8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (“華”煌めく) 2012-03-29 12:12:44 島根県出身のあの河井寛次郎の記念館が近くにあります。yokoさんのことですから、もう行かれたかも知れませんが。以前、魯山人の作品と並んで展示されているのを見ましたが、まったく比べものにならないくらい強烈な光彩を放っていました。心が現れるようなすばらしい感動を受けました。「河井寛次郎記念館」 〒605-0875 京都市東山区五条坂鐘鋳町569 TEL・FAX (075)-561-3585 月曜休館(祝日は開館、翌日休館) 10:00~17:00(入館受付16:30まで) 返信する Unknown (山水) 2012-03-29 16:59:26 この辺りは静かですね 返信する Unknown (you) 2012-04-01 06:52:43 >HANAさん、河井さんの記念館、今回は立ち寄らなかったんですが、娘がとても不思議がっていました。河井さんと言えば島根・・なのにどうして京都に記念館なのか。足立美術館や県立美術館で娘も何度も作品をみているようですが、発見だったみたいです。 返信する Unknown (you) 2012-04-01 06:53:47 >山水さん、清水寺へ行くのには五条坂や三年坂から行かれる人が多いと思いますが、私はこの道が一番好きです。石畳から見える塔が京都っていうかんじで^^ 返信する Unknown (“華”煌めく) 2012-04-01 14:41:55 河井寛次郎さんは、東京の学校で窯業を学ばれた後、京都市陶磁器試験場に入所されました。その後、京都の宮大工のお嬢さんと結婚されたことなどもあり、ずっと京都に住まわれたのだと思います。そのご自宅跡が記念館になっています。今年3月一人娘さんが逝かれ、お孫さんが後を守っておられるようです。 返信する Unknown (you) 2012-04-01 22:16:13 >HANAさん、娘はそんなこと知らなかったみたいで。私も詳しくは説明しなかったんです・・・この書き込みでそうなんだと言ってくれました。親の言うことはお年頃なので、なかなか・・・HANAさんありがとうございます。今年は古事記1300年です。是非出雲地へお越しください。HANAさん本当にありがとうございます。余談ですが、娘の親友のおばあちゃんちが美保関の石畳通りで、おばあちゃんちへ行くたびに石畳通りの写メ送ってくれます。石畳通りというと私はHANAさんのことしか思い浮かびません。河井さんや美保関のHANAさんの話をすると娘は縁はすごいねって言ってます(隣で)。娘は私と同様、河井さんの母校に進学します。これも何かの縁ですね^^竹下元総理や長崎の永井博士まで、多くの先輩方が卒業生です。すごい縁だなぁとあらためて感じた次第です。 返信する Unknown (“華”煌めく) 2012-04-01 22:41:41 あの永井博士は、島根のご出身だったのですか。初めて知りました。教えていただいてありがとうございます。子どもの頃、遺児のお二人がTVのインタビュー番組に出ていらっしゃるのをチラと拝見したことがありました。長年の放射線科勤務で、余命僅かと宣告され、後を奥さまに託していらした矢先、奥さまの方が原爆で先立たれたのでしたね。幼いお二人のお子さまを残して、ご自分も逝かれるお気持ちを思うと、今も涙が溢れます。被爆されてからも、他の被爆者達の診察を続けられ、お二人のお子さまへの思いを綴られたことをとてもすごいことだと思います。そういえば、出雲に伺ったとき、車窓から永井博士の記念館?のような看板を見かけたような。。。その時、「あれ?」と不思議な気がしました。お嬢様のお気持ちと同じ感じを受けたんでしょうか。島根の方には素晴らしい方たちが多いですね。 返信する Unknown (you) 2012-04-03 12:36:19 >HANAさん、永井博士の記念館、雲南市にあります。雲南市で過ごされておられましたので。昨年長崎でも永井記念館行ってきました。こちらに書いてあります。http://pub.ne.jp/conamore/?daily_id=20110404自分がとても無知だったので、恥ずかしい思いをしました>< 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
yokoさんのことですから、もう行かれたかも知れませんが。
以前、魯山人の作品と並んで展示されているのを見ましたが、まったく比べものにならないくらい強烈な光彩を放っていました。心が現れるようなすばらしい感動を受けました。
「河井寛次郎記念館」
〒605-0875 京都市東山区五条坂鐘鋳町569
TEL・FAX (075)-561-3585
月曜休館(祝日は開館、翌日休館)
10:00~17:00(入館受付16:30まで)
京都市陶磁器試験場に入所されました。
その後、京都の宮大工のお嬢さんと結婚されたことなどもあり、ずっと京都に住まわれたのだと思います。
そのご自宅跡が記念館になっています。
今年3月一人娘さんが逝かれ、お孫さんが後を守っておられるようです。
HANAさんありがとうございます。今年は古事記1300年です。是非出雲地へお越しください。
HANAさん本当にありがとうございます。
余談ですが、娘の親友のおばあちゃんちが美保関の石畳通りで、おばあちゃんちへ行くたびに石畳通りの写メ送ってくれます。石畳通りというと私はHANAさんのことしか思い浮かびません。河井さんや美保関のHANAさんの話をすると娘は縁はすごいねって言ってます(隣で)。娘は私と同様、河井さんの母校に進学します。これも何かの縁ですね^^竹下元総理や長崎の永井博士まで、多くの先輩方が卒業生です。すごい縁だなぁとあらためて感じた次第です。
初めて知りました。教えていただいてありがとうございます。
子どもの頃、遺児のお二人がTVのインタビュー番組に出ていらっしゃるのをチラと拝見したことがありました。
長年の放射線科勤務で、余命僅かと宣告され、後を奥さまに託していらした矢先、奥さまの方が原爆で先立たれたのでしたね。幼いお二人のお子さまを残して、ご自分も逝かれるお気持ちを思うと、今も涙が溢れます。
被爆されてからも、他の被爆者達の診察を続けられ、お二人のお子さまへの思いを綴られたことをとてもすごいことだと思います。
そういえば、出雲に伺ったとき、車窓から永井博士の記念館?のような看板を見かけたような。。。その時、「あれ?」と不思議な気がしました。
お嬢様のお気持ちと同じ感じを受けたんでしょうか。
島根の方には素晴らしい方たちが多いですね。
昨年長崎でも永井記念館行ってきました。こちらに書いてあります。http://pub.ne.jp/conamore/?daily_id=20110404
自分がとても無知だったので、恥ずかしい思いをしました><