このよふのぢいと天とハぢつのをや それよりでけたにんけんである 十 54
この世の地と天とは実の親 それより出来た人間である
「親」に「実」を被せた「実の親」の用語は、おふでさきでここに一語だけ使うことで、この十号はどうしてでも「実の親」を分らせたいという、月日の想いを感じる。
「この世の地と天」の歌は、みかぐらうた第二節でも「この世の地と天とを型取りて夫婦を拵えきたるでな これはこの世のはじめ出し」と歌っているから、ここに人類の創生が「月日支配」の下でなったことを知る。「月日支配」については、おふでさき七号がそれを主テーマとしている。
このたびのはらみているをうちなるわ なんとをもふてまちているやら 七 65
この度の孕みているを内なるは 何と思うて待ちているやら
「孕みている」とは、妊娠中の秀司の妻まつゑを指す。それに対して、「月日えらい思惑」があると歌った、「3月の15日より迎え取りた」、「月日しっかりと抱きしめていた」は、先に亡くなった秀司の娘、お秀を指す。
新しく生まれ出る生命と亡くなった生命を並べて、「月日支配」の下での「生と死」についてを語る。特にお秀については、皆が「世界並みなるように思うて…」という月日が案じる心の内を歌っていることを目視する必要がある。月日は亡くなったお秀を「迎え取り、抱きしめていた」と言い表す。ここには死ぬ、消滅するという語りはなく、あるのは「迎え取りて、抱きしめる」とだけ。「月日支配」の下には「死」も「世界並みの」輪廻転生もない。真実はこの語りにあるということを「早く見せたい」、分らせたい ― 三次元で言うところの「生」も「死」も、「月日支配」、月日の自由の内ということ。
八号で、「月日支配」の世とは、一体「なに世…!」と言って、その「世」を展開する。
けふまでもなによの事も月日やと ゆうてあれどもまだわからんで 八 17
今日まではなに世も月日やと 言うてあれども未だ分らんで
32~34が、拝み祈祷の御利益を売りものとする、物欲の三次元世界の姿であるのに対して、
28~31は、「人並みの様なる事は言うでない」、「今までに見えた事やある事 そんな事をば言うでない」、「これまでにない事ばかり言て聞かし」 ― 心に豊かさを求める精神世界、五次元の世界。ここに月日が「なに世」かと投げかけた「月日支配」の世の実体がある。
そして、「たすけたいとの手段ばかりを」と言って、
このはなしなにの事やら一寸しれん 月日ぢきもつやろとゆうのや 八 79
この話何の事やら一寸知れん 月日ぢきもつやろと言うのや
「月日支配」の証に、たすけ一条の「効」としての「ぢきもつ」を授けよう!
そして、九号で、「ぢきもつ」を授けるための心の準備を促す。そこでも「何を言うても、人間の心あるとは更に思うな」と断りしてから、「月日より飛び出た事を聞いたなら(地と天を型取った)かんろだいをば早く出すよう」と急き込む。「かんろうだい」は「人間心のない」、精神世界の象徴だから、それを目標としておつとめすることは精神世界、五次元の世界へ飛び出す手段となる。
続く十号で、「しんじつの心月日が見定めて 天より渡す与えなるのは」と前置きして、「ぢきもつ」の効能を語るとき、その表現は、「病まず死なず弱りなきよに」と、三次元的ではなく、五次元的に歌っていることに気づかされる。
11が、「病まず死なず…」と、形而上的表現であるのに対して、
19では、「大和は偉い豊年」と形而下的表現をするが、ここでも神意は自分自身を「さんざい」して得る心の豊かさを、お百姓さんにとっての至福のとき、「大和は豊年や」と歌ってるから、やはり五次元的な効能であることに変わりはない。
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ 十 79
この屋敷かんろうだいを据えるのは 人間はじめかけた証拠
心の世界の象徴である「かんろだい」を目標にしておつとめするとき
何事もみなこのとおり始めかけ 世界中の心澄ます
この先は世界中は何処までも 陽気づくめに皆して掛かる
ここに疱瘡、疫病、新型コロナを克服する手段がある ― 世界の金持ち上位26人が、世界の貧しい半数、38億人と同じ額の資産を保有しているという格差社会、そんな歪な世界を生み出した物質主義。コロナ禍はそれへの警鐘であることに相違はない。精神主義に目覚めて、物質主義から脱皮することでしか、陽気づくめの世は実現しない。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
