陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

病の元は  心から

2022-12-31 19:57:35 | 宗教
  やまひはつらいものなれど  もとをしりたるものハない
   このさきハなにをゆうてもうそハない みなしんぢつとをてきゝわけ     六  103
   いまゝでハやまいとゆへばいしやくするり みなしんバいをしたるなれども    105 
   これからハいたみなやみもてきものも いきてをどりでみなたすけるで      106
   どのよふなむつかしきなるやまいでも しんぢつなるのいきでたすける      108
   むまれこふほふそはしかもせんよふに やますしなすにくらす事なら        110
 十二因縁の『老死』、〔老いて死ぬこと〕 ― 人間は、この世に生を受け、やがて老いて死を迎える運命にあることを『老死』と云う。死を恐れたり、不安になるのは、肉体が活動していることだけを、この世限りの人生だと錯覚しているからで、仏法による正しい行為(善業)を積み重ねるなら、次の世では、より良い環境に生まれ変わり、よりよい人生を送ることができる。そういう輪廻転生を繰り返し最終的には、輪廻を解脱して仏の境界に到達できると説かれている。この『死んで極楽に往生させる』という説法に対して、この世で極楽を味わう法を明かす。それが
 「真実なるの息でたすける」 ― 「医者、薬」など一時的に形、外面だけを補修、直す処方ではなく、「病の元」、元凶となっている心の治療、心を入れ替えることで病の根を切る ― 「息、手踊りでみなたすけるで」 ― おつとめで神の子としての真実の自己に目覚める。そして「月日のたすけ一条の心」、「さんざい心」を定める ― 「世直り」、我が心を(手振りのように360度回転して)再生 ― 神の子として真実の自分を生きる ― 死への恐れがなくなる ― 「病まず死なずに暮らすことなら」

 みかぐらうたの主テーマは、おつとめの完成にある。十二下りの前半で仏教が伝える「教」、教理を解く。後半で『教』に基づく『行』を展開して、おつとめ実行までの準備を整える。
 八下り目で、おつとめを「ふしぎなふしん」と歌って、「ふしん」に欠かせない用材、つとめ人衆を募る。
 九下り目で、つとめ人衆の心構えとして「神に凭れる心」を定めるように促す。

 十下り目では、「神にもたれる心」を再認識させて、十一、十二下り目で展開するおつとめに備える。
 一ツから八ツの歌で、『十二因縁』にそって「月日の思惑」を展開して、九ツへつなぐ。
  このたびまでハいちれつに  やまひのもとハしれなんだ
   いまゝでもたいてくどきもといたれど まだゆいたらん月日をもわく     112
   このたびハなにか月日のさんねんを つもりあるからみなゆうてをく     113
   どのよふなものも一れつハかこなり 月日の心しんばいをみよ        119
   このよふハ一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの       120
 「未だ言い足りん月日思惑」 ― 法蔵菩薩は仏に成るため立てた『四十八願』を述べた直後に、『重誓偈』を追伸する。それを倣うように、「病の元」を「十二因縁」にそって説き明かした直後に、「未だ言い足らん」と「月日思惑」の二項目を追伸する。そのうちの一項目 ― 「人間はみな月日かしもの」

 十ドはもう一つの項目で、ここではおふでさきの重要なテーマである「因縁寄せて守護」仏教の根幹・因果の道理」を「この道」の目指す道として展開する。
  このたびあらわれた  やまひのもとハこゝろから
   いまゝでもこのよはじめたしんぢつを をしへてをことをもたなれども    124
   このはなしなんとをもふてきいている 月日をもわくふかいりやくを     126 
   こればかり人なみやとハをもうなよ 月日のしごとゑらいをもわく      127
   とのよふな事をするのもみな月日 しんぢつよりのたすけ一ぢよ       130
   どのよふな事をするのもしんぢつに 心したいにみなしてみせる       134
 「この世創めた真実」、「月日の思惑深い利益」、「月日の仕事偉い思惑」、「月日真実よりのたすけ一条」 ― どんな結果にも必ず原因がある、原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つ、更にない ― 蒔かぬタネは絶対に生えないが、蒔いたタネは真実の心どおりに必ず生える。原因なしに起きる結果はないのだから、その原因をあきらかに見ていきなさい ― 因縁寄せて守護する これは末代しかとおさまる ― 「病の元は心から」

   どのような事でも神のする事や これを病と更に思うな      22
   何もかも真実神の自由を 知らしたいからして見せるでな     23


                                中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講


  



