だんだんと六月になる事ならば 証拠守りをすると思えよ 四 5
このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや 四 50
この話し何の事やと思うなよ こゑ一条の話しなるぞや
こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく 四 51
肥やとて何が聞くとは思うなよ 心の誠真実が効く
「こゑ」は、「こゑのさづけ」として、みかぐらうた筆頭の一下り目で歌っている。この「こゑ」を、当初は「声」という字を当ていたことは、幾つかの資料が物語っている。そこで「こゑ」は「肥」、「声」のどちらかを、「こゑ一条」について詳しく語る十三号で検証してみる。
「月日より天下りたる心はな 何の事やら誰も知るまい」59
「第一は立毛作るをたすけたさ こゑ一条を教えたいから」60
「月日が天下りた」その理由の大一と銘打って「こゑ一条」をあげている。そこで考えてみたい。この「こゑ」を単に肥料の「肥」と解した「肥のさづけ」 ― 糠三合、灰三合、土三合、合わせて九合のものを神前にお供えしてから、田に置くと金肥一駄分、すなわち四十貫のご守護があると…。この話し、あまりにも拝み祈祷的で、それを「天下り」してまで伝える程のモノなのか…? またそこに本意があるのか? それに応えたのが
「この先は立毛のこゑをを違わんよう どうぞしっかり承知してくれ」72
ではいったい「立毛のこゑ」、「こゑ一条」の「こゑ」とは何を示し、それを伝える神意はどこにあるのかを、続けて十三号で追求してみる…
「急き込みも何の事やと思うなよ 立毛作れば水が欲しかろ」101
「この話しみな一列の心には 何と思うて思案している」102
「月日には大一これを助けたさ そこでどの様な事も言うのや」103
立毛、作物を収穫させるためには何をおいても「水」は欠かせないから、「水」は「立毛の肥」だ。「水」こそ「立毛を作るをたすける」ための「大一の肥」だと言うべきではないか。こう述べたら、それではいったい人間にとっての「大一の肥」は何だろうと思って思案しているようだから、『子供を助けたい親心のままに、月日の思うところを忌憚なく言い聞かせよう』
「今日から月日の思う事をばな どのような事もみな言いかける」73
「この話人間何と思ている 月日貸しものみな我が子ども」79
『人間は一人残らず月日の子供で、その身体はみな素晴らしい個性と素質を備え、そのままで誰憚らず悠々と陽気ゆさんすることができるようにして貸して与えてある! 』とみき様じきじきの「声」で、「こゑ一条のはなし」として一人ひとりに伝え授けた。それが、一下り目で歌う「こゑのさづけ」の実態。そこでこの「こゑ」をある者は尊い「声」と受け取る。またある者は生き甲斐の効能としての「肥」と受け取る、というのが実情と思われる。
神から生まれたと感じているなら 神の如く生きればいい
宇宙から生まれたと感じているなら 宇宙の如く生きればいい
ヒトから生まれたと感じているなら ヒトの如く生きればいい k-zerostyl
四号ではこの「一人残らず月日の子供」について、「こゑ一条のはなし50」と言いかけて、「因縁も多くの人であるからに 何処に隔てはあると思うな」、「世界一列みな我が子なり」と月日が親であることを伝えて、そこに親心をそえたのが、「早くたすける模様してくれ68」 ― 親なる月日のたすけが届くように、ふで(一下り目)に知らせたとおり「こゑ一条」を正しく心におさめように、と諭す。そして、冒頭の50、51の「こゑのさづけ」の効は続く歌で明かす。
しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ 四 52
真実の心見定めついたなら いかな守護もすると思えよ
十三号ではこの効を具体化して「またたすけ病まず死なずに弱らんの 証拠守りを早くやりたい」と歌っているが、それは「こゑのさづけ」の効を、見えない精神世界に表したもので、「やまとハほうねんや」は、その効を収穫として形で表した。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや 四 50
この話し何の事やと思うなよ こゑ一条の話しなるぞや
こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく 四 51
肥やとて何が聞くとは思うなよ 心の誠真実が効く
「こゑ」は、「こゑのさづけ」として、みかぐらうた筆頭の一下り目で歌っている。この「こゑ」を、当初は「声」という字を当ていたことは、幾つかの資料が物語っている。そこで「こゑ」は「肥」、「声」のどちらかを、「こゑ一条」について詳しく語る十三号で検証してみる。
「月日より天下りたる心はな 何の事やら誰も知るまい」59
「第一は立毛作るをたすけたさ こゑ一条を教えたいから」60
「月日が天下りた」その理由の大一と銘打って「こゑ一条」をあげている。そこで考えてみたい。この「こゑ」を単に肥料の「肥」と解した「肥のさづけ」 ― 糠三合、灰三合、土三合、合わせて九合のものを神前にお供えしてから、田に置くと金肥一駄分、すなわち四十貫のご守護があると…。この話し、あまりにも拝み祈祷的で、それを「天下り」してまで伝える程のモノなのか…? またそこに本意があるのか? それに応えたのが
「この先は立毛のこゑをを違わんよう どうぞしっかり承知してくれ」72
ではいったい「立毛のこゑ」、「こゑ一条」の「こゑ」とは何を示し、それを伝える神意はどこにあるのかを、続けて十三号で追求してみる…
「急き込みも何の事やと思うなよ 立毛作れば水が欲しかろ」101
「この話しみな一列の心には 何と思うて思案している」102
「月日には大一これを助けたさ そこでどの様な事も言うのや」103
立毛、作物を収穫させるためには何をおいても「水」は欠かせないから、「水」は「立毛の肥」だ。「水」こそ「立毛を作るをたすける」ための「大一の肥」だと言うべきではないか。こう述べたら、それではいったい人間にとっての「大一の肥」は何だろうと思って思案しているようだから、『子供を助けたい親心のままに、月日の思うところを忌憚なく言い聞かせよう』
「今日から月日の思う事をばな どのような事もみな言いかける」73
「この話人間何と思ている 月日貸しものみな我が子ども」79
『人間は一人残らず月日の子供で、その身体はみな素晴らしい個性と素質を備え、そのままで誰憚らず悠々と陽気ゆさんすることができるようにして貸して与えてある! 』とみき様じきじきの「声」で、「こゑ一条のはなし」として一人ひとりに伝え授けた。それが、一下り目で歌う「こゑのさづけ」の実態。そこでこの「こゑ」をある者は尊い「声」と受け取る。またある者は生き甲斐の効能としての「肥」と受け取る、というのが実情と思われる。
神から生まれたと感じているなら 神の如く生きればいい
宇宙から生まれたと感じているなら 宇宙の如く生きればいい
ヒトから生まれたと感じているなら ヒトの如く生きればいい k-zerostyl
四号ではこの「一人残らず月日の子供」について、「こゑ一条のはなし50」と言いかけて、「因縁も多くの人であるからに 何処に隔てはあると思うな」、「世界一列みな我が子なり」と月日が親であることを伝えて、そこに親心をそえたのが、「早くたすける模様してくれ68」 ― 親なる月日のたすけが届くように、ふで(一下り目)に知らせたとおり「こゑ一条」を正しく心におさめように、と諭す。そして、冒頭の50、51の「こゑのさづけ」の効は続く歌で明かす。
しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ 四 52
真実の心見定めついたなら いかな守護もすると思えよ
十三号ではこの効を具体化して「またたすけ病まず死なずに弱らんの 証拠守りを早くやりたい」と歌っているが、それは「こゑのさづけ」の効を、見えない精神世界に表したもので、「やまとハほうねんや」は、その効を収穫として形で表した。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講