三号は、最後の149で 「日々に神の話しをだんだんと 聞いて楽しめこふきなるぞや」と歌って、この号を締めている。ここで歌っている「神の話し」とはどんな話しか、それを順を追って読み進めて、神意を理解し心に留める。そして、しっかり受け入れて、自己成長するための指針としたい。
にちにちに神のはなしがやまやまと つかゑてあれどとくにとかれん 三 19
日々に「神の話し」が山々と つかえてあれど説くに説かれん
なにもかもいかなはなしもとくほどに なにをゆうてもうそとをもうな 24
しんぢつに人をたすける心なら 神のくときハなにもないぞや 32
わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる 47
しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや 77
神の話し ― 日々の生活において私たちに示すものは多岐にわたっているから、その真実を見極めることは容易でない。しかし、真実に人をたすける心があれば、神の口説きを超えるものはない。
人をたすける心 ― 月日の心を我が心におさめる。真実を求める心は常に内省し、人だすけに向けられる。そこに真の喜び、月日と共に在るという安心感がある ― 何も怖みは更にないぞや
なにもかもたすけ一ぢよとめるなら 神のさんねんみにさハりつく 78
いまゝでハなにかよろづがハからいで みなにんけんの心ばかりで 80
このみちハをしいほしいとかハいと よくとこふまんこれがほこりや 96
ほこりさいすきやかはろた事ならば あとハめづらしたすけするぞや 98
ほこりさえ澄きやか払ろた事ならば 後は珍したすけするぞや
人をたすける心を阻むものがあれば、神の残念を招き、自由が妨げられる。だから「心のほこり」を払い清めることが欠かせない。「ほこり」を払い清めた後に現れるのは、人への思いやり、真のたすけと理解である。この「神の話し」は、私たちに永遠の真理を語りかける。そこに耳を傾け、心を開くことで、神の口説きを理解し、真実の道を歩むことができる ― 後は珍したすけするぞや
「ほこり」は先に秀司に向けられる。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら 108
今までは証拠試しと言えあれど かんろだいも何の事やら
このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや 109
しんぢつにはやくかやするもよふたて 神のせきこみこれがたい一 110
秀司の初めての子、おやそとの間に出来たお秀 ― 「神の手離れこれはかなわん」 ― 明治3年に18歳で亡くなる ― おやそはお秀を残して大坂へ出ていったので、秀司はおやそを求めて度々大坂へ行く〔大平隆平編著・評註御筆先〕。 そうした中で、おやそは神の懐へ召される。その事実を、何時かは実の母に会えると信じていたお秀は、父秀司から感じ取ったのでしょう。 “母に会うためには母の元へいくしかない!” ― 神が抱きしめ ― お秀は、祖母(みき様)のために自らの存在を捧げ、父に目指す世界を手助けする使命を託し、身を神に委ねた。それでも秀司はその使命を受け入れることをためらい、「神の話し」に耳を傾けようとしない ― かんろだいも何の事やら
「ほこり」は、次にまつゑに向けられる。
「19才の若さで経験豊富な秀司と結婚したまつゑ。周囲からは驚きの声が上がった。結婚歴が多く、年齢差がある状況で、その関係の長続きが疑問視された。仲人役のみき様も事前に懸念を示し、「後の支配を万づ任せる」、“イヤになったら何時でも直ぐにでもお帰り下さい”と促した。そして、二人が結婚して、五年の間は優しく見守るだけでときを送った。しかし、その懸念は払拭され、まつゑは中山家にしっかり根付いただけでなく、戸主の女房として君臨する姿がここに見える。
めへめへのみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん 137
しやんせよやまいとゆうてさらになし 神のみちをせいけんなるぞや 138
一寸したるめへのあしくもできものや のぼせいたみハ神のてびきや 139
いまゝでハ高い山やとゆうたとて よふほくみへた事ハなけれど 140
借りものを 知らずにいては何も分らん ― 生を受け、存在することは、神の自由によるものであり、その真実を知ることが重要 ― 病や苦難に見舞われた時には、神の道を仰ぎ、その意味を理解する。その苦難も神の手引きであり、試練を通じて成長する機会にする。
高い山やと言うたとて ― 高潔なる行いは、自らを高山の如く振る舞うことではなく、神の代理として振る舞うことにある ― 「用木見える」
二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす 147
高山のせきゝよきいてしんしつの 神のはなしをきいてしやんせ 148
にちにちに神のはなしをたんへと きいてたのしめこふきなるぞや 149
日々に神の話しを段々と 聞いて楽しめこふきなるぞや
日々の生活の中で、「神の話し」を聞き、真実を追究して、よく思案することが重要。その過程は楽しみでもあり、人生の意味を深く味わうことができる。
こふきなるぞや ― 我々に神の存在とその意味を教え、深い洞察と啓示を与える。その教えを受け入れ、日々の生活に活かすことで、より豊かな人生を歩むことができる ― 「神の話し」を聞いて楽しめ
