非才無才の雄叫び

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「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽29

2020-11-17 23:54:49 | 日記
さて、次は
「フーヴァーは、共産主義の脅威と戦うことに生涯をかけていた」

前項の「アメリカを侵略する共産主義の脅威」に引き続き、
同じテーマなので、先のブログ
「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽26と重複しますが、ご容赦を。

前項で藤井氏の虚言を暴露したので、これ以上、同じテーマで
反論するのは辟易するものの、藤井氏の波状攻撃には、同じ
対応を繰り返すしかありません。

フーヴァーはとにかく共産主義が大嫌いでした。彼の生涯を
かけたテーマは、共産主義と戦うことだったと言っても過言で
はありません


そもそもフーヴァーは若い頃から卓越した商才を発揮して、ビジネ
スの世界を歩いた人物なので、労働者階級の思想は肌が合わないだ
けでなく嫌いだったとは思うが、かと言って頑迷な反共主義者でも
なかったのではないか。

「「赤の恐怖」と呼ばれる現象は第一次世界大戦とその後の数年間
でアメリカ合衆国国内に起こった。戦争への反対者や破壊分子が戦
争遂行努力を妨害しようとしているという多くのアメリカ人の間に
あった怒りや恐れによって、アメリカ社会に脅威となると疑われた
者への抑圧と逮捕が始まった。アメリカ合衆国議会は1918年に治安
維持法
を成立させ、徴兵に対する抵抗を奨励することで戦争遂行を
妨害することを違法とした
」「戦後、赤の恐怖、主要産業(製鉄
業、食肉加工業)における大きなストライキ、および暴力を伴う人
種暴動という流れの中で破壊活動に対する恐怖がまた始まった。
2月にはウォール街で過激派が爆弾を仕掛け、シアトルでは労働者
がストライキを打った。1919年の年間で黒人と白人の人種にからむ
暴力を伴う事件は20以上も起こった。」
「5月1日、オハイオ州クリーブランドにおけるメーデーのパレード
で、社会党指導者ユージン・V・デブスの逮捕に抗議していた人々が
暴動に走った(メーデー暴動)。幾つかの爆破事件や暗殺未遂が
状況をさらに悪くした。1920年までに1万人以上が逮捕され、これ
らの襲撃で捕まえられた外国人はヨーロッパに送還された


このような激動の時期を経験しても
ロシア革命後の混乱により飢饉で苦しんでいるソ連や大戦後のド
イツの人々に食糧支援を提供した。その結果、評論家が共産主義
ロシアを助けていなかったかどうか問い合わせたとき、フーヴァ
ーは、「2千万の人が飢えている。彼らの政治が何であっても彼ら
を食べさせるべきである」と反論した


上記のような対応は、共産主義は嫌いではあったが、共産主義者に
は寛容であったということだろう。そうでなければ、自ら大統領に
なったときに、アメリカ共産党を非合法化したはずだが、そのよう
な措置を取った形跡はない。

優れた経営能力を持った博愛主義者であり人道主義者だったので、
政界引退後も歴代大統領に人道支援の際は重用された。

1938年にフーヴァーはヨーロッパ各地を訪れ、アドルフ・ヒト
ラーを始めとする多くの国家元首と会談した。
1940年にフーヴァーはフィラデルフィアで行われた共和党大会で
講演を行った。フーヴァーは、ヒトラーのヨーロッパにおける勝
利は確実で、アメリカが必要とする大統領はヒトラーと取引がで
き、彼を疎外しない大統領であると語った
。このことはチャール
ズ・ピーターズの『フィラデルフィアでの5日間』で詳述される

と反共のためにはナチとも手を組むべきだとしている。

また状況が確定した戦後だから書けることだが
フーヴァーはチャーチルとルーズベルトがスターリンを連合国
側に引き入れたことは、スターリンが共産主義を広める手助けに
なったと批判、スターリンはヒトラーと同じろくでなしで、彼ら
2人同士を戦わせておけばよかったという意味のことを著書 『裏
切られた自由』 で述べている(本自体の発行は2011年)


しかし、アメリカの共産主義・社会主義のイデオローグたちは、
当初、暴力革命を目指したようだが、当局の弾圧等を経て、
10年後には、その主張は、アメリカ人の楽天的気質を反映した
理想主義的修正主義へと変節していったと思われる。

1932年全国産業復興法(NIRA)が議会を通過し、翌1933年に
はヒトラーがドイツで政権を掌握すると、それまで対立していた
アメリカ労働総同盟(AFL)に党員を大量に入党させるなど他勢
力との協調の道を探り始め、コミンテルンの人民戦線路線を積極
的に採用し、ニューディール・リベラルなどとの共同関係を強め
て反ファッショ運動の一翼を担う

・・・・当時、共産党の路線はニューディールに対する
比判的支持を掲げるなど愛国主義的・ポピュリスト的であり、
この路線は当時の党首アール・ブラウダーの名前から
「ブラウダー主義」
と呼称される


