非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽25

2020-10-30 18:40:49 | 日記
藤井君
書くことに事欠いて、なにも日本の恥をさらすことはないだろう。
それとも意に反して、こういう表現をしてしまったということか?
だったら日本語の勉強をし直せっ!


「議会にアメリカの宣戦布告を求めたルーズベルトの欺瞞」

ルーズベルト大統領がアメリカ国民をだましたからって
それがどうしたんだよ。日本人に関係ないだろ。
そう言いたい。

ところが藤井氏は「反東京裁判史観」へ読者を誘導したいために、
論理的に無理があるのを承知で、アメリカの政治家たちを遮二無
二取り上げるので、自分に都合の良い部分だけをピックアップ
することになる。
それがフーヴァーであり、ハミルトン・フィッシュの記述。

フィッシュについては「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽!の
後半でも取り上げましたが、その「影の部分」を再度強調して
おきたい。

ウィキ「ハミルトン・フィッシュ」
1939年8月14日、フィッシュはノルウェーのオスロで開かれた
列国議会同盟の会議にアメリカ合衆国代表団の総裁として出席し、
ヨアヒム・フォン・リッベントロップと会見した。フィッシュは
リッベントロップの私用飛行機に同乗してオスロまで飛んだ。
ルーズベルトの前に立ちはだかる強敵であったフィッシュは、
ノルウェーでの会議の間に、ナチス・ドイツとより良好な関係を
もつことを推奨し
、ダンツィヒ問題を解決することを望んだ。


ヨアヒム・フォン・リッベントロップは、ドイツの実業家、
政治家。最終階級は(ナチ)親衛隊名誉大将


そして
フィッシュはドイツ国民により親しいアメリカ人の盟友として
持ち上げられた。雑誌『タイム』は、かつてフィッシュを
「米国一の孤立主義者」 と称した
」。

1941年、アメリカ合衆国におけるナチの諜報員の活動を調査し
ていた司法委員会は、連邦議会議員の孤立主義者による演説内容
が中に記された(議員特権として無料で送達される)議会郵便物
の入った8つのかばんを押収するために、ワシントンの反英国組織
の本部に職員を派遣した。フィッシュの首席補佐官であったジョ
ージ・ヒルは、職員が到着する直前に郵便物をフィッシュの
事務所の収納庫に持ち去った


大陪審が召集され、ヒルは次の2点について説明するために
出廷するよう命じられた。1つ目は、なぜそんなに反英国組織
の郵便物について心配していたのか。2つ目は、ナチのプロパ
ガンダ諜報員であったジョージ・シルヴェスター・ヴィエレ
ック(英語版)との密接な関連について(ヴィエレックは後に
外国エージェント登録法違反及び反英国組織に資金援助してい
たことにより有罪判決が下されることになる)。ヒルはそのよ
うな郵便物を取り寄せたことはなく、ヴィエレックについても
知らなかったと言った。
陪審は即座に偽証の罪でヒルを起訴した

つまりフィッシュに対するスパイ容疑だ。

1942年の議会中間選挙まで2週間も待たない頃、コラムニストの
ドリュー・ピアソンの全国に同時に配信されたコラムには、
1939年にフィッシュがどのようにしてドイツと関係のある筋
から3100ドルを現金で受け取ったのかについての詳細が
記述された


ところが藤井氏はフィッシュをアメリカ議会の傑出したリーダー
で高潔な人物であるかのような印象を与えて、持論を展開。

ルーズベルトとは若い頃からの知り合いです。ニューヨーク
州議会議員を一緒にやっていましたが、ある時から2人の道が
大きく分かれていくことになります。
ルーズベルトがヨーロッパの戦争に介入したがっているのを知り、
アメリカ中立運動の先頭に立っていたフィッシュは真正面から
対立するのです


藤井君、歴史書を書くには文章がお粗末すぎる。
先ず時間軸を間違っていないか?
「一緒にやっていましたが、ある時から・・・」つまりこれは
議員をやっている時代の、ある時という解釈になり、その原因は
「ルーズベルトがヨーロッパの戦争に介入したがっている」こと
だった、になる。

藤井君
読者は昔と違ってネットを参照しながら、読解できるということを
計算に入れてなかったのか?

