陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

ここはこの世の極楽や  我も早ばや参りたい

2022-04-21 19:47:43 | 宗教
 やまひのすつきりねはぬける  こゝろハだんだんいさみくる
  はやばやとつとめのにんぢうまちかねる そばな心わなにをふもうや  四 24
  いかなるのやまいとゆうてないけれど みにさわりつく神のよふむき    25
  よふむきもなにの事やら一寸しれん 神のをもわくやまやまの事      26
  なにもかも神のをもハくなにゝても みなといたなら心いさむで      27
  だんだんになにもをもハくときゝれば みのうちよりもすゝやかになる   28
 四下り目は、おふでさき四号で伝えているように、かんろだいづとめのつとめ人衆を揃えること、それがテーマの一つとなっている。
 「身に障りつく神の用向き」 ― この道に導かれて、おつとめの話を聞いて、そこで、自分の身に異状を感じたなら、それについて本気で向き合いなさい ― 神からつとめ人衆として求められている ― 自分に対して起こっている全ては、神の意志と受けとめる生き方の中に、神の子としての真実があるから、それを悟るようにと促す。
 「神の思惑、みな説いたなら」 ― 神の思惑は、つとめ人衆として「神に凭れて陽気づとめを」、これが神の意志です。それを拒絶すると、神の意志に抵抗するから、自分自身で苦しみを生みだしてしまう。そこで、神とともにあると意識を変えるなら、「心勇む」ことができる ― 身の内よりも涼やかになる

 こゝはこのよのごくらくや  わしもはやばやまゐりたい
  だんだんとせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや  36
  そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ     37
  またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや   38
 無量寿経、四十八願の第十三願 ― “私が仏になるとき、寿命に限りがあって、はかり知れない遠い未来にでも尽きることがあるようなら、わたしは決して悟りを開きません”
 第十五願 ― “私が仏になるとき、私の国の天人や人々の寿命には限りがないでしょう。ただし、願によってその長さを自由にしたいものは、その限りではありません。そうでなければ、わたしは決して悟りを開きません”
 「極楽」は「極楽浄土」の略 ― 西方十万億土のかなたにあり、広大無辺にして諸事が円満具足し、苦患 (くげん) のない、この上なく安楽な世界。浄土教の理想とする仏の国で、念仏を唱えれば、阿弥陀仏の本願力によってこの浄土に往生するという
 みき様は「無量寿経」が伝える『四十八願』と、それに続く『重誓偈』を読破、超越して「前世」、「来世」の誓願をすっかり削ぎ落し、月日の自由が働く「今」に焦点を当てて、この道の教えを展開した。
 四下り目、一ツは、「人が何事言おうとも」と一人ひとりの心の治め方を。
      二ツは、「二人の心をおさめいよ」、六ツは、「村方早くにおさめたい」と、この二、六ツの「手振り」で、人を表す左右の扇は、平行のまましっかり距離をとる。ここに優越はない。お互いを受け入れ、認め合う ― いつ何処ででも、誰といても、どの様な状況にあっても、「今」自分のいるところが「極楽」となる。

 このたびむねのうち  すみきりましたがありがたい
  うちなるハ上をふもふていづみいる こわみないぞや神のうけやい     69
  いまゝでとみちがかわりてあるほどに はやくせきこみをふくハんのみち  70
  このみちハいつの事やとをもている はやくてゝみよもふいまの事     71
  だんだんとふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ      72
  これさいかはやくさとりがついたなら みのうちなやみすゞやかになる   73
 「上を思うていづみいる」 ― 「上」は過去の懺悔と未来への不安を掻き立てて、「怖み」を植えつけ、服従を迫る ― 「憂しの先道」、本当の自分を見失う→   みなが本当の自分を生きて「勇み来る」道を示す。
 「心定めて、神に凭れよ」 ― 全てをあるがままに受け入れる ― たとえ起きたことが何であれ、自分にとって最善のために起こるべくして起きたと信頼する。そこに新しい世界が開かれる。ここで、「今」こそと立ち上がれば、その行動は全体と調和したものとなるから、全てが自分にとって有利に、強力的に展開する ― 「ここはこの世の極楽や」 ― 澄み切りましたがありがたい

