陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

上たる心  だんだんと心鎮めて

2019-03-26 17:14:13 | 宗教
 おふでさき一号で
   この度は神が表へ現れて 何か委細を説いて聞かする
   聞きたくば尋ね来るなら言うて聞かそ よろず委細の元の因縁
 と宣言して、
   一列に早く助けを急ぐから 世界の心勇めかかりて
 よろず委細を聞き入れる心の準備、全てを前向きに受け入れるよう、「心勇めかかる」こと、それは自分(神)の伝えたいことが、相手に伝わる必要条件なのです。

  このさきハ上たる心たんへと 心しづめてハぶくなるよふ 一 19
   この先は上たる心段々と 心鎮めて和睦なるよう
   この和睦難しようにあるけれど だんだん神が守護するなり
 「上と神との心わける」ことは、おふでさきの大きなテーマの一つ。そのテーマにそって24~44で身近な秀司の「あくじ」を指摘して、「上たる心」を問い詰める。秀司の妻おちゑは、みき様をいっかいの姑と侮り、「神の言うこと聞かず」、「何も嘘や」と言って退けるが、秀司はそれを黙認する。だからそこへ「あくじを退けて見せる」と言い放って、おちゑが戸主秀司の妻であると居直る「上たる心」を正そうとする ― 「みな揃って早くつとめするならば、側が勇めば神も勇むる」 ― その期日を「正月三十日と日を切る」ことで秀司、おちゑの対応を待つ。その結果、秀司一人がお屋敷に留まり、おちゑは、二人の子供を連れて出て行く。
 「上たる心」とは、「神」を受け入れずに「上」に従い、自らも上振る舞いすることで、それが「神の立腹」 ― 秀司はみき様の道、「神一条」が自分の進むべき道という確信も持ちながら、背信行為をしているから、その結果勇めなくなり、足のチンバはいつまでも直らない。だから心鎮めてしっかり思案すれば、それが神の立腹からであることに気づく。気づいてすぐ改めるなら、それが正しく神との和睦…
 44で、秀司に「如何な心もみなあらわれる」と語って、次の45~58にかけて、「悪しきと言うてないけれど、一寸のほこりがついたゆへ」と諭している。

 24~68の歌では、「知りて話して話しするなり」と、いかにも万葉集ふうの流暢な表現をするだけでなく、その45首の内に「(表)らハ」、「し(足)」、「くじ(悪事)」、「し(悪)き」、「と(後)」というように、○○の語彙を20首も羅列する。同じ言葉や、同じ句を何度も繰り返す詩的表現を用いて、人間にとって最も基礎的な部分に訴えかけようとする。

 そして、58で、「内を治める模樣だて」と歌って、秀司に訴える。
 59~68で、「段々と神の言うこと聞くならば」、その目覚めた意識に神が働いて、限りない自由がある ― 今年より60年の生命を請け負う。新たな若き女房に恵まれる。後の支配を万づまかせる。5人の子宝にめぐまれる。
 もちろんそのためには、相応の心を定めなければならない。おちゑと二人の子供、お秀までも手放さずを得ず、屋敷のそうじは進むが、次は…
 足痛となっている「あくじ」に気づき、秀司自身の「上たる心」を一掃! 神に凭れて 全てを手放す!

    すべて手にした人間より
    すべて手放した人間に 宇宙は発注する
                     k-zerostyl


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講


この度は  神が表へ現れて

2019-03-19 19:11:36 | 宗教
 江戸時代末期から明治の初め頃の新しい宗教開祖のほとんどは、「神がかり」がその契機になっている。当時の社会にあっては、「神がかり」による言葉には、周囲の人々を説得するだけの力があった。神がかる、およそ人格変換というものは、如何に変わっても、本人の心の内容以外に、出づることはないもので、神がかりによって、周囲の人々に自分の立場を認めさせたとしても、その言葉や行動は、それ以前に培ったもの以外は出てこない。『迷信と妄想』
 この発想にならうなら、みき様に天の将軍や十柱の神がおりても、その教理は『本人の心の内容』、従来の信仰たる浄土宗などが出づるもとにあることは一理あるだろう。またそれを含めて、みき様のあらゆる下地から生み出された直筆のみかぐらうたとおふでさき、その歌体はどこに起因するのかと考えるとき、
 かんろだいづとめの地歌、よろづよ八首、一下り目二下り目、三下り目から十二下り目の地歌、そしておふでさき一号から十七号の多彩な歌体は、「万代よ」、「大和」の語彙がその書の重みをなしている万葉集に見ることができるのでは…。
 おふでさきは自動書記によってなったと言っても、1,711首をつづったその礎は、万葉集の4,500余の歌の多くを繰り返し口ずさんでいたことで、湯水のように湧き出たという想像は当て外れではあるまい。

 おふでさき一号の冒頭 1~13の歌の出づる所も、やはり万葉集冒頭に見ることができる。
  大和には 群山ありと とりよろふ 天の香具山 登り立ち 
  国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ 
  うまし国そ あきづ島 大和の国は ― 大和には群がった多くの山々があるといって、それを周囲にめぐらしている天の香久山。上り立って国見をすると、国原は盛んに煙りが立っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。すばらしい国だ。あきづ島大和のくには。

 おふでさき冒頭の1~13の歌は、万葉集のこの「国見をすれば」が背景となって、
  このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする 一 3
   この度は神が表へ現れて 何か委細を説いて聞かせる
 と、歌い始めている。みき様はこのように万葉集の歌も借りるようにして、意識の中で新しい世界、新しい生命を生み出し、それを「何か万づを歌の理で責め」と歌にしたためた。

 この国見をする天皇を万葉集は「大君は神にしませば」と歌っていて、まずその筆頭で、
  …そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて
  我こそいませ 我にこそは 告らめ 家をも名をも ― この大和の国は、すっかりわしが平定した。あたり一帯すべて統治しているのだ! ここには相手に有無を言わさぬような強引さ、威圧感がある。

 それに対する、みき様が伝える神は
   皆揃って早くつとめをするならば 側が勇めば神も勇むる
   一列に神の心がいづむなら 物の立毛が皆いづむなり
   立毛のいづむ心は気の毒や いづまんようと早く勇めよ
 神、人間、立毛は一体 ― 身の回りにはたくさんのエネルギーがあって、人間もエネルギーで動いている。生きていくために、食物からエネルギー源を摂取するが、食物もまた自然(神)からのエネルギーが欠かせない。このエネルギーを高めるためには、「いづまんよう」にポジティブな波動、「勇む」波動がなくてはならない。人間が「勇む」ところに、神の自由の波動が働いて、全てが共振することで、陽気づくめがある。
    …… 空間エネルギーに存在を 与えているのは
    わたしたち ひとりひとりの意識……
    意識なしに 宇宙は存在しない         k-zerostyl

   この先は上たる心段々と 心静めて和睦なるよう
   この和睦難しようにあるけれど 段々神が守護するなり
 新政府が掲げようとする万葉集の神、「上」とみき様が語る「神」とは大きな隔たりがある。「上」の支配では万民の陽気づくめは望まれない。だから、この上たる心と「和睦」なるようにする。ここに人間の真実の「親・神が表へ現れる」大きな要因を見る。


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