陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

真実を出せ  直ぐに見えるで

2020-08-25 19:12:37 | 宗教
   この所、元なるぢばの事ならば 始まり出しを知らん事なし
   上たるへ、この真実を早々と 知らしてやろと、月日思えど
  それしらすみな一れハめへめへに みなうゝかりとくらしいるなり 七 10
   それ知らずみな一列は銘々に みなうっかりと暮らしいるなり
 「うっかりと暮らしいる」 ― 人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん…〔礼讃文 三帰依文〕 ― 生まれ難い人間に生まれ、聞き難い仏法を聞くことができた。何がなんでも今生で救われねば、いずれの生で救われようか。永遠のチャンスは今しかないのだ。「今」を活き活きと生きなければ、一体いつそれができるのか…

 『今この瞬間』から外れたところに人生はないというのが真実。『今この瞬間』から外れたところでは私たちは存在せず、また存在することもできないというのが真実。人間が思考する心の世界は幻想の世界ですが、それでも人は、その世界が現実だと信じている。それはまるで私たちは熟睡していて、私たちの生きている人生が夢のようなものということ。私たちはその夢から目覚めなくてはならない。[いまこの瞬間22]

 エゴ(人間思案)から解放されるため必要なのは、エゴに氣づくことだけ。気づきとは、いまこの瞬間に秘められた力。だから、「今に在る」ことと表現できる。人間という存在の究極の目的は、この「今に在る」力を世界に広めること。[アース90]

 今起こっていることを考えていても、過去に起こったことを考えていても、あるいは将来起こればいいな思うことを考えていても、考えているのは今、現在。あなたの想像の力は「今」にあるということ。〔引き寄せ170] 

 古来よりたくさんの宗教の指導者たちは、さとりを開くカギは「今」であると、指摘してきたにもかかわらず、この事実は未だに謎であるようだ。たしかにこれは一般には教えられていないこと。〔シンプル76〕

  いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら 七 35
   今までも今がこの世のはじまりと 言うてあれども何の事やら
 「今がこの世のはじまり」という語句の奥にはさとりを開く、「自由自在」という自らを開放するカギ、「今」を見つけることができるが、この35で、「今までも言うてあれども、何の事やら」とため息混じりに歌っていることから、ここに至るまでに繰り返し、その話があったことが知れてくる。
 そこでそのことを心して読み直してみると、先ず一号の冒頭の 3「この度は神が表へ現れて…」、 7「神が出て何か委細を説くならば…」と、この「今」の世を神と共に生きる道をテーマにして歌いつづるという宣言から、おふでさきの幕が開いていることに気づく。
 三号 36では、「今の事何も言うではないほどに」。37「今の道いかんな道でも嘆くな」と諭して、「今」の全てを受け入れることから、「先の往還道がある」。「先の本道楽しんでいよ」と、「今」をどう生きるかで先が見える、と「今」を強く意識させている。
 さらに六号では、真実の「元始まり」を伝えるために、拝み祈祷の幻想の世の「神」と今がこの世のはじまり、今に在る世の神との相違を際立たせる必要から、「今に在る」世の「神」をそれに相応しく「月日」と呼び始める。

 このように七号35に至るまでに、おふでさきは正しく「今」の世を生きる「こふき」であることを語って、ここで改めて強調した。
  めへめへにむねのうちよりしいかりと しんちつをだせすぐにみへるで 七 32
   銘々に胸の内よりしっかりと 真実を出せ直ぐに見えるで
  こらほどのぢうよぢざいのしんぢつを はなしするのハいまはじめやで 七 38
   これほどの自由自在の真実を 話するのはいま始めやで
 目覚めへの第一ステップは、「今、この瞬間」を「人生の真実」として選択すること。この瞬間に存在すればするほど、実在の側面があなたの内側(銘々の内)でより一層ひらかれてくる。
 あなたがこの瞬間に存在することを選択した唯一の理由は、「今、この瞬間」が人生の「真実」であることをあなたが理解していて、(うっかりと暮らしいる)幻想の世界で道に迷うよりも「人生の真実」の中にいることをあなたが選択したからだ。心の世界にいるときのあなたは過去か未来のどこかにいる。あなたがすべきことは、実際にあなたと一緒に「今、ここ」に在る何かと共に、自分自身を完全にこの瞬間連れてくるということだけ。すると、あなたは心の世界の過去と未来から抜け出て「今」、「今がこの世のはじまり」という世界だすけに加わることができる! [今この瞬間56]


