陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

元始まりの親  がいるなり

2020-06-23 18:53:08 | 宗教
   今までにない事ばかり言いかけて 万づたすけのつとめ教える
  このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはぢまりのをやがいるなり 六 30
   このつとめ十人人衆その中に 元始まりの親がいるなり
 「元始まりの親」がいる ― 記紀が伝える天神七代元始まりの親、すなわちイザナギ、イザナミ、月ヨミ、クニサズチ、クモヨミ、カシコネ、ヲフトノベ。さらにクニトコタチ、オモタリ(十六 12)とで、9柱となる。そこに 38で伝える仏教の守護神、タイシャク天(帝釈天)を加え、これで10柱となる ― 「万づたすけのつとめ」をつとめる10人のつとめ人衆。

  いざなぎといざなみいとをひきよせて にんげんはぢめしゆごをしゑた 六 31
   イザナギとイザナミとを引き寄せて 人間創め守護教えた
   このモノに道具を寄せてだんだんと 守護教えた事であるなら
  記紀では天津神イザナギとイザナミを引き寄せて、『この漂っている国土を整えて、つくり固めよ』と命じられたと語っているが、別天津神の存在は記していても、天津神が誰なのかは不明になっている。これに対して、この六号50で「この世の真実の神月日なり 後なるは皆道具なるぞや」と歌って、月日こそこの世と人類創生の親であると高らかに歌い上げて、記紀との違いを鮮明にする。

  このどふくくにさづちいと月よみと これみのうちゑしこみたるなら 六 37
   この道具クニサズチと月ヨミと、これ身の内へ仕込みたるなら
  くもよみとかしこねへとをふとのべ たいしよく天とよせた事なら 六 38
   クモヨミとカシコネとヲフトノベ タイショク天と寄せた事なら
 「タイショク天」は、「タイシャク天」と解す方が自然ではないだろうか…、それによって、「元始まりの親がいるなり」、「寄せたことなら」という表現が生きてくる。
 「タイシャク天」は、十二天(仏教の守護神、12種類の神で八方位など自然的要素を神格化した環境的な神)の1柱で、その代表として元始まりの親9柱に寄せたのです。そのことは、「次なるはタイショク天というのはな これは世界のハサミなるぞ(十二145)」という表現から立証できる。みき様の時代、「ハサミ」といえば、今の洋バサミではなく和バサミを指し、その形が一面二臂像である「帝釈天」のその二臂、両臂が和バサミそのもの形、姿であることを歌ったのでしょう。
 要するに、十二神社の記紀の神々も十二天の神々も、尊いからと拝む対象にしていても、この世に存在するからには、月日にとってはみな我が子、みな同じ魂。助け合うべき同士であると決定づけたのです。

   この子数九億九万に九千人 九百九十に九人なるそや 
   この人を三日三夜に宿し込み 三年三月留まりていた
   それよりも生れ出したは五分からや 五分五分として成人した
  このものに一どをしゑたこのしゆごふ をなぢたいない三どやどりた 六 49
   この者に一度教えたこの守護 同じ体内三度宿りた
 46~49の歌ですが…、『日本書紀』には本文とは別に〔一書〕と呼ばれる割注記事が数多くあって、それらを組合わせたものと『古事記』の国生みとを、巧みに交えまとめ上げていると言える。中でも「同じ体内三度宿りた」は、『古事記』のそのものを歌っている ― イザナギ、イザナミが最初に生んだのはヒルコという 不具の子だった。次に淡島を生んだが、これもまた神の御子の数には入れなかった。そして、三度目にやっと淡路島を生んで、先ず八つの島、大八島国を完成させてから、次々と島を生んで、日本列島の土台がつくり出された。

 このように「こふき」は、人々にとって馴染み深い『古事記』、『日本書紀』を意識させながら、そこに修正と補足を加えて、この世と人類創生の真実を明かして、人々が自分の価値に目覚める ― 生きることそのものが神話の探求であり、神話を見出そうとすることが生きることにつながるというべきであろう〔神話と日本人の心16㌻〕。

