陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

難渋を救すく上ぐれば  病の根を切ろう

2022-03-19 11:05:18 | 宗教
 なんじふをすくひあぐれバ 
   今までに筆につけたる理りが さあ見えてきた心勇むで(44)
   どの様な難しくなる病でも これ直らんと言うでないぞや(51)
  これまてのみちのすがらとゆうものハ まことなんぢうなみちであれとも 十二 54
   これまでの道のすがらというものは まこと難渋な道であれども
   とんとんと飛び出る事を見たとても 心案じはするやないぞや(56)  
 おふでさき十二号で、「難渋を救い上げる」、「いかなる病も直す」と歌って、その方法を「とんとんと」と歌い始めるみかぐらうた二下り目に記した。だからそれを手踊りにあらわして確認するように、というのです。

  いまゝでハどんななんぢうなみちすちも みへてあるからことわりばかり 十三 2
   今まではどんな難渋な道筋も 見えてあるから理りばかり
   この先は確か請け負う月日には どんな事でも危なきはない(3)
   だんだんとどんな話を聞いたとて 世界楽しめ月日働き(4)
 そして、十三号の冒頭でその「難渋を救い上げ」て、「危なきはない」ようにすることこそ「月日のたすけ一条」であると歌って、その月日の親心を展開する。

   今日迄は何も知らずに人間の 心ばかりで心配をした(9)
   これからは心しっかり入れ替えて 神に凭れて陽気づとめを(10)
   したるならそのまま直ぐにしっかりと 利益あらわすこれを見てくれ(11)
 私たちの苦しみのほとんどは、実は自分でつくっている。人間心のエゴがそれを拵えているということで、本当の自分とはかけ離れている。それに気づかないと痛みはどんどん深まり、決して癒されることはない。「胸のそうじ」してエゴを取り払う。「神に凭れる」心が定まれば、真実の自分を生きることができる。
 世直り不思議なふしんで、本当の自分に目覚めて神の子としての自覚をもって生きる。月日の自由によって難渋を救い上ぐれば ― 「病の根は切れる」

 やまひのねをきらふ
   この先はどの様な道があるとても 人を恨みな我が身恨みや(108)
   真実に心澄ましたそのゆえは たすける模様早く教える(113)
  またたすけやますしなずによハらんの しよこまむりをはやくやりたい 十三 115
   またたすけ病まず死なずに弱らんの 証拠守りを早くやりたい
 「人を恨みな我が身恨みや」 ― 自身の考え、行動の全てが人格を作り、その人格が自身の現実を創造する。すなわち「やまい」を直すその全ては、自分の心にかかっている。「やまい」を直すためには考え方、行動の元となる心を変えなければならない ― 「病まず死なず弱らん」 ― 人間には、本当は計り知れない自己治癒力が備わっている。

 こゝろをさだめゐやうなら
   月日にはどんな所に居る者も 胸の内をばしかと見ている(98)
   胸の内月日心に叶ったら 何時までなりとしかと踏ん張る(99)

 ところのをさまりや
   一列はみな銘々の胸しだい どんな事をが叶なわんで無し(117)
 目覚めると このような条件付きでない 恒常的な幸せが続く。そこにいるのが本当の自分。 本当の自分との再会こそ、この世に生命を受けた者の重要な使命…


                          中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

身につく 世直り

2022-03-12 14:37:43 | 宗教
 みにつく 『身につく』① 自分の所有となる。② 知識・習慣・技術が自分自身のものとなる。
 「身につく」は、その前の「踊りはじめ」と「不思議なふしん」から、おつとめがその対象と分る。「不思議なふしん」は「世界だすけ」を目指す「おつとめ」を完成させること。そのもとだてとなる「神楽」、「てをどり」を学び、おつとめの心を我が心におさめる、それが月日の願い。日々の生活の中でその心が実行できたとき、「身についた」となるのです。
 二下り目は、世界だすけのおつとめの心が「身につく」ことが原動力となって、「世直り」、「謀反の根を切ろう」という道筋を通って「ところの治まり」に辿る、それがテーマ。

 「謀反の根を切ろう」から、その道筋を見極めてみる
 よなほり ―  「世直し」は、世の中を自分の外に見る。まず自分がいて、『俺はこうして世直しをするんだ』という思い。「世直り」は自分直りということ。天の仕込みがあって、自分が天来の生き方になっていく。自分が直ったら、世の中も直るという世界。それが「世直り」。「世直し」は人間がすること。「世直り」は天がすること。世の中が何が原因で変わっていくか分からない。だから、まず自分の「世直り」から。〔すべては今のためにあったこと-中山靖雄〕
 
