陽気づくめとよだ(磐田)講
おふでさき七号、
どのよふなたすけするのもみなつとめ 月日ゆうよにたしかするなら 七 83
どのような助けするのもみなつとめ 月日言う様に確かするなら
皆が、「をびやほうそ許し」を心から理解、納得して新しい「意識」に目覚めて、「楽しむ」生き方をする姿を見たい。人が目覚めるためには、どうしても宇宙の調和と人類誕生を表すおつとめを実行しなければならない。
おつとめのつとめ人衆は、一人一人が神の役割を演じるから、我身思案の「思考」があってはならない。月日(神)が求める、神の子として、神の「意識」の心づくりを目指す意識がなければつとめられない(6-14)。
つとめでもをなぢ事てハないほどに みなそれへとてへをふしゑる 七 88
つとめでも同じ事では無い程に 皆それぞれと手を教える
そのつとめというのは、もちろんかんろだいづとめのことである、ということがこの歌から分かる。
かんろだいづとめは、今でこそ、教団が独占すべきとしているが、実は始めてつとめられたのは、明治7年(陰暦)5月5日、中山みき様の実家だったということがおふでさき四号などで分かる。更に、そのおつとめは、その後、私の今住んでいる静岡県ばかりでなく、各地で実行もしくはその準備がされていた記録がある。
みかぐらうたでは、かんろだいづとめをつとめるつとめ人衆の姿を、よろづよで、「大和のぢばの神(様)方と歌っている。世界中は神の体(三40、135)だから、「ぢばの理」は世界中の何処へでも、移動できるし、そうでなくてはならないはず。静岡でつとめるなら、静岡のぢばの神(様)方ということになる。
おふでさきのこの歌で、「をびやほうそ許し」をかんろだいづとめで確認しなさい、と言っても、限られた所でしかできないというなら、いつまで経っても、その許しが理解できず、「後の仕事はどんな事でも(77)」とまで歌って伝えた、その神意を無視することになってしまう…
皆が神の子としての自覚がなく、価値ある自分に気づかず、「楽しむ」ことを忘れて、自分を導いてくれと、自分より尊いであろう人、尊いであろうルールを探し求めることだけに、人生の大半を、無駄にすごしている姿がまことに残念
月日よりこの一ぢよをはらしたら あとのところわよふきづくめや 七 92
月日よりこの一条を晴らしたら 後のところは陽気づくめや
をびやほうそ許し、でそれが晴らせたら、皆はそれぞれの自分の価値に気づくことができて、本来の神の子との意識に目覚める。そこに陽気づくめの姿がある。
気づきは人間思案の「思考」から人を切り離す
「思考」を越えた偉大な人生が働きかける
人は自分が何者かを意識し、変化が起こる
神の子に目覚め、陽気づくめがある
おふでさき七号、
どのよふなたすけするのもみなつとめ 月日ゆうよにたしかするなら 七 83
どのような助けするのもみなつとめ 月日言う様に確かするなら
皆が、「をびやほうそ許し」を心から理解、納得して新しい「意識」に目覚めて、「楽しむ」生き方をする姿を見たい。人が目覚めるためには、どうしても宇宙の調和と人類誕生を表すおつとめを実行しなければならない。
おつとめのつとめ人衆は、一人一人が神の役割を演じるから、我身思案の「思考」があってはならない。月日(神)が求める、神の子として、神の「意識」の心づくりを目指す意識がなければつとめられない(6-14)。
つとめでもをなぢ事てハないほどに みなそれへとてへをふしゑる 七 88
つとめでも同じ事では無い程に 皆それぞれと手を教える
そのつとめというのは、もちろんかんろだいづとめのことである、ということがこの歌から分かる。
かんろだいづとめは、今でこそ、教団が独占すべきとしているが、実は始めてつとめられたのは、明治7年(陰暦)5月5日、中山みき様の実家だったということがおふでさき四号などで分かる。更に、そのおつとめは、その後、私の今住んでいる静岡県ばかりでなく、各地で実行もしくはその準備がされていた記録がある。
みかぐらうたでは、かんろだいづとめをつとめるつとめ人衆の姿を、よろづよで、「大和のぢばの神(様)方と歌っている。世界中は神の体(三40、135)だから、「ぢばの理」は世界中の何処へでも、移動できるし、そうでなくてはならないはず。静岡でつとめるなら、静岡のぢばの神(様)方ということになる。
おふでさきのこの歌で、「をびやほうそ許し」をかんろだいづとめで確認しなさい、と言っても、限られた所でしかできないというなら、いつまで経っても、その許しが理解できず、「後の仕事はどんな事でも(77)」とまで歌って伝えた、その神意を無視することになってしまう…
皆が神の子としての自覚がなく、価値ある自分に気づかず、「楽しむ」ことを忘れて、自分を導いてくれと、自分より尊いであろう人、尊いであろうルールを探し求めることだけに、人生の大半を、無駄にすごしている姿がまことに残念
月日よりこの一ぢよをはらしたら あとのところわよふきづくめや 七 92
月日よりこの一条を晴らしたら 後のところは陽気づくめや
をびやほうそ許し、でそれが晴らせたら、皆はそれぞれの自分の価値に気づくことができて、本来の神の子との意識に目覚める。そこに陽気づくめの姿がある。
気づきは人間思案の「思考」から人を切り離す
「思考」を越えた偉大な人生が働きかける
人は自分が何者かを意識し、変化が起こる
神の子に目覚め、陽気づくめがある