みかぐらうた、九下り目です。
九下り目の「早く根元へ尋ね出よ」の神意をおふでさきで確認してみると、「根元」と同じ語として「根」という語がある。「根」は、おふでさきに12語あるうち、五号に6語ある。それで九下り目と、おふでさき五号とをすり合わせてみる。
ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく
広い世界をうちまわり 一洗二洗でたすけゆく
九号1~8で、おつとめは「先なる事をこの世から知らしておく」と言い、その内容を26~34で展開する。「この世始まり手をつける」ことから、おつとめが行き渡り、(一洗二洗と)世界中の胸のそうじをする ― 「何でもからをままにするなり」。
6でおつとめの目的、それは「善と悪とを分け」て神の自由を伝えること。「善と悪」に「同じ心はさらにあるまい」 ― 「善と悪」は人により、映り方、受けとり方は全然違う。その真偽は人間心などでは決められるはずもない、とあっさり言ってのける。
では「善と悪」とは、それに応えて
不自由なき樣にしてやろう 神の心に凭れつけ
9~16で、「身の内悩む」我が身思案を捨て去り、「神に凭れる心思案せ」と言い聞かせ、「どの様な難し事と言うたとて、神の自由早く見せたい」と歌って、その「善と悪」の神意を45~55で展開する。
欲があるなら止めてくれ 神の受取り出来んから
何れの方も同じ事 思案定めてついて来い
17~25で、人間思案の欲を「今までは心違いはありたとて 日が来たらんから見許していた」、と言いかけて、それを35~45で展開する。不自由な生き方、それは人生に逆らう道 ― 「牛馬の道」、「法や術」にすがり、今をないがしろにして、ひたすら未来にすがる。
現状を手放し 未来を捨て去る あなたの今が 覚醒する
なかなかこの度一列に しっかり思案をせにゃならん
45~55で、「善悪ともにみな返すでな」、「良き事を言うても悪しきを思うてもても」と言ったその結句が「そのまま直ぐに返す事なり」 ― 自分の与えるものが、そのままに返ってくるということ。すなわち「善」だ「悪」だと言っても、それは自らの内面の反映で、全ての状況、事柄を善と見れば善の、悪と見れば悪の結果が出る。
山の中でもあちこちと 転輪王のつとめする
56~61で、山村御殿への召喚は「高い山から 往還の道」 ― 世間が語るお咎めなどではなく、山の中、高山へ「この道をつける」、善悪を分からせる、という「神の思惑」。
ここでつとめをしていれど 胸の分かりた者は無い
62~67で、「如何ほどに神の心は急いたとて 皆の心は未だうっかりと」と嘆いて、そして「早々と思案してみて急き込めよ 根掘る模樣何でして出ん」と詰め寄る。
九下り目のテーマは「不自由なき樣にしてやろう」です。そのためにすべきこと
とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ
とても神名を呼びだせば 早く根本へ尋ね出よ
68~、「根掘る模樣」を、「力あるなら掘りきりてみよ」、と迫るその前置きが、「どの様な難し事と言うたとて 神のすること成すことばかり」 ― この世の全ては神の真実働き、神の自由の世界。そこに「善、悪」と決めていいものなど一つとして存在しない。
「善と悪」がしっかりおさまったとき、「口で言うても思っても」、「何処で言うても思うたるとて」そのままに、自由自在の創造者が誕生する。その創造者への「返し」が「神が退くみな承知せよ」 ― 神の存在は不要
己れを信じる限り 壁はたちまち立ちはだかる……
人生を信じる限り 壁はたちまち消え失せる…… k-zerostyl
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
九下り目の「早く根元へ尋ね出よ」の神意をおふでさきで確認してみると、「根元」と同じ語として「根」という語がある。「根」は、おふでさきに12語あるうち、五号に6語ある。それで九下り目と、おふでさき五号とをすり合わせてみる。
ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく
広い世界をうちまわり 一洗二洗でたすけゆく
九号1~8で、おつとめは「先なる事をこの世から知らしておく」と言い、その内容を26~34で展開する。「この世始まり手をつける」ことから、おつとめが行き渡り、(一洗二洗と)世界中の胸のそうじをする ― 「何でもからをままにするなり」。
6でおつとめの目的、それは「善と悪とを分け」て神の自由を伝えること。「善と悪」に「同じ心はさらにあるまい」 ― 「善と悪」は人により、映り方、受けとり方は全然違う。その真偽は人間心などでは決められるはずもない、とあっさり言ってのける。
では「善と悪」とは、それに応えて
不自由なき樣にしてやろう 神の心に凭れつけ
9~16で、「身の内悩む」我が身思案を捨て去り、「神に凭れる心思案せ」と言い聞かせ、「どの様な難し事と言うたとて、神の自由早く見せたい」と歌って、その「善と悪」の神意を45~55で展開する。
欲があるなら止めてくれ 神の受取り出来んから
何れの方も同じ事 思案定めてついて来い
17~25で、人間思案の欲を「今までは心違いはありたとて 日が来たらんから見許していた」、と言いかけて、それを35~45で展開する。不自由な生き方、それは人生に逆らう道 ― 「牛馬の道」、「法や術」にすがり、今をないがしろにして、ひたすら未来にすがる。
現状を手放し 未来を捨て去る あなたの今が 覚醒する
なかなかこの度一列に しっかり思案をせにゃならん
45~55で、「善悪ともにみな返すでな」、「良き事を言うても悪しきを思うてもても」と言ったその結句が「そのまま直ぐに返す事なり」 ― 自分の与えるものが、そのままに返ってくるということ。すなわち「善」だ「悪」だと言っても、それは自らの内面の反映で、全ての状況、事柄を善と見れば善の、悪と見れば悪の結果が出る。
山の中でもあちこちと 転輪王のつとめする
56~61で、山村御殿への召喚は「高い山から 往還の道」 ― 世間が語るお咎めなどではなく、山の中、高山へ「この道をつける」、善悪を分からせる、という「神の思惑」。
ここでつとめをしていれど 胸の分かりた者は無い
62~67で、「如何ほどに神の心は急いたとて 皆の心は未だうっかりと」と嘆いて、そして「早々と思案してみて急き込めよ 根掘る模樣何でして出ん」と詰め寄る。
九下り目のテーマは「不自由なき樣にしてやろう」です。そのためにすべきこと
とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ
とても神名を呼びだせば 早く根本へ尋ね出よ
68~、「根掘る模樣」を、「力あるなら掘りきりてみよ」、と迫るその前置きが、「どの様な難し事と言うたとて 神のすること成すことばかり」 ― この世の全ては神の真実働き、神の自由の世界。そこに「善、悪」と決めていいものなど一つとして存在しない。
「善と悪」がしっかりおさまったとき、「口で言うても思っても」、「何処で言うても思うたるとて」そのままに、自由自在の創造者が誕生する。その創造者への「返し」が「神が退くみな承知せよ」 ― 神の存在は不要
己れを信じる限り 壁はたちまち立ちはだかる……
人生を信じる限り 壁はたちまち消え失せる…… k-zerostyl
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講