 

難儀するのも心から  我が身恨みである程に

2022-12-26 15:25:22 | 宗教
 三ツから七ツは、十二因縁の『愛』、『取』、『有』、『生』を現状の生活に重ね合わせ、より発展させて歌におさめた。

  みづのなかなるこのどろう  はやくいだしてもらひたい
  よくにきりないどろみづや  こゝろすみきれごくらくや

   いまゝでも月日のやしろしいかりと もろてあれどもいづみいたなり    六 59
   このたびハたしかをもていあらハれて なにかよろつをみなゆてきかす     60
   なに事もこのところにハにんけんの 心ハさらにあるとをもうな        67
 十二因縁の『受』 ― 心身が発達し、ものごとを識別できるようになると、自然に好き・嫌い・憂い・悲しみ・苦しみなどのような、さまざまの感情が起こるようになる ― ほこり
   高山ハなにをゆうてもをもうにも みなにんけんの心ばかりで         69
   月日よりつけたなまいをとりはらい このさんねんをなんとをもうぞ      70
   しんちづの月日りいふくさんねんわ よいなる事でないとをもゑよ       71
 十二因縁の『愛』 ― このような感情が起こるようになると、ものごとに対して『愛着』が起きる。好きなものにとらわれる無邪気な心の動きで、自分だけが楽しく感じる物に執着を感じている状態 ― ほこり
 「つけた名前を取り払い」 ― 「転輪王」の象徴としての目標を取り払って、天皇家の先祖の神々(十二神社)に祀りかえる ― 十二因縁の『取』 ― 愛着を感じると、どこまでも追い求めていこうという欲望が生まれる ― 拝み祈祷


  いついつまでもこのことハ  はなしのたねになるほどに
   いまゝでハ高い山やとはびかりて なにかよろづをまゝにしたれど       72
   これからハ月日かハりてまゝにする なにかの事をまねをしてみよ       73
   これからハ月日の心ざんねんを はらするもよふばかりするそや        75
 十二因縁の『有』 ― 『取』が生じると、物事に対する考え方や判断が違ってくるようになり、それぞれが、自分の立場でものごとを主張するようになる。つまり、『他人と自分を差別や区別』をする意識を持つようになる。こうした意識の状態が芽生え始めて、意識に幸・不幸を感じるようになり、他人との不調和が人と人との対立を生み、争いが起こる ― 〔差別や区別する心〕
   このよふわどろうみなかの事なるし なかに月日がいたるまでなり       80
   月日よりしんぢつをもいついたるわ なんとせかいをはじめかけたら      81
   ないせかいはぢめかけるハむつかしい なんとどふぐをみたすもよふを     82
   みすませばなかにどぢよもうをみいも ほかなるものもみへてあるなり     83 
 「話しの種になるほどに」 ― みな同じ魂に目覚めて、「差別や区別する心」を一掃する。

  むごいことばをだしたるも  はやくたすけをいそぐから
 「どんなかえしするをするや知れんで」
   月日よりたんたん心つくしきり そのゆへなるのにんけんである        88
   それしらす今のところハ高山ハ みなはびかりてまゝにしている        89
   この月日大一これがさんねんな どんなかやしをするやしれんで        90
 「酷い言葉を出したるも」
   このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく       91
   一れつハみなへわがみきをつけよ 月日ゑんりよわさらにないぞや        93

  なんぎするのもこゝろから  わがみうらみであるほどに
   とによふな事もうらみにをもうなよ みなめへめへのみうらみである      95
   一れつハみなめへめへのむねしたい 月日みハけているとをもゑよ       97
   いまゝでハなにをゆうてもをもふても みなにんけんの心はかりで       99
   これからはよき事してもあしきでも そのまゝすぐにかやしするなり      100
 「みな銘々の身恨みである」 ― 十二因縁の『生』 ― 苦楽の意識は、業(行為)として、魂にすり込まれ、同じような意識で人生が展開されていく。つまり、根本原因である『無明』をなくさない限り、いつまでもこのような苦楽からの開放はない ― あなたの全ての選択によって、結果が必然的に生じる。このことを理解すると、あなたは結果を配慮した意識的な選択をするようになるだろう。その時にやっと、あなたの選択が人生の経験を生み出すということを自覚し、あなたは責任を持って生きるだろう。[いまこの瞬間]


