このたびハ神の心のしんぢつを なにかいさいをみなをしゑるで 四 31
なにゝても神一ちよをしりたなら からにまけそな事ハないぞや 32
このさきハからとにほんをすみやかに だん々ハけるもよふばかりを 33
このさきは唐と日本を速やかに だんだん分ける模樣ばかりを
「唐とにほんを分ける」という表現は、二号で初めて触れられ、その後は四号に3回出てくるだけ。このことだけでも、この号の重要なテーマであることがわかる。二号で既に触れられており、「この先は唐とにほんを分けるでな これ分かりたら世界治まる」と歌っている。「世界を治める」という理念、テーマは、「この道」と共に「おふでさき」の中心的な部分であり、その重要性を認識させるために「唐とにほんを分ける」ことの神意をここに十分展開し、それを中心に据えて、おふでさきを歌いおさめていっていると考えることができる ― 「唐とにほんを分ける」の神意を、十分に理解するために、どうしても、このテーマを再度掘り下げていくことが必要である。
「分かる」とは、「分ける」と言うことである。「分かる」と「分ける」は同語源である。「理解する」とは「分ける」と言うことである。「理解する」ためには「分割」しなければならない。「理解する」ためには「分別」しなければならない。「分別」の「分かれる」と「別れる」も、日本語的に同じ語源である(西田幾多郎)。
「唐とにほんを分ける」、そこに行動がともなうならと、『証』を展開する。
だん々とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや 四 36
だんだんと世界中を真実に 助ける模様ばかりするぞや
そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ 37
またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや 38
「にほん」は、端的には「唐」が人間心の利己主義であるのに対する、32の「神一条」 ― 神の心を我が心におさめる、「神と一体」 ― 月日の自由 ― 日々の生活で時間の圧力や束縛から解放され、物事が自然に進む状態。自身を周囲の状況に応じて行動し、柔軟性を持つことでより豊かな人生を送ることができる ― 病まず死なず弱らず、年をよるめは更にないぞや
いまてハなみなの心とうちなるの 心かをふいちがいなれども 40
あすにちハなんでもたのみかけるでな 神のいぢよにつかねばならん 41
めへ々のみのうちよりもしやんして 心さだめて神にもたれよ 43
銘々の身の内よりも思案して 心定めて神に凭たれよ
けふまでハなによのみちもみへねども はやくみゑるでしやんさだめよ 45
たん々とふでにしらしてあるけれど さとりないのが神のざんねん 47
段々と筆に知らしてあるけれど 悟りないのが神の残念
「筆に知らしてある」 ― 『三下り目』
六ツ むりなねがひはしてくれな ひとすぢごゝろになりてこい
七ツ なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする
八ツ やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん
九ツ こゝまでしんゞゝしたけれど もとのかみとハしらなんだ
皆の心と内なるの ― 皆の心は、六ツ『一筋心』 ― 「にほんの心」、神の一条
内なるの ― 『無理な願い』 ― 「唐の心」、拝み祈祷の人間心
神の一条に就く ― 八ツ『これからひのきしん』 ― 「神一条」を形、実行にあらわす。
神に凭れよ ― 凭れる「神」は「唐人」ではなく、九ツ『元の神』でなくてはならない。
さとり ― 人間心を払って「神に凭れる」心を定めて、神と共に在るという感覚を持ち続けること。この生き方を身につけることで、心のそうじができて、全てを神の親心からと受け入れることができる。そして、「唐」ではなく「にほん」に在ることで、陽気づくめを体感することができる ― 唐とにほんを分ける
なにゝても神のゆう事しかときけ みなめゑめの心しだいや 48
何にても神の言う事しかと聞け みな銘々の心次第や
しんぢつに心いさんでしやんして 神にもたれてよふきづとめを 49
「何にても神の言う事しかと聞け」 ― 心を豊かにし、充実感を得るために、「元の神」に身を委ねる。「月日と一体」、月日の自由を感じることで、心が満たされた、その充実感を形にする ― 神にもたれてよふきづとめを ― 月日の心を我が心とすることが肝要で、その真実の信仰を定めて、しっかり心におさめる。そして、「すべてはそれぞれの心のあり方次第である」ということを学ぶ ― みな銘々の心次第や
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
