非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」

2012-04-03 21:44:30 | 日記
曾野綾子氏の「人間にとって成熟とは何か」の欺瞞!
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
毎日、曽野綾子、曽野綾子、曽野綾子で、どうしてこうも
曽野綾子さんに拘るのか?朝起きるとパソコンに向かって曽野綾子、
曽野綾子。お客様との会話にも曽野綾子、曽野綾子。去年の大震災
からこの1年、曽野綾子、曽野綾子、曽野綾子の連呼です。あーあ

 以前にも述べたがライフワークになってしまった。彼女を抜きにし
て当方の余生は考えられなくなってきた。いろいろと話題を提供
してくれるから当方も呆けずに済みそうだし若若くしていられる。
今回もネットを眺めていたら「曽野綾子・生活保護」のキーワードが
あったのでワクワクしながらクリックしたら、案の定、ガンバってお
られる。週刊新潮3月1日号の「憂国の極論放言者」特集に寄稿して
おられて相変わらず物議をかもしておられるようで、ネットは大賑
わいだ。
新潮社も人が悪いというか、ふざけている。一国の「文化功労者」に
こんな軽いノリの特集の執筆を依頼するなんて「文化功労者」をなん
と心得る。もっとも「文化功労者」の権威を貶めてきたのは他ならぬ
曽野綾子氏だから致し方ないと言えばそれまでだが・・・・。どのような
企画であろうと頼めば軽く乗ってくるのが曽野綾子氏なので、それを
重々承知している新潮社も国民を愚弄しているとしか言いようがない。
「憂国の極論放言者」と題しているので、筆者からすると半ば「お遊び」。
読者にとっては読んで拍手喝采、鬱憤を晴らして溜飲を下ろしても
らうのが、この特集の企図のはず。だから、まともに批判すること
もないが、その企図を読めない曽野綾子氏は、その「お遊び」の対
象を「弱者」の中の更なる弱者「生活保護受給者」に絞って読者の
怒りを買うテーマにしている。これは「有識者」「文化功労者」として
甚だしく良識と品格を欠いた対応で、文壇でもこれほどの浅慮の持
ち主
は他にいるのか、世論に問いたいくらいだ。だから放置できる
わけがない。それは題して
生活保護受給者は霞ヶ関で草むしり」となっている。
このように憂国というには程遠いタイトルからして夕刻(ユウコク)
は理解できても憂国(ユウコク)には理解が届かないのだろうと思わ
れる。ご本人は文芸春秋の新年号のアンケート特集「日本は、どこで
間違えたか」に寄稿しておられるので「憂国」の意味くらいは理解
しておられると思いきや、このざまだ。「日本はどこで間違えたか」
のタイトルは憂国の思いをそのまま表した言葉なのに・・・。
ブログで怒りを発しておられる方が多いので、その一部を拝借しょう
と思ったが、このブログを書いている途中で週刊新潮3月1日号を直
接読んでみたいという衝動に駆られた。それで、すでに店頭にはない
はずなのでAMAZONの通販で購入した。
 相変わらず読むに耐えない文章だ。これでは読者の大半は怒りに震
えるだろう。主な「語録」を順不同になるが先ずは紹介する。
曰く「● 私の周囲にもほんの数人だがそれに該当する人(生活保護
受給者)がいる。個人的に見れば決して性格が悪いのでもなく、道徳
的に問題がある人たちでもない。だからそうなったほんとうの理由
が私にはわからないのだが、つまり平凡な言い方をすると、貯金をし
て老後に備えずに『何とかなる』と思ってきたのだろう」
●受給者の特徴は威張っていることで、「ありがとう」の言葉はほと
んどないと言う。
●戦後日本の社会から、非人間的なもっとも残酷な思想として排除さ
れてきたのが、『淘汰』という視点である。
●人間は若者の世代のために適当な時期に「死んでやる」義務も含ま
れている。
私自身はもうここ数年、健康診断を受けていない。
それで自然の生命停止が淘汰として下されるのに従うつもりでいる。
(生活保護受給者に対して)
●お金をもらう以上、反対に何かでお返しするのが当然ではないか。
●霞が関の中央分離帯は、たいていの場合、雑草だらけ。…こうし
た公共の場の清掃に、足腰の立つ生活保護受給者には働いてもらっ
た方がいいだろう。
●喫煙者の受給額は減らしていい。煙草は病気の原因になり、医療
費がかかるからだそうです。アルコール依存症とギャンブル依存症
