おふでさき一号で
この度は神が表へ現れて 何か委細を説いて聞かする
聞きたくば尋ね来るなら言うて聞かそ よろず委細の元の因縁
と宣言して、
一列に早く助けを急ぐから 世界の心勇めかかりて
よろず委細を聞き入れる心の準備、全てを前向きに受け入れるよう、「心勇めかかる」こと、それは自分(神)の伝えたいことが、相手に伝わる必要条件なのです。
このさきハ上たる心たんへと 心しづめてハぶくなるよふ 一 19
この先は上たる心段々と 心鎮めて和睦なるよう
この和睦難しようにあるけれど だんだん神が守護するなり
「上と神との心わける」ことは、おふでさきの大きなテーマの一つ。そのテーマにそって24~44で身近な秀司の「あくじ」を指摘して、「上たる心」を問い詰める。秀司の妻おちゑは、みき様をいっかいの姑と侮り、「神の言うこと聞かず」、「何も嘘や」と言って退けるが、秀司はそれを黙認する。だからそこへ「あくじを退けて見せる」と言い放って、おちゑが戸主秀司の妻であると居直る「上たる心」を正そうとする ― 「みな揃って早くつとめするならば、側が勇めば神も勇むる」 ― その期日を「正月三十日と日を切る」ことで秀司、おちゑの対応を待つ。その結果、秀司一人がお屋敷に留まり、おちゑは、二人の子供を連れて出て行く。
「上たる心」とは、「神」を受け入れずに「上」に従い、自らも上振る舞いすることで、それが「神の立腹」 ― 秀司はみき様の道、「神一条」が自分の進むべき道という確信も持ちながら、背信行為をしているから、その結果勇めなくなり、足のチンバはいつまでも直らない。だから心鎮めてしっかり思案すれば、それが神の立腹からであることに気づく。気づいてすぐ改めるなら、それが正しく神との和睦…
44で、秀司に「如何な心もみなあらわれる」と語って、次の45~58にかけて、「悪しきと言うてないけれど、一寸のほこりがついたゆへ」と諭している。
24~68の歌では、「知りて話して話しするなり」と、いかにも万葉集ふうの流暢な表現をするだけでなく、その45首の内に「あ(表)らハ」、「あし(足)」、「あくじ(悪事)」、「あし(悪)き」、「あと(後)」というように、あ○○の語彙を20首も羅列する。同じ言葉や、同じ句を何度も繰り返す詩的表現を用いて、人間にとって最も基礎的な部分に訴えかけようとする。
そして、58で、「内を治める模樣だて」と歌って、秀司に訴える。
59~68で、「段々と神の言うこと聞くならば」、その目覚めた意識に神が働いて、限りない自由がある ― 今年より60年の生命を請け負う。新たな若き女房に恵まれる。後の支配を万づまかせる。5人の子宝にめぐまれる。
もちろんそのためには、相応の心を定めなければならない。おちゑと二人の子供、お秀までも手放さずを得ず、屋敷のそうじは進むが、次は…
足痛となっている「あくじ」に気づき、秀司自身の「上たる心」を一掃! 神に凭れて 全てを手放す!
すべて手にした人間より
すべて手放した人間に 宇宙は発注する
k-zerostyl
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
この度は神が表へ現れて 何か委細を説いて聞かする
聞きたくば尋ね来るなら言うて聞かそ よろず委細の元の因縁
と宣言して、
一列に早く助けを急ぐから 世界の心勇めかかりて
よろず委細を聞き入れる心の準備、全てを前向きに受け入れるよう、「心勇めかかる」こと、それは自分(神)の伝えたいことが、相手に伝わる必要条件なのです。
このさきハ上たる心たんへと 心しづめてハぶくなるよふ 一 19
この先は上たる心段々と 心鎮めて和睦なるよう
この和睦難しようにあるけれど だんだん神が守護するなり
「上と神との心わける」ことは、おふでさきの大きなテーマの一つ。そのテーマにそって24~44で身近な秀司の「あくじ」を指摘して、「上たる心」を問い詰める。秀司の妻おちゑは、みき様をいっかいの姑と侮り、「神の言うこと聞かず」、「何も嘘や」と言って退けるが、秀司はそれを黙認する。だからそこへ「あくじを退けて見せる」と言い放って、おちゑが戸主秀司の妻であると居直る「上たる心」を正そうとする ― 「みな揃って早くつとめするならば、側が勇めば神も勇むる」 ― その期日を「正月三十日と日を切る」ことで秀司、おちゑの対応を待つ。その結果、秀司一人がお屋敷に留まり、おちゑは、二人の子供を連れて出て行く。
「上たる心」とは、「神」を受け入れずに「上」に従い、自らも上振る舞いすることで、それが「神の立腹」 ― 秀司はみき様の道、「神一条」が自分の進むべき道という確信も持ちながら、背信行為をしているから、その結果勇めなくなり、足のチンバはいつまでも直らない。だから心鎮めてしっかり思案すれば、それが神の立腹からであることに気づく。気づいてすぐ改めるなら、それが正しく神との和睦…
44で、秀司に「如何な心もみなあらわれる」と語って、次の45~58にかけて、「悪しきと言うてないけれど、一寸のほこりがついたゆへ」と諭している。
24~68の歌では、「知りて話して話しするなり」と、いかにも万葉集ふうの流暢な表現をするだけでなく、その45首の内に「あ(表)らハ」、「あし(足)」、「あくじ(悪事)」、「あし(悪)き」、「あと(後)」というように、あ○○の語彙を20首も羅列する。同じ言葉や、同じ句を何度も繰り返す詩的表現を用いて、人間にとって最も基礎的な部分に訴えかけようとする。
そして、58で、「内を治める模樣だて」と歌って、秀司に訴える。
59~68で、「段々と神の言うこと聞くならば」、その目覚めた意識に神が働いて、限りない自由がある ― 今年より60年の生命を請け負う。新たな若き女房に恵まれる。後の支配を万づまかせる。5人の子宝にめぐまれる。
もちろんそのためには、相応の心を定めなければならない。おちゑと二人の子供、お秀までも手放さずを得ず、屋敷のそうじは進むが、次は…
足痛となっている「あくじ」に気づき、秀司自身の「上たる心」を一掃! 神に凭れて 全てを手放す!
すべて手にした人間より
すべて手放した人間に 宇宙は発注する
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中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講