陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

「こゑ」一条の話し  なるぞや 

2020-03-26 11:41:54 | 宗教
   だんだんと六月になる事ならば 証拠守りをすると思えよ    四 5
  このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや 四 50
   この話し何の事やと思うなよ こゑ一条の話しなるぞや
  こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく 四 51
   肥やとて何が聞くとは思うなよ 心の誠真実が効く
 「こゑ」は、「こゑのさづけ」として、みかぐらうた筆頭の一下り目で歌っている。この「こゑ」を、当初は「声」という字を当ていたことは、幾つかの資料が物語っている。そこで「こゑ」は「肥」、「声」のどちらかを、「こゑ一条」について詳しく語る十三号で検証してみる。

   「月日より天下りたる心はな 何の事やら誰も知るまい」59
   「第一は立毛作るをたすけたさ こゑ一条を教えたいから」60
 「月日が天下りた」その理由の大一と銘打って「こゑ一条」をあげている。そこで考えてみたい。この「こゑ」を単に肥料の「肥」と解した「肥のさづけ」 ― 糠三合、灰三合、土三合、合わせて九合のものを神前にお供えしてから、田に置くと金肥一駄分、すなわち四十貫のご守護があると…。この話し、あまりにも拝み祈祷的で、それを「天下り」してまで伝える程のモノなのか…? またそこに本意があるのか? それに応えたのが
   「この先は立毛のこゑをを違わんよう どうぞしっかり承知してくれ」72

 ではいったい「立毛のこゑ」、「こゑ一条」の「こゑ」とは何を示し、それを伝える神意はどこにあるのかを、続けて十三号で追求してみる…
   「急き込みも何の事やと思うなよ 立毛作れば水が欲しかろ」101
   「この話しみな一列の心には 何と思うて思案している」102
   「月日には大一これを助けたさ そこでどの様な事も言うのや」103
 立毛、作物を収穫させるためには何をおいても「水」は欠かせないから、「水」は「立毛の肥」だ。「水」こそ「立毛を作るをたすける」ための「大一の肥」だと言うべきではないか。こう述べたら、それではいったい人間にとっての「大一の肥」は何だろうと思って思案しているようだから、『子供を助けたい親心のままに、月日の思うところを忌憚なく言い聞かせよう』 

   「今日から月日の思う事をばな どのような事もみな言いかける」73
   「この話人間何と思ている 月日貸しものみな我が子ども」79
 『人間は一人残らず月日の子供で、その身体はみな素晴らしい個性と素質を備え、そのままで誰憚らず悠々と陽気ゆさんすることができるようにして貸して与えてある! 』とみき様じきじきの「声」で、「こゑ一条のはなし」として一人ひとりに伝え授けた。それが、一下り目で歌う「こゑのさづけ」の実態。そこでこの「こゑ」をある者は尊い「声」と受け取る。またある者は生き甲斐の効能としての「肥」と受け取る、というのが実情と思われる。
   神から生まれたと感じているなら 神の如く生きればいい
   宇宙から生まれたと感じているなら 宇宙の如く生きればいい
   ヒトから生まれたと感じているなら ヒトの如く生きればいい   k-zerostyl

 四号ではこの「一人残らず月日の子供」について、「こゑ一条のはなし50と言いかけて、「因縁も多くの人であるからに 何処に隔てはあると思うな」「世界一列みな我が子なり」と月日が親であることを伝えて、そこに親心をそえたのが、「早くたすける模様してくれ68 ― 親なる月日のたすけが届くように、ふで(一下り目)に知らせたとおり「こゑ一条」を正しく心におさめように、と諭す。そして、冒頭の50、51の「こゑのさづけ」の効は続く歌で明かす。
  しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ 四 52
   真実の心見定めついたなら いかな守護もすると思えよ
 十三号ではこの効を具体化して「またたすけ病まず死なずに弱らんの 証拠守りを早くやりたい」と歌っているが、それは「こゑのさづけ」の効を、見えない精神世界に表したもので、「やまとハほうねんや」は、その効を収穫として形で表した。


