陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

早く  こもと(根本)へ尋ね出よ

2018-10-19 22:04:26 | 宗教
みかぐらうた、九下り目です。

 九下り目の「早く根元へ尋ね出よ」の神意をおふでさきで確認してみると、「根元」と同じ語として「根」という語がある。「根」は、おふでさきに12語あるうち、五号に6語ある。それで九下り目と、おふでさき五号とをすり合わせてみる。

  ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく
   広い世界をうちまわり 一洗二洗でたすけゆく
 九号1~8で、おつとめは「先なる事をこの世から知らしておく」と言い、その内容を26~34で展開する。「この世始まり手をつける」ことから、おつとめが行き渡り、(一洗二洗と)世界中の胸のそうじをする ― 「何でもからをままにするなり」

 6でおつとめの目的、それは「善と悪とを分け」て神の自由を伝えること。「善と悪」に「同じ心はさらにあるまい」 ― 「善と悪」は人により、映り方、受けとり方は全然違う。その真偽は人間心などでは決められるはずもない、とあっさり言ってのける。

 では「善と悪」とは、それに応えて
   不自由なき樣にしてやろう 神の心に凭れつけ
 9~16で、「身の内悩む」我が身思案を捨て去り、「神に凭れる心思案せ」と言い聞かせ、「どの様な難し事と言うたとて、神の自由早く見せたい」と歌って、その「善と悪」の神意を45~55で展開する。

   欲があるなら止めてくれ 神の受取り出来んから
   何れの方も同じ事 思案定めてついて来い
 17~25で、人間思案の欲を「今までは心違いはありたとて 日が来たらんから見許していた」、と言いかけて、それを35~45で展開する。不自由な生き方、それは人生に逆らう道 ― 「牛馬の道」「法や術」にすがり、今をないがしろにして、ひたすら未来にすがる。
    現状を手放し 未来を捨て去る  あなたの今が 覚醒する

   なかなかこの度一列に しっかり思案をせにゃならん
 45~55で、「善悪ともにみな返すでな」「良き事を言うても悪しきを思うてもても」と言ったその結句が「そのまま直ぐに返す事なり」 ― 自分の与えるものが、そのままに返ってくるということ。すなわち「善」だ「悪」だと言っても、それは自らの内面の反映で、全ての状況、事柄を善と見れば善の、悪と見れば悪の結果が出る。

   山の中でもあちこちと 転輪王のつとめする
 56~61で、山村御殿への召喚は「高い山から 往還の道」 ― 世間が語るお咎めなどではなく、山の中、高山へ「この道をつける」、善悪を分からせる、という「神の思惑」

   ここでつとめをしていれど 胸の分かりた者は無い
 62~67で、「如何ほどに神の心は急いたとて 皆の心は未だうっかりと」と嘆いて、そして「早々と思案してみて急き込めよ 根掘る模樣何でして出ん」と詰め寄る。

 九下り目のテーマは「不自由なき樣にしてやろう」です。そのためにすべきこと
  とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ
   とても神名を呼びだせば 早く根本へ尋ね出よ
 68~、「根掘る模樣」を、「力あるなら掘りきりてみよ」、と迫るその前置きが、「どの様な難し事と言うたとて 神のすること成すことばかり」 ― この世の全ては神の真実働き、神の自由の世界。そこに「善、悪」と決めていいものなど一つとして存在しない。
 「善と悪」がしっかりおさまったとき、「口で言うても思っても」「何処で言うても思うたるとて」そのままに、自由自在の創造者が誕生する。その創造者への「返し」「神が退くみな承知せよ」 ― 神の存在は不要

    己れを信じる限り 壁はたちまち立ちはだかる……
    人生を信じる限り 壁はたちまち消え失せる……  k-zerostyl


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講





澄み切りましたが  胸の内

2018-10-04 19:22:43 | 宗教
みかぐらうた、八下り目です。

 おふでさきの「ふしん」の語は、将来の目標として一号に2語あるが、現実の「ふしん」としては、四号に1語あるだけ。そこで、「ふしん」をテーマとする八下り目を理解するために、おふでさき四号を読み返してみる。

 四号1~7で、「ふしん」とは5月5日に始めて実行された「かんろだいづとめ」と分かる。その中で「これからは」と言いかけて、「往還道」の道開けとなるおつとめの実行、その用材、すなわちつとめ人衆集めが急務 ― 「神の心は日々に 急き込みあると思いこそ知れ」
 それが、八下り目では冒頭の歌になって
  ひろいせかいやくになかに いしもたちきもないかいな
   広い世界や国中に 石も立木もないかいな
 つとめ人衆を目指す者はいないか? と神の子である全ての人間に呼びかける。

   不思議なふしんをするなれど 誰に頼みはかけんでな
   みなだんだんと世界から 寄り来た事なら出来てくる
 四号では、8「如何ほどの多く急き込みあるとても 口では何も言うでないぞや」、9「この先は多く見えくる人々を 早く知らしておこと思えど」、そして、14「だんだんとつとめの人衆手が揃い これを合図に何もでかける」と歌い、38にかけて、つとめ人衆の果たすべき役割を明確にする。

   欲の心をうち忘れ とくと心を定めかけ
   何時まで見合せいたるとも 内からするのやない程に
 四ツ、五ツの歌について、四号は39から52かけて「心違いを神が知らする」と歌って、おつとめは「神に凭れて陽気づとめ」でなくてはならない、さらに「筆に知らしてあるけれど…」、と言い添える。このことをみかぐらうたは、「内からするのやない」 ― 「ふしん」は欲の心、人間の「思考」ではなく、神と一体の「意識」からでしか成らないと言い聞かせて、真実の心が定まったなら、「如何な守護もすると思えよ」とおつとめするように導く。

   無性やたらに急き込むな 胸の内より思案せよ
   何か心が澄んだなら 早くふしんに取り掛かれ
 65で「子供の出世待ちかねる」と言いかけて、「早く外へ出る模樣せよ」と、おつとめが実行されるなら、「これまでと道が変わる」と諭す。しかし、その前提にある句が「真実に外へ出ようと思うなら 心静めて芯を尋ねよ」

   山の中へと入り込んで 石も立木も見ておいた
   この木切ろうかあの石と 思えど神の胸次第
 八ツ、九ツの歌の内容は、53~64で明かす。その中で「山の中」とは、「から」のことと分かる。「にほん」、「から」については、「どこに隔てはない」「みな因縁の者」「世界一列みな我が子なり」と続けざまに歌って、神の子である全ての人は、つとめ人衆の対象となると言明する。

  このたびいちれつに すみきりましたがむねのうち
   この度一列に 澄み切りましたが胸の内
 73でおつとめしよう、と「悟りがついたなら 身の内悩み涼やかになる」と歌った、その内容は127から展開。
 「何にてもみな一列はこのことり 神が自由すると思えよ」 ― かんろだいづとめ実行の暁にいただく、「証拠守り」の「さづけ」。「さづけ」は、正しく「病まず死なず弱りなき」という何にも変えがたい神の自由。その自由があって、人は神の子創造者としての真の自分に目覚める ― 陽気遊山すべく因縁を持って生まれた神の子創造者としての真の自分を、思い出す ― 澄み切りましたが胸の内

    しあわせからは 逃れられない
    奇跡からは 逃れられない
    これからも……これまでも……  k-zerostyl


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