休みの日にちょぼちょぼと作業してると、
本当に遅々として牛歩…。
ランチタイムにもれなくアルコール摂取するのが
いけないのよね。
でも私、なんだかんだ言いながら、基本的に休日しか
飲酒してないから。
ほんとほんと。
お目こぼしください。
さて、グダグダ着付けに割烹着というおウチ着物で
もちろん歩き方も所作も身につくはずもなく
過ごしておりますが、
考えるともなく考えてしまうのが、
いわゆる「あるべき和服の着姿」論。
成人式と浴衣のシーズンに盛り上がりやすい、
あれですね。
もう今更「着物にブーツなんて」「正絹じゃなきゃ恥ずかしい」
の類に対しては「あーはいはい承っておきます」で
流せると思います。
とはいえ、ぐっと立ち止まってしまうのが、
「和洋折衷も着崩しもいいけど、基本を
身に付けてからにしてはどうか」というもの。
「正しい型があってこその崩しだろう」と。
説得力ありますよねぇ。
五七五で俳句詠んだこともないのに、いきなり破格とか。
毛筆持つの初めてなのに、草書体教えろとか。
クッキーも焼いたことないのにウエディングケーキ
作りたいとか。
デッサンも出来ないのに抽象画もどき描いて
アートとか言っちゃって~と
同じ事してるのかしらね私…とね。
もっと優しい人は「基本を身につけた上でと
言っていても始まらない。
どんな形であれ、実際に着る経験を
重ねていく中で体得していけば」
になるんですが…。
て事は、着物にパーカーインしてスニーカーの
スタイルで場数を踏んで、最終ここにたどり着けばいい…

という事になるのかにゃ。
とかね。
いえ、もちろんこれは文句なしの整った形なので、
こういう着姿になるためのスキルを磨くのは、
いい事だと思います。
その努力が楽しいのであれば。
今は良心的な着付け教室も先生も増えているし。
が…「いや、特にこんな感じになりたいわけでは
ないんだなぁ」という場合。
要らないのではないですか?
おはしょり7センチに整える技術は。
「出来ないのと、出来た上であえてやらないのとは
違う」というのは分かるけれど、
和服を着る事だけが人生の目的じゃなし、ですよ。
そこに時間や労力を割いてる場合じゃない
人も多い。
そして思うに、そもそも着物を着る上での
「正しい基本」そのものが、
「ま~ぼ~ろ~し~」なのではないでしょうか。
それなりの年月の積み重ねと、多数派が認めるところが
「正統」の証しと言っていいのかもしれませんが、
「でも私、安土桃山あたりに軸足おいてるんで」
なんて人に、「それより未来の型を習得してからにしなさい」
って、叔父と姪ですよ。
つまり、叔父と姪は結婚しちゃいけないんですよ。
叔父と姪が結婚すると矛盾が生まれるんですよ。
って、フィーの兄ちゃんが言ってた。
(渡辺多恵子著『ファミリー!』参照)
着物の着方の「正しい」基本も基礎も、幻想です。
花魁…いえ、ベルばら着付けのお嬢さんも、
和洋折衷大好き派も、7センチおはしょりに
拳ひとつ分衣紋抜きでなけりゃのご婦人も、
それこそ左前は断じてけしからん派も
そんなん根拠あるんかいな派も、
それぞれのフィクションを楽しんでるに
過ぎない、のではないでしょうか。
まぁ葬式と結婚式だけはねぇ…。
知らずに要らぬ反感買うのは気の毒なので、
「こういう暗黙の了解があって、ものすごく外すと
それなりに波風は立ってしまうよ」と、
子供には教えとくべきでしょう。
それ以外は、他人の抱くフィクションを嫌うのは
自由ですが、わざわざ当の本人に嫌悪感を伝えたり、
自分の方が上だと勘違いして差し出口をきいたり
するのは、やめた方がいい。
だってさ。
「あなたの見ている幻覚は嘘っぱちよ!
こっちの幻がホンモノよ!」
て、ヘンでしょ?