 いづれもつきくるなら 『尽くす』①出し尽くす。出しきる。②その極まで達する。極める。
 むほんのねをきらふ
  高山に暮らしているも谷底に 暮らしているも同じ魂 十三 45
  これさいか確か承知したならば 謀反の根は切れてしまう 49
  月日より天下りたる心はな 何の事やら誰も知るまい 59
  第一は立毛つくるをたすけたさ こゑ一条を教えたいから 60
  こゑでもなどうして効くとは思うなよ 心を神が受けとりたなら 61
 あなたが地球に平和を望むのであれば、何よりもまず初めに、自身の内面の闇と立ち向かわなくてはならない。自分自身の内面の闇を自分が持っていると自覚して、そのことを深く受け止めると、あなたは闇を乗り越える。善と悪、正と誤の 二元性を乗り越えるにつれて一体性に目覚める。これが世界に永続する平和をもたらす唯一の方法。
 自分が善、対立する人が悪とみなすならば、決して終わる事のない対立の一部となっていく。 悪が存在しなくては、善は存在しない。それがまさに二元性の本質。
 正しい 間違っているというものはない。多くの個人が二元性を超えて一体性に目覚める必要がある。達しなければならない臨界値があるから、その臨界値に達するまで、世界で起こっている残酷さ、不正、不公正、虐待を終わらせるために、できることは何でもすると良いでしょう。 しかし 恐れや憎しみ、怒りからではなく、愛と目覚めた意識から行動すること。


 しんちつに心にまことあるならば どんなたすけもちがう事なし 十三 71
  真実に心に誠あるならば どんなたすけも違う事なし 
 世界を変えたいと思うならば、あなた自身が変わらなくてはならない。 痛みや苦しみ、そして、紛争に終焉をもたらしたいのであれば あなたの内側に隠された闇と痛みの全てを、意識の完全な光の中に浮上させなくてはならない。自身の内面に隠れていた闇と痛みの側面を全て曝け出すなら、自身の人生は変容する。それがあなたを実在の深みへと導き、あなたの人生は変容する。私たちの多くが目覚めるなら、世界は救われる。[今この瞬間への旅]

 よなほりの手振り ― 左足を大きく前へ一歩踏み出し、一回転(360°)して、元の位置に戻る ― あなたが唯一すべきこと 自分自身の意識を変えることだけ そうすれば世界は変る〔バシャール〕 ― むほんのねをきらふ


                    中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講


とん々々と  正月をどりはじめハ

2022-03-08 16:20:53 | 宗教
二下り目
  とん々々と正月をどりはじめハ やれおもしろい
 「とん々と」が、おふでさき十二号に一箇所だけあるから、そこでこの意味を確認してみる。
   それゆへにせかいぢううをとこまても ことハりてをく月日しりぞく 十二 13
   このたびハことハりたゆへまだくどき そのゆへなるのことわりである 十二 27
   これまでハことわりはかりゆてをいた もふこれからハことハりわない 十三 8
 「ことわりておく月日退く」から、ここまでに「この道」の教え、宇宙の真理を「理で責め」て、だんだんと言い尽くしてきた。そこで「この度は」、締めの一言をそえるために「胸のそうじ」して、それを(十二 2、67、177)受け入れさせて、最後の「理責め」にしたい、と言っている。そして、そのことを次の十三号でも繰り返して、ことの重大さを再確認させる。

 この流れを仏教的に言うなら、それは『教』から『行』に進むということ。十二号の「とん々と」の歌には、このような前提があるのです。
  とん々ととびてる事をみたとても 心あんちハするやないぞや 十二 56
   とん々と飛び出る事を見たとても 心案じはするやないぞや
 この「とん々と」に続く歌が
   あとなるハよろづ月日がひきうけて いついつまでもよふきつくめに 十二 57
   やれこわやきくよりはやくもふみへた どんな事てもゆたんでけんで 十二 59
   このさきをにちへ心いさめるで どんな事でもゆへばそのまゝ 十二 60
 人間思案、人間心の「思考」は千筋だから、教えを聞いても、そのまますんなりと受け入れない。自分の関心は、真実よりも自己保存にあるからで、そのために損得勘定に走る。当然、受け入れるのに時間はかかる。
 「聞くより早くもう見えた」、「どんな事でも言えばそのまま」 ― 神の「意識」に目覚めれば、「神に凭れる心」それは一筋心だから、受け入れるのに時間はかからない。だから展開も早く、そのまま直ぐに実行に移す ― 「とん々と」 ― ここには人間心の「思考」、すなわち三次元的な「物の世界」から飛び出て、心に豊かを求める五次元的な「心の世界」に飛び入ろうという心意気が漂っている。

