陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

真実の心しだいに  怖いことなし

2021-07-31 11:44:13 | 宗教
  これからハ心しいかりいれかへて よふきづくめの心なるよふ 十四 24
   これからは心しっかり入れ替えて 陽気づくめの心なるよう
 月日、人間の親の思いは全ての子供が「陽気づくめ」にあること。それなのに「いづむばかり」の結果がある、その原因がどこにあるのかを、バッチリ示してみよう! というのです。
  月日よりにちにち心せきこめと そばの心わいづむばかりで 十四 2
   月日より日々心急き込めど 側の心はいづむばかりで
   いづむのもどうしていづむ事ならば、上には何も知らん故なり 
   世界にはそれを知らずに何事も みな従うていづみいるなり
 つとめ場所で秀司が祀っている十二神社の神は、明治新政権が押しつける「神学こふき」の神々で、それは一人ひとりを幸せにすることよりも、国をもっと強くすることを念頭において祀る神なのです。「上(高山)」のその本心を知るや知らずやで、無意識にそこに身を寄せようとする(上たる心で憚る)側なる秀司よ! お前はあくまでも嘘を突き通そうとする「上」に従っているから、いつになっても「いづみ入るなり」、その姿は自明の理なんだよ! 


 16~24は、不確かな「上」に従う結果として「いづみ入る」その因果律の例を上げる
  このよふにかまいつきものばけものも かならすあるとさらにをもうな 十四 16
   この世にかまい憑き物化け物も 必ずあると更に思うな
   世界にはコレラと言うているけれど 月日残念知らす事なり
 「コレラは月日残念を知らす事なり」 ― コレラ! だと、いかにも突発的に不幸が降って湧いたように恐れおののいているが、それは決して訳もなく降った涌いたような出来事ではない。この世には偶然というものはさらに(絶対に)ない ― 「万づ互いにたすけするなら」「その心をば受け取りて、どんなたすけもすると思えよ」、という月日の思惑がその基にあることを強調して、因果律の法則を確認させる。

  月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから 十四 25
   月日には人間創めかけたのは 陽気ゆさんが見たい故から
  せかいにハこのしんぢつをしらんから みなどこまでもいつむはかりで 十四 26
   世界にはこの真実を知らんから 皆どこまでもいづむばかりで
 世界だすけの月日の心を我が心とするための最善の手段は、自分が陽気ゆさんの人生を送ること。月日の子として親の願いどおりに人生を生きることによって、 月日は望む方法で自由自在をサポートしてくれるんだと信頼し、「神に凭れる」生き方ができるなら、それがもと立てとなって、陽気づくめという効を生む。

 「この真実を知らんから」 ― 「神」を取り違えたら、「陽気づくめ」という成果はない
  いまゝでハ月日とゆうてといたれど もふけふからハなまいかゑるで 十四 29
   今までは月日と言うて説いたれど もう今日からは名前変えるで
   今日までは大社高山はびかりて 儘にしていた事であれども
   日々にをやの思案というものは たすける模様ばかり思てる
 全ての我が子をたすけたいと願う「神」を「をや」と呼びかえて、強権政治のために、子供を利用しようと企むための「神」としっかり区別する。

  どのよふな事がありてもしんちつの 心したいにこわい事なし 十四 49
   どの様な事がありても真実の 心次第に怖いことなし
 真実をもって決断すれば、それは実現する。全ての決心は真実から心定めることで、それが実現してしまう。それが真実の決断なら、「何を聞いても楽しみばかり」となるが、「疑う心あるなら、どんな道やら」という前途があることを承知せねがならない。
 神の子としてそのままの自分を生きるなら、そこに「真実の心次第に怖いことなし」という「恐れから開放される」至福の「効」がある。

 おふでさきは、「この世は理で責めたる世界」であると歌い、その「理」を「前生の因縁寄せて」、すなわちこの世は因果律のエネルギー、法則が働いていることを知らせ、「これは末代しかと治まる」と、執筆の第一号に記す。そして、それを基本にして歌い続けていき、その流れにそって、「心しだいに怖いことなし」という確固たる生き方の手段を身につける方法を、ここで明言したのです。

