陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

月日言うよに  確かするなら

2015-04-30 23:09:37 |  エッセイ
                              陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき七号、


  どのよふなたすけするのもみなつとめ 月日ゆうよにたしかするなら 七 83
    どのような助けするのもみなつとめ 月日言う様に確かするなら
皆が、「をびやほうそ許し」を心から理解、納得して新しい「意識」に目覚めて、「楽しむ」生き方をする姿を見たい。人が目覚めるためには、どうしても宇宙の調和と人類誕生を表すおつとめを実行しなければならない。
 おつとめのつとめ人衆は、一人一人が神の役割を演じるから、我身思案の「思考」があってはならない。月日(神)が求める、神の子として、神の「意識」の心づくりを目指す意識がなければつとめられない(6-14)。

  つとめでもをなぢ事てハないほどに みなそれへとてへをふしゑる 七 88
   つとめでも同じ事では無い程に 皆それぞれと手を教える
そのつとめというのは、もちろんかんろだいづとめのことである、ということがこの歌から分かる。
 かんろだいづとめは、今でこそ、教団が独占すべきとしているが、実は始めてつとめられたのは、明治7年(陰暦)5月5日、中山みき様の実家だったということがおふでさき四号などで分かる。更に、そのおつとめは、その後、私の今住んでいる静岡県ばかりでなく、各地で実行もしくはその準備がされていた記録がある。
 みかぐらうたでは、かんろだいづとめをつとめるつとめ人衆の姿を、よろづよで、「大和のぢばの神(様)方と歌っている。世界中は神の体(三40、135)だから、「ぢばの理」は世界中の何処へでも、移動できるし、そうでなくてはならないはず。静岡でつとめるなら、静岡のぢばの神(様)方ということになる。

 おふでさきのこの歌で、「をびやほうそ許し」をかんろだいづとめで確認しなさい、と言っても、限られた所でしかできないというなら、いつまで経っても、その許しが理解できず、「後の仕事はどんな事でも(77)」とまで歌って伝えた、その神意を無視することになってしまう…


 皆が神の子としての自覚がなく、価値ある自分に気づかず、「楽しむ」ことを忘れて、自分を導いてくれと、自分より尊いであろう人、尊いであろうルールを探し求めることだけに、人生の大半を、無駄にすごしている姿がまことに残念
  月日よりこの一ぢよをはらしたら あとのところわよふきづくめや 七 92
   月日よりこの一条を晴らしたら 後のところは陽気づくめや
をびやほうそ許し、でそれが晴らせたら、皆はそれぞれの自分の価値に気づくことができて、本来の神の子との意識に目覚める。そこに陽気づくめの姿がある。


       気づきは人間思案の「思考」から人を切り離す
       「思考」を越えた偉大な人生が働きかける
       人は自分が何者かを意識し、変化が起こる
       神の子に目覚め、陽気づくめがある



後の仕事は  どんな事でも

2015-04-29 22:14:06 |  エッセイ
                                陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき七号は、前半と後半の二つに分かれている。
 前半は40までで、「をびやほうそのこの許し」の真意に気づき、実行すれば、その行動をしたときから「自由自在」を味わうことができる、とその許しの解説を歌う。

 後半はこの歌から
  このたびハをびやたすけのしんぢつを はやくたすけを月日せけども 七 41
   この度はをびや助けの真実を 早く助けを月日急けども
ほとんどの人は、自分自身を信頼していないようだが、人間はみな神の子であり、皆同じに尊い魂を持ち、一人一人素晴らしい価値のある人間。それなのに、もっと正しい教え、教理があるはずだと探し回る。
 自分の価値に気づき、自分を信頼することで「楽しむ」生き方ができるはずなのに、それができず、いつの間にか、昔からある古いルールや集団を探して、その中で必死でやればと、来るはずの無い未来を夢見て、人生のほとんどをついやしてしまう。

 それが残念でならないから、早く自分の価値に気づきなさい…、
  これさいかはやくみへたる事ならば どんなものでもかなうものなし 七 76
   これさいか早く見えたる事ならば どんな事でも敵う者無し
気づきにより、人は広々とした自分自身になれる。自身の本来の真のエネルギーが、体内から湧き起こる。それは神と一体ということ。敵無しということ。

