yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

小説 春の路・・・6

2008-04-17 16:12:17 | 創作の小部屋
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この作品は省三33歳からの軌道です・・・。ご興味が御座いましたら華シリーズもお読み頂けましたらうれしゅう御座います・・・お幸せに・・・。

春の路 (省三の青春譚)
 陽炎浮き立ち人の心を迷わすか、だから手を携えて・・・。


 佐竹は教職に立っていた当時を淡々と語っていたが、目には時折り光るものを帯びていた。
「今日来ていただいたのは・・・「己なき日々」にも書きましたように母と女教師の会の起源といいますか発端と言いますか、その趣旨が曖昧になっておりまして・・・。その演劇を作っていただきたくて・・・このように長々とお話をさせていただきました。母と女教師の会は決して政治的なものではなく・・・
『教え子をふたたび戦場にやらない』
『教え子を二度と飢えさせない』
『お母さんの体を守ろう』
という趣旨なのです・・・。そのことを若い女教師に知ってほしくて・・・。母と女教師の会で公演をしていただけないかとお願いしたい為で御座います」佐竹はそう言ってほっと一息入れた。
 佐竹の言葉は重く省三の背に乗るものだった。そんな活動があったとはぜんぜん知らないことだった。
 一人女教師の言葉が発端でそんな大きな運動がなされていたことに驚いた。何かふつふつとわきあがる闘志のようなものが生まれてきていた。
「人間とはなんと素晴らしい」
 省三は心の中で叫んでいた。
「私でよろしければやらせていただきます」
 省三は震えながら強く言っていた。そばで心配そうに育子が見ていた。
「ありがとう御座います。これで肩の荷が下りました。母と女教師の会が政治運動のようになっておりまして、そのことを危惧して「己なき日々」をその当時の先生方と出したのですが、中々思うようには行かなくて・・・読んでいただけなくて・・・。見てくだされば分りやすくみんなの心の中に入りましょうし・・・」
 佐竹は退職婦人教職員全国連絡協議会の副会長の役職にあって、全国をまわっている忙しい体だった。定年を切り上げて幅広い運動を行っていた。

「大変な事になったわね」
 育子は心配そうに言った。
 帰りの車を運転しながら、
「何とかなるよ」
と省三は明るく言った。頭の中にはストーリーが組み立てられていたのだった。
 省三は戦中戦後の物語はたくさん読んでいた。文芸同人誌「怠け者」を各所に送ると必ずと言っていいほど同人誌を贈ってくれた。その中には必ず戦争物が二三作載っていたのだった。書斎の戦争文学も紐解かなくてはと思った。戸倉のところへ行かないときは資料を読み漁った。梅木女史の戦中戦後の童話が特に役に立った。佐竹の話を聞いている間に台本の筋書きはどんどんと組み立てられていたが、その肉付けにはやはり資料が必要だった。段々と頭の中に物語が広がっていった。 一人ひとりの箱書きが始まった。歴史年表が机の前に張られた。大まかに史実が書き込まれていった。
 教師自身が最高の教育環境、と言う貫通行動が出来上がった。反感通行動として、息子を取られた母の哀しみ、校長の一億玉砕の精神、愛国心、進駐軍が持ってきた民主主義、母と女教師の会の発足、中国在留日本人を貫通行動にかにませる事にした。書き始めていくらかの変更はあるにしてもこのように書こうと決めたのだった。これが出来ると出来たも同然だった。この作業は一週間ほどで出来上がった。あとは書き始めればよかった。



(この小説は「十七歳の海の華」の続編である。彷徨する省三の青春譚である。
ここに草稿として書き上げます。書き直し推敲は脱稿の後しばらく置いて行いますことをここに書き記します)
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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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