日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

雨水、本当に今日から春か?

2016年02月19日 | Weblog

 寒さも昨日限りで今日から本当に春が訪れるかしらと!思ってしまう。詰まり二十四節気のうちで、今日が雨水で啓蟄までが、この2月末から3月初め迄を3寒4温と言って不安定な季節であるそうな?!ところで予報では今日の気温は最高で14℃まで上がるそうである。その昔、藤井竹外の漢詩に、吉野懐古がある。芳野とも書き”古陵の松柏天平に吼ゆ、山寺春を尋ぬれば春寂寥、眉雪の老僧時に掃くことを止め、落花深き処に南朝を説く“、が、吉野懐古で有名である。嘗って私も、後醍醐天皇のご陵を参詣した事を懐い出して、歴史書を見つつこの吉野落城の日を思い出した今日であった。そろそろ晴れて来て陽光が差し出たところである。明るい春の日になるであろう。朝早くから屋上に物を干した。遥か南南西方向に、富士山が綺麗にその英姿を表し、頂上に雪を頂き、まことに綺麗である。


確定申告提出日、場所と時間が一寸不明瞭、埼玉鴻巣の巨大雛壇

2016年02月18日 | Weblog

    昨夜で綺麗の確定申告を書き上げ税務署の職員が受け取り易き整理して仕上げた。唯肝腎な受け取りの日時と場所が曖昧模糊である。どうも役所仕事はある面は委細を細かく記述しても,国民の期待や質問などに親切とはい言えないのである。これから所轄の税務署に電話を入れて,提出場所と時間を聞いた訳である。はっきり分かったところで直ぐバスで出掛けて提出を済ますつもりである。曇り空乍ら昨日より余程暖かいので,ハーフコートで十分外出には間に合うであろう。しかし矢張り寒い為オーバーコートで出掛けた。渋谷駅東口が大工事のため徒歩で提出会場まで約15分掛かった。提出は一通り見て直ぐさま検印を押して受理された。帰宅は11時前であった。これでさっぱりした所である。

 写真は埼玉県鴻巣の巨大雛壇である。全国から集めに集めた数多くの雛、1830体のお雛様のピラミット形の巨大雛壇なのである。


快晴の早春、書類の整備、お返しの小品を持参

2016年02月17日 | Weblog

 春一番が吹き荒れてすっかり快晴となった。通常の日常の身辺整理を片付けているう内、ついぞ2月末に出す所得申告の書類に眼を通す羽目となって、遂に午後から書類を整理計算し始めた訳である。やっているうちに今日中に遣ってしまいたい衝動に駆られて遂に本格的に計算機を脇に置いて、整理をして仕舞ったと言う事となった。一年一回の作業乍ら若干厄介で手間取る事夥しい。左程の収支ではないとしても、計算違いでは受け付けて貰えないと思い、遂に夕飯後までに完遂して仕舞った。後は明日の提出までに内訳書を綺麗に書き分かり易くして置けば良いと言う事だけとなった。今日はこれから登学になる。部長に依頼された写真のコピーをメモりスチックに転写したので、これからそれを持参して出掛ける事としたい。一昨日職員から戴いたバレンタインのチョコレートのお返しに、用意した小品をも持参したい。折から早春、天候は晴れである。気も麗らで爽やかである。


春一番後の快晴

2016年02月16日 | Weblog

   昨夜は夕食後すぐに微睡んでしまった故か、9時半の何時もの就寝時間になっても容易に眠れず、止むなく就眠剤と安定剤を飲んで寝んだ。時間外の就寝は禁物である。学校を退いて帰宅時には雨が降ってきて、寒さもも昨日とは大違いで一入ではなかった。そのせいか、バス停で2カ所も随分と待たされた。雨に打たれて、それはそれは本当に寒い春一番の日の夕暮れであった。買い物をして帰宅して喜んで、夕食は家内と共に楽しく美味しく戴いた次第である。其処までは良かったが、食べてから軈て、ごろ寝を2時間程して仕舞った。それが就眠困難をを誘発したらしい。何時もの時間になっても、容易に寝付けず、参入った次第である。今後の良い参考となった。寒く疲れたかと言って寝ては駄目である。今朝は良く晴れて、さすが「“春一番”」後の良い日和である。これからメイを連れて動物病院で最期の診察である。良い結果を期待している。


如月も月半ば、早春賦が囁かれる時

2016年02月15日 | Weblog

  今日は15日如月も到到月半ばとなった。あと半月で弥生3月である。学事が相急迫して行事が目白押しである。入試、卒試,模擬試験、卒業式、謝恩会などなど、教員は固より職員も行事の組み立てや進行表,証書の整備など切りがない。先週には部長と課長補佐の二人を一時寛ぎの夕飯を共にしたが,何違う事無く、この2月3月の学内行事を悠々として居て落ち着いたものであった。今丁度此の時期こそが、早春賦ぴったりの季節である。「春は名のみの風の寒さよ 谷の鶯歌はおもえど ときにあらずと音もたてず 時にあらずと音もたたず!」この歌詞が何処ともなくごく自然に流され、身の廻りに何処からとも無く自然に訪れてくる。春の季節は、これからが本番であろう。河津さくらも満開になったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 


キリストのバレンタインディー、 春一番吹く、断捨離もそろそろ!

