陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

側なる者は  真似をしてみよ

2021-03-20 11:26:01 | 宗教
 十号 87で、「何事も月日の心思うには 日本にこふきほしい事から」と歌ったので、その「こふき」を、十一号 で展開する。
   月日よりこの度ここで現われて どんな事をも話しするのは
  とのよふな事もたんたんしらしたさ にほんのこふきみなこしらゑる 十一 68
   どのような事もだんだん知らしたさ にほんのこふきみな拵える
 「にほんのこふき拵える」ことが、「月日の仕事」であり、その目的は「珍したすけを教える」ためであることは、51、52で語っているところ ― 三次元的物質主義の世界から、心に豊かさを求める五次元的精神主義の世界へ導く教科書づくり。

 69~72は、「こふき」の登場人物についてふれる。
   この世の創まり出しは大和にて 山辺郡の庄屋敷なり
  そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで 十一 70
   その内に中山氏という屋敷 人間はじめ道具見えるで
   この道具イザナギ、イザナミと クニサズチとツキヨミとなり
 人間はじめ道具とは「イザナギ、イザナミ、クニサズチ、月ヨミ」 ― みき様、秀司、まつゑ、小寒 ― (神名の役割に男女別、序列を問題にすることの虚しさの根拠をここに見る)みな「道具衆」、「月日の社」として選ばれた使命がある ― 29~32は、「元の因縁あるからのこと」、「月日万づの仕込みする」、「これはにほんのこふきなるのや」と、「こふき」の台にする理由を明かす。

 「こふき」をつくるためにと…
  このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり 十一 73
   この所何をするにもどの様な 事をするのもみな月日なり
  とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 十一 74
   どの様な事を言うにも皆月日 側なる者は真似をしてみよ
 「どの様なこと、何をするのもみな月日なり」 ― 神と一体、「月日の社」となったみき様の言うこと、なす事の全ては月日の心どおり ― 神一条、たすけ一条。
 それに対して、秀司とまつゑは『別間隔てて置いてもろたら! 』と言い放たれるぐらいの体たらく振り。小寒も「月日言われる事を背いて」「我が身思案で仕事ばかり」して、病に臥せっている状況。
 「真似をしてみよ」は、そういう3人に対して、みき様が『私を真似なさい』、『ついて来なさい! 』、『一緒にやりましょう! 』と先導して、呼びかをする。

 そして、75から「真実のことを言わねばならん」と、小寒に最後通知をする。
  めへめへになにをゆうとハをもうなよ 月日のをもうよふにゆうのや 十一 77
   銘々に何を言うとは思うなよ 月日の思うように言うのや
   何時にかいりて来ても、銘々の心あるとは、更に思うな
   どの様な者も心から得心を させてかいるでこれを見ていよ
 これから「月日の社」としての本来の役割に「帰り来たる」ときは、それが何時であっても、これまでのような「銘々の心」、「我が身思案」は一切通用しない。だから、そのことをしっか肝に銘じるようにと、親心を伝えて、得心させようとする。

  いかほとのこふてきたるもはつめても 月日の心これハかなハん 十一 80
   如何ほどの強敵たるもはつめでも 月日の心、これは叶わん
 どんな強がりを言っても、「はつめ」-利口振って口先の追従でかわしても、それは我が身思案だから、一時しか通用しないこと。「月日の心」-「神に凭れる」なら、そこは宇宙と共振する無限の自由の世界 ― 「末代のこふき」


                    中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

この度  ところ変えて話しを

2021-03-13 15:58:03 | 宗教
 十一号は、5の歌で
   真実に思う心と銘々の 思案ばかりを思いいるとを
  月日にハどのよな心いるものも このたびしかとわけてみせるで 十一 6
   月日にはどの様な心いる者も この度しかと分けてみせるで
 と、そのテーマを明確にする。
  「真実に思う心」 ― 月日の心と一体の「意識」、心に豊かさを求める五次元的精神世界の心
  「銘々の思案」  ― 人間思案の「思考」、物に豊かさを求める三次元的人間心の世界
 「銘々の思案」を「これまでもいろいろ話し説いたれど 本真実が見えてないので」、「しかと分ける」と理由、思惑を述べ、8~19で、「この度の悩むところで得心せ」と反省を促し、25~50で「難儀するのも心から 我が身恨みであるほどに」と諭す。

 しかし、だからと言ってそのまま素直に受け入れて、自分の「思考」を神の「意識」に改めることは容易ではないと…
  はなしでもをなしところでゆうならば なんどにんけん心なるよふ 十一 19
   話しでも同じところで言うならば なんど人間心なるよう
  みなのものをもう心ハきのどくや このたびところかへてはなしを 十一 20
   皆の者思う心は気の毒や この度ところ変えて話しを
 「同じところ」とは、「人間心」が作用する物質主義、三次元の所、舞台。それに対して、この度月日が伝えようとする「真実に思う心」は精神世界、言うならば五次元的「意識」世界の心 ― 物を持つことでなく、心に豊かさを持つという神の「意識」。
 この五次元的「本真実」「真のところ」の話を、物の世界である三次元と「同じ舞台、ところ」で語っても、肝心な「意識」を変えないならば、直ぐに慣れ親しんでいる物の世界の舞台に引き戻ってしまい、神意が伝わるはずもないから、「神が入り込んで」五次元の舞台へと所を変えて、話をしようというのです。この立ち位置を変える状況は、量子力学的に確かめることもできる…
 〔五次元界モデルと超意識-斎藤忠資著〕によれば、 5次元空間の完全な知覚体からは3次元空間にあるすべてのものの内部を見ることも、3次元空間のある対象を 360度の角度から同時に見ることもできる。「超意識体」は 4次元(3次元に時間軸を加えた世界、今人が生きているこの世界)時空連続体の時間と空間の制約(距離 による分離 )を超えている。5次元界は我々の4次元時空界を超越しているので、我々には一切知覚できない。

