古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

紀南の古代出雲ゆかりの地 新宮市と熊野市 神嵓(かみくら)信仰の地 2016年2月6日、7日

2016年02月10日 22時55分03秒 | 古代史の舞台を訪ねて
紀南の古代出雲ゆかりの地 新宮市と熊野市 神信仰の地 2016年2月6日、7日
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はじめに
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紀元前5世紀に成立した古代出雲王朝は 幸の神三神を国教とした。
クナト大神、佐毘売の命、および彼らの皇子神サルタ彦である。

そういう人格神の成立以前から 出雲族は自然崇拝をも同時にして来たといわれる。
神の宿る山、神奈備山信仰。神の宿る樹木、神籬(ひもろぎ)信仰。また巨岩に神が宿るとして
巨岩を神嵓(かみくら、またはかむくら)として崇拝した。
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島根県飯南町頓原地区の琴引き山地図です。
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山を登っていくと やがて巨岩の割れ目があり、社が祀られている。
穴神琴弾岩である。この岩は割れ目を「ホト」に見立てた女神様といわれている。
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さらに標高千メートルの山頂には立派な巨岩の割れ目があり、その割れ目の奥にお社がある。
大国主が祀られている「琴弾神社」である。

この割れ目を潜り お社にお参りする事を古代の人は「胎内潜り」ともよんだそうだ。
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古代出雲王国の主王、大名持ちはこれらの岩神を率先して崇拝したから 大名持ち
(記紀では大国主と書換えられた)を岩(伊和)の大神と呼ばれた事もあるらしい。

出雲王国支配下の播磨に伊和の地名が多く残り、播磨風土記には 大国主を伊和の大神と
記述されているらしい。
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また古代出雲族は割れ目のある巨岩を「琴」と表現したらしい。男神が琴を弾くように触れて
楽しむと考えたらしい。

また倉とは古代では御袋(子宮)を現したので 神とか岩倉と呼ばれる山や巨岩は
女神を現すとか。
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また割れ目のある「ホト岩」だけでなく、普通の巨岩も信仰の対象とされた。
出雲王国の王族の遺体は数年間「風葬」にされた。その遺体をつるした樹木を
末代まで「神籬ひもろぎ」として崇拝したという。

洗骨を終わったお骨は山頂付近の巨岩付近に埋葬されて、「お参り墓」とされ、王宮付近の山中に
巨岩を置いて 日常の「拝み墓」とされた。

以下の写真が東出雲王家向家の王宮のあった裏山に現存している拝み墓の巨岩である。
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ここが拝み墓の遥拝所で 現在はここまでしか入れない。
※「出雲大神訪問記」の詳細はこのブログの2015年12月13日の記事を参照してください。
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斜面に点在する大きな岩は 斎木雲州先生の「出雲王国と蘇我王国 大元出版」によれば
古代出雲王朝の大名持ち(主王)の数17個あるという。
ちなみに第十七代主王は山崎タラシ王で九州物部王家東征時に滅ぼされました。
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和歌山県新宮市神倉神社お燈祭 2016年2月6日 「熊野の火祭り」
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紀南地方に拡散移住した出雲族の神信仰で始まったとされる神倉神社は現在は 熊野三山の一つ
「熊野速玉大社 」の末社にされている。
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神倉神社の境内に入り 写真撮影を行うには まず速玉大社 に出向いて 千円を支払い
許可証が無いと境内には入れない。
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この神社に限らず 熊野三山はみな物部王家の始祖の秦国人徐福を祀っているので
本殿の千木は物部式の横削ぎだ。
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紀元前200年頃石見の五十猛海岸に上陸した徐福は和名をホアカリ(火明り)と名乗り
西出雲王家神門臣家の高照姫との間に長男五十猛(後の香語山)をもうけた後一旦秦国に
帰国して秦の始皇帝から更なる資金と海童たちを貰い 佐賀の浮杯の地に再上陸した。

再上陸後 和名を「饒速日(にぎはやひ)」と名乗ったので 後の子孫の物部家からは
「速玉大神」とか「ニニギの命」と祀られた。

新宮市内には 徐福が上陸したとして「徐福公園」なるものまでありますが 残念ながら
徐福は熊野には来ていません。徐福上陸地点は 石見の国五十猛海岸と佐賀の浮杯海岸です。

