やまひはつらいものなれど もとをしりたるものハない
このさきハなにをゆうてもうそハない みなしんぢつとをてきゝわけ 六 103
いまゝでハやまいとゆへばいしやくするり みなしんバいをしたるなれども 105
これからハいたみなやみもてきものも いきてをどりでみなたすけるで 106
どのよふなむつかしきなるやまいでも しんぢつなるのいきでたすける 108
むまれこふほふそはしかもせんよふに やますしなすにくらす事なら 110
十二因縁の『老死』、〔老いて死ぬこと〕 ― 人間は、この世に生を受け、やがて老いて死を迎える運命にあることを『老死』と云う。死を恐れたり、不安になるのは、肉体が活動していることだけを、この世限りの人生だと錯覚しているからで、仏法による正しい行為(善業)を積み重ねるなら、次の世では、より良い環境に生まれ変わり、よりよい人生を送ることができる。そういう輪廻転生を繰り返し最終的には、輪廻を解脱して仏の境界に到達できると説かれている。この『死んで極楽に往生させる』という説法に対して、この世で極楽を味わう法を明かす。それが
「真実なるの息でたすける」 ― 「医者、薬」など一時的に形、外面だけを補修、直す処方ではなく、「病の元」、元凶となっている心の治療、心を入れ替えることで病の根を切る ― 「息、手踊りでみなたすけるで」 ― おつとめで神の子としての真実の自己に目覚める。そして「月日のたすけ一条の心」、「さんざい心」を定める ― 「世直り」、我が心を(手振りのように360度回転して)再生 ― 神の子として真実の自分を生きる ― 死への恐れがなくなる ― 「病まず死なずに暮らすことなら」
みかぐらうたの主テーマは、おつとめの完成にある。十二下りの前半で仏教が伝える「教」、教理を解く。後半で『教』に基づく『行』を展開して、おつとめ実行までの準備を整える。
八下り目で、おつとめを「ふしぎなふしん」と歌って、「ふしん」に欠かせない用材、つとめ人衆を募る。
九下り目で、つとめ人衆の心構えとして「神に凭れる心」を定めるように促す。
十下り目では、「神にもたれる心」を再認識させて、十一、十二下り目で展開するおつとめに備える。
一ツから八ツの歌で、『十二因縁』にそって「月日の思惑」を展開して、九ツへつなぐ。
このたびまでハいちれつに やまひのもとハしれなんだ
いまゝでもたいてくどきもといたれど まだゆいたらん月日をもわく 112
このたびハなにか月日のさんねんを つもりあるからみなゆうてをく 113
どのよふなものも一れつハかこなり 月日の心しんばいをみよ 119
このよふハ一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの 120
「未だ言い足りん月日思惑」 ― 法蔵菩薩は仏に成るため立てた『四十八願』を述べた直後に、『重誓偈』を追伸する。それを倣うように、「病の元」を「十二因縁」にそって説き明かした直後に、「未だ言い足らん」と「月日思惑」の二項目を追伸する。そのうちの一項目 ― 「人間はみな月日かしもの」
十ドはもう一つの項目で、ここではおふでさきの重要なテーマである「因縁寄せて守護」、「仏教の根幹・因果の道理」を「この道」の目指す道として展開する。
このたびあらわれた やまひのもとハこゝろから
いまゝでもこのよはじめたしんぢつを をしへてをことをもたなれども 124
このはなしなんとをもふてきいている 月日をもわくふかいりやくを 126
こればかり人なみやとハをもうなよ 月日のしごとゑらいをもわく 127
とのよふな事をするのもみな月日 しんぢつよりのたすけ一ぢよ 130
どのよふな事をするのもしんぢつに 心したいにみなしてみせる 134
「この世創めた真実」、「月日の思惑深い利益」、「月日の仕事偉い思惑」、「月日真実よりのたすけ一条」 ― どんな結果にも必ず原因がある、原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つ、更にない ― 蒔かぬタネは絶対に生えないが、蒔いたタネは真実の心どおりに必ず生える。原因なしに起きる結果はないのだから、その原因をあきらかに見ていきなさい ― 因縁寄せて守護する これは末代しかとおさまる ― 「病の元は心から」
どのような事でも神のする事や これを病と更に思うな 22
何もかも真実神の自由を 知らしたいからして見せるでな 23
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