なにゝても神一ちよをしりたなら からにまけそな事ハないぞや 32
このさきハからとにほんをすみやかに だん々ハけるもよふばかりを 33
このさきは唐と日本を速やかに だんだん分ける模樣ばかりを
「唐とにほんを分ける」という表現は、二号で初めて触れられ、その後は四号に3回出てくるだけ。このことだけでも、この号の重要なテーマであることがわかる。二号で既に触れられており、「この先は唐とにほんを分けるでな これ分かりたら世界治まる」と歌っている。「世界を治める」という理念、テーマは、「この道」と共に「おふでさき」の中心的な部分であり、その重要性を認識させるために「唐とにほんを分ける」ことの神意をここに十分展開し、それを中心に据えて、おふでさきを歌いおさめていっていると考えることができる ― 「唐とにほんを分ける」の神意を、十分に理解するために、どうしても、このテーマを再度掘り下げていくことが必要である。
「分かる」とは、「分ける」と言うことである。「分かる」と「分ける」は同語源である。「理解する」とは「分ける」と言うことである。「理解する」ためには「分割」しなければならない。「理解する」ためには「分別」しなければならない。「分別」の「分かれる」と「別れる」も、日本語的に同じ語源である(西田幾多郎)。
「唐とにほんを分ける」、そこに行動がともなうならと、『証』を展開する。
だん々とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや 四 36
だんだんと世界中を真実に 助ける模様ばかりするぞや
そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ 37
またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや 38
「にほん」は、端的には「唐」が人間心の利己主義であるのに対する、32の「神一条」 ― 神の心を我が心におさめる、「神と一体」 ― 月日の自由 ― 日々の生活で時間の圧力や束縛から解放され、物事が自然に進む状態。自身を周囲の状況に応じて行動し、柔軟性を持つことでより豊かな人生を送ることができる ― 病まず死なず弱らず、年をよるめは更にないぞや
いまてハなみなの心とうちなるの 心かをふいちがいなれども 40
あすにちハなんでもたのみかけるでな 神のいぢよにつかねばならん 41
めへ々のみのうちよりもしやんして 心さだめて神にもたれよ 43
銘々の身の内よりも思案して 心定めて神に凭たれよ
けふまでハなによのみちもみへねども はやくみゑるでしやんさだめよ 45
たん々とふでにしらしてあるけれど さとりないのが神のざんねん 47
段々と筆に知らしてあるけれど 悟りないのが神の残念
「筆に知らしてある」 ― 『三下り目』
六ツ むりなねがひはしてくれな ひとすぢごゝろになりてこい
七ツ なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする
八ツ やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん
九ツ こゝまでしんゞゝしたけれど もとのかみとハしらなんだ
皆の心と内なるの ― 皆の心は、六ツ『一筋心』 ― 「にほんの心」、神の一条
内なるの ― 『無理な願い』 ― 「唐の心」、拝み祈祷の人間心
神の一条に就く ― 八ツ『これからひのきしん』 ― 「神一条」を形、実行にあらわす。
神に凭れよ ― 凭れる「神」は「唐人」ではなく、九ツ『元の神』でなくてはならない。
さとり ― 人間心を払って「神に凭れる」心を定めて、神と共に在るという感覚を持ち続けること。この生き方を身につけることで、心のそうじができて、全てを神の親心からと受け入れることができる。そして、「唐」ではなく「にほん」に在ることで、陽気づくめを体感することができる ― 唐とにほんを分ける
なにゝても神のゆう事しかときけ みなめゑめの心しだいや 48
何にても神の言う事しかと聞け みな銘々の心次第や
しんぢつに心いさんでしやんして 神にもたれてよふきづとめを 49
「何にても神の言う事しかと聞け」 ― 心を豊かにし、充実感を得るために、「元の神」に身を委ねる。「月日と一体」、月日の自由を感じることで、心が満たされた、その充実感を形にする ― 神にもたれてよふきづとめを ― 月日の心を我が心とすることが肝要で、その真実の信仰を定めて、しっかり心におさめる。そして、「すべてはそれぞれの心のあり方次第である」ということを学ぶ ― みな銘々の心次第や
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講