の人も支給額を減らして当然「生きられないようにしているのは、
彼ら自身の選択」だから支援は一部現金ではなくクーポンを
●人間として他人のお金を使わせて頂いたら、少しでもお返しをす
るというのは当たり前のことだ
。」
曾野綾子氏は言葉に対する理解もないまま文章を書き表して酔いし
れる傾向を持つ奇妙な「作家」だから、今回の「戦後日本の社会から、
非人間的なもっとも残酷な思想として排除されて来たのが『淘汰』
という視点である。
」という断定的な文言も、説明を求められると
曽野氏はきっと的確な説明もできないだろう。そこで質問したい。
非人間的で残酷な淘汰という思想」とはどういう思想なのか?
この後に「生命停止命令が淘汰」と言っておられるので、「死」を以
って淘汰とし「非人間的で残酷な視点」と言うならば通常は戦争犠
牲しかあるまい。戦前の日清・日露の戦い、第二次世界大戦の
戦争犠牲者の死を『淘汰』」と言うならば、これほど戦争犠牲者を
冒涜するものはない。しかし、そうではあるまい。では、なにか?・・・・。
ご自身の「自然死」も「淘汰」と言っている以上は「淘汰」を「
的で残酷な思想
」とは言わないはずだ。曽野氏の思考能力から
推測すると「淘汰」ということを強調せんが為に自分勝手に表現し
たに過ぎないと思われる。つまり「生活保護」は「非人間的で残酷
な淘汰
」から人々を救済するために創られた制度で、従って生活
保護は「淘汰」を排除したことになると考えているのではないか。
違いますか?白痴殿。
だとすると「戦後日本社会から」と言っている曽野氏の「生活保護」
に関する認識は甚だしく浅薄なものだ。
 ネットを見ると日本の「生活保護法」の起源は明治7年の「恤救
規則(じゅつきゅうきそく)」に遡る。その時すでに日本は近代国家
の体裁を整えていたことになる。さらにそれは昭和4年に「救護法」
となり終戦直後まで続き、昭和21年に「生活保護法」として改正
され、更に昭和25年に現在の「生活保護法」となったとある。
 つまり曽野綾子氏は生活保護法によって社会から「淘汰」されず
にいるのが被生活保護者と言いたいのだろう。その証が次の文章。
だから人間もまた常に、淘汰されないようにライオンのごとく
戦い・・・
・。」これはまるで生活保護受給者が戦いを放棄して来た
人たちであるかのような言辞だ。なんという言い草!
ご自身は「ライオンのごとく戦ってきた」と言いたげだが、なにを言
うかと言いたい。当ブログでも何度も指摘してきたように60年近く
文筆業をやりながら碌に文章も書けないのはなんなのだ。
ライオンのように戦う」どころか甘えに甘えて文章修行を疎か
にしてきた
結果ではないか。単に運が良かっただけだ。
人様に「ライオンのように戦え」などと言える立場か?
 そして(私のような老人が持つ感慨だが)と断りながら不必要な論点
を持ち出す。次に述べられる「若者の世代のために適当な時期に
『死んでやる』義務も含まれている
。」という言葉は、前出の「戦後
日本の社会から、非人間的なもっとも残酷な思想として排除されて
きたのが、『淘汰』という視点である
」との文章とは整合性がないが、
この論点を入れることによって論旨が変わってくる。文脈からすると
淘汰」とは「適当な時期に『死んでやる』」こととなる。だとすると、
これは「自殺のすすめ」ではないか。「適当な時期に『死んでやる』
義務がある
」として死をもって「淘汰」するという論点は「極論放言」
というジョークめいた特集には馴染まないだけでなく理解に苦しむ
言葉だ。これは即ち曾野綾子氏が「極論放言」という言葉の意味を
理解していないだけでなく自らの言葉さえも理解していないことか
らくるもの。
適当な時期に死んでやる義務」という言葉は天寿と言われる80歳の
人間が言うべき言葉ではない。おまけに「もっともいつ死んだらいい
かわからないので・・・
」だったら「適当な時期に死んでやる義務
などの言辞を弄すべきではない。こういう支離滅裂を恥ずかしいと
思わないのか?言わして頂くならば、そういうことは少なくとも50代
とか60代の時に言うべきことで、その時期に正に自らの命を絶とうと
する者の言葉のはず。ところがご自分のことになると「私自身はもう
ここ数年、健康診断を受けていない。それで自然の生命停止が淘汰と
して下されるのに従うつもりでいる
」と自身には「適当な時期」がまだ来
ていないと仰りたいのか。自分は「自然死を待つ」が他人は「死んでや