  とん々々と正月をどりはじめハ やれおもしろい
  ふしぎなふしんかゝれバ やれにぎわしや
  「おもしろし」〔古語辞典〕〇すばらしい 〇楽しい 〇珍しい
  「賑はひ」        〇富栄える 〇繁盛する 〇人に物を与え豊かにさせる
 「をどり」は、理責めの『教』によって目覚めたら自然にできる行為で、そのさまを演じる姿が「おもしろい」のです。そして、この「をどり」を「普請」に例えるが、あくまでも心の世界ゆへに、「不思議なふしん」と銘うち、それをつとめるときのワクワク感が「賑わしい」のです。

 「もうこれからは理りは無い」と歌う十三号は、「とん々と」行じたときの、その成果を次のように歌っている。
   今日迄は何も知らずに人間の 心ばかりで心配をした(9)
   これからは心しっかり入れ替えて 神に凭れて陽気づとめを(10)
   したるならそのまま直ぐにしっかりと 利益あらわすこれを見てくれ(11)
  それが物質的な豊かさであろうと
  あるいはワクワクした人生を続けていくことであろうと
  宇宙はあなたに必要なものすべてを与えてくれます バシャール


                    中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講


何かに作り取るなら  大和は豊年や

2022-03-02 15:57:07 | 宗教
 よんなか
   こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく 四 51
   しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ 四 52
 「よんなか」 ― 大和の方言で「豊年満作」
 「こゑのさづけ」によって、価値ある自分に目覚め、尊厳をもって本当の自分を生きる。そこで、生き方の基本に「さんざい心」が備われば、物への執着が消えて物事にとらわれることもなくなる。月日の心と一体となった安心感に包まれ、心に「豊かさ」を感じることができるようになる ― 「よんなか」

 仏教が伝える「教」に基づいて「行」がなったならと、ここに「証」を示す。
  りをふく
  むしやうにでけまわす
 おふでさき十号は「大和は偉い豊年」と歌って、そこには月日の「深い思惑がある」と言い添え、「天の与え」である「さづけ」の話しを展開する。
   一寸したる事とハさらにをもうなよ 天よりふかいをもハくがある 十 2
   たんへと月日たいない入こんで ぢうよぢざいをしてかゝるでな  十 5
 おふでさきの主となるテーマ「この世は理で責めたる世界なり」という因果の道理を、ここで「理を吹く」「無性に出来回す」という言葉に集約して歌っている。
 因果の道理 ― 仏教の根っこであり、幹にあたる教え。因果とは、原因と結果ということ、道理とはいつでもどこでも変わらないもののこと。原因なしに起きる結果は万に一つも絶対にない ― 「この世にかまい憑き物化け物も 必ずあると更に思うな」
 蒔かぬタネは絶対に生えないが、蒔いたタネは必ず生える ― 「りをふく」「むしやうにでけまわす」

  なにかにつくりとるなら
  やまとハほうねんや
   しんぢつの心月日がみさだめて 天よりわたすあたゑなるのわ 十 1
   たんへとにちへ心いさむでな なんとやまとハゑらいほふねん  十 18
   にちへにはやくつとめをせきこめよ いかなるなんもみなのがれるで 十  19
   このみちハどふゆう事であるならば 月日つとめのてゑをふしへて 十 31
   つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたゑもちがう事なし 十 34
 おふでさき十号の「つとめ」「つとめ一条」によって、「天の与え」、「さづけ」は、月々欠かすことなくおつとめをすることが、その条件にあることが分る。おつとめの成果として、「さづけ」が授かり、「心に豊かさ」を持つことができるのです。
 「何かに作り取るなら」の手振りは、実際に十二下りの手踊りを演じている姿を表している。そして、その意味 ― 五次元的な「見えない世界」の表現である「心の豊か」を、「見える世界」の形にして例えるなら、それが「やまとハほうねんや」という収穫のありさま。
 「やまとは豊年や」 ― お百姓さんにとって、何にも代えがたい最高の境地。

  こゝまでついてこい
  とりめがさだまりた
 「天より渡す与えなるのは」と冒頭で歌ったおふでさき十号のまとめが
   このさきハせかへぢううハどこまでも よふきづくめにみなしてかゝる 十 103
   たんへとこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ 十 104
 「とりめが定まる」 ― 物の世界の収穫は、その年の天候などに左右されるが、心の世界では、心がしっかり定まっていれば、その効能は無条件で無限。
 「道筋のようたい」 ― 「こゑのさづけ」→ 「さんざい心」→ 「よんなか」→ 「理を吹く」、「無償に出来回す」→ 「大和は豊年や」→ 「とりめが定まる」 ― 「陽気づくめ」「天の与え」

 
                    中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講