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
にちにちに神のはなしがやまやまと つかゑてあれどとくにとかれん 三 19
日々に「神の話し」が山々と つかえてあれど説くに説かれん
なにもかもいかなはなしもとくほどに なにをゆうてもうそとをもうな 24
しんぢつに人をたすける心なら 神のくときハなにもないぞや 32
わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる 47
しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや 77
神の話し ― 日々の生活において私たちに示すものは多岐にわたっているから、その真実を見極めることは容易でない。しかし、真実に人をたすける心があれば、神の口説きを超えるものはない。
人をたすける心 ― 月日の心を我が心におさめる。真実を求める心は常に内省し、人だすけに向けられる。そこに真の喜び、月日と共に在るという安心感がある ― 何も怖みは更にないぞや
なにもかもたすけ一ぢよとめるなら 神のさんねんみにさハりつく 78
いまゝでハなにかよろづがハからいで みなにんけんの心ばかりで 80
このみちハをしいほしいとかハいと よくとこふまんこれがほこりや 96
ほこりさいすきやかはろた事ならば あとハめづらしたすけするぞや 98
ほこりさえ澄きやか払ろた事ならば 後は珍したすけするぞや
人をたすける心を阻むものがあれば、神の残念を招き、自由が妨げられる。だから「心のほこり」を払い清めることが欠かせない。「ほこり」を払い清めた後に現れるのは、人への思いやり、真のたすけと理解である。この「神の話し」は、私たちに永遠の真理を語りかける。そこに耳を傾け、心を開くことで、神の口説きを理解し、真実の道を歩むことができる ― 後は珍したすけするぞや
「ほこり」は先に秀司に向けられる。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら 108
今までは証拠試しと言えあれど かんろだいも何の事やら
このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや 109
しんぢつにはやくかやするもよふたて 神のせきこみこれがたい一 110
秀司の初めての子、おやそとの間に出来たお秀 ― 「神の手離れこれはかなわん」 ― 明治3年に18歳で亡くなる ― おやそはお秀を残して大坂へ出ていったので、秀司はおやそを求めて度々大坂へ行く〔大平隆平編著・評註御筆先〕。 そうした中で、おやそは神の懐へ召される。その事実を、何時かは実の母に会えると信じていたお秀は、父秀司から感じ取ったのでしょう。 “母に会うためには母の元へいくしかない!” ― 神が抱きしめ ― お秀は、祖母(みき様)のために自らの存在を捧げ、父に目指す世界を手助けする使命を託し、身を神に委ねた。それでも秀司はその使命を受け入れることをためらい、「神の話し」に耳を傾けようとしない ― かんろだいも何の事やら
「ほこり」は、次にまつゑに向けられる。
「19才の若さで経験豊富な秀司と結婚したまつゑ。周囲からは驚きの声が上がった。結婚歴が多く、年齢差がある状況で、その関係の長続きが疑問視された。仲人役のみき様も事前に懸念を示し、「後の支配を万づ任せる」、“イヤになったら何時でも直ぐにでもお帰り下さい”と促した。そして、二人が結婚して、五年の間は優しく見守るだけでときを送った。しかし、その懸念は払拭され、まつゑは中山家にしっかり根付いただけでなく、戸主の女房として君臨する姿がここに見える。
めへめへのみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん 137
しやんせよやまいとゆうてさらになし 神のみちをせいけんなるぞや 138
一寸したるめへのあしくもできものや のぼせいたみハ神のてびきや 139
いまゝでハ高い山やとゆうたとて よふほくみへた事ハなけれど 140
借りものを 知らずにいては何も分らん ― 生を受け、存在することは、神の自由によるものであり、その真実を知ることが重要 ― 病や苦難に見舞われた時には、神の道を仰ぎ、その意味を理解する。その苦難も神の手引きであり、試練を通じて成長する機会にする。
高い山やと言うたとて ― 高潔なる行いは、自らを高山の如く振る舞うことではなく、神の代理として振る舞うことにある ― 「用木見える」
二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす 147
高山のせきゝよきいてしんしつの 神のはなしをきいてしやんせ 148
にちにちに神のはなしをたんへと きいてたのしめこふきなるぞや 149
日々に神の話しを段々と 聞いて楽しめこふきなるぞや
日々の生活の中で、「神の話し」を聞き、真実を追究して、よく思案することが重要。その過程は楽しみでもあり、人生の意味を深く味わうことができる。
こふきなるぞや ― 我々に神の存在とその意味を教え、深い洞察と啓示を与える。その教えを受け入れ、日々の生活に活かすことで、より豊かな人生を歩むことができる ― 「神の話し」を聞いて楽しめ
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講