  月日よりこれをしいかりみせたなら あとのしごとハどんな事でも 七 77
   月日よりこれをしっかり見せたなら 後の仕事はどんな事でも
人々のこの気づき、人は皆神の子、神と一体ということに気づく、これさえ心に治まるなら、神(宇宙の創造主)の後の仕事は、あとに回してでも、もうどうでもいい…
 をびやほうその許しこそ、人が存在する、生きていく原点であると、心に治める。そして、それを多くの人々に伝える…

        今までもをびやほうそのこの許し
        何と思うて皆がいたやら



        「意識」を信頼し委ねると スムーズだけど
        「思考」を信頼し抵抗すると 現状は延々続く


六年以前の  三月十五日

2015-04-28 22:15:23 |  エッセイ
                             陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき七号

  このもとハ六ねんいぜんに三月の 十五日よりむかいとりたで 七 67
   この元は6年以前の3月の 15日より迎え取りたで
この歌こそ、前生も来世もないことを伝える歌。
 この歌に関連するのが、一号60、三号109。
  一号60は、最後の74の歌の前提。人間は皆神の子として生まれた。ともに神の子である夫婦は、お互いを受け入れ認め合って、次世代にその全てを伝えていく責務がある。そのために神の子夫婦の役割を演じるおつとめをしなさい、と二号(9、10、40)につなぐ。

  三号は、113の歌で26日におつとめを始める、と歌っている。
  七号67は「をびやほうそ許し(78)」の確認をしてから、おつとめの話しにつながっていく(83、86-88)。ということで、一、三、とこの七号とも、おつとめの前提としての歌である。

 みかぐらうたとおふでさきで示される、私たちの生き方の基本は、「今がこの世のはじまり」ですから、そこには過去も未来もない。「今から」私たちが実行すべき話しだけ、ということを頭に入れて、この歌を考えてみたい。

 この七67の歌は、みき様の長男の新妻が身ごもったことを台とする話し。(おふでさき一号の)6年前のこと、長男は母親の信仰、信念に抵抗を繰り返すが、どうしても越えられず、その感情が多くの女性との関係に向けられた。それがために身体のエネルギーの流れが滞り、病気がち、「いづむ」ばかりの姿に、このおふでさきの起草と、この歌(七号67)の背景がある。
 そんな自我々欲の「思考」の中で生きていたところを、母親みき様に諭されて、新たに妻をもち、今度は神の子として、理想的な夫婦関係の模範となることで、「今に在る」姿を見せる。そう誓ったとき、この歌の娘、長男が特に可愛がっていたという娘が亡くなったのです。

  こればかり人なみやとハをもうなよ なんでも月日ゑらいをもわく 七 66
   こればかり人並みとは思うなよ 何でも月日えらい思惑
回りでは、6年前に亡くなった娘の魂を、「人並みに」、世間並みに、妊娠中の新妻の子に生まれ変わせるため、「抱きしめて」いたその魂を、これから返すなどと、生まれ変わりの話しに当てはめて話しているが、とんでもない。それは、月日・神の「えらい思惑」あってのことと、輪廻転生を強く否定している。

 72で「名はたまえ」とありますが、この時生まれたのは、(4才で亡くなった)男の子でした。(この子が生まれて2年後にまちという名の女の子が生れ、後年、たまえと改名)
 「たまえ」という名は、つたえ、かおる、まゆみなどとともに、男女どちらにつけてもいい名前で、どちらが生れても、そんなことは問題ではないということ。

 普通の男女が普通に結婚生活をして、無意識に子供を宿す生き方を卒業して、夫婦がともに神の子に目覚めて、ともに神の意識の心づくりをする中で、次の世代を宿す。そういう、この世の真理に基づいた生き方をする、そのお手本になると長男が誓ったのが、6年前、67の歌の娘が亡くなったときだったのです。

  このはなしどふゆう事にをもうかな これが大一このよはじまり 七 70
   この話しどういう事に思うかな これが第一この世創まり
 人は皆、天と地の間の調和が保たれる中で生き続けている。どんなこと、物も思いもよらない方法で関連している。だから何かの原因を求めたいとするなら、宇宙の創生を知らねばならない。宇宙の創生と人が調和をとり、陽気ゆさんする姿を表すのがおつとめです。
 6年前に、長男が神の子として、夫婦で模範を示すと誓ったことを、いつの間にか忘れて我が身勝手な生き方をしてるから、おつとめをすることで、改めてしっかり再誓約しなさいと言っている。


