相変わらず“近将”で勝てない。たま~に勝つのだが、勝ったときは非常に気持ちがいいものだが、負け続けると指す意欲がなくなってくるだけでなく、自己嫌悪に陥ってくる。ポカ、タダ損、読み違いのオンパレードで自分が嫌になってくる。
初級者には負けてやれと言うのが、今になってよく分かった。子供が楽しいように、そして興味を持つように、負けてあげることがどんなに大事なことか身を以って分かった。
思い返せば、私は健太が将棋教室に入って少ししてから、対局が終わると、他に手合いのついていない上級の子にお願いするように指示していた。
将棋は負けてこそ勉強になるものだと私が信じていたからだ。勝つのは相手の指し手の意味が分かるから勝てるのであって、下級の子と何局やっても意味がない。負けるのは相手の指し手の意味や、相手より読みが浅いからであって、それを学ぶことこそが将棋が強くなる近道と私は確信していた。
健太は私に言われる通りに、自分より強い子に挑戦しては、いつも負けていた。まだ小1の時だったが負けても負けても、泣かずに対局後には敗着を聞いていた。あれだけ負け続けても、よく将棋が嫌いにならなかったものだと、今更ながら反省している。私は健太の性格に助けられたのだ。
「健太、すまんかった。そして、ありがとう!」
初級者には負けてやれと言うのが、今になってよく分かった。子供が楽しいように、そして興味を持つように、負けてあげることがどんなに大事なことか身を以って分かった。
思い返せば、私は健太が将棋教室に入って少ししてから、対局が終わると、他に手合いのついていない上級の子にお願いするように指示していた。
将棋は負けてこそ勉強になるものだと私が信じていたからだ。勝つのは相手の指し手の意味が分かるから勝てるのであって、下級の子と何局やっても意味がない。負けるのは相手の指し手の意味や、相手より読みが浅いからであって、それを学ぶことこそが将棋が強くなる近道と私は確信していた。
健太は私に言われる通りに、自分より強い子に挑戦しては、いつも負けていた。まだ小1の時だったが負けても負けても、泣かずに対局後には敗着を聞いていた。あれだけ負け続けても、よく将棋が嫌いにならなかったものだと、今更ながら反省している。私は健太の性格に助けられたのだ。
「健太、すまんかった。そして、ありがとう!」
息子が将棋を覚え始めた頃その対戦相手はいつも父親であるぼくでした。
ぼくはしにましぇぇんん!! は死語ですか? いや,そういうことじゃなく,ぼくは負けませんでした。約半年間,ずっと勝ち続けました。
息子はそれでも毎日ぼくの帰りをキリンになって待っていました。
プロになりたいとか,負けて強くなるとか,そういう高いレベルでの志とは別の思いが息子を支配してました。
「勝ちたい。」そして「楽しい。」
ゲームが人を惹き付けてやまないのは唯一その点につきるのではないかと(時々)思います。
負け続けても止めようとしなかった人には,何かしら素質めいたものが在るのではないかと(ひそかに)思っています。
因みに,娘はぼくに負けるとこの世の半分が滅んでしまったような顔をします。自ずと2局目は(ぼくが)負けることになります。そんな娘は,文科杯が終わった今将棋のしょの字もありません。(毎日ソフトボールで焼け焦げています。)
「楽しい」と感じるときは人それぞれでしょうが、勝ったときに「楽しい」と感じるのは万人に通じるものであるように思います。ましてや幼い初心の子には負けても「楽しい」と思う子は稀に思います。
今なら、他の親御さんに聞かれたら、「ドンドン負けてやってください」とアドバイスするつもりです。勿論、その子の性格や年齢にもよりますが・・。
>娘はぼくに負けるとこの世の半分が滅んでしまったような顔をします。自ずと2局目は(ぼくが)負けることになります
目に浮かぶようです。微笑ましいですね。