以下のウィキの記事
フィッシュは1914年、1915年、1916年の3年にわたり、ニュー
ヨーク州下院(英語版)で進歩党所属の議員であった

ところがルーズベルトは
1913年、ウッドロウ・ウィルソン大統領によって海軍次官に任
命。ジョセファス・ダニエルズ海軍長官の下で同職を務め、海軍の
拡張に尽力し、海軍予備役部隊を設立した。中米およびカリブ海
諸国への干渉のために海軍と海兵隊を派遣した。1920年の大統領
選挙において、副大統領候補のルーズベルトは海軍次官として
1915年にハイチに課した憲法を起草したと主張した


1914年フィッシュがニューヨーク州の議員になった時は、
ルーズベルトは海軍次官になっていて、一緒にやっているように
なっていない。

ニューヨーク州議会議員を一緒にやっていました
創作だろう、これ

フィッシュは1917年から第一次世界大戦でフランスに
出兵している。

ウィルソン大統領がドイツに対して宣戦布告(1917年4月)した
後の夏に、フィッシュと約2000人の兵士はキャンプ・ホイットマン
(ニューヨーク州)で訓練を開始した。・・・連隊は無事にフラン
スに到着した(フィッシュは護衛が付かなかったことについて、
海軍次官補のフランクリン・D・ルーズベルトに不満を述べた)


したがって
ルーズベルトがヨーロッパの戦争に介入したがっているのを知
り、アメリカ中立運動の先頭に立っていたフィッシュは真正面から
対立するのです
」はルーズベルトがニューディール政策を掲げて
大統領になってからの話だろ?

「ハル・ノート」については、当ブログ「その11」触れている。
太平洋戦争に対しては、「油が欲しいからとて戦争を始め
る奴があるか」と絶対不可である旨説いていたが、ついに
受け入れられることはなかった。石原の事態打開の策は、
奇しくも最後通牒といわれるハル・ノートとほぼ同様の
内容であった
」で十分であるが、ハル・ノートは
政権中枢の一部の人間にしか知らされていないはずだ。
まして、野党・共和党でアメリカ中の嫌われ者・フィッシュに
日米交渉の情報が伝わるはずがない。

その記事がこれだ
「1944年ではあるが、フィッシュが選挙に落選した模様を
1944年に実施された議席数の再分配により、フィッシュの選
挙区であったニューヨーク26区の区割りは再編された。同年、
フィッシュはニューヨーク29区から立候補した。・・・
オーガスタス・W・ベネットがフィッシュを約5000票差で破った。
雑誌『タイム』の報道によれば、「ニューヨーク州では、
わが国にとってうれしいことには、狂信的な反ルーズベルトの
孤立主義者ハミルトン・フィッシュは24年間議員であった後
(選挙の結果)退いた


日米交渉は決裂してもなお、ルーズベルトは昭和天皇に親電を
発した。
12月6日、ルーズベルト大統領から昭和天皇に親電が発せら
れた。親電の趣旨は、もし日本軍が仏印から撤兵してもアメリ
カは同地に侵入する意図はない、周辺政府にも同様の保障を求
める用意がある、南太平洋地域における平和のため仏印から撤
兵してほしいというものであった

しかし、「親電は東京中央電信局で15時間留め置かれ、最終的に
昭和天皇のもとに届いたのは12月8日の午前3時(ハワイ時間で
は午前7時半で真珠湾攻撃予定時刻の約30分前)であった


なお、2013年3月に公開された外交文書によって、戦後、連合国
軍総司令部(GHQ)が外務省に対して、伝達が遅れずに「電報が
天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることができたに違いない」
との見解を示していたことが明らかになっている


続きは次回に割愛します。

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