る義務
」がある?これほど独善的で排他的な言葉はない。そうではない
というのであれば、これほど支離滅裂で自己撞着の言葉もない。「死ん
でやる義務
」と述べた後、自身のことに触れ「自然の生命停止が淘汰
として
」と述べておられるので死を伴う「淘汰」であることは明々白々だ。
だが「戦後日本から淘汰という思想が排除されてきた」という文章とは、
整合性がないだけでなく「戦後日本から淘汰という思想が排除されて
きた
」という文章も意味不明の文章となる。また、死を伴う「淘汰」とい
うなら、戦争犠牲を除くと、国民は戦前よりも厳しい淘汰に見舞われて
いる。高度経済成長期には過労による病死や自殺。公害病による病死。
1998年から自殺者が年間3万人を超えていて、年間自殺者はアメリカ
の2倍でOECD加盟国30カ国のトップだという。その現状を踏まえて、
今更に「死んでやる義務がある」と言うのは、更なる死の「淘汰」が必
要だと説いていることになる。曽野綾子氏は自らが発した言葉の重
大性が解っているのか疑問だ。
 更に反論しよう。生活保護受給者たちについて
私の周囲にもほんの数人だがそれに該当する人がいる。個人的
に見れば決して性格が悪いのでもなく、道徳的に問題がある人たち
でもない。
」なんという人を愚弄した物言い。この言葉は言外に、生活
保護受給者は概して性格が悪く、道徳的に問題がある人たちと言わん
ばかりの言辞なのだ。常識ある人は、こういう言葉は吐かないものだ。
次の言葉も傑作。「だからそうなったほんとうの理由が私にはわから
ないのだが、つまり平凡な言い方をすると、貯金をして老後に備えず、
常に「何とかなる」と思って来たのだろう。しかし世の中はそんなに
甘くなかったわけだ
。」
ふざけるなッわからないんだったら決め付けて言うべきでは
ない。
これでは論理性もなくただ思いつくままに書いているだけでは
ないか。
 更に「受給者の特徴は威張っていることで、『ありがとう』の言葉は
ほとんどないと言う
。」これは人が言っていることを鵜呑みにして、
そのまま記述するという幼稚さに加えて 曾野氏の人間としての
識の無さと品格の無さ
を表している。
それを曽野氏に伝えた公務員の浅慮もさることながら、その言葉
をそのまま公的場面で記述するなど「文化功労者」とは到底言え
ない。生活保護受給者は福祉事務所の窓口では卑屈にならなけ
ればならないのか?ケースワーカーに対して乞食のように「恵んで
ください」と言わなければならないのか?曽野氏は心あるケースワ
ーカーが受給を必要とする人になんと言っているか知っているのか?
生活保護は、それを必要としている人の権利だから、そんなに卑
屈にならずに胸を張って福祉事務所の窓口に行って下さい
」。
それを「威張っている」?なんということを・・・・・・・。
虚勢を張らざるを得ない人の心情も汲めない福祉事務所の公務員な
んて碌な者じゃない。今すぐその職を辞するべきだ。受給するのに
骨を折ってくれたケースワーカーにお礼を言っても、福祉事務所の
窓口で一々「ありがとう」なんて言う必要などどこにもない。その
程度の考えで福祉事業に携わっているのか?曽野綾子氏も「作家」
として人の心情にまで思いを馳せることも想像も及ばないのだった
ら「作家」など止めてしまえ!
 とはいうものの生活保護受給者の中には、「貯金をして老後に
備えず、常に『何とかなる』と思って来たのだろう。
」と曾野綾子氏
が言うような人もいるだろう。しかし、こういう公的な場でのこの
ような一方的な記述は生活保護受給者のすべてが、そうであるかの
ような印象を読者に与えるということであり、これは後進国の文化
人のすることだ。欧米でこういう記述をしたら蔑みを受けるだけで
は済まない。バッシングを受けることは確実だ。こういうことをの
うのうと書けるということは日本社会が病んでいることの証だ。
しかも、どこに論点を求めるかも解らずに記述するなんて、ド素人
以下ではないか
。この「生活保護受給者は霞ヶ関で草むしり」のタイト
ルの中に記述している二つの論点は何なのか?「死んでやる義務」と
生活保護受給者関する論点にどのような論理的な連関性があるのか?
一つのタイトルに異質と思われる二つの論点を記述している曽野綾
子氏の意図は何なのか疑念が生じる。まさかとは思うが、生活保護
受給者の中に高齢者が多いのを知っていて、その方たちに「
んでやる義務がある
」と言っているのではないのか?