          前生も来生もない
          今がこの世のはじまりと
          人間思案の「思考」を払い
          神の「意識」で生きる

何で  いづむど  

2015-04-27 19:31:08 |  エッセイ
                             陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき七号

  一れつハいまゝでしらん事やから みなぢいくりといづみいるなり 七 42
   一列は今まで知らん事やから 皆じっくりと、いづみ入るなり
誰でも、問題は沢山あるでしょう。その中には、確かに処理しなければならない状況もあるでしょう。でも、何故すべての状況を、自分の問題にかえてしまうのか。何よりも「楽しむ」こと自体が一番大切なことではないか。
 問題を抱えている、ということ自体、意識が状況に、どっぷりとつかり、気づかぬうちに、それが自分の一部になってしまっている。状況に圧倒されて本当の自分を失ってしまっている。今一つやればいいことを、これから、百もやらねばという重荷を背負い、心を押しつぶしている。
 このように問題をこしらえるということは、それが「痛み」をこしらえる、「いづむ」姿になるということ。(42、48)

  はやへと心いさんでせきこめよ 月日まちかねこれをしらんか 七 49
   早々と心勇んで急き込めよ 月日待ちかね、これを知らんか
自分がこうだと決め込んでいることが、実は問題を起し、それが自分の足かせになっていないか。迷信などの陋習に無意識にのっかり、いつの間にかその囲いの中で、自分が制限されていることも感じずに、それですべてよしと甘んじていないか(51)。
 そして、本来の自分を忘れ、それらのしばり、シガラミの中で無益に生きることだけにとらわれて、人生のほとんどを無駄に過ごしていないか。「をびやほうそ許し」を出した今、自分の道を、早く決断しなさい(49)。

  月日よりこのぢうよふをせかへぢうゑ はやく一れつしらしたるなら 七 64
   月日より、この自由を世界中へ 早く一列知らしたるなら
自我々欲の思考に気づいたら、そこから、自分の意識をしっかり感じてみるのです。思考がなくなれば、スペースができて、神の意識を感じる(59)。
 状況は、反抗せず、受け入れてしまうと、問題がなくなり、気づきが生まれる、その気づきから(63)、自分の中に神(宇宙の創造主)の意識を感じことができる。そして、自分の体内に人類創生がよみがえり、「今に在る」を実感する。
 毎朝の起床、何のしばり、シガラミのない人類創生・「今がこの世のはじまり」の目覚めから。
 今日の「今」からは、全ては新鮮を味わう、喜びばかりの「自由自在」(50)。


          をびやで、意識をかえる
          今がこの世のはじまりに気づく
          失った本来の自分が甦る
          人生に深さがもどる
          初々しさ、新鮮さをとり戻す
          「自由自在」を味わう         

今が  この世のはじまり

2015-04-26 21:52:18 |  エッセイ
                     中山みき様が宇宙の真理を示す、と書かれた
                     みかぐらうたとおふでさき。幾多の解説書と 
                     時代背景の考察などなし、ただ繰り返し読む
                     ことで、真意のバイブレ-ションを受け取れ
                     るはずという確信で、感じたままを表したい。
                             陽気づくめとよだ(磐田)講


 おふでさき七号の真のテーマは、35の「今がこの世のはじまり」です。「をびや」がその入り口の歌ということ…。
 その前に
  このよふの元はじまりハとろのうみ そのなかよりもどぢよばかりや 六 33
   この世の元創まりは泥の海 その中よりもドジョウばかりや
 神(宇宙の創造主)が、人間の陽気ゆさんを見たいと思って、天と地の間に人間を創った。そして、太陽、月、空気、植物、鉱物などなど…と一つ一つ環境を整えていった。
 長い年月を経て、人も宇宙の進化とともに意識を改革、同調して、今日まで生き続けてきているが…、

 その創造の起源を、忘れてしまったように、進化の意識を滞り、遅らせようとしている「怖き、危なき道」があって見ていられない姿となっている。
 それは、人々が人間思案の「思考」の限りない物欲の世界に染まり、今を受け入れず、更なる欲を求めて、心を未来にばかり向けることに原因がある。

  いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら 七 35
   今までも今がこの世の創まりと 言うてあれども何の事やら
人類創造のときは、何も無いところから始まり、見る、聞く、味わう、触る、嗅ぐ、何をしても、みな新鮮で、全てが喜びであった。
 そればかりか、自由奔放の世界を謳歌できていたのに、ときが経つとともに人間思案の「思考」がシバリ、シガラミをつくり、それによってアクセクしているのは、人間自身がつくった迷信、雑学などが災いしていることにあると、早く気づきなさい。
 その気づきこそ「今がこの世の創まり」という「今に在る」生き方に目覚めることになる。

 七号の29の「この利益」とは、をびや許しの利益をいただくことで、40、41「をびやたすけ」までを挟んで、その真ん中に、この今が、この世の創まりの歌がある。
 迷信、雑学などの陋習からの解放されて、「今がこの世の創まり」という、「楽しむ」入り口に立たなくてはならない。それが、「いま」だというのです。何時からではなくて、気づいた「今」から、ということなのです。
 人間は常に変化と成長を求められているはずだから、全てに適応される総合ルールなどはないだろう…。
 この歌は、「今がこの世の創まり」という真理は今も、今から続くこれからも、人間が、私たちが生き続ける限り、絶対必要なルールということを歌っている。
 この歌で、私たちは、みかぐらうたとおふでさきが永久の真理であると確認できる。


          今、この瞬間だけ」が、人々を解放できる
          昨日でも明日でもなく、「今、この瞬間」にしか
          存在できない、「今に在る」ことだけが
          貴方の意識の状態を変容させる。

をびや  たすけ

2015-04-25 17:29:57 |  エッセイ
                             陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき七号

 おふでさきに、「をびや…」と言う語は、この七号40、41、78、80、97。そして、八号の32「をひや…」ですが、八32については、八号のときに確認しますが、中山みき様の「おびや許し」の話しではなくて、長男が金儲けのために出した、をびやの守り札のこと。
 だから、いわゆるおびや許しの「をびや…」は、この七号の5箇所とみかぐらうた五下り目二ツだけ、ということ。

  このたすけはやくりやくをみせたさに 月日の心せくばかりやで 七 29
   この助け早く利益を見せたさに 月日の心急くばかりやで
私たちは、いつの時代も、進化するか、死滅するかという重大な選択を迫られている中に生きているといっていい。
 旧習を手放すこともできず、それに必死にしがみついて生きるか、それとも、勇気をだしてその枠から飛び出して、新たな意識の体験を試みる。実際はもう体験をしている人々も含めても、後者の方が比較的数は少ないようである。
 しかし、人間の心の構造が変化しなければ、私たちはいつまでも基本的に同じ世界を、同じ悪を同じ機能不全を繰り返し、創造し続けてしまうことになる。

 古い意識が解体すれば、それに応じて、人間だけでなく、地理的にも、気候も、そして、自然も元に戻り、安定した調和が維持されるようになる。
 人が本当にたすかるには、むなしい旧来の陋習を捨て去り、宇宙の真理にそった意識に目覚めて実践することしかない(6-10)。それに気づくことこそ、人々が救われる道、「楽しむ」を味わう道であると伝え、ここに歌ったのです。

  このたびハをびやたすけのしんぢつを はやくたすけを月日せけども 七 41
   この度はをびや助けの真実を 早く助けを月日急けども
医学の力が乏しい時代、出産は難産多く、その前後に生命を落す人も多かった。妊婦は妊娠中、ケガレだと隔離する。立ち居振る舞い姿勢。食べ物の制限などと守るべき禁忌が多かった。
 出産は、人間以外の動物がそうであるように、人間を創めたときから安産は守護されていますと、迷信、雑学などの陋習を捨てることで、安産は保証されていると伝えて、先ず女性を解放したのです。

 今日のテーマ七号29から、この41の歌までに「自由」「自由自在」という語が5回も使われいて、をびやが、陽気づくめになくてはならない、正しく原点ということが分かる。


        この度の「自由自在」で得心せ
        今まで、こんな事は知ろまい
        これ程の「自由自在」の真実を
        話しするのは、今始めやで
        この先は何時になりてもこの通り
        「自由自在」を早く知らする