…おもしろいけどね。
本当に遅々として牛歩…。
ランチタイムにもれなくアルコール摂取するのが
いけないのよね。
でも私、なんだかんだ言いながら、基本的に休日しか
飲酒してないから。
ほんとほんと。
お目こぼしください。
さて、グダグダ着付けに割烹着というおウチ着物で
もちろん歩き方も所作も身につくはずもなく
過ごしておりますが、
考えるともなく考えてしまうのが、
いわゆる「あるべき和服の着姿」論。
成人式と浴衣のシーズンに盛り上がりやすい、
あれですね。
もう今更「着物にブーツなんて」「正絹じゃなきゃ恥ずかしい」
の類に対しては「あーはいはい承っておきます」で
流せると思います。
とはいえ、ぐっと立ち止まってしまうのが、
「和洋折衷も着崩しもいいけど、基本を
身に付けてからにしてはどうか」というもの。
「正しい型があってこその崩しだろう」と。
説得力ありますよねぇ。
五七五で俳句詠んだこともないのに、いきなり破格とか。
毛筆持つの初めてなのに、草書体教えろとか。
クッキーも焼いたことないのにウエディングケーキ
作りたいとか。
デッサンも出来ないのに抽象画もどき描いて
アートとか言っちゃって~と
同じ事してるのかしらね私…とね。
もっと優しい人は「基本を身につけた上でと
言っていても始まらない。
どんな形であれ、実際に着る経験を
重ねていく中で体得していけば」
になるんですが…。
て事は、着物にパーカーインしてスニーカーの
スタイルで場数を踏んで、最終ここにたどり着けばいい…

という事になるのかにゃ。
とかね。
いえ、もちろんこれは文句なしの整った形なので、
こういう着姿になるためのスキルを磨くのは、
いい事だと思います。
その努力が楽しいのであれば。
今は良心的な着付け教室も先生も増えているし。
が…「いや、特にこんな感じになりたいわけでは
ないんだなぁ」という場合。
要らないのではないですか?
おはしょり7センチに整える技術は。
「出来ないのと、出来た上であえてやらないのとは
違う」というのは分かるけれど、
和服を着る事だけが人生の目的じゃなし、ですよ。
そこに時間や労力を割いてる場合じゃない
人も多い。
そして思うに、そもそも着物を着る上での
「正しい基本」そのものが、
「ま~ぼ~ろ~し~」なのではないでしょうか。
それなりの年月の積み重ねと、多数派が認めるところが
「正統」の証しと言っていいのかもしれませんが、
「でも私、安土桃山あたりに軸足おいてるんで」
なんて人に、「それより未来の型を習得してからにしなさい」
って、叔父と姪ですよ。
つまり、叔父と姪は結婚しちゃいけないんですよ。
叔父と姪が結婚すると矛盾が生まれるんですよ。
って、フィーの兄ちゃんが言ってた。
(渡辺多恵子著『ファミリー!』参照)
着物の着方の「正しい」基本も基礎も、幻想です。
花魁…いえ、ベルばら着付けのお嬢さんも、
和洋折衷大好き派も、7センチおはしょりに
拳ひとつ分衣紋抜きでなけりゃのご婦人も、
それこそ左前は断じてけしからん派も
そんなん根拠あるんかいな派も、
それぞれのフィクションを楽しんでるに
過ぎない、のではないでしょうか。
まぁ葬式と結婚式だけはねぇ…。
知らずに要らぬ反感買うのは気の毒なので、
「こういう暗黙の了解があって、ものすごく外すと
それなりに波風は立ってしまうよ」と、
子供には教えとくべきでしょう。
それ以外は、他人の抱くフィクションを嫌うのは
自由ですが、わざわざ当の本人に嫌悪感を伝えたり、
自分の方が上だと勘違いして差し出口をきいたり
するのは、やめた方がいい。
だってさ。
「あなたの見ている幻覚は嘘っぱちよ!
こっちの幻がホンモノよ!」
て、ヘンでしょ?
…おもしろいけどね。