                     中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

生れ児を  疱瘡はしかもせんように

2020-08-11 20:15:00 | 宗教
  しんぢつにかやしとゆうハこの事や 高山ハみなしよちしていよ 六 79
   真実にかやしというはこの事や 高山はみな承知していよ
   月日よりだんだん心尽くし切り その故なるの人間である
  それしらす今のところハ高山ハ みなはびかりてまゝにしている 六 89
   それ知らず今のところは高山は みなはびかりて儘にしている
 王政復古によって発足した明治新政府の方針は、欧米列強国に追いつくための改革を模索することであった。 その方針は、五箇条の御誓文で具体的に明文化されたが、その骨子は天皇制軍国主義。決して国民を幸せにすることではなく、国をもっと強くすることだった。国は強健な兵士と労働者、ますます多くの兵士労働者を産む健康な女性を必要とした。
 79の「かやし」は、この新政府の方針に対して向けられていることは明らかで、次号七の 9の歌でそれを「怖き危なき道」と決めつける。「かやし」は、それを根拠とする『神学こふき』を改めるべく『泥海中の道すがら』を伝えて、正道にかえし導くのです。

 「怖き危なき道」、それに対する月日の心の内が
   この世界山崩れなども雷も 地震大風月日立腹
   この話何と思うて聞いている 天火火の雨海は津波や
 月日の立腹、人間世界にその尺度を当てはめ言葉にしてみよう、と歌ったのがこの二首です。目下、世界のトップの富裕層およそ2,100人の資産が、地球上のおよそ6割に当たる46億人分の資産の合計を上回る。日本でも、トップ1%が保有する資産は総資産の10%に及ぶという報告がある。人間の住まうところ、いつの時代においても、このような格差はなくならないもので、そのようなトップ富裕層の飛び抜けた資産が、全ての人の陽気ゆさんに有用されるなら、このような月日の立腹はない。しかし、裕福層がその資産でもって「はびかりて儘にしている」現状があるから、「そのまま直ぐにかえしするなり」と警告する。

   どのような事も恨みに思うなよ みな銘々の身恨みである
  むまれこふほふそはしかもせんよふに やますしなすにくらす事なら 六 110
   生れ児を疱瘡麻疹もせん様に、病まず死なずに暮らす事なら
 「疱瘡はしか」が蔓延するその背景が「高山の真の柱」として「とうじん」、天皇をまつり上げ「はびかりて儘にしている」大社、高山の姿がある。それに対して「銘々の身恨みである」と、その要因を厳く突いている。
 疱瘡は天然痘と呼ばれ、江戸時代には最も恐れられた流行病はやりやまいだった。その死亡率は約三割といわれ、幼い子どもたちはそのほとんどが亡くなった。はしか(麻疹)も、江戸時代にたびたび大流行を繰り返し、天然痘より死亡率が高かったので、『疱瘡は器量定め』、『はしかは命定め』。『はしかに罹って一人前』『7歳までは神の子』とは、幼児の生死は神様が握っていて、人の努力が関与できる部分ではないとされていた。だから、この対策のために翻弄される明治政府の有り様、それが、そっくり今の『コロナ禍』に重なる。WHO、日本、東京都などなど…、中でもあのアメリカが目下のところ最悪となると、なんとなく頷ける…

  このよふハ一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの 六 120
   この世は一例はみな月日なり 人間はみな月日貸しもの
   世界中この真実を知りたなら 豪気強欲出す者はない
 歴史学者が過去を研究するのは、過去を繰り返すのではなく、過去から解放されるためなのだ。「歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。歴史を学べば、私たちはあちらへ、こちらへと顔を向け、祖先には想像できなかった可能性や祖先が私たちに想像してほしくなかった可能性に気づき始めることができる。私たちをここまで導いてきた偶然の出來ごとの連鎖を目にすれば、自分が抱いている考えや夢がどのように形をとったかに気づき、違う考えや夢を抱けるようになる。歴史を学んでも、何をえらぶべきかはわからないだろうが、少なくとも、選択肢は増える。」歴史を学ぶ最高の理由がここにある。すなわち、未来を予測するのではなく、過去から自らを解放し、他のさまざまな運命を想像するためだ[ホモ・デウス下 254]。

   心さい真実よりも分かりたら 何も怖みも危なきも無い


                     中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講