陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

たすけ一条であるからに  何も怖みは更にない

2024-01-23 11:20:51 | 宗教
  にちにちに神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい    三 75
   日々に神の心の急き込みは 自由自在を早く見せたい
 現在の世界は、戦争が各地で続き、民族対立が激化している。このような紛争や対立は、数多くの犠牲者や難民を生み出し、社会や国家の統一が崩れる原因となっている。さらに、自然災害や気候変動によっても多くの人々が苦しんでいる。地震、洪水、台風、森林火災などの災害によって引き起こされた損失や状況の深刻さは言うまでもなく、社会の不公平と貧困の拡大が絶望を増幅させている。
 おふでさき三号は、これからの布教方針をザーッと語ることを主目的としている。そして、それを達成することで106、「これでこの世のさだめつくなり」とおさめている。だから、その展開においては現在の世界情勢、「末法の世」のような姿から抜けるためのビジョンを提案している、という思いを強くして、74からの三号 後部 をじっくり味わってみる。

  しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや   77
   真実にたすけ一条であるからに 何も怖みは更にないぞや
  これからハ神の心と上たるの 心と心のひきやハせする          81
   これからは神の心と上たるの 心と心の引き合わせする
  このはなし一寸の事やとをもうなよ 神がしんぢつみかねたるゆへ      82
 「神の心と上たるの心」 ― 「神の心」は「たすけ一条」、 それに向き合う「上たる心」 ― しんがくこふき〔神学古記〕 ― 明治6年11月4日、お屋敷(つとめ場所、庄屋敷村戸長中山秀治宅)で、石上神社の教導職によって「三条の教則」の内容を国民に徹底させるための説教が150名の聴衆を集めて行われた ― 国民教化運動 ― 西欧諸国の帝国主義を脅威、「恐れ」「こわみ」と決めつけて、それに対抗するための天皇制軍国主義教育 ― 明治政府は国家の安全保障と国益のために軍事力の強化を進め、西洋列強との競争に備える。これが後に軍国主義の基盤となる。天皇を国家の象徴とし、軍国主義を採用。軍事力の強化や帝国主義的な拡大政策を推進し、これによって、戦争や植民地支配などの問題をもたらすこととなった ― 神が真実見かねたる由へ
 2020年に戦争が起こる事態になった理由、端的に言えば、戦争は権力者たちの「恐れ」に基づく決断によって引き起こされている。権力者たちは自分自身の弱さや無力さを恐れ、それを隠すために他者を攻撃し、外部に向かって威嚇している。彼らが攻撃を選ぶのは、自分たちの内面を直視しないため。内側を見つめることは、自分自身の弱さを認めることを意味し、それを避けるために攻撃という手段を選ぶ。この「恐れ」に基づいた決断が、結果として戦争を引き起こしてしまったと言える〔バシャール〕。

  このよふのにんけんハみな神のこや 神のゆう事しかとききわけ      97
  上たるをこわいとをもていすみいる 神のせきこみこわみないぞや      102
 人間はみな神の子や ― 「何か万づのたすけ合い」の神意を手振りで確認すると、二人を表す扇の手振りは、上になったり下になったりする投げの手振り。そこには上下関係は一切ない。お互いがお互いの全てをそのままに受け入れ、認め合う ― 他人に与えることができる最大の贈り物は、相手の成功を期待することだ。人生の見方は人の数だけさまざまに違っている。あなたは、誰もが同じで、同じことを望み、同じことを獲得する世界を創るために生れてきたのではない。自分が望む生き方をし、人もそれぞれ望む生き方をすることを認めるために、この世界にいる。〔引き寄せの法則-エスターヒックス〕 ― 神の急き込みこわみないぞや

  たんたんと神の心とゆうものわ ふしぎあらハしたすけせきこむ      104
  このふしきなんの事やとをもている ほこりはろふてそふぢしたてる     105
  あとなるにはやくはしらをいれたなら これでこのよのさだめつくなり    106
 ふしぎあらわしたすけ急き込む ― ポジティブな未来に向けて発信されるエネルギー・「おつとめ」は、現在の世界情勢の中で人々の連帯と助け合いの精神を実現するために必要。これらは復興への希望や変革の意欲を生み出す重要な活力となる ― ほこり払うて掃除したてる ― 希望を持ち、行動してポジティブな未来を創り出す。たすけ合い、支え合いながら困難を乗り越えましょう ― 早くはしらを入れたなら これでこの世の定めつくなり

