古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

10.大和葛城地方へ移住した出雲王朝の人々 その1 古代出雲王朝系図と移住地図

2013年02月13日 10時35分22秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

紀元前5世紀に 初代の王「菅の八つ耳」(すがのやつみみ)で始まる、

日本最古の出雲王朝は 主王(大名持オオナモチ)と副王(少彦スクナヒコ)

という二人の王で構成され、越の国から丹波、周防、四国まで領土とする

大帝国で繁栄していた。

ところが 紀元前3世紀末に大事件が起きる。徐福の来日である。

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秦の始皇帝の命で、東方に不老不死の薬を探しに出かけ出雲の五十猛海岸

に上陸したのである。事前に部下の穂日(ホヒ)を8代目オオナモチの八千矛

に遣わして上陸の許可を得るという周到な準備がなされた。

大勢の秦国人の技術者を連れてやってきた徐福は、出雲地方でかなり

暴れたらしい。記紀に書かれた「素戔嗚が天上世界で暴れまわる話」

はこの辺のことが脚色されたという。

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手を焼いたオオナモチ八千矛は徐福を出雲王国領の丹波国に住む許可

を与えたという。日本名を火明ホアカリと名乗った徐福は東出雲王家向家

の高照姫を嫁にしたが、出雲王家を乗っ取る下心があったのか、徐福、ホヒ

たちに依り、オオナモチ八千矛は謀られて洞窟に幽閉され、死に追いやられ

た。当時美保関の沼川姫の家にいた少彦(副王)の八重波津身(ヤエハツミ)

も知らせに来た穂日の息子タケヒナドリに誘い出され 中海の粟島の洞窟に

幽閉され 死に追いやられた。(伯耆の国風土記)

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徐福は記紀では素戔嗚スサノオと書かれた。

またオオナモチ八千矛は大国主オオクニヌシと書かれ、少彦の

八重波津身は 言代主コトシロヌシと書かれた(のちに一言主ヒトコトヌシ

ともいわれた)。大国主が俗に言う 大黒様で言代主が俗に言う

恵比寿さんである。そして大黒様は出雲大社に祀られた。

また 言代主を祀る全国恵比寿神社の総本社美保神社(松江市美保関町)

では、今でもその大事件を題材にした 「青芝垣神事」や「もろた舟神事」

が継承されている。

※このブログでも「もろた舟神事」を紹介しています。

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コトシロヌシの息子の鳥鳴海トリナルミが第9代のオオナモチに立ち

「後期出雲王朝」がスタートするが、秦国人達との共存を嫌った出雲族は

次々に出雲の地を去る。

コトシロヌシの奥方沼川姫ヌナカワヒメは息子の建御名方タテミナカタ

を連れて故郷の越の国へ帰る。その後タテミナカタは諏訪に移り信濃の

開発に功績があり、諏訪大社に祀られて 諏訪地方の守り神になった。

※しかし記紀では出雲王朝を無かった事にし、神話の世界に閉じ込めた。

しかもタテミナカタも 弱くて負けた者として書くために、国譲りの舞台から

逃げ出して諏訪に閉じ込められた  と書かれた。

歴史の勝者は 勿論渡来系の徐福の子孫達 ひいても物部族である。

諏訪大社の写真はこちらです。http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/sinshuyamatabi2011/2011/08/5_d694.html

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古代出雲王朝系図

※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より

 これを見ると徐福一味の子孫 海部家や物部家も、繰り返し出雲王家の女性との結婚を繰り返し、出雲王家神門の臣家や向家の血を濃くしてきたのが分かる。

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Map

大和葛城地方の移住地図

葛城北部 渡来系徐福の子孫 丹波国から来た海部家

       「天の村雲」が初代大和大王となる。

       葛木坐火雷神社(かつらぎにいますひのいかずちじんじゃ)

       通称笛吹神社

葛城中部 東出雲王家の向家(むかいけ)

       言代主の息子 奇日方(くしひかた)

       鴨都波神社、一言主神社 

葛城南部 西出雲王家の神門臣家(かんどおみけ)

       大国主の息子アジスキタカヒコ

       高鴨神社、葛木御歳神社 

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弥生時代の出雲では 神はカモと発音されたらしい。

それゆえ、葛城地方に移住した出雲王家の人たちは

神家(かもけ)と呼ばれて、のちに鴨の字が当てられるようになった。

高鴨神社は上鴨神社、鴨都波神社は下鴨神社

御歳神社は中鴨神社ともいう。

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