陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

上たるは心勇んで来るほどに  刻限が来た

2023-10-26 23:18:55 | 宗教
 「おふでさき」は、世界だすけのおつとめを完成させることを最大のテーマとして、必要な舞台や主要なキャラクターを登場させる。一号では、この目的を達成するために秀司が主役として明確に位置付けられている。みき様も、結婚から立教を経て「おふでさき」執筆までを、「山坂や」から「神一条でこれ我が事」という句に圧縮して認めている。そして、まつゑが登場し、彼女の物語は二号に引き継がれる。

 二号は、
  「幸せをよき様にとて十分に 身についてくるこれを楽しめ 42 」
  「何もかも強欲尽くしそのゆえは 神の立腹見えて来るぞや 43 」
と歌っていることで、二号はまつゑが中心となって物語が展開していることが分る。

 秀司とまつゑの縁談については、『おふでさき注釈』以外の解説に、みき様は古い信者の乾ふさという老婆に頼み、小東家に結婚の申し出をする。しかし、まつゑの父である政吉はこの縁談を相応しくないと考え、受け入れようとしなかった。そこで、みき様自らが出向いて説得することで、小東家もこの縁談を承諾する。このように二人の縁談は、みき様の「仲立ち」によって、最終的には筋書き通りに成立していくのです。 

  これからハをくハんみちをつけかける せかいの心みないさめるで  二 1
  上たるは心いさんでくるほとに なんどきにくるこくけんがきた     2
   上たるは心勇んでくるほどに なんどきに来る刻限が来た
  ちやつんであとかりとりてしもたなら あといでるのハよふきづとめや  3
 秀司が過去に負った「あくじ」・さまざまな問題や不運は『御水屋敷人足社略伝』に記されている。まつゑとの年齢差だけでなく、みき様のおたすけの成果とともに、秀司の諸々の「あくじ」も安堵村を起点にして広まり、平等寺村にも届いていたのでしょう。
 「上たる」 ― 秀司が戸主であるが故に、上位の立場であることに基づき、「上」振る舞いする姿に当てている。みき様はこの我が子、「上たる」秀司を紹介するにあたって
 「上たるは心勇んでくるほどに 刻限が来た」 ― 「刻限が来た」は、波動が上がって、神に凭れる心が定まること。すっかり心を入れ替え、もっか希望に燃えて勇んでいる秀司の姿がここにある ― 秀司の新たな勇気ある姿を積極的に語って、縁談は進んで行くのです。そして、この口上をそのまま二号冒頭に明記させたのです。
 「茶摘んで」 ― 「積もり重なったあくじ」を澄きやか「退けて」、澄み切った心で、新たな門出に向けて前進しようという秀司の先途 ― 「後へでるのは、陽気づとめや」

  せきこみもなにゆへなるとゆうならば つとめのにんぢうほしい事から  8
     急き込みも何故なると言うならば つとめ人衆ほしい事から
  このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを   9
 「このつとめ何の事やと思ている」 ― みき様がまつゑに対して、「おつとめ」の神意を伝えるという正攻法によって「仲立ち」する様子が窺える。このように、みき様はまつゑに対して、真っ正面から秀司との縁談を進めたのです。おつとめが世界中に平和を広めるための大きな原点となることを伝えて、協力を求め、彼女と秀司が力を合わせてその役割を果たすように呼びかけたのです。二人の協力関係が形成されることで、調和の力が最大限に発揮されると説き、みき様のおつとめの理念と目的を共有することをまつゑに求める ― 「つとめ人衆ほしい事から」


                        中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

因縁寄せて守護する  末代しかとおさまる

2023-10-12 17:17:02 | 宗教
  よろづよにせかいのところみハたせど あしきのものハさらにないぞや 一 52
   一れつにあしきとゆうてないけれど 一寸のほこりがついたゆへなり    53
    一列に悪しきと言うて無いけれど 一寸の埃が付いた故なり
 「一寸のほこり」 ― 過去の結果にとらわれず、現在の意識を変えることによって、新たな選択や可能性を開拓することができる。時間が幻想であると考えることで、自由な意識状態になり、より良い未来を創造することができる。現在に焦点を合わせ、今ここに集中することで、自身の進むべき道が明確になる。神に凭れて、流れに身を任せて生きることができるから、本来の自分自身の可能性を発揮するための「確かな本道」がここにある。神の子・創造者としての力を発揮し、真の可能性を引き出すことができる。

  よろづよのせかいの事をみはらして 心しづめてしやんしてみよ    一 69
  いまゝても神のせかいであるけれど なかだちするハ今がはじめや     70
  これからハせかいの人ハをかしがる なんぼハろてもこれが大一      71
  せかいにハなに事するとゆうであろ 人のハらいを神がたのしむ      72
  めへめへのをもふ心ハいかんでな 神の心ハみなちがうでな        73
   銘々の思う心はいかんでな 神の心はみな違うでな
 まつゑは、入嫁から出直しまでの生涯において、教祖の家族としてお仕えし続けることで重要な役割を果たした。その生涯がおふでさき全巻の一千七百十一首のお歌の執筆年限にぴったりと重なっていることからも、まつゑの存在が教祖の創作活動に深く関与していたことが伺える。
  これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい 二 31
  このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる   34
 「からとにほんを分ける」 ― 「から」は、物に「豊かさ」を求めて人間心で生きるまつゑ(と秀司)の人生を象徴。「にほん」は、心に「豊かさ」を求めて、みき様のひながたを歩む人生を象徴する。
 おふでさきの描く「から」と「にほん」のパラレルワールドは、私たちが人生で直面する二つの異なる視点や価値観を表現している。物質的な豊かさと心の豊かさ、両方が私たちにとって重要な要素。そこに自分自身の道を見つけ、実行に移すことを通じて、本当の豊かさや幸福を見出すことができる。各人が自分自身の陽気ゆさんの道を見つけ、それに真剣に取り組むことが、大きな目的の実現につながる ― これわかりたら世界おさまる

  せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる  一 74
   前生の因縁寄せて守護する これは末代しかと治まる
  どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから    四 54
  にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくだりたで       55
  このさきハせかいぢううを一れつに たすけしゆごふをみなをしゑるで      56
  いんねんもをふくの人であるからに とこにへだてハあるとをもうな       61
  このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり             62
 「その因縁で天下りた」 ― みき様は、自らの人生の全て・「山坂、茨畦、崖道、剣の中、火の中、淵中」・夫善兵衛と秀司の「あくじ」が、自己の超越を果たすために必要不可欠であることを信じていた。みき様は人生を完全に信頼し、超越を体験するために必要なプロセスが完璧に用意されていることを知っていたから、これを「真実」として受け入れた ― 神一条でこれ我が事
 「みな因縁の者」 ― 「せんしよの因縁」 ― 「世界一れつみな我が子」 ― 人はみな「をや」月日の一部であり、月日の無条件の自由・愛を受け入れる権利がある。それぞれに独自の役割と目的を持って生まれてきており、その役割を本当の自分を生きることで見出さねばならない。それによって私たちは進化し成長し、月日の心を我が心とすることができる。
 みき様のひながたを学び、自分自身を深く知ることは、真実の自己を生きるための重要な一歩。私たちは神の子として本当の自己を生きることで、周りの人々に陽気ゆさんの姿を明確に示すことができる ― 「これは末代しかと治まる」


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