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龍体力学覚え書き

中央競馬メインレース雑感・ジョギング日誌・夢日記・読書備忘録、アレルギー持ちのぼやき、その他諸々

第1回松本マラソン(その4)

2017-10-05 12:10:23 | marathon
当初の予定では、4時間15分か4時間半のペースランナーの近くを走りたいな・・・と青写真を描いていたものの、スタートに陣取った位置ではどこにも見当たらず、走っていてる最中も結局1度も遭遇できずじまい。

とくに4時間半のペースランナーだった小幡佳代子さんは名前を覚えているマラソンランナーだったから、そういう凄い人がゆっくり走る姿を後ろから惚れ惚れと拝みたかったのにちょっと残念だった。4時間15分のペースランナーだった平田雅子さんも、予めネットで調べてどういう人なのかチェックしていたので、遭遇できなかったのはやはり残念。

そのかわりと言っては何だが、「ランナーズ」という雑誌で何度か表紙モデルとなっていて、今大会にも参加していていた森野麻美さんが走っているシーンは見た。(開会式でも紹介されていて、写真で観る限り千葉ちゃん系の繊細な?声をしてるかな・・・とイメージしていたら、はっちゃけた元気な声の持ち主だったので意外な印象を受けたっけ)

自分の走っているレーンとは反対の、速いランナーたちが40キロ手前に差し掛かっていた位置だっただろうか。彼女が残す距離と経過時間を計算すると、きっと森野さんが狙っていたであろうサブスリーは厳しいかな・・・というのはわかった(ガンバレーと声をかけたいほどだったが)。しかし陸上経験者の走りは、やはりカッコイイ。(走りが)ファッショナブルやん・・・とも感じて。

それが唯一、有名な人と遭遇出来た瞬間だった。


35キロの給水所で「不覚」をとり、タガが外れてしまって次からはもう真っ先にスポーツドリンクを飲むようになった。甘くて美味しいんだもん。ヤケクソでラストの給水所では2杯も。

こうなっては、ますますカラダが重くなって前へ進むはずがない(走っている時はド忘れしていたが、ずっと坂だったし)。

途中で、「小っちゃなオバちゃんながら、効率的なキレイなフォームをしているし、この人を目標にちょっと離れてついて行こう!」と心に決めた人を2キロ位はトレースしたのだが、競技場にたどり着く前に視界から消え去られた。追えなかった。頑張ってついていく気力も失って、歩かないことが最後の抵抗。

競技場の直前では、コースのすぐ横で大の字になっている人を係員が心配そうに取り囲んでいるのを横目に、まだまだ少しは頑張れそう・・・とネジを巻き直し、重心を下げてそれまでよりはペースを上げようと試みるも、もはや無理な相談だった(40キロ以降で14分前後もかかっている)。

競技場に入り、トラックの上を走る。考えてみれば、トラックの路面を走るのも初体験。得難い経験してるのだし、ヨタヨタするのはダサいから最低限走ってるフリだけはしようと痩せ我慢をしながらようやくゴールにたどり着いた。

ゴールして計測チップを外そうとするも、脚を折り曲げられないでヨタヨタ・・・。計測チップ回収係のお姉さんを跪かせてしまった(申し訳ない)。

その後、質感のあるメダルを首にかけてもらい、フィニッシャータオルも肩にかけてもらった。その際に係のキレイなおばちゃんが、「来年もいらしてくださいネ」と言いながらしてくれたので、とくにラスト3キロの悶絶中に「坂がきついから、もう松本マラソンはいいや・・・(というか、マラソン自体、もう1回走ったんだからいいんじゃね?・・・とさえ感じていた)」と思っていたのに、「はい、また来ます」と口からポロリ。

それは必ずしも口から出任せ・・・というわけではなかった。

ゴール直後の混乱の中、任された役割をキビキビと的確にこなしているそれぞれの係の人たちの姿を見ていたら、なぜか考えがころっと180度変わったのである。

(終)





ゴール後しばらく経って停止ボタンを押したのに、1キロ近く余分に走ったことになっているのはご愛嬌なRunkeeper。

スタートで10分以上待たされたと思い込んでいたが、時計を2分進めていたことを失念していた。正確には8分待たされた。

実際のゴールタイムはあれよりも少し速いものの、こういう所に記す上では初マラソン4時間11分9秒ということに。

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第1回松本マラソン(その3)

2017-10-04 12:08:30 | marathon
初マラソンだったから、給水所やエイドの体験も初。

松本マラソンは15ヶ所の給水所が設けられていて、それこそ30キロ過ぎまでは「もう給水所が来た!・・・」という塩梅だったが、それ以降は給水所の存在やキロ数表示のボードが恋しくなってきた。なかなかやって来ないように感じ始めていたから。

