陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

どのよな神も  現れ出して話しするなり

2020-06-19 22:32:56 | 宗教
おふでさきには「こふきを拵える」という重要なテーマがある。
 一号で、「万づ委細の元のいんねん」を伝えるために、天下った事を明かして、
 二号で、これから学ぶおつとめは、「万づたすけの模様ばかり」、「末代のこふきなるぞや」と歌い、
 三号で、「泥海中の道すがら」を聞かせて、「この世は神の身体」、「人間はみな神のかしもの」であることを悟れと歌い、
 四号で、陽気づくめを阻む「とうじん」の枠から「表へ出る」ために、おつとめで「元始まりを言うて聞かせる」と歌い、
 五号で、「この世始めた真実」と「神の真実の働き」を知らないから「元始まりの根を掘らそ」。そして、「からをままにして」世界中に「神の自由を見せたい」と歌って、
 六号で「この世の真実の元始り」、「こふき」を展開する。

  このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六 8
   この世を始めてからにないつとめ また始めかけ確か治める
 おつとめでこの世の真実の元始まりを再現して、人間はみな同じ魂であることに目覚めて、全ての人が陽気ゆさんする。このようにこの世と人類創生の親、月日の願いに応えて、「世界を確かに治める」ことを本願とする。この教えをおいて他に、世界中一人残らずの人が陽気づくめに暮らせるように導くところと、それを伝える永遠の聖なる書が存在するであろうか、という高邁な理想が燃え出ている。

  これまでハいかなる神とゆうたとて めゑにみへんとゆうていたなり 六 10
   これまでは如何なる神と言うたとて 目に見えんと言うていたなり
 記紀において、イザナギ、イザナミの前に並べられている天神七代の国造りの主神とも言える神々の名が連鎖的に告げられていると言っていても、その神名.その語に記紀の中で一度もふれられないのだから、そもそも天神七代の神々の意味は何なのか、と疑問が湧いてくるのである。〔神話と日本人の心〕 ― 今までは如何なる神も山々に 拝み祈祷と言うたなれども

  このたびわとのよな神もしんぢつに あらハれだしてはなしするなり 六 11
   この度はどのよな神も真実に 現れ出して話するなり
 記紀においては、ほとんどの神の守護、働きは分り難くなっているから、これから一柱ごとに相応な役割を持たせて、目で見える形にする ― 元始まりをつとめる10人のつとめ人衆が、それぞれに備わった神の子としての素晴らしい個性、そのかけがえのない個性に目覚めるように、その役割に天神の尊い神名を授けて、真実の元始まりを再現するおつとめを演じる ― 天神、天皇家の先祖の神々と言っても、この世に存在したからにはみな同じ魂。そこに尊い卑しいの差は無い。天皇も百姓も平等であることをそこで歴然と示す。

  このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはぢまりのをやがいるなり 六 30
   このつとめ十人人衆その中に 元始まりの親がいるなり
 「元始まりの親がいるなり」 ― この当時、お屋敷のつとめ場所は十二神社となっていて、(元始まりの親)天神七代の神々にアマテラスを加えた十二柱を祀っていた。その12柱の内訳(を分かり易い表現にする)は、クニトコタチクニサズチクモヨミヲフトノベオモタリカシコネイザナギイザナミの天神七代の柱。さらにイザナギ、イザナミの子アマテラスと、これで9柱。そこにつとめ人衆にはない3柱を加えた12柱。これが秀司夫妻と取り巻きたちがつとめ場所に祀っていた十二神社の実体。よく見るとそこにはイザナギ、イザナミの子アマテラスは祀られていてもツキヨミと、タイショク天は見当たらない…

   この世の真実の神月日なり 後なるは皆道具なるぞや
   人間を創めようとてだんだんと 寄せて使こうたこれに神名を


                         中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講