 51からは、「ところ変えて」、話の舞台は五次元へとなる。
   この度は月日の仕事 しかと聞け 悪しきの様な事はせんぞや
    どうかして「珍したすけ教えた」さ そこでかかりた仕事なるぞや
 と、心の世界を展開する。
  この心どふしてなるとをもうかな 月日たいない入りこんだなら 十一 54
   この心どうしてなると思うかな 月日体内入り込んだなら
   月日より日々心勇めかけ 陽気づくめにしてかかるでな
 「月日体内に入り込んだなら」で、ここからの話は三次元から五次元の舞台へ移ったことが分る。「やまい」で伏せるような低い波動のままでは、波動の高い精神世界の話は受け入れることはできない。それで「月日体内に入り込んで」、「陽気づくめにして」波動を高め、神の「意識」の話を受け入れるスペースをつくる ― いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいの心いさめかゝりて

   今年から70年は夫婦とも 病まず弱らず暮らす事なら


                    中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

この道を  上へ抜けたる事ならば

2021-03-05 20:54:34 | 宗教
  しんぢつの心月日がみさだめて 天よりわたすあたゑなるのわ 十 1
   しんじつの心月日が見定めて 天より渡す与えなるのは
 十号のテーマがこの「天の与え」にあることは一目瞭然で、それには月日の「深い思惑」があると言って、3~12でその理由、目的を展開する。
  いまゝでハからやとゆうてはびかりて まゝにしていたこんどかやしを 十 12
   今まではからやと言うてはびかりて 儘にしていた今度返しを
 「天の与え」、「ぢきもつ」は物質的な豊かさよりも心に豊かさを持つこと。だから「から」、月日の親心を感じられない人間心、我が身思案の「思考」では、それを受け取って灯すことなどはできない。「心を澄す」、その「思考」を一掃して「神が入り込む」、神と一体であるという「意識」が求められるのです。「から」の心を占める「思考」とは…
    蟻はどうして存在しているのか わかりますか?
    人間はどうして存在しているのか わかりますか?
    宇宙はどうして存在しているのか わかりますか?
    そんなこともわからない 人間の思考…
    そんな思考に どうしてそんなに頼れるのですか? nandemo aride nandemo nai
 「からやというてはびかる」思考、物質主義で他のものごとよりも優先でありたいとはばかるだけの「から」について、おふでさき三号 88、89は、
   「同じ木の根と枝の事ならば、枝(から)は折れくる根(にほん)は栄いでる」
   「今まではからは偉いと言うたれど、こらから先は折れるばかりや」と言い捨る。

 十号では、その根の無い「から」に「かえし」して、根をしっかり生やそう(46)とする。
   元さいかしっかり言うておいたなら 何を言うてもみな聞き分ける 53
   この世の地と天とは実の親 それより出来た人間である 54
 「地と天とは実の親」 ― 無限なる宇宙の内の自分の存在、自分の位置をよく確かめなさい ― 「から」は、支配者がでっち上げてつくった天皇家〔三69、夢ノ台-山片蟠桃〕の子孫、「とうじん」に従う「上の支配」の領域。「にほん」は、「地と天」、宇宙と共振する領域。

  このみちを上ゑぬけたる事ならば ぢうよぢざいのはたらきをする 十 100
   この道を上へ抜けたる事ならば 自由自在の働きをする
 「上の支配」である、物質主義、競争社会の有限なる領域から抜け出て、「神の支配」の領域、「地と天」に到れば「自由自在の働き」がある。

  心よりしんぢつハかりすみきりて とんな事でもをやにもたれる 十 102
   心より真実分かり澄み切りて どんな事でも親に凭れる
    (そんな思考に どうしてそんなに頼れるのですか?)
    わたしは…… ただ在る営みと 無限の意図に従います
 「神の支配」に目覚めて、「神に凭れる」心が定まれば、「地と天」、無限なる宇宙のエネルギーと共振できるのです。

  月日よりこのはたらきをしかけたら いかなこふてきたるとゆうても 十 101
   月日よりこの働きをしかけたら、いかな剛敵たると言うても
  このさきハせかへぢううハどこまでも よふきづくめにみなしてかゝる 十 103
   この先は世界中は何処までも 陽気づくめにみなしてかかる
 「いかな剛敵たるとて」 ― 本当の「至福」とは、恐れがなくなること。それは「病まず死なず弱りなき」という人間にとって、これ以上ない最高の至福を味わう境地で、そこに「陽気づくめ」がある ― 天より渡す与えなるのは


                      中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講