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

明日にちは  何でも頼みかけるでな

2020-03-17 16:44:26 | 宗教
   日々に神の心の急き込みは とうじんころりこれを待つなり
 「とうじん」は、ものの道理のわからない人、わけの分からない事をいう人を罵って言う語〔古語辞典〕で、おふでさきでは陽気ゆさんの障害となるものを総称する語として使っている。
この人々にとっての障害物、「とうじん」を、おふでさき十四号では「コレラ」に当て、その中で「上の心」と「神の心」の神意を展開している。そして、まさに今、世界中が新型コロナウイルスの大流行で揺れているとき、このような疫病についての対処法を、おふでさき十四号で確認してみたい。

   「世界にはコレラと言うているけれど 月日残念知らす事なり」 ― 「この世は理で責めたる世界」ですから、何一つとして突然、偶然に起こることはない。必ずそこには、そこに行き着く訳がある。
   「月日には人間創めかけたのは 陽気ゆさんが見たい故から」、それなのに
   「今日までは大社高山はびかりて 儘にしていた事であれども」と、その訳を明かす。
 目下の世界においては、1%の裕福層が、全世界の82%を独占するあまりにも異常な現実がある。この現実からいろいろな事情が勃発して、全ての人々が陽気ゆさんすることを阻んでいる。ここには「とうじん」と言うべき「コレラ」騒動と同じ状況があって、そこに「月日残念」が働いいている、と言ってもいいではないか。
 十四号では、「いづむのもどうしていづむ事ならば、上には何も知らん故なり」 「世界にはそれを知らずに何事も みな従うていづみいるなり」と「コレラ」騒動を招いたその元凶は「上」にある ― 「上」とは「ほこりの心」、すなわち「惜しい欲しいと可愛いと欲と高慢」からなる、自立自存のエゴ。この心が生みだすのは競争社会で、結果的には差別を助長し、多く人々をいづませてしまう。「コレラ」による大量死を目の当たりにしたら、「世界中親のたあにはみな我が子」と嘆く月日の親心からの警鐘、と気づかねばならないのです。

 おふでさき四号は「これさいかみな見えきたる事ならば」 ― 「とうじん」という魔物を生みだす大本は、「上たる心」にあって、その住まいは人間心、自立自存が優勢の社会 ― 月日の自由は届かないから、自力頼りで回りに敵をつくってでも、ひたすら頑張り続けねばならい世界だから、陽気ゆさんはありえない。そのためには「上たる心を」コロリと取り除いて、陽気づくめの心となるようにしなければならない。それができたとき「世界の心みな勇みくる」 ― 「みな世界の胸の内 鏡の如くに写るなり」 ― 見える世界の全ては人の心の内の反映。

 「心を入れ替える」ためにと、四号23で「日々に陽気づとめの手がつけば 神の楽しみ如何ほどの事」「 何もかも神の思惑何にても みな説いたなら心勇むで」 ― 「神の思惑」としておつとめの実行を促す。おつとめによって
  なにゝても神一ちよをしりたなら からにまけそな事ハないぞや 四 32
   何にても神一条を知りたなら からにまけそな事はないぞや
 「から」は、「上たる心」の者の住まいだから、そこは自立自存の世界 ― 神の自由が届かない有限の世界。それに対する「神一条」は、神と一体の心 ― 神の自由届く無限の世界。

   今ではな皆の心と内なるの 心が多い違いなれども
  あすにちハなんでもたのみかけるでな 神のいぢよにつかねばならん 四 41
   明日にちは何でも頼みかけるでな 神の一条につかねばならん
 陽気づくめは、「から」に宿る「うちなるの心」でなく、「にほん」宿る「にほんのみなの心」にある。「親の頼み」、願いはただ一つ、我が子一人残らずが陽気ゆさんする姿、
  めへめへのみのうちよりもしやんして 心さだめて神にもたれよ 四 43
   銘々の身の内よりも思案して、心定めて神に凭たれよ
 「上たる心」は自立自存だから、そこは有限の世界。「神に凭れる」心は、神の自由の無限の世界、そこは「病まず死なず弱りなき」道 ― 「生老病死」の執着から解放される世界。

 〔自立自存で〕自分を信じ結果を操ろうとする限り あなたの現状は変わらない
 〔神に凭れて〕人生を信頼しあらゆる流れに委ねる時 あなたの未来は宇宙と共に…
                                        k-zerostyl



                       中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講