   この世は一列はみな月日なり 人間はみな月日貸しもの



                     中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

どのよな神も  現れ出して話しするなり

2020-06-19 22:32:56 | 宗教
おふでさきには「こふきを拵える」という重要なテーマがある。
 一号で、「万づ委細の元のいんねん」を伝えるために、天下った事を明かして、
 二号で、これから学ぶおつとめは、「万づたすけの模様ばかり」、「末代のこふきなるぞや」と歌い、
 三号で、「泥海中の道すがら」を聞かせて、「この世は神の身体」、「人間はみな神のかしもの」であることを悟れと歌い、
 四号で、陽気づくめを阻む「とうじん」の枠から「表へ出る」ために、おつとめで「元始まりを言うて聞かせる」と歌い、
 五号で、「この世始めた真実」と「神の真実の働き」を知らないから「元始まりの根を掘らそ」。そして、「からをままにして」世界中に「神の自由を見せたい」と歌って、
 六号で「この世の真実の元始り」、「こふき」を展開する。

  このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六 8
   この世を始めてからにないつとめ また始めかけ確か治める
 おつとめでこの世の真実の元始まりを再現して、人間はみな同じ魂であることに目覚めて、全ての人が陽気ゆさんする。このようにこの世と人類創生の親、月日の願いに応えて、「世界を確かに治める」ことを本願とする。この教えをおいて他に、世界中一人残らずの人が陽気づくめに暮らせるように導くところと、それを伝える永遠の聖なる書が存在するであろうか、という高邁な理想が燃え出ている。

  これまでハいかなる神とゆうたとて めゑにみへんとゆうていたなり 六 10
   これまでは如何なる神と言うたとて 目に見えんと言うていたなり
 記紀において、イザナギ、イザナミの前に並べられている天神七代の国造りの主神とも言える神々の名が連鎖的に告げられていると言っていても、その神名.その語に記紀の中で一度もふれられないのだから、そもそも天神七代の神々の意味は何なのか、と疑問が湧いてくるのである。〔神話と日本人の心〕 ― 今までは如何なる神も山々に 拝み祈祷と言うたなれども

  このたびわとのよな神もしんぢつに あらハれだしてはなしするなり 六 11
   この度はどのよな神も真実に 現れ出して話するなり
 記紀においては、ほとんどの神の守護、働きは分り難くなっているから、これから一柱ごとに相応な役割を持たせて、目で見える形にする ― 元始まりをつとめる10人のつとめ人衆が、それぞれに備わった神の子としての素晴らしい個性、そのかけがえのない個性に目覚めるように、その役割に天神の尊い神名を授けて、真実の元始まりを再現するおつとめを演じる ― 天神、天皇家の先祖の神々と言っても、この世に存在したからにはみな同じ魂。そこに尊い卑しいの差は無い。天皇も百姓も平等であることをそこで歴然と示す。

  このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはぢまりのをやがいるなり 六 30
   このつとめ十人人衆その中に 元始まりの親がいるなり
 「元始まりの親がいるなり」 ― この当時、お屋敷のつとめ場所は十二神社となっていて、(元始まりの親)天神七代の神々にアマテラスを加えた十二柱を祀っていた。その12柱の内訳(を分かり易い表現にする)は、クニトコタチクニサズチクモヨミヲフトノベオモタリカシコネイザナギイザナミの天神七代の柱。さらにイザナギ、イザナミの子アマテラスと、これで9柱。そこにつとめ人衆にはない3柱を加えた12柱。これが秀司夫妻と取り巻きたちがつとめ場所に祀っていた十二神社の実体。よく見るとそこにはイザナギ、イザナミの子アマテラスは祀られていてもツキヨミと、タイショク天は見当たらない…

   この世の真実の神月日なり 後なるは皆道具なるぞや
   人間を創めようとてだんだんと 寄せて使こうたこれに神名を


                         中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講