十号 87で、「何事も月日の心思うには 日本にこふきほしい事から」と歌ったので、その「こふき」を、十一号 で展開する。
月日よりこの度ここで現われて どんな事をも話しするのは
とのよふな事もたんたんしらしたさ にほんのこふきみなこしらゑる 十一 68
どのような事もだんだん知らしたさ にほんのこふきみな拵える
「にほんのこふき拵える」ことが、「月日の仕事」であり、その目的は「珍したすけを教える」ためであることは、51、52で語っているところ ― 三次元的物質主義の世界から、心に豊かさを求める五次元的精神主義の世界へ導く教科書づくり。
69~72は、「こふき」の登場人物についてふれる。
この世の創まり出しは大和にて 山辺郡の庄屋敷なり
そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで 十一 70
その内に中山氏という屋敷 人間はじめ道具見えるで
この道具イザナギ、イザナミと クニサズチとツキヨミとなり
人間はじめ道具とは「イザナギ、イザナミ、クニサズチ、月ヨミ」 ― みき様、秀司、まつゑ、小寒 ― (神名の役割に男女別、序列を問題にすることの虚しさの根拠をここに見る)みな「道具衆」、「月日の社」として選ばれた使命がある ― 29~32は、「元の因縁あるからのこと」、「月日万づの仕込みする」、「これはにほんのこふきなるのや」と、「こふき」の台にする理由を明かす。
「こふき」をつくるためにと…
このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり 十一 73
この所何をするにもどの様な 事をするのもみな月日なり
とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 十一 74
どの様な事を言うにも皆月日 側なる者は真似をしてみよ
「どの様なこと、何をするのもみな月日なり」 ― 神と一体、「月日の社」となったみき様の言うこと、なす事の全ては月日の心どおり ― 神一条、たすけ一条。
それに対して、秀司とまつゑは『別間隔てて置いてもろたら! 』と言い放たれるぐらいの体たらく振り。小寒も「月日言われる事を背いて」「我が身思案で仕事ばかり」して、病に臥せっている状況。
「真似をしてみよ」は、そういう3人に対して、みき様が『私を真似なさい』、『ついて来なさい! 』、『一緒にやりましょう! 』と先導して、呼びかをする。
そして、75から「真実のことを言わねばならん」と、小寒に最後通知をする。
めへめへになにをゆうとハをもうなよ 月日のをもうよふにゆうのや 十一 77
銘々に何を言うとは思うなよ 月日の思うように言うのや
何時にかいりて来ても、銘々の心あるとは、更に思うな
どの様な者も心から得心を させてかいるでこれを見ていよ
これから「月日の社」としての本来の役割に「帰り来たる」ときは、それが何時であっても、これまでのような「銘々の心」、「我が身思案」は一切通用しない。だから、そのことをしっか肝に銘じるようにと、親心を伝えて、得心させようとする。
いかほとのこふてきたるもはつめても 月日の心これハかなハん 十一 80
如何ほどの強敵たるもはつめでも 月日の心、これは叶わん
どんな強がりを言っても、「はつめ」-利口振って口先の追従でかわしても、それは我が身思案だから、一時しか通用しないこと。「月日の心」-「神に凭れる」なら、そこは宇宙と共振する無限の自由の世界 ― 「末代のこふき」
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
月日よりこの度ここで現われて どんな事をも話しするのは
とのよふな事もたんたんしらしたさ にほんのこふきみなこしらゑる 十一 68
どのような事もだんだん知らしたさ にほんのこふきみな拵える
「にほんのこふき拵える」ことが、「月日の仕事」であり、その目的は「珍したすけを教える」ためであることは、51、52で語っているところ ― 三次元的物質主義の世界から、心に豊かさを求める五次元的精神主義の世界へ導く教科書づくり。
69~72は、「こふき」の登場人物についてふれる。
この世の創まり出しは大和にて 山辺郡の庄屋敷なり
そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで 十一 70
その内に中山氏という屋敷 人間はじめ道具見えるで
この道具イザナギ、イザナミと クニサズチとツキヨミとなり
人間はじめ道具とは「イザナギ、イザナミ、クニサズチ、月ヨミ」 ― みき様、秀司、まつゑ、小寒 ― (神名の役割に男女別、序列を問題にすることの虚しさの根拠をここに見る)みな「道具衆」、「月日の社」として選ばれた使命がある ― 29~32は、「元の因縁あるからのこと」、「月日万づの仕込みする」、「これはにほんのこふきなるのや」と、「こふき」の台にする理由を明かす。
「こふき」をつくるためにと…
このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり 十一 73
この所何をするにもどの様な 事をするのもみな月日なり
とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 十一 74
どの様な事を言うにも皆月日 側なる者は真似をしてみよ
「どの様なこと、何をするのもみな月日なり」 ― 神と一体、「月日の社」となったみき様の言うこと、なす事の全ては月日の心どおり ― 神一条、たすけ一条。
それに対して、秀司とまつゑは『別間隔てて置いてもろたら! 』と言い放たれるぐらいの体たらく振り。小寒も「月日言われる事を背いて」「我が身思案で仕事ばかり」して、病に臥せっている状況。
「真似をしてみよ」は、そういう3人に対して、みき様が『私を真似なさい』、『ついて来なさい! 』、『一緒にやりましょう! 』と先導して、呼びかをする。
そして、75から「真実のことを言わねばならん」と、小寒に最後通知をする。
めへめへになにをゆうとハをもうなよ 月日のをもうよふにゆうのや 十一 77
銘々に何を言うとは思うなよ 月日の思うように言うのや
何時にかいりて来ても、銘々の心あるとは、更に思うな
どの様な者も心から得心を させてかいるでこれを見ていよ
これから「月日の社」としての本来の役割に「帰り来たる」ときは、それが何時であっても、これまでのような「銘々の心」、「我が身思案」は一切通用しない。だから、そのことをしっか肝に銘じるようにと、親心を伝えて、得心させようとする。
いかほとのこふてきたるもはつめても 月日の心これハかなハん 十一 80
如何ほどの強敵たるもはつめでも 月日の心、これは叶わん
どんな強がりを言っても、「はつめ」-利口振って口先の追従でかわしても、それは我が身思案だから、一時しか通用しないこと。「月日の心」-「神に凭れる」なら、そこは宇宙と共振する無限の自由の世界 ― 「末代のこふき」
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講