  日々に「から」と「にほん」分ける道 ― パラレルワールド
                        「にほん」 ― 極楽
                        「から」  ― 恐れ
                      ― 神の急き込みこれが一条 


                         中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

みな見ていよ  神のすることなすことを

2022-04-15 19:06:44 | 宗教
  それよりもお蔭げはじまるこれを見よ 夜昼知れんようになるぞや 四 4
  村方はなおもたすけを急いている 早く思案をしてくれるよう      78
 おふでさき四号「夜昼知れんようになる」「村方はなおもたすけを急いている」という歌が四下り目の「夜昼どんちゃんつとめする」、「村方早くにたすけたい」と重なっていることから、おふでさき四号を熟読して四下り目の神意を深めてみる。

 四下り目は、つとめ人衆の心構えを確認することが主のテーマ。おふでさき四号では、それを詳細にするとともに、おつとめの目的とその意義をまとめて記す。
  みなみてゐよそばなもの    かみのすることなすことを
  よるひるどんちやんつとめする そばもやかましうたてかろ
  いつもたすけがせくからに   はやくやうきになりてこい
   つとめても初てをどりまたかぐら 一寸のほそみちつけてあれども 74
   このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを 93
   このみちをとふりぬけたらそのさきハ からハにほんのぢいにしてある  102
   これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで 107
   これからわ高山にてもたにそこも もとはじまりをゆうてきかする 121
 おつとめは、強権政治と権力者、支配者を排除することがその主たる目的。人間はみな平等であることを学び、それを心におさめて、おつとめにあらわす。そこで、「樂もし陽気づくめ」を体感するのです。

 つとめ人衆一人ひとりの心構えは
  ひとがなにごといはうとも   かみがみているきをしずめ
   上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい  四 16
   いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ  18
   これさいかみなみへきたる事ならば せかいの心みないさみくる    19
 月日のたすけ一条を我が心として、尊厳を持って生きることができているなら、人が自分についてどう語っていようが少しも気にはならない。しかし、心の平安を「とうじん」、強権に求めて、そこへ身を委ねると、どうしても権力者へのご機嫌伺いが先にたつから、本当の自分を見失い、その先は「憂し」き道となってしまう。

 二人の心構えは
  ふたりのこゝろををさめいよ  なにかのことをもあらはれる
   だんだんとよろづたすけをみなをしへ からとにほんをわけるばかりや  57
   にちにちにからとにほんをわけるみち 神のせきこみこれが一ぢよ 58
   だんだんとこどものしゆせまちかねる 神のをもわくこればかりなり 65
   こどもさいはやくをもていだしたなら からをにほんのぢいにするなり  66
 「から」は、自らが上(強者)になることを目論んで、先ずは「上」に従って自力をつけたいと願う。そのためならばと、「上の支配」の波動に合わせようとする人とその集団。
 「にほん」は、人はみな同じ魂が根底にある、一体性を目指す「神の支配」の世。その住人は「神に凭れる」ままに本当の自分を生きるようになる。
 「だんだんと子供の出世待ちかねる」 ― 「子供さへ外へ出て」おつとめを世界に伝えるなら、「にほん」へ寄せる「意識」の波動が広まり、それに共振する渦巻きがどんどん大きくなる。それに連れて「から」はどんどんと小さくなる ― 一方が他方を吸収するのではない ― 何かの事もあらわれる

 多人数ならば
  むらかたはやくにたすけたい  なれどこゝろがわからいで
  なにかよろづのたすけあい   むねのうちよりしあんせよ
 村方 ― 〔村方騒動〕 ― 江戸中期になると、土地などを失った多数の農民と、それを集積して豊かになる農民とで農村が二分される。農村内部で、地主となり村を取り仕切る豪農層に対して、小作人となった人びとが民主的な村政を求め、全国的に広がった闘争。
   村かたハなをもたすけをせへている はやくしやんをしてくれるよふ   78
   せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ    79
 「何か万づの助け合い」の手振り ― 二人を表す左右の扇の手は、平行のまましっかり距離をとる。手に持った左右の扇は、どちらかが優位にあるというでなく、上になったり下になったりしながら『投げの手振り』する ― お互いのそのままを無条件に受け入れ、認め合う。ここにみかぐらうたが伝える「助け合い」の真髄を見る。