そして35キロ付近の給水所で「事件」が起こった。

序盤は何となくトイレに行きたい気分もあったので、給水をしたのは2回に1度。しかも添加物アレルギー持ちで、一般的なスポーツドリンクを飲むとカラダの各所にダルさや重さが出やすいため、手にするのは必ず水にしていた。

途中からは膀胱の中にあった水分が汗に回ってくれたのか、尿意も消失。安心して水分摂取が出来るようになって、給水所が来るたびに紙コップを少し潰して美味しい松本の水をあおることにした。

22キロ付近で梅干しが供給されているのを見て、持参した紀州梅をラップから取り出して口に含み、25キロ付近でただ1度提供されていたリンゴを一切れ確保(売り切れだと思ったら、残り物が転がっていた。ラッキー。係の人は必死で皮むき器を回転させてリンゴをむいていたっけ。でもそれが並べられるのを待っていられなかった)。

29キロ付近では塩飴をゲット。35キロまで何とか保ったのは、これら3ヶ所での補給のおかげだろう。

それに水をたっぷり含んだスポンジの気持ち良さときたら・・・。

でもって35キロ付近の給水所で、真っ先に位置しているスポーツドリンクが並べられたテーブルを通り過ぎ、水をぐっとあおったら・・・。なんと中身がスポーツドリンクだった・・・。まだ水のテーブルじゃなかったのである。

吐き出すのも大人気ないので飲み込んで、次のテーブルで水をもう一杯飲んだが、かれこれ1年以上は口にしていないスポーツドリンクを体内に入れてしまった事がショックでショックで・・・。

走りながら、内心では天を仰いでいた。

やがて、バカ正直にだるくなり始める。脚が急に止まり始めた気分。

それは疲労がちょうどピークに達した頃合いでもあっただろうし、水分以外に用意されていたバナナやまんじゅうをスルーしていて、純粋にエネルギー切れを起こしていても不思議じゃなかった。ランパンやウエストポーチには、ジェルと蒸しパンを携行していたから、補給しようと思えば出来たのに、何となく勢い?を削がれるような気がして敢えて口にしてこなかったのも、そのタイミングで響いてきたのだろう。

そうして悪い条件がこれでもかと重なって、7キロを残して初めて前へ進むしんどさと向き合うこととなった。

中身が水なのかスポーツドリンクなのかよく確かめもせず、注意力が散漫になっていた自分を呪うも、時既に遅し。

それに後にコース表を見て知ったのは、そのタイミングから再び上りとなっていたこと。まあペースダウンしたのもムベなるかな・・・だったのである。

(続く)

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第1回松本マラソン(その2)

2017-10-03 11:57:22 | marathon
「ランナーズ5月号」の記事中に「中間地点過ぎの急坂」とあって、走る前からこれをかなり恐れていたものの、普段ジョグっている近所にある急坂に比べれば全然許せる範囲の坂(角度も距離も)だったのでアレレ?・・・と感じ、コースの脇にいた警察官に「これ以上の坂はもう無いですか?」と確かめようとしたが、婦警さんじゃなかったので黙って通り過ぎた。

その後、時折強い向かい風が吹く場所を何度か通過。コースが折れ曲がる事が何度もあり、ずっと吹き続けられることはないのは幸いだった。が、とある向かい風が吹き続ける場所で、どうやら自分を風よけにしているらしい奴の存在を背後に感じだした(多少ニュータイプの素養があるから、背後の気配が見えるときがたまーにあるのだ)。

横にスッと動いてみると、背後の奴も付いて来る。たまたま?・・・と思い直してもう一度動くとやはり同じ方向に動いてくる。こりゃ決定だな。

すぐ背後を誰か見知らぬ輩に張り付かれているのは気分の良いものではない。仕方がないなぁ・・・と、スルスルッとスピードを上げて前にいた集団のさらに前のぽっかり空いたスペースへと移った。

無理した感は全然なくむしろセーセーとした。まあ後ろについていたのは背の小さそうな影。体力を温存したいだけの一心だったのだろうが、自分は同じ条件下で他のデカイやつを利用しようとは思わなかったし(自分が風よけとして利用するとなると、185を超えるような大男でないと無理だし、そういうガタイが良すぎる人って、体力バカ脳筋バカっぽい食生活をしていて汗が露骨に臭いかもしれず?、無条件にすぐ後につきたくない・・・というのもあって)、自分だけうまくやろうなんて何とも姑息。そういう発想、好きじゃない。