九州物部王家の東征で熊野に上陸したのは彦渚武王の皇子たち 物部稲飯と三毛入で徐福の子孫なのです。
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この神社には なんと出雲王家大屋姫の血を引く徐福の孫の高倉下(たかくらじ)
(香語山の長男で初代大和大王の「天の村雲」の腹違いの弟で香語山の次男 )も祀られている。

出雲王家の血を引くお方なので 千木も出雲式の縦削ぎの千木もあり、出雲王国民としては
うれしいかぎりである。

物部式の横削ぎ千木と出雲式の縦削ぎ千木の混在した「出雲物部融和社」
としては 全国の恵比寿神社の総本社美保神社(徐福らに殺害された出雲副王の八重波津身ー記紀では
事代主と書換えられたー を祀る神社)が有名だ。
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そして神倉神社へ向ったが なんと驚いた事に 神社へ入る太鼓橋の手前に出雲大社新宮分社があった。
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さすがに出雲族が始めたといわれる神倉神社の足元に出雲の神さんも祀られているのだ。
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そしてまたまた驚いた事に太鼓橋を渡ると 正面になんとサルタ彦神社があった。

古代出雲国教の「幸の神三神」のサルタ彦とは現在のヒンドゥーのガネーシャつまり象神のことである。

南部インドのドラビダ族がアーリア人に押し出されて拡散し アムール川まで逃げた一派が
ブリアートモンゴリアンと混血しながらクナト王に率いられてアムールを下り和国にたどり着いた。

そう伝わる出雲族はドラビダ語が多くのこされているという。その一つサルタ彦のサルタとは
ドラビダ語で「鼻の長い」とか「鼻の大きな」と言う意味で つまりガネーシャのことなのです。

またサルタ彦は鼻の長い天狗様のモデルにもなったといわれます。
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この鳥居が火祭りの写真に登場する鳥居で ここから石段が始まります。
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荒い石を乱雑に積み上げた石段は とても急で危険な山道だ。ここを真っ暗な時に上り下り
するので大変危険な祭りだ。
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山頂の鳥居を潜ると巨岩とお社が見えてくる。
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下から見上げた巨岩ー神とお社だ。
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出雲族の立てたお社は もちろん出雲式の縦削ぎだ。
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神に注連縄が巻いてあり 何故この岩が「ゴトビキ岩」と呼ばれるのか下からでは分からない。
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石段を上り ゴトビキ岩を近くで拝むと すぐに理解できます。

割れ目になったホト岩の間にご丁寧に 子宝岩までのぞいている。
これは正真正銘の女神である事は瞬時に理解できた。しかも 奥出雲の琴弾岩が少し訛って
「ゴトビキ岩」になった事も瞬時に理解できた。
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この祭りは 女人禁制だ。それもそのはず一般的には女神山には女性は入れないのだ。

しかも昔はこの祭りは「上り子(のぼりこ)」と呼ばれる男衆が松明で ホト岩をたたくという
所作を行ったらしい。つまり 「種付け」の所作が縁起だという。

今回は夜の祭りに 山頂にまでは行けなかったので 今でも行われているのか不明です。
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上り子の男衆の服装は白が基本だ。白は男の種水の色と古来されている。
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腰に荒縄を巻きつけて後で跳ね上げる。

古来荒縄は男のオハセの象徴とされたが、後ろの跳ね上がった結び目は オハセそのものだ。

つまり農耕民族の出雲族の五穀豊穣を願う種付け祭りだというのが ゴトビキ岩と、所作と衣装を
見ただけですぐに理解できる。
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祭りのほうはたいそう大掛かりで 約3千人の上り子たちが数時間かけて 神聖なる火を向かえて
それを松明に点火して各自の家へ持ち帰り その火で煮炊きをして一年の無病息災を願うというものだ。
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これが 入口の鳥居のところで撮影された写真で 社務所玄関の衝立に貼り付けてあった。

※ 祭りの起源などは「幸の神と竜 谷戸貞彦著 大元出版」62ページ「出雲族の岩信仰」
を参考にしました。
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三重県熊野市「花の窟神社」 
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この神社は 世界文化遺産「熊野参詣道 伊勢路」の熊野灘路にあり 本殿はありません。
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正面の巨大な一枚岩がご神体です。
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巨岩の上に数十メートルの巨大な注連縄が毎年架け替えられる神事が 執り行われるそうだ。
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この神社は 私が熊野古道伊勢路を歩いたときに数回立ち寄っていますが
岩を見上げるたびに 出雲族の岩信仰の一つだと いつも思いながら見上げています。
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