105で言及した「先で見えたらこれが神やで」という歌に対して、自らの内なる変化とその結果として得られる喜びを通じて、神の存在を感じることができると、その思惑を107の歌から展開する。
月日の思惑は先ず、107~110の歌で、「上下とも」に向ける。
これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで 四 107
これからは世界中の胸の内 上下共に分けてみせるで
これをみよせかいもうちもへたてない むねのうちよりそふぢするぞや 108
「上下とも」は、三号142、143で確認できるが、世界中の人びとを指す ― これから伝える話しは、支配者である「上」と被支配者である「下」に関わらず、すべての人々にとって重要なことであり、自分にも関わるもの。だからこそ、これをただの話しではなく、自分の身に直接関わるものとして心して聞くように。
このそふぢむつかし事であるけれど やまいとゆうわないとゆてをく 109
どのよふないたみなやみもでけものや ねつもくだりもみなほこりやで 110
どのような痛み悩みもデケモノや 熱も下りもみなほこりやで
でけ‐もの【出▽来物】 ― すぐれた作品。また、すぐれた人物。〔デジタル大辞泉〕 ― 病というは無いと言ておく ― 「難儀するのも心から我が身恨みである」 ― 痛みや悩み、熱や腹下りなど、すべては、心の中で積み重ねた自分の「ほこり」が拵えた結果 ― 自身のデケモノ、作品 ― 病気や苦しみは外部の状況や神の意志によって生じたのではなく、自分自身が引き起こしたもの ― 自己探求や心の浄化を通じて、その「ほこり」を取り除くことが、病気や苦しみからの解放への鍵となる。
111からは、「先で見えたらこれが神やで」を語る対象が「上下とも」から「上」だけに限られる。
このよふを初てからになにもかも 上ゑをしへた事ハあるまい 111
このたびハなにかよろづを上たるゑ しらしてをいた事であるなら 112
「上」 ― 側な者 ― 主たる人物は(秀司と)まつゑ ― 戸長夫人だ、戸主夫人だから、またある者はそれに連なる側近だからと「上」振る舞いし、自己優位で他人を見下す ― 「唐とにほんを分ける」なら、神一条・「にほん」に対する人間心・「唐」の実体がここにある。
上へ教えたことはあるまい ― 「上」に対して、この世や人類の創生の元にある真理を説いても、聞こうとしないし、変わろうともしない。このままでは後悔し、自滅するだろう。神としては見捨てるわけにはいかないので、改めて真実を伝え、心に受け入れさせたい ― 知らしておいた事であるなら
それからハなかにハしやんするもあろ みなよりよふてはなししたなら 113
このみちを上ゑとふりた事ならば 神のぢうよふすぐにあらわす 115
中には思案するもあろ ― 「上」に真実を伝える機会を与え、少なくとも一部の者が真剣に考え、改心することを期待している。改心すれば月日自由の愛に満たされ、心から幸せを味わうことができる ― 神の自由直ぐにあらわす
このよふを初た神のぢうよふを みせたる事ハさらにないので 116
なにゝてもしらんあいだハそのまゝや 神のぢうよふしらしたるなら 117
これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや 118
神の自由を見せたることは更に無いので ― 頑なな利己主義で自己を変えないなら、月日の自由が届くことは無い。人として愛と喜びを知らぬままで、本当の幸せを得ることは無いだろう。
何か万づは心次第や ― 自省し、心を改めることで、本当の喜びを感じることができる。その源は自分の内にあり、内面の変化と真実を受け入れることが重要 ― これ聞いてみな一列は思案せよ ― どのような喜び幸せもデケモノや
思案せよ若い年寄り弱きでも 心次第に如何な自由
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
月日の思惑は先ず、107~110の歌で、「上下とも」に向ける。
これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで 四 107
これからは世界中の胸の内 上下共に分けてみせるで
これをみよせかいもうちもへたてない むねのうちよりそふぢするぞや 108
「上下とも」は、三号142、143で確認できるが、世界中の人びとを指す ― これから伝える話しは、支配者である「上」と被支配者である「下」に関わらず、すべての人々にとって重要なことであり、自分にも関わるもの。だからこそ、これをただの話しではなく、自分の身に直接関わるものとして心して聞くように。
このそふぢむつかし事であるけれど やまいとゆうわないとゆてをく 109
どのよふないたみなやみもでけものや ねつもくだりもみなほこりやで 110
どのような痛み悩みもデケモノや 熱も下りもみなほこりやで
でけ‐もの【出▽来物】 ― すぐれた作品。また、すぐれた人物。〔デジタル大辞泉〕 ― 病というは無いと言ておく ― 「難儀するのも心から我が身恨みである」 ― 痛みや悩み、熱や腹下りなど、すべては、心の中で積み重ねた自分の「ほこり」が拵えた結果 ― 自身のデケモノ、作品 ― 病気や苦しみは外部の状況や神の意志によって生じたのではなく、自分自身が引き起こしたもの ― 自己探求や心の浄化を通じて、その「ほこり」を取り除くことが、病気や苦しみからの解放への鍵となる。
111からは、「先で見えたらこれが神やで」を語る対象が「上下とも」から「上」だけに限られる。
このよふを初てからになにもかも 上ゑをしへた事ハあるまい 111
このたびハなにかよろづを上たるゑ しらしてをいた事であるなら 112
「上」 ― 側な者 ― 主たる人物は(秀司と)まつゑ ― 戸長夫人だ、戸主夫人だから、またある者はそれに連なる側近だからと「上」振る舞いし、自己優位で他人を見下す ― 「唐とにほんを分ける」なら、神一条・「にほん」に対する人間心・「唐」の実体がここにある。
上へ教えたことはあるまい ― 「上」に対して、この世や人類の創生の元にある真理を説いても、聞こうとしないし、変わろうともしない。このままでは後悔し、自滅するだろう。神としては見捨てるわけにはいかないので、改めて真実を伝え、心に受け入れさせたい ― 知らしておいた事であるなら
それからハなかにハしやんするもあろ みなよりよふてはなししたなら 113
このみちを上ゑとふりた事ならば 神のぢうよふすぐにあらわす 115
中には思案するもあろ ― 「上」に真実を伝える機会を与え、少なくとも一部の者が真剣に考え、改心することを期待している。改心すれば月日自由の愛に満たされ、心から幸せを味わうことができる ― 神の自由直ぐにあらわす
このよふを初た神のぢうよふを みせたる事ハさらにないので 116
なにゝてもしらんあいだハそのまゝや 神のぢうよふしらしたるなら 117
これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや 118
神の自由を見せたることは更に無いので ― 頑なな利己主義で自己を変えないなら、月日の自由が届くことは無い。人として愛と喜びを知らぬままで、本当の幸せを得ることは無いだろう。
何か万づは心次第や ― 自省し、心を改めることで、本当の喜びを感じることができる。その源は自分の内にあり、内面の変化と真実を受け入れることが重要 ― これ聞いてみな一列は思案せよ ― どのような喜び幸せもデケモノや
思案せよ若い年寄り弱きでも 心次第に如何な自由
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講