でもカワイイおばちゃんや妙齢の女子が風よけしていたなら、きっと「されるがまま!」・・・だったに違いない。

そこで「抜く喜びに目覚めた!」・・・というわけでもないけれども、周囲のペースが落ちてきつつあったなか、こちらはまだカラダが意外なほど楽だったのもあって、そこからしばらくは周囲にストレスを感じ始めたら、横や隙間をさっさとパスしていく頻度が増えた(正直、気持ち良かった。この区間ではあまり抜かれてないはず。むしろ抜きっぱなし)。

不思議なことに30キロでスタミナ切れが起きることはなく、35キロ近くまで脚も動いていた。

松本マラソンを走り終えて、あらためて「ランナーズ5月号」に掲載されていた同マラソンのコース高低図を眺めてみた。

すると、35キロ付近まで意外に脚が保った理由が判明。コースは上り基調といいながら、25キロ付近(最高地点)から33キロ辺りまでずっと下っていたのである。

今年の夏以降、最高でも1度に23キロ程度しか走っていなかったにもかかわらず、まがりなりにもおよそプラス10キロの35キロ辺りまでは自分なりのペースがキープ出来ていたのを、狐につままれたというか首をかしげつつ?も、ダラダラとでもちょっとはジョグっていたのが効いたか?・・・と考えていたが馬鹿丸出し。

スタートしてから中間地点付近まで、コース的に狭くなる区間が結構あって、それがストレスに感じた半面、脚を温存する効果も確実にあったのである。そう今なら素直に言える。一昨日の夜の段階では、その幅の狭いコースが唯一の改善点と感じたが、そのおかげで35キロ過ぎまでは何とか走れたのだから、素人がコース設定に文句言ったらいかんかったな・・・と反省している。

(続く)

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第1回松本マラソン

2017-10-01 23:32:39 | marathon
松本マラソンが第1回目を開催することを知った時、初めて走るマラソン大会はココにしようと決めた。

松本というか長野県は、これまで旅行で訪れた数が図抜けて最多。記念すべき第1回目の開催と自分の初マラソンがかぶるだけでなく、どうせ走るならそういった大好きな県で走りたいと考えたから。

しかし予め知り得た情報では、「5キロ以降から上り基調のコース」「35キロ以降も上り続けてからのゴール」「走り応えのあるコース」(ランナーズ5月号)とのことだったのであおくなった。そういうわけでビギナーズラックはまず無理!・・・と覚悟。おまけにこっちはケツと脚に故障を抱えており・・・。

とりあえず申し込み段階での申告タイム(4時間半あたり)を上回ればいいや・・・と思いながらのスタート(午前8時半)。早朝は10度前後と寒かったが、スタート時点ではもう15度付近だった様子(司会の兄ちゃん曰く)。



待機の位置が後方だったこともあり、実際にスタートラインを越えたのは号砲から10分オーバー。5分位で済むかと思ったらその倍以上。これでますます密かなビギナーズラック狙いの意欲が萎んだ。

じきに国宝の松本城の横を通過する。松本には既に何度も来ているくせに、じかに見たのは初。初マラソンの時に初の松本城チェックというのも、決められていた運命だった・・・みたいな感じ。

その後は、小さな川沿いを上流に向かってじわじわ登っていく箇所や、農道を行く自然豊かな環境の中を走れた・・・といえば聞こえは良いが、そういうコースは幅が狭く結構なストレスに(ここが唯一の改善点?)。

ただ、第1回目ということで沿道の応援に超積極的な動員がかかっていたのだろう。「ガンバレー、ガンバレー!」と声を出されている沿道に出ていた実に多くの方々には素直に感謝の念が湧いた。

老人福祉施設にもそういう動員がかかっていたとみられ、オババ&オジジが集団で応援に出ておられたのにも頭が下がった(身内がそういう施設に入っている関係でか、余計に心に響いた)。長野は天下の長寿県だから、そんな動員に応えるのなんて「おちゃのこさいさい」だったかも。応援のために声を出すのも、健康のためにはポジティヴだろうし。

地元のサッカーチームのユニフォームを着ていると、「山雅、ガンバレー」とピンポイントで応援してもらえていて、それはちょっとポイント高そうではあった。グリーンのユニフォームの色が好みだったので、今度松本マラソンに参加する際はレプリカを着て走るのも有りかな?(Jリーグの個別のチームには、いま全く感情移入することがないため、レプリカを色の好みでチョイスするというのもオツかしらん? 松田が最後に所属していたチームだし・・・)

(続く)

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