2016年02月14日 | Weblog

 日曜日との事でバレンタインディーは静かなものである。メイの元気さは抜群である。21回も廊下と居間の絨毯の廊下を往復し、止まる事を知らない。佐川急便が荷物を届けに来たので、メイの疾走も一息ついて終わったところである。いま家内の布団の上で寝転んでいる。ところで、雨足の激しさも薄らぎ、暗い空も少し明るさを増してきた。午後から晴れて風も出て、この春の、”春一番“になるとの予報である。確かに暖かさは増してきていて、午後の快晴が待ち遠しい。書斎のパソコンは、電池を神田電気街で探して貰い買い漁ってきたお陰で、小学唱歌の歌詞もリズムも同時に見聞できるので、古いパソコンで、それを聞くのがとても楽しみで嬉しい。断捨離で本や書類が山の整理が行き届けば、それこそが最高であるのだが! 仲々そうも行かないのが、本だらけの私の書斎の悩みである。我が家の周辺では春の突風が無いに等しかったが、千葉や各地では大風が吹いたらしい。今日こそが春一番であった。


天候異変もう僅か、暖かな日和だが、明日からまた寒さが逆戻りか?

2016年02月13日 | Weblog

 今日の天候は曇り続きだが、時々晴れで予報と違って午前中から晴れが出てきた。宿題の墓誌の文言と配列これが問題で,午前中から連絡を取っているが,相手が用務中なので午後から連絡する事とした。午後一時過ぎ連絡が取れて、FAXでの遣り取りで完全に意見の一致を見た。当然霊園の墓誌の裏表の原稿も出来上がった。上述の様に相互に遣り取りが出来て、文言も整理が終わって無事完成した。これで後は、石材工業での彫刻作業が進行する事となろう。4月初めの完工が期待されている。メイは良い仔で良く眠りよく食べて、廊下での往復完全疾走が13回実施できた。来週火曜日には獣医さんで治癒を宣言して貰えるものと期待している。卓球部の部誌原稿も投稿してしまった。霊園の墓誌原稿も完了して仕舞い、午後から小憩し午睡を楽しんだ次第である。明日は強い風が吹いて春一番になりそうである。午後晴れるそうだが、春が一日毎に近ずいてき来そうで、何とも嬉しい限りである。明日はキリストのバレンタインディーである。それに因み千葉富津のマザー牧場では,羊の群れでハート型を作ったイベント「愛の羊文字」が展開された。


如月も⅓を過ぎて、墓誌原稿完成間近!

2016年02月12日 | Weblog

  早春と言うのにまだまだ寒い毎日が続いている。今日は午前中は晴れる様だが午後は曇りで、明日からは又寒さが募るらしい。このところ小鳥の囀りも一寸少なく、寒さが中途半端なのかも知れない。鵯、尾長、みそサザエなど、もっと活発にっても良い時期だと言うのにである。も少し春の兆しが露になってくると、きっと相応に活発になって囀るであろう。朝から小鳥の声が聞こえないと何だか淋しい。メイは今朝も元気で駆け回っている。午後一時薄日が射してきたが、約一時間ぐらいだけであった。その後小憩の後、医学部の卓球部の部誌の元部長挨拶を物にした。ほっと一安心である。そして霊園の墓誌の裏表の原稿も仕上がりが出来た。早速FAXで送付しておいた次第である。ただ相手が留守で、明日でないと話が通じないとの由であった。その後相互に遣り取りが出来て文言も整理が終わりつつある。これで後は、石材工業での彫刻にお任せする事となろう。4月初めの完工が予定されている。


建国記念の日(紀元節)、71年前陸士着校の日、メイの全力疾走31回実施の日

2016年02月11日 | Weblog

 いろいろ記念すべき懐かしい思い出と、メイの全力往復疾走の現実実行の日である。天候は朝から晴れ上がり気温も上がってきて、何とも言い難い暖かな春の日である。父母に見送られて陸士校門で別れを告げた71年前、丁度18歳、若き将校生徒の誕生の瞬間であった。でもその貴重な訓育のお陰で、陸士生徒としての矜持も今も保たれているし、人に負けない勇気も持ち合わせているのである。有り難い嬉しい貴重な体験記憶の思い出である。メイも今朝は頗る元気で「往復全力疾走」を、何と自発的に31回も遣って退けたのである。偉い元気になったものである。見ている方が疲れるくらいであった。春の日差しは何としても暖かく包容力に満ちあふれていて、メイは自分の住まいで静かに寝んでいる。穏やかなものである。これから一日一日と春の良い日和が続く事であろう。嬉しい限りである。


明日は陸士入校の日、もう71年を過ぎた!家族に感謝!

2016年02月10日 | Weblog

  71年前の今日は家郷の人々に送られて東京の親戚へと駅を発った。明日紀元節には、晴れて陸士入校だからである。父母と共に新大久保から淀橋の親戚に落ち着いて、ゆっくり民間?の風呂に入った記憶が今でもある。思えば大変懐かしい思い出の話である。それから70年歳月が過ぎて、今でも医師として3度目の現役で教育に参画している。18歳で国に命を捧げる気概が出来ていたのである。国情と戦争、その時代に生きた人でないとその深い心情の理解は難しいと思われよう。今朝も寒く昔はもっと寒かったに違いない。よく滅私奉公頑張ったものである。国民全体がそうであったから自然と誰しもそう言う気概になったものと思われる。知人級友がもう過半数は他界している。一日一事でも大事にして過ごして行きたい。家族の一人一人に感謝して、これからも過ごさなけれがならないと思う。今朝は快晴である。既に早朝洗濯物は屋上に干してしまっている。十分綺麗に乾くであろう。メイは相変わらず、今日も元気であり大いに助かる。いま家中をふらふら散歩している。