この世の地と天とは実の親 それより出来た人間である
「親」に「実」を被せた「実の親」の用語は、おふでさきでここに一語だけ使うことで、この十号はどうしてでも「実の親」を分らせたいという、月日の想いを感じる。
「この世の地と天」の歌は、みかぐらうた第二節でも「この世の地と天とを型取りて夫婦を拵えきたるでな これはこの世のはじめ出し」と歌っているから、ここに人類の創生が「月日支配」の下でなったことを知る。「月日支配」については、おふでさき七号がそれを主テーマとしている。
このたびのはらみているをうちなるわ なんとをもふてまちているやら 七 65
この度の孕みているを内なるは 何と思うて待ちているやら
「孕みている」とは、妊娠中の秀司の妻まつゑを指す。それに対して、「月日えらい思惑」があると歌った、「3月の15日より迎え取りた」、「月日しっかりと抱きしめていた」は、先に亡くなった秀司の娘、お秀を指す。
新しく生まれ出る生命と亡くなった生命を並べて、「月日支配」の下での「生と死」についてを語る。特にお秀については、皆が「世界並みなるように思うて…」という月日が案じる心の内を歌っていることを目視する必要がある。月日は亡くなったお秀を「迎え取り、抱きしめていた」と言い表す。ここには死ぬ、消滅するという語りはなく、あるのは「迎え取りて、抱きしめる」とだけ。「月日支配」の下には「死」も「世界並みの」輪廻転生もない。真実はこの語りにあるということを「早く見せたい」、分らせたい ― 三次元で言うところの「生」も「死」も、「月日支配」、月日の自由の内ということ。
八号で、「月日支配」の世とは、一体「なに世…!」と言って、その「世」を展開する。
けふまでもなによの事も月日やと ゆうてあれどもまだわからんで 八 17
今日まではなに世も月日やと 言うてあれども未だ分らんで
32~34が、拝み祈祷の御利益を売りものとする、物欲の三次元世界の姿であるのに対して、
28~31は、「人並みの様なる事は言うでない」、「今までに見えた事やある事 そんな事をば言うでない」、「これまでにない事ばかり言て聞かし」 ― 心に豊かさを求める精神世界、五次元の世界。ここに月日が「なに世」かと投げかけた「月日支配」の世の実体がある。
そして、「たすけたいとの手段ばかりを」と言って、
このはなしなにの事やら一寸しれん 月日ぢきもつやろとゆうのや 八 79
この話何の事やら一寸知れん 月日ぢきもつやろと言うのや
「月日支配」の証に、たすけ一条の「効」としての「ぢきもつ」を授けよう!
そして、九号で、「ぢきもつ」を授けるための心の準備を促す。そこでも「何を言うても、人間の心あるとは更に思うな」と断りしてから、「月日より飛び出た事を聞いたなら(地と天を型取った)かんろだいをば早く出すよう」と急き込む。「かんろうだい」は「人間心のない」、精神世界の象徴だから、それを目標としておつとめすることは精神世界、五次元の世界へ飛び出す手段となる。
続く十号で、「しんじつの心月日が見定めて 天より渡す与えなるのは」と前置きして、「ぢきもつ」の効能を語るとき、その表現は、「病まず死なず弱りなきよに」と、三次元的ではなく、五次元的に歌っていることに気づかされる。
11が、「病まず死なず…」と、形而上的表現であるのに対して、
19では、「大和は偉い豊年」と形而下的表現をするが、ここでも神意は自分自身を「さんざい」して得る心の豊かさを、お百姓さんにとっての至福のとき、「大和は豊年や」と歌ってるから、やはり五次元的な効能であることに変わりはない。
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ 十 79
この屋敷かんろうだいを据えるのは 人間はじめかけた証拠
心の世界の象徴である「かんろだい」を目標にしておつとめするとき
何事もみなこのとおり始めかけ 世界中の心澄ます
この先は世界中は何処までも 陽気づくめに皆して掛かる
ここに疱瘡、疫病、新型コロナを克服する手段がある ― 世界の金持ち上位26人が、世界の貧しい半数、38億人と同じ額の資産を保有しているという格差社会、そんな歪な世界を生み出した物質主義。コロナ禍はそれへの警鐘であることに相違はない。精神主義に目覚めて、物質主義から脱皮することでしか、陽気づくめの世は実現しない。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講