    この度胸の内   澄み切りましたがありがたい


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

実の神には  相違ない

2022-04-08 10:49:16 | 宗教
 むりなねがひはしてくれな  ひとすぢごゝろになりてこい
  またたすけをひやぢうよふいつなりと のばしなりともはやめなりとも 八 32
  こらほとのぢうよじさいをゆうのもな よいなる事とさらにをもうな    33
  月日にハたいて心ハつくせとも せかいぢううハまだせかいなみ        34
 「また」は、ここでは「亦」の文字を当てるのが相応しい。仏教的には「亦」は「又」と違って、その前後が次元を異にすることを示すと言われている。〔教行信証入門80〕
 「亦たすけ」 ― つとめ場所を秀司夫妻らが乗っ取り、十二神社を祀り込み、そこでしていた「たすけ」 ― 「をびや許し」と称して、「延ばしなりとも早めなりとも」を謳い文句にして、売りつけていた御札を指す。
 「おびや許し」は、人類発祥のときから、創造主、月日の「しごと」として、全ての生き物の安産は請け負っているという「許し」なのです。おふでさきの「よいなる事と更に思うな」は、「亦たすけ」に向けて、それ以上の悪事はないと言い放ち「一筋心になりてこい」と反省を求めている。

 なんでもこれからひとすぢに  かみにもたれてゆきまする
  心さい月日しんぢつうけとれば どんなたすけもみなうけやうで   八 45
  とのよふなたすけとゆうもしんちつの をやがいるから月日ゆうのや   46
  このはなしなんでこのよにくどいなら たすけ一ぢようけやうのもと    48

 やむいどつらいことハない  わしもこれからひのきしん
  このさきハあゝちこゝちにみにさハり 月日ていりをするとをもゑよ  81
  きたるならわがみさハりとひきやハせ をなじ事ならはやくそふぢを  82 
  そふぢしたところをあるきたちとまり そのところよりかんろだいを  83
 三下り目の一ツから五ツは、扇を持っての手振り ― 仏教の『三法』で、仏の説いた教法の『教』に当たる。
 六ツからの扇を持たない手振りは、『行』に当たる ― 『教』に基づいて修行する『行』だから、教えを十分に聞き分けていなければならない。
 「月日ていりする」 ― 「月日が出入りする」 ― 月日が間違いに気づかせようと「身に障り」をつけて「入ろう」としても、その胸の内が人間心、我が身思案の「ほこり」いっばいでは、月日が留まるスペースがないから、「出て行く」しかない。この働きを繰り返すことが「月日の出入り」で、月日は人びとがその親心の忠告に気づいて「胸のそうじ」するのを待ち続ける。

 「同じことなら早くそうじを」 ― 「亦たすけ」で、自分らがしていることに苛まれ動揺があるのを、月日が見透かして声にする ― 「ぢば定め」せねばならぬことは百も承知のはずだ。どうせなら、ここまでの悪事の反省もこめて「ぢば」を定める整備、清掃の「ひのきしん」に手を染めたらどうだ! そうすれば「ぢば定め」と同時に「胸のそうじ」もできるから、病なぞ吹っ飛んでしまう! 何時までも煮え切らず『その内に…』と言ったりしないで、今やりなさい! 