                               中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講


人の心というものは  一寸には分らんものなりし

2022-12-22 18:20:32 | 宗教
 みかぐらうた十下り目は「病の元は心から」と歌って締めている。その歌の神意をより深めるために、おふでさきで見極めてみる。
 十下り目は、八ツ「病は辛いものなれど」と歌い、その因を七ツ「我が身恨みである程に」と説きつける。そこで、先づ、この「恨み」をおふでさきで検索してみる。
 「恨み」は、先ず、六号95にあって、十二、十三、十六、十七号に各一語ずつ出てくる。その中で、この下りのテーマとなっている「やまい」も合わせて歌っているのは、六号と十二号に限られる。十二号69の「恨み」は、「こればかり恨みあるなら」と、その「恨み」は、68の「口は人間、心月日や」という己の人生に対する恨み事が対象となっているから、十下り目が求めている部分とは重ならない。それに対して六号は、「病」の元は「我が身恨みであるほどに」と明確に説き明かしている。
 そこで、十下り目と共通するテーマを含有するおふでさき六号を並記して、みかぐらうた十下り目をじっくり味わってみたい。

  ひとのこゝろといふものハ   ちよとにわからんものなるぞ
   このたひハめづらし事をゆいかける 心しづめてこれきいてくれ    六   1
   このはなしどふどしんぢつ一れつわ 心しづめてしよちしてくれ      3
   このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち    4
   このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな       7 
   このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる   8
 「十二下り」はその語の由来を求めるとき、仏教の基本的な考えの一つである「十二因縁」、「十二縁起」が浮かんでくる。現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための十二の条件を系列化したもので、その十二の支分は無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の十二個。
 十下り目の一ツは、その筆頭の『無明』に、その歌を重ねているように思われる。『無明』は、すべてのものごとのあり方や人生についての意義を知らず、また知ろうともしない状態をいう。
 一寸に分からんものなりし ― 初期の高弟のみなさんのほとんどは、「一ツ」の歌をこう記している ― 人びとが自信と誇りを持って暮らすことのできる道を説くから、「心鎮めて聞いて」そして、「心鎮めて承知してくれ」と諭し、それを「この世治める真実の道」としておさめるように歌っている。
  「また始めかけ、確か治める」 ― おつとめでこの世の真実の元始まりを再現して、人間はみな同じ魂であることを学ぶ。そして、価値ある自己を認識し、神の子に目覚めて本当の自分を生きる。

  ふしぎなたすけをしてゐれど  あらわれでるのがいまはじめ
   これまでハいかなる神とゆうたとて めゑにみへんとゆうていたなり    10
   このたびわとのよな神もしんぢつに あらハれだしてはなしするなり    11
 「十二因縁」の二つ目の『行』は、人間が人間という形をもたなかったころ、すなわち、十億年も前、この宇宙に生物というものが発生した当時から、神のその在とその守護あっての生命ということが分らずとも、その生物は無意識のうちに行動してきた ― 「目に見えん」
   このよふの元はじまりハとろのうみ そのなかよりもどぢよばかりや    33
   そのなかにうをとみいとがまちりいる よくみすませばにんけんのかを   34
 地球の生命体はまず海で進化したと考えられている。地上に全く動物がいなかった頃、海の中には生命があふれていた。それからいずれかの時点で、海の生物のあるものが乾いた地上への進出という冒険を余儀なくされた。やがて地上の生活に適応し、ひれの代わりに足が生え、エラの代わりに肺が発達する[ニューアース]。
   それをみてをもいついたハしんぢつの 月日の心ばかりなるそや      35
   このものにどふくをよせてたんへと しゆこふをしゑた事であるなら    36
   このよふのしんじつの神月日なり あとなるわみなどふぐなるそや     50
 「あらわれ出して話しする」 ― 十二因縁の『識』、『名色』、『六処』、『触』、『受』 ―  循環器、呼吸器、消化器、泌尿器、生殖器、 感覚器などなどで、どれも決して欠かすことのできないもので、しかも全てが見事な連携をとりながら、生命を維持している。個々は独自の働きをしながら調和して永遠に続くという意識を起点にして、一つの世界をつくっている ― 「かぐらづとめ」、つとめ人衆がその体内の各器官の働きをの役割をつとめて、調和の姿を演じる ― 「真実の神月日なり 後なるはみな道具なるそや」


