陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

同じ暮していたるとも  神の自由知りた者なし

2024-05-02 16:38:13 | 宗教
 107~110で「上下」について、「世界も内も隔てない」と言及した。そして、119~125で「元の理」を通じて、この主張の根拠を提示する。
 続いて、126~は、111で「上たる心」として特定した「上」に焦点を当て、利己主義的な考え方の強いまつゑに語る様式で、おふでさき四号をまとめていく。

  にち々に神の心のしんぢつわ ふかいをもわくあるとをもへよ     四 127
  いまゝでハにほんかからにしたごふて まゝにしられた神のざんねん    128
  いかほどのごふてきたるとゆうたとて 神がしりぞくこれかないまい    130
  なにゝてもみな一れつハこのどふり 神がぢうよふするとをもゑよ     131
  しやんせよハかいとしよりよハきでも 心しだいにいかなぢうよふ     132
 深い思惑あると思えよ ― 神は人間に対する深い思いやりを持ち、真の助け合いの心を望んでおり、それが豊かな社会を築く鍵である。また、
 にほんが唐に従って ― 人々が利己主義に陥り、助け合いの心を失うことが神にとって悲しいことである。
 如何ほどの強敵たるというたとて 若い年寄り弱きでも ― 神は常に自由の愛を与え続けることを約束し、その自由はどんな強敵にも打ち勝ち、すべての人々を守護する。この自由は、年齢や地位に関係なく、全ての人々に与えられるものであり、その強さはすべての人々に希望と安らぎをもたらす ― 神が自由すると思えよ


 おふでさき最後の第十七号の執筆は明治15年ごろ。その年に32歳でまつゑ出直。入嫁から出直しまでの生涯が、おふでさき全巻の1711種の歌の執筆年限にぴったりと重なる。50年にわたる教祖ひながたの中で、おふでさきが完成する全期間を通じて、みき様と同じ屋根の下で暮らしたまつゑの果たした役割は、非常に重いものであった〔先人の面影〕。
 そのまつゑの果たした役割をこのおふでさき四号でしっかり確認できる。

  いまゝでもをなぢくらしていたるとも 神のぢうよふしりたものなし    133
  これからハよろづの事をみなとくで 心ちがいのないよふにせよ      134
 同じ暮らしていたるとも ― まつゑは秀司と結婚して、みき様と同じ屋根の下で暮らしている ― 万づの事をみな説くで ― “ 貴女が一生懸命に手に入れようとするものは、果たして何だろうか、名誉か、富か、あるいは権力か。そう、それは利己主義の極致。貴女は「上たる心」を追求し、他者を蹴落としてでもその地位を手に入れようとする。しかし、その道は虚しいものであり、終わりのない空虚さに満ちていることを知るべきだ。なぜなら、真の幸福は他者との絆、互いの助け合いの中にこそあるのだから。
 月日の自由は全ての人々に与えられており、その自由に満たされた者は真の幸福を見出すことができる。しかし、貴女のような利己主義の心では、月日自由の愛を感じることはできないだろう。自分勝手な欲望にとらわれている限り、月日自由の光は貴女の心には届かない。
 まだ遅くはない。心を清め、他者に対する思いやりを持ち、真の助け合いの精神を求めるのだ。そうすれば、貴女も月日自由に包まれ、本当の幸福を見出すことができるだろう。この道を歩み始めれば、新しい世界が貴女を待っている。果たして、貴女はどうする “
 ― 心違いのない様にせよ


 にほんを分けるでな」 ― 「神の一条」の「にほん」 と 「自立自我」の「唐」 ― 『光』を明確に見つけ出すために『闇』が存在している。『闇』があるから『光』が輝いて見える。『光』があるから『闇』が生じる。二つのエネルギーはコインの裏と表が同時に存在するように、『おなじ割合』で存在する。そのどちら側にフォーカスしてゆきたいか、それは自身の選択で自由に選ぶ事ができる[バシャール] ― にほん ― まつゑみき様 ― 「自立自我」のネガティブな要素と「神の一条」のポジティブな要素、いづむ心勇む心とのバランスをも強調。このバランスを認識し、受け入れることで、自由な選択と心の平静を得ることができる。自己と他者、そして全てのものを包み込み統合することで、より深い理解と意識の拡大がもたらされる。個々の存在や経験を単独で捉えるのではなく、全体としての一部として見ることで、より深い洞察と調和をもたらす ― 「これ分かりたら世界おさまる」
 


                      中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

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