従って、ルーズベルト政権当初はフーヴァーらと同じように「ニュ
ーディールに対する批判的支持を掲げるなど愛国主義的・ポピュリ
スト的
」であったとあるので、ニューディール政策に反対
するフーヴァーらの一国平和主義の集団とそれほどの違いはなく
また勢力的にも、問題にはしていなかったのではないか。
だから「ルーズベルト」の項には「ソ連を承認」の文言は無視され
たと考える。

因みにルーズベルトが最初に成立させた法律
全国産業復興法は、アメリカ大統領であったフランクリン・ルー
ズベルトが実施したニューディール政策の中の最重要法律である。
国が産業の生産統制を行った。1933年制定。
内容
不況カルテルを容認する一方、労働者には団結権や団体交渉権を
認めたり、最低賃金を確保したりして、生産力や購買力の向上を
目指そうとした。・・・


労働者には団結権や団体交渉権を認めたり、最低賃金を確保
これは今や常識的な権利であり保証である。
ところがフーヴァーはこれを共産主義的・社会主義的と考えて
ルーズベルトを批判したのだろうが、藤井氏も、このことを
承知の上で、「反東京裁判史観」のために、フーヴァーを利用して
いるため、正に「荒唐無稽」そのものだ。

次の「共産党組織」に関する藤井氏の見解」
『平和のために声をあげましょう』とか『環境問題で一緒に
行動しましょう』と言って人を集めるのですが、それをオーガ
ナイズしているのは共産主義者です。日本やアメリカの社会体制を
弱くして、共産主義を浸透させるためにやっているのです


ずいぶんと古いこと、言うなあ藤井君
それ、時代錯誤だよ
たとえば今の日本共産党
牙を抜かれた狼というか、歯抜け爺だ。
かつては50万人の党員を誇ったが
今や28万人程度。
ソ連崩壊後、「プロレタリア独裁」「前衛党」の文言を
「綱領」から削除したというのは有名な話。
従来のやり方では、党勢は拡大できないということを
身に染みてわかったんだろ


いずれにしても共産党の趨勢は政権党の政治のバロメーター。
自民党政権がいい加減な政治をやると、共産党が議席を伸ばし
きちんとした政治をやれば、共産党は議席を減らして
そこそこの勢力に収まる。
共産党の出番がなくなるような政治が望まれるということだよ。

次にロナルド・レーガン大統領のこと
例えば、後年大統領になるロナルド・レーガンが振り返って次の
ように言っています

なんと言ったのかと、次を読んでも、その記述がない。
なんだ、これは!
レーガンの言辞が、創作だったので、削除したのに、前文を削除
し忘れて、妙な文章になったということか?失笑ものだ。

映画俳優組合の委員長に就任した1947年。
レーガンは俳優かつ映画俳優組合(SAG)の委員長の立場であ
りながら上院議員ジョセフ・マッカーシーやリチャード・ニクソン
率いる下院非米活動委員会に協力し、「ハリウッドの赤狩り」
(=マッカーシズム)に手を貸した。しかしレーガンは多くの
反共主義者と異なり、アメリカ共産党の非合法化には強く反対
した。
1947年には非米活動委員会でハリウッドにおけるアメリカ共産党の
活動が調べられた。チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒュース
トン、ウィリアム・ワイラーなども対象となり、委員会への召喚や
証言を拒否した10人の映画産業関係者(ハリウッド・テン)は議会
侮辱罪で訴追され有罪判決を受け、業界から追放された(ハリウッ
ド・ブラックリスト)。グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーラン
ド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、ローレン・バ
コール、ダニー・ケイ、カーク・ダグラス、バート・ランカス
ター、ベニー・グッドマン(ジャズ音楽家)、キャサリン・ヘプ
バーン、ジーン・ケリー、ビリー・ワイルダー、フランク・シナ
トラなどが反対運動を行った。ペックは、リベラルの代表格だっ
た。一方で、政治家のリチャード・ニクソンや映画業界人の
ロナルド・レーガン、ウォルト・ディズニー、ゲーリー・クー
パー、ロバート・テイラー、エリア・カザンらは告発者として
協力した。またジョン・ウェイン、クラーク・ゲーブル、セシル・
B・デミルらも赤狩りを支持した


懐かしい俳優が出てきて、コピペやりながら、胸が弾む。
1947年に組合の委員長に就任して、すぐに「非米活動委員会」
に協力しているので、委員長就任前からレーガンは保守派だった
はずだ。
裏に共産主義者がいて自分たちは操られているということが
だんだんわかってきます。それで、レーガンは保守派に転向した
というわけです

これも藤井氏の創作だろう。

因みに
全米映画俳優組合(SAG)の綱領によると、包括的な労働契約を
運用することにより、適正な報酬、福利厚生、労働環境を確保する
こと、組合員の出演する作品の利用に当たって報酬を確保するこ
と、これらの作品の未承認使用から保護すること、組合員の労働
機会の確保と拡大を図ること、が設立趣旨とされている。
SAGは1933年に、ハリウッド俳優が大手の映画製作会社から、不
利な労働時間や休暇条件、制作会社側の一方的な自動更新を含む搾
取的な多年契約を強要されつつあることを受けて、俳優側の条件改
善を期するため設立された