清水健太郎が、ひき逃げで出頭したそうだ。「大麻・覚醒剤で何度も逮捕された俳優」くらいの認識しかなかったが、たまたま深夜放送していた『首領への道』での演技に圧倒された。大槻ケンヂのエッセイに出てくる、「誰かの披露宴で『失恋レストラン』を熱唱した」というエピソードも好きだ。今度こそ俳優生命は終わりだろうか。
ひき逃げの場合、道路交通法72条1項の救護義務・報告義務違反と、自動車運転過失致死傷罪(刑法211条2項)が問題となる。交通事犯では罪数評価が難しいが、現在の到達点である昭和51年判例によると救護義務違反と報告義務違反は観念的競合になり、それらと業過は併合罪になる。
刑法54条1項が問題とする「一個の行為」の意義につき、昭和49年判例は、「法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものと評価を受ける場合」と定義する。「ひき逃げ」という現象は、歩行者をはねたにもかかわらず助けることなく(もちろん警察に通報することもなく)その場から離れることをいうのだから、上の定義からすると、救護義務違反と報告義務違反は「一個の行為」ということになる。51年判例の多数意見も、このような発想に立つ。つまり、【「なまの行為」の個数を数える→一つの「なまの行為」が複数の構成要件に該当していれば、それらを観念的競合とする】という思考方法だ。
二個以上の罪名に触れるにもかかわらず観念的競合として処理されるのは、「一個の行為=一個の意思決定」ゆえに、二個以上の行為に出た場合と比べて責任が減少するからである。したがって、判例のいう「社会的見解上一個のものと評価を受ける」とは、意思決定が一個と評価される場合だと考えるべきであろう。以上の観点から、51年判例は支持できる。