このさきハなにをゆうてもうそハない みなしんぢつとをてきゝわけ 六 103
いまゝでハやまいとゆへばいしやくするり みなしんバいをしたるなれども 105
これからハいたみなやみもてきものも いきてをどりでみなたすけるで 106
どのよふなむつかしきなるやまいでも しんぢつなるのいきでたすける 108
むまれこふほふそはしかもせんよふに やますしなすにくらす事なら 110
十二因縁の『老死』、〔老いて死ぬこと〕 ― 人間は、この世に生を受け、やがて老いて死を迎える運命にあることを『老死』と云う。死を恐れたり、不安になるのは、肉体が活動していることだけを、この世限りの人生だと錯覚しているからで、仏法による正しい行為(善業)を積み重ねるなら、次の世では、より良い環境に生まれ変わり、よりよい人生を送ることができる。そういう輪廻転生を繰り返し最終的には、輪廻を解脱して仏の境界に到達できると説かれている。この『死んで極楽に往生させる』という説法に対して、この世で極楽を味わう法を明かす。それが
「真実なるの息でたすける」 ― 「医者、薬」など一時的に形、外面だけを補修、直す処方ではなく、「病の元」、元凶となっている心の治療、心を入れ替えることで病の根を切る ― 「息、手踊りでみなたすけるで」 ― おつとめで神の子としての真実の自己に目覚める。そして「月日のたすけ一条の心」、「さんざい心」を定める ― 「世直り」、我が心を(手振りのように360度回転して)再生 ― 神の子として真実の自分を生きる ― 死への恐れがなくなる ― 「病まず死なずに暮らすことなら」
みかぐらうたの主テーマは、おつとめの完成にある。十二下りの前半で仏教が伝える「教」、教理を解く。後半で『教』に基づく『行』を展開して、おつとめ実行までの準備を整える。
八下り目で、おつとめを「ふしぎなふしん」と歌って、「ふしん」に欠かせない用材、つとめ人衆を募る。
九下り目で、つとめ人衆の心構えとして「神に凭れる心」を定めるように促す。
十下り目では、「神にもたれる心」を再認識させて、十一、十二下り目で展開するおつとめに備える。
一ツから八ツの歌で、『十二因縁』にそって「月日の思惑」を展開して、九ツへつなぐ。
このたびまでハいちれつに やまひのもとハしれなんだ
いまゝでもたいてくどきもといたれど まだゆいたらん月日をもわく 112
このたびハなにか月日のさんねんを つもりあるからみなゆうてをく 113
どのよふなものも一れつハかこなり 月日の心しんばいをみよ 119
このよふハ一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの 120
「未だ言い足りん月日思惑」 ― 法蔵菩薩は仏に成るため立てた『四十八願』を述べた直後に、『重誓偈』を追伸する。それを倣うように、「病の元」を「十二因縁」にそって説き明かした直後に、「未だ言い足らん」と「月日思惑」の二項目を追伸する。そのうちの一項目 ― 「人間はみな月日かしもの」
十ドはもう一つの項目で、ここではおふでさきの重要なテーマである「因縁寄せて守護」、「仏教の根幹・因果の道理」を「この道」の目指す道として展開する。
このたびあらわれた やまひのもとハこゝろから
いまゝでもこのよはじめたしんぢつを をしへてをことをもたなれども 124
このはなしなんとをもふてきいている 月日をもわくふかいりやくを 126
こればかり人なみやとハをもうなよ 月日のしごとゑらいをもわく 127
とのよふな事をするのもみな月日 しんぢつよりのたすけ一ぢよ 130
どのよふな事をするのもしんぢつに 心したいにみなしてみせる 134
「この世創めた真実」、「月日の思惑深い利益」、「月日の仕事偉い思惑」、「月日真実よりのたすけ一条」 ― どんな結果にも必ず原因がある、原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つ、更にない ― 蒔かぬタネは絶対に生えないが、蒔いたタネは真実の心どおりに必ず生える。原因なしに起きる結果はないのだから、その原因をあきらかに見ていきなさい ― 因縁寄せて守護する これは末代しかとおさまる ― 「病の元は心から」
どのような事でも神のする事や これを病と更に思うな 22
何もかも真実神の自由を 知らしたいからして見せるでな 23
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講