健太には小学校に入る前から、少しづつ野球を教えていた。小1の夏には軟式ボールでキャッチボールができるようになっていたし、健太用に65cm 510gの最短最軽量のバットも買い与え、バッティングセンターに通っていた。
小1の夏休みのある日、いつものように小学校の運動場に野球の練習に行った。いつも打てていたトスバッティングが、かすりもしなかった。10球連続で空振りしたまでは、私も冷静にアドバイスができた。「ボールをよく見て」「バットは上から下に、そして最短距離で」 20球連続で空振りした時には、健太にボールをぶつけたい気持ちになっていた。アドバイスも単に怒っているだけになっていた。
その時気付いた。健太が悪いんじゃなくて私が悪いことに。小1の子に分かるように的確なアドバイスができない自分が情けなく思えてきたし、空振りを続ける息子に申し訳ない気持ちになっていた。息子は私のアドバイスに一生懸命に従っていた。結局心の中で泣きながら50球投げたのだが、1度も当たることがなく終わった。
それから何事も息子ができないのは、息子が努力していないのではなく、親の私たちが努力していないと思うようになった。何時かは一人立ちするのだろうが、今は子供の成長は親の努力に比例していると思っている。
あの夏の日は、私にとっていつまでも忘れられない出来事である。
小1の夏休みのある日、いつものように小学校の運動場に野球の練習に行った。いつも打てていたトスバッティングが、かすりもしなかった。10球連続で空振りしたまでは、私も冷静にアドバイスができた。「ボールをよく見て」「バットは上から下に、そして最短距離で」 20球連続で空振りした時には、健太にボールをぶつけたい気持ちになっていた。アドバイスも単に怒っているだけになっていた。
その時気付いた。健太が悪いんじゃなくて私が悪いことに。小1の子に分かるように的確なアドバイスができない自分が情けなく思えてきたし、空振りを続ける息子に申し訳ない気持ちになっていた。息子は私のアドバイスに一生懸命に従っていた。結局心の中で泣きながら50球投げたのだが、1度も当たることがなく終わった。
それから何事も息子ができないのは、息子が努力していないのではなく、親の私たちが努力していないと思うようになった。何時かは一人立ちするのだろうが、今は子供の成長は親の努力に比例していると思っている。
あの夏の日は、私にとっていつまでも忘れられない出来事である。
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