寒さが少し緩んで雪崩が・・・大変です・・・。その地方の皆様はどうか注意をしてください・・・。
我が家の若嫁が、車を買った・・・。トヨタのBBと言うらしい・・・。通勤用に・・・自分への褒美だと言う・・・。5年前に買ったばかりだが、下取りに出さずに、それは長男が乗ると言う・・・。快適なマイライフを・・・。

昨日転寝をしている間、九太郎が外出・・・探したが何処にもいなかった・・・。家の中で飼っているので外に出るとすくんでしまって動けない・・・車と仲良くしなければいいがと・・・夕方のこのこと汚れて帰ってきた・・・。この浮気ものとお尻をぺっへぺっへとする・・・。その日は風呂に入れる日でなかったが急遽風呂へ入れる・・・。平然としている九太郎を見て人間の愚かしさを痛感する・・・。
政治が動きだした・・・。みんなの幸せを考えての政治をと願う・・・。

 雪深きところは今日は雪崩
           上がる気温は迷惑なのだ

 2006/01/15明日も雪崩の注意報か・・・早く春のなればいいのに・・・。


 想像力を買いましょう・・・。