伊都国は現在の福岡県糸島市です。
今回の古代出雲を訪ねる旅で 最も楽しみにしていた場所です。
なんせ古代和国の支那への玄関口であり 歴史の舞台でしたから。
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魏書には次の記述があるそうです。
「郡(魏領帯方郡)からの使者は(伊都国の)港に着くと 調べられる。文書と贈り物だけが
女王のもとに送られる。ごまかしは許されない」
つまり魏国の使者が女王の住む都に来ることを 女王豊玉姫は拒否しているのです。
豊、物部連合王国の女王豊玉姫は 魏に使節を送り 我こそはヤマト国(和国)の女王だと主張して
しかも大和地方には磯城王朝があり、それと対立していることは 内緒にしていたのです。
魏の使者は 港までか、それとも魏の大使館(魏の一大卒「魏国の官名」が常駐する伊都国の建物)までしか
行けませんでした。つまり女王豊玉姫のいる都万を秘密にして都が大和地方にあるように
見せかけていたのです。
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西暦239年6月に豊、物部連合王国の使節団は魏領帯方郡へ出発しました。もちろん伊都国の港からです。
使節団団長は渡来朝鮮人ヒボコの子孫 田道間守(たじまもり)で 副団長は物部十市根(としね)でした。
魏へは帯方郡経由でしか行けず 朝鮮語の話せる田道間守が重宝されたようです。
帯方郡で待たされて 都の洛陽に着いたのはその年の暮でした。
翌年の正月に使節団は帰路に着き 中朗将に任命された田道間守と校尉に任命された物部十市根には
帯方郡で郡の長官から 青い錦帯と銀印が渡されました。そして郡の長官の指示で帰国する使節団に
魏の役人テイシュンがついてきました。魏の皇帝から女王ヒミコへの詔書と金印、それに贈り物は
直接手渡すことになっていたからです。
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伊都国に着いた十市根はテイシュンを伊都国に置いたまま すぐに都万に戻り 女王豊玉姫と
イクメ皇太子に伊都国に赴くよう伝えました。
テイシュンが伊都国までついてきて 親魏和王のしるしを直接手渡すと言っているので
直接に赴かざるを得ませんでした。
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伊都国でテイシュンは女王ヒミコ(二番目のヒミコの豊玉姫)に 皇帝の詔書、金印、紫帯と下賜品
の目録(五尺刀二振り、銅鏡百枚、高級織物など)を手渡しました。
女王は正装の上に紫帯を肩から掛けて大いに威厳を示したということです。
田道間守と十市根も青錦帯を掛けて参列しました。
と言うことで伊都国は古代史の重要な舞台だったのです。しかも魏書など支那の歴史書に記された
ヒミコの内実際に支那人が直接目にしたヒミコはこの豊玉姫女王一人なのです。
あとは みな間接的に聞いた事柄なのです。
※ちなみに日本でよく言われる「魏志倭人伝」なる書物は存在しません。誰かが間違えて言い それが
広まったのでしょう。正確には「三国志 魏書 東夷伝」です。
それに ヤマタイ国もヤマト国を誰かがヤマタイ国と読んだ間違いでしようね。だって豊玉姫女王の娘の
豊姫は魏の和国駐在武官 張春により、親魏和王の豊玉姫の後継者に指定されましたが 魏書では
台与と書かれていて 「たいよ」ではなく「とよ」です。誰かが台をタイと間違えたのがひろまったのでしょうね。
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243年に豊玉姫女王は魏へ再び使節を送りました。今度の使節団団長にはイクメ皇太子がなりましたが
イクメの名前ではなくて 「伊佐地」(いさち)の名前でした。和国の皇太子が直接出向くことをためらったのでしょう。
245年には 当時外交官として伊都国長官になっていた 田道間守が帯方郡へ行き 黄幢(おうどうー
黄色い吹き流し状の旗)を受け取って帰りました。
例の宇佐神宮でヒミコ女王が 八本の旗を立てて 戦士を鼓舞したと伝わる旗で八幡神社の由来の旗です。
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と言うことで 伊都国は古代の和国で重要な役割の表舞台だったのです。
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伊都国博物館の近くで こんな看板を見て感激しました。
「クイーンズヒル」と書いてあるではありませんか。
女王豊玉姫が丘の上に立ち、服の裾を風になびかせながら魏の役人を待っている情景が
目に浮かびました。
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伊都国歴史博物館です。この建物が建っている場所が伊都国の中心部だったそうです。
博物館の学芸員の方にお聞きしました。
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博物館の玄関に看板がありました。