                           中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講



とても神名を呼び出せば  こもとへ尋ね出よ

2022-12-05 18:50:51 | 宗教
  やまのなかでもあちこちと  てんりんわうのつとめする
   このさきハどのよな事もしんじつを をしへてをいた事であるなら    五  47
   それからハ神のはたらきなにもかも ぢうよじざいをしてみせるでな       48
   はたらきもいかなる事とをもうかな 心うけとりしだいかやしを        50
   このかやしなにの事やとをもうかな みちのりせんりへだてありとも      51
   この事をみへきたならば一れつわ どんなものでもみなすみわたる       55
 『南無阿弥陀仏』の「南無」は阿弥陀仏に帰命する、阿弥陀仏に信じ従うということ。『南無阿弥陀仏』と称えるなら、死ねば誰でも極楽へ往生できるということ。それに対して転輪王(天輪聖王)は、現世に極楽を見せようという、古代インドの思想における理想的な王を指す概念。地上を[法]によって統治し、王に求められる全ての条件を備え、全ての民を至福に導いて平和国家にする、という慈愛に満ちた王のこと。
 みき様はこの王、「転輪王」を神名に取れ入れた。当初は「なむ転輪王のみこと」と繰り返し称えることがおつとめだった。ここに、おつとめの原点がある。
 「なむ転輪王のみこと」と称えて、「転輪王」に帰命しますとお誓いする。そのときこそは、転輪王・「てんりんわう」と思いを共有している時間である。神を信じ従うことは、あるがままを完全に受け容れて、神の存在をしっかり意識して生きること。神との一体感が生れる ― 「自由自在をして見せるでな」
 ※「転輪王」 ― みき様の教えの原形となっている『無量寿無量寿経』の中では、仏を目指す王、法蔵菩薩として登場する。

  ここでつとめをしていれど  むねのわかりたものハない
   みへるのもなにの事やらしれまいな 高い山からをふくハのみち       57
   だんだんとこのよはぢめてひハたてど たれかしんぢつしりたものなし    62
   いかほどに神の心わせゑたとて みなの心ハまたうゝかりと         63
   はやはやとしやんしてみてせきこめよ ねへほるもよふなんでしてでん    64
 「高い山」 ― 「往還の道」、おつとめして高いというエゴ的な慾望を一掃する。助け合いの情熱による活動には高い低いもない ― 一切の排他性はなく、他者をも包み込む ― みき様のひながた
 「根掘る模様」 ― おつとめでこの世と人間誕生の真実を知る。そして、本当の自分を知って、自分の中に住まう神を感じる。自分の中に神を発見することによって、月日と自分とが繋がり、本当の自分を自信をもって生きることができる。

  とてもかみなをよびだせば  はやくこもとへたづねでよ
   これからハなんでもせかい一れつを いさめるもよふばかりするそや     68
   このみちをだんだんしといいくならば なんてもむこにみへるほんみち    82
   このさきハなんぼからやとゆうたとて にほんがまけるためしないそや    84 
   このよふのもとはじまりのねをほらそ ちからあるならほりきりてみよ    85
   このねへをほりきりさいかしたるなら どのよなものもかなうものなし    86
 「転輪王のつとめ」 ― 「あしきをはらうてたすけたまへ てんりんわうのみこと」 ― 「こゑのさづけ」をいただく手振りを「転輪王」と称える前後の「たすけ給え」、「みこと」と二回手振りする。
 「転輪王」 ― 「なむ転輪王のみこと」には、この世を理想的な世に変えるという誓願が込められている ― 月日の「たすけ一条」。
 「たすけ給え」 ― お願い、懇願しますという意味ではなく、自己の存在を委ねるという意味。
 「こゑのさづけ」 ― 「さんざい心を定める」 ― 月日の「たすけ一条」を我が心におさめる ― 「大和は豊年や」と歌って「心の豊かさ」を収穫という形にしてあらわす。
 「なんぼからと言うたとて」 ― 「から」は、本当の自分ではない。「人間心」・エゴに支配されているもう一人の自分のこと。人間心でさ迷っているときの自分は、「をや」・月日と張り合っている。己の幻想の世界をつくり出して、自らをその中で住ませようと強いる。しかし、自分の目の前の全ては、それがなんであれ「をや」の意志で(因縁寄せて守護)しているのに、エゴに任せてそれを拒絶すると、「勇む」ことはできない。それが病を引き寄せる結果となる。
 「どの様なものも敵うものなし」 ― おつとめして「から」を振り払い、「にほん」・本当の自分に目覚めるなら、真実の「をや」である「もとのかみ」「じつのかみ」を習得できる ― 「なむ転輪王のみこと」と称え、「神の心に凭れつける」 ― 「早くこもとへ尋ね出よ」


                              中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講