   いまゝでの事ハなんにもくれな 廿六日にはじめかけるで       
   なにゝてもたすけ一ちよであるからに むほんねへをはやくきりたい 



                       中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

十一に九がなくなりて  正月廿六日をまつ

2024-01-15 21:17:33 | 宗教
 おふでさき三号は「なに世?」と、いったいどの様な世界に生きているのか。人びとに問いかけることから起草されている。その意図を推し量ると、その中で「正月廿六日」という日付が重要な要素であることが浮かび上がることに気づく。そこで、その語を境にして(149首の)ほぼ中間となる73と74との間に折り目を入れて前部、後部に分けて読み進めていくことにする。先ず前部は
  いまゝでハなによの事もハかりない これからみゑるふしぎあいづが   三  5
   今までは「なに世」の事も分かりない これから見えるふしぎ合図が
 「なに世」を考えるときに、このおふでさきの時代は「末代、末法思想」が世に定着していることを無視することはできない。仏教の予言に基づく思想で、釈迦の入滅後にやってくるとされる末法の時代。具体的には、釈迦の入滅から1,000年後あるいは2,000年後に末法の時代が到来すると考えられていた。日本では、平安時代中期になると、死後の世界に対する関心が高まり、1052年(永承7年)から末法の時代が始まったと考えられるようになった ― 「はしら」さえしっかり入れた事ならば この世確か「おさまりがつく」

 だから、「はしら」 には
  このよふのたしかためしかかけてある これにまちがいないとをもゑ    22
  ことしにハめつらし事をはじめかけ いまゝでしらぬ事をするぞや     42
  これからハよふきづとめにまたかゝる なんの事やら一寸にしれまい    60
  はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく    67
 浄土教の信仰が広く行き渡っている中で、みき様は今生きている世界を極楽にする方法としておつとめの実行を説かれた。「はしら」、「かんろだい」はおつとめの目標。
 浄土教では、阿弥陀如来に帰依し、心からの信心を持つことが重要視される。『南無阿弥陀仏』と唱えることで、極楽浄土への往生を願うことができる。浄土教の信仰とおつとめを組み合わせることで、救いを見出し、末法を振り払う方法を伝えた ― 柱さえ早く入れたる事ならば 「末代」しかとおさまりがつく

  これまでハいかなはなしをといたとて ひがきたらんでみへてないぞや   62 
  これからわもふせへつうがきたるから ゆへばそのまゝみへてくるぞや   63 
  十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ            73
 「正月廿六日をまつ」 ― 1052年が末法元年とされ、この時期に浄土教の信仰が広まった背景には、疫病の流行や死後の世界への関心の高まりがある。特に、1052年「正月廿六日」に行われた法会では、疫病を除くために千人の僧が大極殿に招かれ、観音経の読経が行われた。このような中で、「阿弥陀如来」と称えることで救いを得られるという浄土教の教えが浸透し、大流行するようになった。

 「十一に」 ― 「十一(面)」とは方角の東・西・南・北と東南・南西・西北・北東の八方(四方四維)と天・地(上・下)の二方を加えた十方。これら十方を受持つ十面に、その本体の一を合わせた十一面、すなわち一切合切(すべてのもの)を表す。
 「九がなくなりて」 ― 釈迦入滅後の仏法において、正法の時代の『教』・『行』・『証』がそろっていた状態から、次第に変化していく過程を表す。その後、像法の時代が訪れ、『教』・『行』があるものの、『証』を欠いている時代が続く。最終的には末法の時代が訪れ、『教』のみが残るだけの状態となる。この「末法の時代」は、釈迦の教えが薄れ救済を求める者が少なくなる時代を表す。やがては「法滅」、つまり釈迦の教えが完全に失われる時代に至る ― (仏法の)芯忘れ 正月廿六日をまつ」

 浄土教では、おつとめを通じて自己の心を浄化し、他の人々を導くことで、浄土への往生を叶えることができるとされている。おふでさき三号後半は、この浄土教の『南無阿弥陀仏』のつとめを発展させた、「南無転輪王命」のつとめを通じて、今生きている世界を極楽にする術を展開する。
  このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ    74
  いまゝでの事ハなんにもゆてくれな 廿六日にはじめかけるで        113 
 おふでさき三号の前部の「正月廿六日」は「末法の不安を払う読経づとめ」
         後部の「正月廿六日」は「末代しかとおさめるつとめ」


                        中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講