   これさいか確かに承知したならば いつまで居ても陽気づくめや


                        中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講

大一は  「こゑ一条」を教えたいから

2021-07-17 03:03:11 | 宗教
  一けふまでわなにかしんばいしたなれど あすにちからわをふくハんのみち 十三 1
   今日までは何か心配したなれど あす日からは往還の道
 十三号の主テーマは、この「往還の道」にある。仏教では、死んで極楽へ行くことを往生すると言うが、おふでさきでは何をもって、「往還の道」というのかを、改めて検証してみたい。

   これからは心しっかり入れ替えて 神に凭れて陽気づとめを
  それからわせかいぢううハきがいさむ よふきづくめにひとりなるぞや 十三 25
   それからは世界中は気が勇む 陽気づくめに独りなるぞや
 「往還の道」とは、「陽気づくめ」にあることが分る。その「陽気づくめ」について
   この道はどういう事に思うかな よろず互いにたすけばかりを
   世界中互いにたすけするならば 月日も心みな引き受ける

 「互いたすけ」、そのための心のあり方は、
   月日より天下りたる心はな 何の事やら誰も知ろまい
  大一わりゆうけつくるをたすけたさ こゑ一ぢよふをしへたいから 十三 60
   第一は立毛作るをたすけたさ こゑ一条を教えたいから
   これからは月日言う事なに事も 背かん様に神に凭れよ
 「こゑ一条」を、一下り目で確認すると、それは「さんざい心を定め」ることにある。「さんざい心」 ― 月日が人間へひたすら「さいざいする」たすけ一条の自由自在、その心を我が心とする「神に凭れる心」のことで、ここに心の豊かさ、生き甲斐の基があって、それは立毛にとっての「肥」。
 だから、72で
   この先は立毛のこゑをを違わんよう どうぞしっかり承知してくれ
 「心違いがえば直ぐに退く」と、釘をさして、

 後半の74から「こゑ一条」を展開する。
   今までも大抵話しも説いたれど 「月日思惑未だ言うてない」
  せきこみもなにのことやとをもうかな りゆけつくれば水がほしかろ 十三 101
   急き込みも何の事やと思うかな 立毛作れば水が欲しかろ
   月日には大一これをたすけたさ そこでどの様な事も言うのや
 「大」は、仏教ではほとんどが阿弥陀仏の働き〔教行信証入門 65頁〕 ― 立毛にとっての水が最大の肥であるように、人間にとっての生き甲斐のもとになる、その肥を一下り目で「こゑのさづけ」と歌って月日の自由の働きをあらわす。

 「月日の自由の働き」は、
    このたすけどういう事であるならば 疱瘡せん世の守りつとめを
 目下のコロナ禍だから、いっそう身に沁みるが、疱瘡、疫病の克服は人類、生き物が永遠の生命を守るためには欠かせない。そのためにおつとめで胸のそうじをして、「人間はみな同じ魂」であることに目覚めなくてらならない。
  またたすけやますしなずによハらんの しよこまむりをはやくやりたい 十三 115
   またたすけ病まず死なずに弱らんの 証拠守りを早くやりたい
 「また」 ― 「又」と違って「亦」は、その前後が次元を異にする。だから、ここで「亦」と読んで理解すると、「疱瘡せん世の守りつとめ」の守護は、どちらかと言うなら物理的、三次元の表現なのに対して、「病まず死なず弱らん」の証拠守りは、量子的、五次元的心の世界の表現となっている。
 目覚めた者同士の量子的エネルギーを共振させて、世界中の人々がたすけ合うことでしか、感染症、疫病を克服する道はない。そこに永遠の生命へ導く「往還の道」がある。

   一列はみな銘々の胸しだい どんな事をがかなわんで無し
 

                        中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講