 こゝまでしんゞゝしたけれど  もとのかみとハしらなんだ
  月日にハみな一れつハわが子なり かハいゝばいをもていれとも   60
  一れつハみなめへへのむねのうち ほこりいゝばいつもりあるから  61
  このほこりすきやかそふぢせん事に 月日いかほどをもふたるとて  62
 「元の神」の存在は、『教』によってでなく、『行』という本人の修行によって知る ― 「胸のそうじ」ができれば、神が自分の中に存在している、自分が神と一体であると感じられるようになる。内なる神に目覚めて「神に凭れる」生き方が定まるから、外の世界の全てにも神の存在を感じることができる。

 このたびあらはれた  じつのかみにはさうゐない
  このあとハとのよなものも一れつに たすけたいとのしゆだんはかりを  68
  このさきハたすけ一ぢよにかゝりたら どのよなものもいさむばかりや  69
 月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ 〔浄土宗の宗歌〕
  “たすけ一条の至らぬ里はなけれども 神に凭るる人の心にぞ住む”


                       中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講


つとめの場所は  世の元や

2022-04-04 07:30:13 | 宗教
 ひのもとしよやしきの  つとめのばしよハよのもとや
  このよふをはじめたしたるほんしんを ゆうてきかさん事にをいてわ   八 35
  このところ「つとめばしよ」ハにんけんを はじめだしたるところなるそや  36
 三下り目、その主となるテーマは「元の神」、「実の神」で、それをおつとめであらわす、その場所が「つとめ場所」なのです。「つとめ場所」の語は、おふでさきでは八号に一箇所だけあるから、そこに「元の神」、「実の神」の実体を求めて、じっくり読み直してみる。

 ふしぎなつとめばしよハ  たれにたのみはかけねども
 みなせかいがよりあうて  でけたちきたるがこれふしぎ
  つとめでも月日たんだんてをふしゑ にんけんなるの心でわない 八 7
  とのよふな事をするのもにんけんの 心あるとハさらにをもうな   8
  このところいかなはなしも月日なり どんなもよふもみな月日やで  9 
 「ふしぎな」と一回転する手振りから、おつとめが世界に向けられていることが分る。「つとめ場所」、それは「人間なるの心ではない」 ― 三次元的な形の「ふしん」ではないから、単に労力とお金が寄れば出来るというものではない。言うならば、それは五次元的な心の世界の「ふしん」 ― 如何な話しも月日なり ― 「こゑのさづけ」によって自己の尊厳に目覚め、おつとめがあらわす心の世界が「身につく」と、「世直り」が欠かせないことに気づく。このように「意識」に変化が起こった人びとによって、「ふしん」は着手される。まだ準備の整った人数が十分ではなくても、一人が目覚めるたびに、「寄り合う」 集団的な意識のうねりは大きくなり、回りの人々の目醒めを促す。その波動によって「つとめ場所」は「でけたち来る」のです。

 ようようここまでついてきた  じつのたすけハこれからや
  いまゝても「たすけ一ぢよ」とまゝとけど ほんしんぢつをしらぬ事から 八 22
  どのよふな事もたんたんゆてきかす これをまことゝをもてきゝハけ       24
 ここまでに、この世と人類誕生の真実、そして、月日が人間の親であることを明かし、親の思いは我が子人間への「たすけ一条」にある、と説き続けている…
 実のたすけはこれからや ― いままで説いて来たことを、ただ聞き流すだでなく、しっかり心を開いて受け入れる、「真と思って聞き分け」るなら、これからもう一歩話しを深めていく。そして、月日の本願、「この道」が真に目指す「実のたすけ」に迫りたい。

 いつもわらはれそしられて  めづらしたすけをするほどに
  どのよふなたすけするにも人なみの よふなる事ハゆうでないから 八 28
  今までに見えた事やある事は、そんな事をハ言うでないぞや      29
  これまてにない事ばかりゆてきかし しんぢつよりのたすけするそや  30
 「この道」は、世間並みの拝み祈祷による物の豊かさ、物事の達成を祈願するという御利益信仰などではない。
 「ない事ばかり言い聞かす」 ― 何時も笑われ謗られて、珍したすけする ― 心に「豊かさ」を求めることに主眼をおいて、人間心、人間の「思考」、エゴを超えた神の「意識」の世界へ導き、真実の自分に目覚めさせる。恐れがなくなる。そこは本当の自分を悠々と生きる至福の世界 ― 「真実よりのたすけ」

  どうかして「珍したすけ」教えたさ そこでかかりた仕事なるぞや(十一52)
  今までと心しっかり入れ替えて 「陽気づくめの心」なるよう     (53)


                    中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講