怖き、危なき   道

2015-04-24 22:44:27 |  エッセイ
                             陽気づくめとよだ(磐田)講

おふでさき七号

  このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし 七 4
   この所、元なるぢばの事ならば 創まり出しを知らん事なし
  上たるゑこのしんぢつをはやへと しらしてやろと月日をもゑど 七 5
   上たるへ、この真実を早々と 知らしてやろと、月日思えど
地球の生命体は、先ず海で進化した(六33、34)と考えられている。果てしない年限を経て、変化と進化し続けている。宇宙は今も猛スピードで拡大、膨張を繰り返しているという。
 私たちも、同様に進化、成長を求められて、この世に生を受けた。そして、更により以上のもっと何かを付加したいと思って励んでいるはず。もしそうでないなら、人がこの世に存在する理由がなくなってしまう。(七2)

 それなのに、
  月日にハたんへみへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので 七 7
   月日にはだんだん見える道筋に 怖き、危なき道があるので
  それしらすみな一れハめへへに みなうゝかりとくらしいるなり 七 10
   それ知らず、皆一列は銘々に 皆うっかりと、暮らし居るなり
長男らは、記紀神話という古い時代の物語を頼りに、その古い習慣に従った生き方を求めているが、そういう古い過去の法やルールの大半は、新しい時代を生きている者には、適切ではなくなっている。大半は、もう今の時代には合わないから、進化、成長する宇宙の真理に外れる。それこそ、成長の足を引っ張る「怖き、危なき道」と警告している。
 真理とともに、人の意識も、ともなった成長を求められているときに「大きいだ。小さいだ」(14)などと、物欲の御利益信仰に染まっていると、とても宇宙とは共振できず、振り落とされてしまう。

 では、振り落とされないためには、どうしたらいいのか。新しい時代に生きためのルールは、何か。それがこのおふでさき七号の大きなテーマの一つとなっている「をびやたすけ」…
 そして、進化する新しい時代の全てに適応される、不変の総合的ルールはあるのか…、
ということなどを、この七号の中から見つけていきたいと思う。

 1~14までの歌は、それらを知るための、前置きの歌になっている。


        自然は、進化し続ける宇宙の美しい表現
        人が宇宙の進化の奥の知性と調和あれば
        人はもっと高い素晴らしいレベルで
        宇宙の進化を表現するだろう


この世治める  真実の道

2015-04-23 21:19:18 |  エッセイ
                             陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき六号

  このたひハめづらし事をゆいかける 心しづめてこれきいてくれ 六 1
   この度は珍し事を言いかける 心静めてこれ聞いてくれ
「めづらし事」は、元の理のことで、おふでさき四号(122-125)でふれたことを、ここで具体的に表した。
 理解し易くするために、長男が同じ屋敷内に祀っている、天皇家の先祖の神々を引用して、人類創造の元の理の話で、人は皆、平等の魂であることを伝えようとした。

  このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち 六 4
   この道はどういう事に思うかな この世治める真実の道
 おつとめには、人類誕生のときを再現して(7)、その調和の姿を確認することで、人々が「楽しむ」生活の規範にしてほしいという神の思いがある。
 おつとめの、神を演じるつとめ人衆10人の一人一人を、天皇家の先祖の神名で呼ぶことで、人は神である、神の子である、皆尊い魂を持っていることを示した。

 この世に生をうけた人間は、みな平等であり、天然自然の理にもとづき、その姿を神(宇宙の創造主)と宇宙に発進するおつとめは、全ての人が「楽しむ」理想の姿も表しているから、「この世治める真実の道」と歌っているのです。

 この珍しい、貴重なお話を聞き入れることは、人々が次のステージに上がるための入り口となる。だから、ここで襟を正すというか、赤衣を着ることで、心身ともに神・月日であることを公言して、みき様が「神の社」であることを再認識させた(55、56)。
 次へのステージ(おふでさき七号)へ行くために…


     『貴方も神です。』
 
     「自由自在」
     貴方はすでに「それ」をもっている
     けっして、外側からやって来るのではない
     貴方の人間思案の「思考」がそれを邪魔してる
     神の子と気づき、神の「意識」になることで
     「それ」を悟ることができる


良き事しても  悪しきでも

2015-04-22 20:26:32 |  エッセイ
                             陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき六号

