毎年巡り来る阪神・淡路大震災は27年目を迎えます。17年目までは発生時間より前に起き神仏に鎮魂のお祈りをしていましたが、それ以後は徐々にいい加減になり今朝も起きたのは6時過ぎ。毎朝の神棚・仏壇に向かいお祈りする行事に含めました。
被災者や物故者を持たれる家では癒える事のないつらく悲しい日でしょうが、誤解を恐れずに言えば「戦争経験者」として受けた被害に比べれば十分でなくても救援がすぐ始まっただけでも助かったのではないかと思います。
以後被災自治体が復旧・復興関連事業に投入した総額は民間も含めて兵庫県だけでも16兆3千億円で事業はほぼ終了したが、県が1兆円、自治体が8兆円、県債1兆3千億、地方債1兆8千億がいまだに返済中で財政負担が重くのしかかっているとか。この間明らかに他都市と比べ新規投資が遅れているのは明白である。
空襲も怖かったけれど、あの時はもっと怖かった。一瞬突き上げるような衝撃音で始まった震度7の烈震。一瞬どこかの部屋でガス爆発かと思ったがすぐ激しい横揺れに変わり地震だっ!と気付きました。
寝室の書棚が倒れ掛かり咄嗟に足を縮めて下敷きになる難から逃れました。後はもうどうなったか記憶も定かではないけれど、以後地震の起きそうな場所や海岸の宿泊は避けてしまいます。
「神戸に地震は来いひん」と言う神話がまことしやかに語られていた神戸にも地震が来ました。それも大地震が。夜が明けて煙と炎に包まれた市街地を俯瞰して、初めて地震が起きたんやと実感。
最初は震源地だと判らず、徐々にラジオでココが震源地だと判明。でも大阪や姫路が無事らしいので「救援はすぐ来るわ」と思い、食料についてはバタバタしませんでした。最後まで困ったのは「水とガス&情報不足」。
それに何といっても「お金」。2日目に預金を引き出したいと思い出かけ惨状をつぶさに見ることが出来ました。銀行や郵便局は殆ど開いてないので、中央郵便局まで10km近く歩いてやっと引き出せました。
何だか毎年今までと同じことを書いているようですが、この日だけはハッキリと惨状を思い起こすことが出来ます。でも一方では毎日そんな事を思い出すわけではなくそういう意味では記憶も風化していますね。改めましてあの時公私ともに応援いただきました方々に厚く御礼申し上げます。
その後東日本大震災、毎年の風水害、近くはトンガ海底火山爆発、加えてコロナ禍。一見平和な毎日ですが自然災害や戦争の影が見え隠れする世界。これからどうなるのでしょうか。ナムアミダブツ。