だとしたら「極論放言」と言うことを鵜呑みにしても、あまりにも病的
ぎる。曽野綾子氏こそ日本社会の病原だ。

  確かに生活保護は貧困ビジネスが介在し、不正受給が後を絶た
ないだけでなく、地域によっては最低賃金よりも生活保護受給額が
上回るなど問題が多く、憂うべき状態であることに間違いはない。
受給者が209万人、3兆7000億円の国家予算を要している。
1995年(平成7年)に約88万人だった受給者が4年後には100万
人を突破し、昨年には200万人を突破して、今や国家予算を圧迫し
始めている。1995年の阪神大震災、2008年のリーマンショック、
そして昨年の東日本大震災と苦難は続いているため、今後ますます
生活保護受給者は増え続けるものと思われる。従って憂うというの
であれば、曽野綾子氏のように主婦的な発想で受給者個々人に焦点
を当てるのではなく、貧困ビジネスの介在の余地がない制度上の改
革や不正受給の防止や摘発、例えば摘発Gメンを置く等のシステム
造りが急務であり、同時に労働環境の整備に注力すべきだ。

 最後に曽野綾子氏よ、もっとまともな文章を書け!構成がなって
ないじゃか!起承転結はどうした?結がクーポンの話か?主題はなん
だったの?
曽野氏の次の筆者である作家の高杉良氏の論説。タイトル「日銀は
いますぐ100兆円の紙幣をすってみろ」。結は「デフレ不況からの
脱却には100兆円規模のマネー供給が求められる・・・。」つじつま
が合っていて実に解りやすくて拍手喝采。これが「極論放言者」の
記述の見本だ。解ったか。
曽野綾子氏よ

「憂国の極論放言」と言った場合は
このように言うのだよ。

「外国への支援を一切止めて
 ODAの予算を、
 北方領土返還に
すべて、つぎ込め

お解りかな
白痴殿
・・・・・だそうです。


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