  これからはよき事してもあしきでも そのまゝすぐにかやしするなり 六 100
   これからは良き事しても悪しきでも そのまま直ぐに「かやし」するなり
良きこと、悪しきことに対して、直ぐに「かやしする」と言う、それぞれどのような「かやし」があるのかを確かめてみたい。

 その次の歌(101)が、「今までは何か悟りもありた」と、人間思案の思考、を批判して、112ー128で歌っているので、思考の悟りの方から進める。
 天皇家の先祖12柱を祀る信仰は、天皇一人を絶対君主と仰ぐ差別思想。人は皆神の子で平等という宇宙の真理から外れる。宇宙、天然自然は全て調和を維持することで、進化し生き続けている。
 それに対して、差別主義は、権力、支配欲、物欲からなっていて、人殺しと破壊さえもいとはないから、必ず自然からの仕返しを受けることになる。

 だから、
  月日よりぢうよちざいとまゝとけと まだいまゝでわみゑた事なし 六 128
   月日より自由自在とまま説けど 未だ今までは見えた事無し
「かやし」の結果を「自由自在」という言葉で表現して、思考の「悟り」では、今だかって、見えたこと、「無し」。すなわち、思考には神も宇宙も反応しないということ。何の御利益、前進も無し。喜びも無し。

 それに対して、102-111の人間思案の「思考」のない神の「意識」の「悟り」なら、おつとめから学んだ調和を目指す生き方だから、「万の守護(102、109)」する。
 その前提にと、106、108の歌で、「息、手踊りで皆たすける」。
 これは、息は声を出すことだから、みかぐらうたを声を出して歌い手振りをつけること。朝に夕に手踊りをつとめて、みかぐらうたの精神を生かして、日々を送る。そこに神の意識を感じることができて、神と一体になる(110)ことで、自由自在を味わう。


        これを見て如何な者でも得心せ
        心次第に如何な自由
        どのような事をするのも真実の
        心次第に皆してみせる
        自由自在は外から誰かが届けるではない
        神が その心の内を確かめて
        自分の中にあることを気づかせる

元の理を  かやす

2015-04-21 21:32:02 |  エッセイ
                             陽気づくめとよだ(磐田)講

 おふでさき六号

  このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六 8
   この世を創めてからに無いつとめ また創めかけ確か治める
この六号は、前半と後半の二つに分かれている。
 前半は54まで。6、13、18、29で歌っているように、かんろだいづとめと、つとめ人衆の話し(29-54)がテーマとなっている。

 55からの後半は、「かやし」がテーマ。
 かやしは、いつの間にか、本道からはずれてしまっているのを、元の本道に連れ戻す・返らせるという意味が強い。
1、赤衣を着ること(55-79)は、みき様は「神のやしろ」で、姿は人間でも、心は神だから(56)神と一体なのに、長男と側近らは、天皇家の先祖12柱の神の方が尊いと言い、みき様をないがしろにしている(66)から、神・月日の象徴である赤衣を着て、今までも、これからも神であると公言した。
 それは、居直って、張り合っている唐人(長男ら)に、みき様を神と再認識するように、心を元に戻す、かやす行動だったのです。

 2、唐人らの考えの基となっている記紀神話の人類創世の話しは、天皇制の国の政策によるもので、明らかに差別思想であるから、よく確かめなさい(27)。と言ってから、
 元の理を伝えることで(80-88)、天皇も含めて、この世に生をうけた人間は全て平等であると教えて、本来の人の生き方に目覚める、かえるように歌った。

  いまゝでハなにかさとりもありたけど もふこれからハさとりないぞや 六 101
   今までは何か悟りもありたけど もうこれからは悟りないぞや
今までの、人間思案の「思考」をすっきり払って、これからは、神の子としての自覚を持って、未来に目を向けるでなく、「今に在る」生き方を実行してほしい。
 そこに、不安、苦悩は全て消え去り、喜びと安らぎとともに(108)、ことがスム-ズに流れ始めると感じるようになる(109)。

 「病まず死なずに暮らす事なら」 (110)、人間思案の「思考」でなく、おつとめの精神、神の「意識」に目覚めて行動する限り、すること全て、どんな些細な行動でも、その意識に高潔、思いやりが加わり、神と一体となるということ。
 それに気づいたときに、陽気づくめがある(5)。


        意識が変わるとは
        現状に支配されない
        自由な自分にかえること……

        意識が変わると
        新しい創造が始まり
        ステージが変わる