だからあ、魏志倭人伝は無いと言ってるでしょう。
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こんな人が目の前に現れてびっくりしました。「わっ、びっくりした」と言うと後ろで掃除をされていた
清掃中のおばちゃんが笑い出して「私も初めて見たときはびっくりしました」とおっしゃっていました。
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展示物の説明です。
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左が装飾品、真ん中が鉄製武器、右が鉄製農具です。
※展示物はフラッシュをたかなければ 撮影オーケーでした。
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イヤリングです。今みたいに男の人(貴人)もつけたのでしょうか。
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ネックレスやブレスレットなどの装身具です。
出雲の四隅突出墳丘墓や巻向の古墳からもよく似たものが出土していますね。
詳しい違いは分かりませんが。
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伊都国の女王の着物だそうです。
女王がいたということは 伊都国は 豊物部連合国の一員だったのでしょうか。
豊玉姫もこのような姿をしていたのでしょうか。素晴らしく高貴な印象ですね。
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地元の人は伊都国の周りをこのような船で移動していたのでしょうか。
朝鮮や支那へは もっと大きな船だと思いますが。
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出雲の銅鐸のレプリカがありました。鳴らしてみたら 不思議な音色でした。
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現在の糸島市の地図です。赤い丸はこの博物館の場所で 伊都国の中心部だったそうです。
伊都国の港の場所を 学芸員の方にお聞きすると 「糸島半島の東側(右側)は海が浅く、西側のほうが深いので
おそらく西側の海だと思われますが、記録や出土品がないので断定はできませんが」と
おっしゃっていました。青い丸は私が書きました。
「港からこの中心部へ 広い道路がまっすぐに通っていたはずなのですが、残念ながらその間は
ほとんどが田んぼで、発掘できないでいます。道路が発掘できればいいのですが」とおっしゃっていました。
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博物館のすぐ裏手(南側)は背振り山です。あの山の向こうが吉野ケ里です。
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徐福が生涯を過ごしたと伝わる吉野ケ里です。
その奥の山が背振り山で 山の向こうが伊都国です。
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伊都国の海です。本当は伊都国の海も見たかったのですが、この後佐賀の浮杯へ向かうので時間が無くなり
残念ながら海は見れませんでした。
この写真は糸島市観光協会のホームページからお借りした伊都国の海です。
この海を越えて 朝鮮半島の帯方郡へ幾多の船が行き来したのですね。
機会があれば この海を将来ぜひ見てみたいものです。
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と言うことで 豊玉姫女王と同様に伊都国も記紀では完全に無視されています。
だって「渡来人徐福の子孫の九州王国が二度も大和へ攻め入り、挙句にヤマトの王国や、出雲王国を
血で血を洗う戦で責め滅ぼして新しい征服王朝を打ち立てた」なんてことは絶対に書けませんから。
持統、不比等らの 「自分たちの祖先は天から降りて来て出雲の国を譲ってもらい、その後万世一系の
王家である」という嘘がバレルので 絶対に無視せざるを得ないのです。
それに 伊都国のことを詳しく書けば 和国が魏の属国だった事実がばれて またも万世一系が
崩れるのです。
さすがに徐福は無視することができず、素戔嗚(すさのお)と名前を変えて記紀に登場させますが
ヒミコや豊玉姫など触れてはならないのです。もちろん伊都国にも。
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面白そうな本を伊都国歴史博物館で見つけました。
即購入しましたので 内容は後日載せようと思います。
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次は その4 徐福二回目の和国上陸地「浮杯(ぶはい)」です。
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