【例題】心臓に疾患のある天才科学者甲、腎臓に疾患のある天才科学者乙、健康な凶悪犯罪者丙がいる。甲と乙はこのままであれば間も無く死亡するが、丙の心臓と腎臓をそれぞれに移植すれば生存できる。
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[功利主義の特徴]
・最大幸福の原理(功利の原理);ベンサムは『道徳および立法の諸原理序説』[1789]において、すべての人々の最大幸福を人間の行為の唯一の正しい目的であると主張した。(1)社会全体の集計値にのみ関心をもち、内部の配分状況(経済格差など)には関心がない。(2)「幸福」が唯一の価値であり、権利・平等などはそれ自体で価値を持たない。ベンサムによれば「幸福=快楽」である。□瀧川3-4、児玉43-52
・現代的功利主義は、最大幸福の原理を「帰結主義」「厚生主義」「総和主義」の三要素から成ると理解する。□瀧川5、児玉54-7
・帰結主義(←→義務論);ある行為の正しさは行為の帰結のみから評価され、道徳的義務に違反したか否かは重要ではない。[例]定刻に遅れた。その帰結として相手方に迷惑が生じていれば悪い行為と評価されるが、相手方も遅れたので不利益を被っていなければ悪い行為ではない。□瀧川5、児玉54-5、二見24-5
・厚生主義(幸福主義);いろいろな行為の帰結のうち、人々の厚生(幸福・福利)に重要な影響こそが倫理的に重要な帰結である。内在的価値を持つのは厚生のみであり、それ以外の要素(自由、真理、所得…)は厚生に影響を限度でしか価値を持たない。この厚生主義は、幸福の自己決定を含意する(→自由)。□瀧川5-6,8、児玉55-6、二見24-5
・総和主義;全体を単純に加算し、その集計値を最大化することが正しい(例;GDP)。全体内部での配分状況には関心を持たない(→もっとも、限界効用逓減の法則と結びつくと「少数が資源を独占するより、多数に分配した方が総効用は大きくなる」と所得再分配の擁護論となる)。また功利主義は、特定の個人の幸福の最大化(=利己主義)も目指さない。□瀧川6-8、児玉56-7、二見24-5
[功利主義の洗練]
・従来の功利主義(行為功利主義)は、個々の行為を効用最大化という一元的な基準で評価する。この立場から【例題】を解くと、「丙を殺して甲乙を助ける行為は倫理的に正しい」となろう。行為功利主義は、時に反常識的な結論を支持するため、功利主義内部でも支持者は少ない。□児玉62-4,81-5、瀧川16-7、永井213-4、二見28-30
・規則功利主義;現代功利主義の多数説。「効用→規則→行為」という段階を経る。すなわち、まずは立法者の視点から、効用最大化に資する規則(例;他者加害原理、約束を守る義務、嘘をつかない義務)を採用する。個々の行為に対する評価の場面では、先に採用した規則に該当しているか否かという義務論的視点に立つ。【例題】は「効用最大化の観点から人を殺すべからずとの規則が採用されるので、丙を殺すべきではない」となる。□児玉81-5、瀧川16-7、加藤70-4、永井212-5、二見28-30、レイチェルズ120-1
・間接功利主義;規則功利主義に関連して、多数説は、「ある行為をすべきか否かの場面では、効用最大化とのモノサシに頼ることなく、広く受容されている規則にしたがって行動した方が、結果的に厚生を最大化できる(可能性が高い)」と説く。□児玉80-5、瀧川18
[公平性]
・ベンサム的(初期ゴドウィン的)功利主義では、公平性impartialityの要請から、特定の個人(典型的には自分の家族)と第三者を等しく取り扱うことになる。これを素朴に維持すれば、「実母<フェヌロン大司教」という反常識的な結論が導かれる。□児玉76-89
・これに対し、転向後のゴドウィンは、公平性の観点を維持しつつも、功利主義的にみても家族への愛情が重要であると考えるようになった。「家族関係のか中で愛情を育む→他人の幸福に対する感受性も高まる→他人の幸福にも関心を持つ立派な功利主義者になることができる」とのロジック。□児玉76-89、レイチェルズ118
[幸福の意義]□森村全、瀧川29-30、児玉131-68
・快楽説;幸福=快い心理的状態。
・欲求実現説;幸福=欲求が満たされた状態。
・客観的リスト説;幸福=複数の構成要素。
加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫)[1997]
二見千尋「功利主義」小松光彦=樽井正義=谷寿美編『倫理学案内-理論と課題』[2006]
永井均『倫理とは何か-猫のアインジヒトの挑戦』(ちくま学芸文庫)[(原著2003)2011]
児玉聡『功利主義入門-はじめての倫理学』(ちくま新書)[2012]
瀧川裕英「功利主義」瀧川裕英=宇佐美誠=大屋雄裕『法哲学』[2014]
ジェームズ・レイチェルズ=スチュアート・レイチェルズ(次田憲和訳)『新版 現実をみつめる道徳哲学-安楽死・中絶・フェミニズム・ケア-』[(原著第8版2015)訳書2017]
森村進『幸福とは何か-思考実験で学ぶ倫理学入門』(ちくまプリマー新書)[2018]