今日は涼しいというよりは、半袖だと肌寒い感じです。 気温も22度位しか上がっていないと思います。 2、3日前のあの暑さは何処に行ったのでしょうね?? お陰様で少しだけ、お習字の課題に取り掛かりました。 懐かしい漢詩が出てきて、確か高校生のころだったと思いますが、一生懸命暗記したものです。 子どもの頃に覚えたものは、不思議と残っているものですね~。 右が課題のお手本です。↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/9a/afb412c2ad578dfa9365cbe25c8504f0.jpg)
(玄粒書道会 「玄粒」 8月号より ↑)
少し意地悪して夫に聞いてみました。 「この漢詩の前半は、何か分かる??」と。 私の方は分かっているから聞いているのですが(^^ゞ 漢詩を教えて下さった先生が (当時、既に60歳近くだったような・・) とても素敵な先生で、一生懸命覚えたものです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
「偶成 朱熹」 少年易老学難成 一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声
少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず
未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声
前半は誰でも知っていると思いますが、課題に出た後半はさすが意味が深いですね~! 訳文を探してみました ⇒ 池のほとりの堤に萌え出る若草のような(青年時代の)夢がまだ覚めきらないうちに、 階段の前の青桐の葉は、はやくも秋風に吹かれてさびしく音をたてて(散って)いるのである(から) 旺文社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/76/6d0b801f63bf740e406cb74b05b617bd.jpg)
確かに、いきなり後半を言われて、前半がすぐに思い出せる人は少ないかもしれませんが、その逆なら比較的回答できるかも知れませんね。 それにしても、 若い頃の夢が覚めきらないうちに、階段の前の青桐の葉は早くも秋風に吹かれて散っている・・・ なんて、子どもの頃は 今のように深く感じることはできませんでした。 こう考えてみると、歳を重ねることも 悪いことではありませんね~。 ちなみに 「偶成」⇒ たまたまできる意。 思いがけなく作った詩。 とのことだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/9a/afb412c2ad578dfa9365cbe25c8504f0.jpg)
(玄粒書道会 「玄粒」 8月号より ↑)
少し意地悪して夫に聞いてみました。 「この漢詩の前半は、何か分かる??」と。 私の方は分かっているから聞いているのですが(^^ゞ 漢詩を教えて下さった先生が (当時、既に60歳近くだったような・・) とても素敵な先生で、一生懸命覚えたものです。
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「偶成 朱熹」 少年易老学難成 一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声
少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず
未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声
前半は誰でも知っていると思いますが、課題に出た後半はさすが意味が深いですね~! 訳文を探してみました ⇒ 池のほとりの堤に萌え出る若草のような(青年時代の)夢がまだ覚めきらないうちに、 階段の前の青桐の葉は、はやくも秋風に吹かれてさびしく音をたてて(散って)いるのである(から) 旺文社
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確かに、いきなり後半を言われて、前半がすぐに思い出せる人は少ないかもしれませんが、その逆なら比較的回答できるかも知れませんね。 それにしても、 若い頃の夢が覚めきらないうちに、階段の前の青桐の葉は早くも秋風に吹かれて散っている・・・ なんて、子どもの頃は 今のように深く感じることはできませんでした。 こう考えてみると、歳を重ねることも 悪いことではありませんね~。 ちなみに 「偶成」⇒ たまたまできる意。 思いがけなく作った詩。 とのことだそうです。