果てしないたわごと。

私の気持ちのままに言葉を綴っています。
暖かい目でお付き合い頂ければ幸いです。。

神戸新聞の7日間。

2010-01-30 00:13:11 | たわごと。
放送された日はライブだったのでリアルタイムで見れず
時間のある時にちゃんと見たくて今に至りました。。

翔クンだけが関西弁じゃないのがちょっと気になる設定やけど
下手な関西弁使われるより全然良いやって
まぁ、そんな事を思ったりもしましたが
良いドラマやったと思います。
見てるのが辛かったけど…。

もうね。
予告の時点ですでにヤバかったんですが
見てるのがしんどくて
涙が止まらなくて…
上手く言葉にできないです。



1995年1月17日。
明け方、ゴーって大きな地なりで目が覚め
次の瞬間には今まで感じた事のない、大きな揺れが起きました。

怖くて揺れがおさまるのをふとんの中でじっと待ちました。
予震とかもあって、それからはもう寝れませんでした。

起きた私が目にしたテレビの映像に、ほんまにビックリしました。
同時にあの揺れを理解しました。
京都は震度5でした。


当時、14歳(中3)の私は
テレビが伝える非現実的なニュースに
今日は学校あるのかなぁってそんな事を思ってたのを覚えています。

被災地ではあんなにパニックが起きていたのに
被害のなかった京都の私の地域の認識はそんなものでした。

学校に行くと「すごい地震やったなぁ~」って、みんな興奮しきりでした。
何かしらの事情で学校に来れない先生もいて自習の教科もあり
この日は学校で受験勉強をたくさんしてたのを覚えてます。
「神戸の受験生は受験どころじゃないな」って話をしてたのも覚えています。


この日から空には常に、自衛隊を筆頭にヘリコプターがたくさん飛んでました。
あんなに騒々しい空はあれ以前もあれ以降も私が知る限りないです。

道路もすごい混んでました。
高速が使えない為に下道を走る車が多かったらしく
お父さんが会社に行くのもえらい時間がかかったって言ってました。



被災地でなかった地域の私ですらこんなに鮮明に覚えてる衝撃的な出来事の中で
被災者である神戸新聞の人達の記者としての熱い思いと人間としての葛藤は
誰もがギリギリの精神状態の中でほんまにきつかっただろうなって思います。

前にちょろっと書いたけど
現地に取材に行ったフジテレビの葛西アナが当時を思い出して泣きながら話してたの。
被災者である神戸新聞の記者さん達はそれ以上の思いがあった事でしょうね。。



被災から数年後。
仮設住宅はまだまだあったりしたけれど
私が見た神戸の街はすごい勢いで復興が進んでました。

人間はもろいけど強い。
人間ってすごいなって感動したのを覚えてます。

その気持ちを思い出して
もっと頑張って生きていかなきゃって思えたドラマでした。。



このドラマに出演されていた松本勝サンという役者サンのブログに
翔クンの事が書いてあったんですが
そのエピソードの翔クンの様子が容易に目に浮かびました。

櫻井翔はやっぱカッコイイよッ!!
あたりまえの事ができない大人は多いからさ
さらっと普通にやっちゃう翔クンはやっぱり男前やと思います(*´∀`*)惚