古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

58.出雲族の移住した葛城地方を尋ねて その1 長柄神社、大倉姫神社、市杵島姫神社  2017年6月6日

2017年06月11日 23時40分33秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて
今回は 金剛山塊東側の御所市を尋ねました。御所市とその北側の葛城市をあわせた
葛城地方へ、出雲王家の皇子達が移住して 葛城地方の開発を行いました。

紀元前三世紀末に 石見の国「五十猛海岸」に大勢の海童(青年男女)や
技術者を引き連れて上陸した 秦国人徐福は 事前に部下の穂日(今の出雲大社
宮司の祖先)を出雲王国に遣わして 上陸の許可を取り付けていました。

しかしその上陸後 徐福や穂日は 海童達と共に出雲で大暴れして 第八代主王(役職名は大名持ち)
の八千矛と副王(役職名は少彦)の八重波津身を相次いで幽閉殺害します。

※殺害場所の 猪目洞窟と志都の岩屋訪問記は当ブログ「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」
の2013年3月18日の記事に載せています。

出雲王国は大打撃を受けますが、幽閉殺害された八重波津身(記紀では事代主)と鳥耳姫との皇子
鳥鳴海が第9代大名持ちとして即位します。古代出雲王国では 西王家神門臣家と東王家向家とが
交互に主王と副王を立てていました。

八千矛王(記紀では大国主)と宗像三姉妹の真ん中の多岐津姫との皇子、味鋤高彦や、八重波津身と
摂津三島の活玉依り姫との皇子、奇日方たちは 出雲族を引き連れて葛城へ移住します。

今回の葛城地方の神社訪問は 出雲族の建てた大和葛城地域の神社訪問記です。

出雲族の葛城移住に付いては もう少し詳しく「その2」で述べます。
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今回の訪問神社の地図です。
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下照姫について

まず下照姫が祀られている長柄神社と大倉姫神社へ行きます。
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出雲王家の系図と下照姫の位置関係です。

下照姫は 殺された大国主と八上姫との間の皇女です。
矢上姫は因幡の国から 大国主へ嫁がれて今の出雲市斐川町 直江 御井神社あたりに宮殿があったといわれています。

また神社の近くに「生井(いくい)」、「福井(さくい)」、「綱長井(つながい)」と呼ばれる3つの井戸があり、
八上比売が出産の時に産湯を使ったという伝承があります。
元来この3つの井戸に対する信仰が神社に発展したものとも考えられています。

斐川町 直江の少し東、斐川町学頭に 湯の川温泉があり、八上姫が浸かったといわれ美人の湯と呼ばれています。
温泉街の中にも 八上姫神社があります。

大国主の死が出雲族の葛城移住のきっかけとなったので 王の娘の下照姫が あちこちに祀られたのでしょう。

比売許曽神社 大阪市東成区東小橋    売豆紀神社、売布神社(いずれも松江市)、倭文神社(鳥取)
乙見神社(出雲市)、下照姫神社(福岡市博多区祇園) などなどです。 
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名柄集落の中を進みます。名柄地区は出雲式銅鐸が発掘された場所でも有名です。
名柄は 金剛山と大和葛城山の間の水越峠を大和平野へ下りた直ぐの所です。
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集落の外れの森が 神社です。
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こじんまりとした神社でした。
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鳥居を潜り境内に進みます。正面が拝殿です。
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拝殿の奥が 本殿ですが、拝殿からは見えません。
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神社の由緒書きですが、正面には立てないので横からしか写せません。

長江(長く続く金剛葛城の尾根)が長柄(急斜面の下の扇状地)になり、「ナガラ」になり、名柄の地名になった
と書いてあります。
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本殿ですが良く見えません。大社造に似せてあります。千木は出雲式の竪削ぎで、妻入りですが柱は9本なのか
4本なのか良く見えません。妻側へ入る階の上の屋根はありますが屋根の形が大社造りとは違います。
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境内には末社がありますが 表示が何も無く誰を祭っているのか分かりませんでした。
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長柄神社は名柄公民館のまん前にありました。
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大倉姫神社

奈良県内の神社を調べていると 「下照姫は別名を大倉姫という」というのが散見されます。
記紀では下照姫を木股比売と言っているので 大倉姫というのは初めて聞きましたが 場所を
調べてみると 比較的近くにあるので バイクで行ってみました。
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近鉄電車吉野線吉野口駅の直ぐ近くでした。
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小さなお社です。
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線路脇の小さな神社で 謂れの説明も看板も何も無く 主祭神 のヒントになるものはありませんでした。
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市杵島姫神社

最初に揚げた出雲王家の系図を見ていただくとお分かりですが 市杵島姫は大和朝廷成立に大きなウエートを
占めています。徐福が 最初に来日して出雲王家の高照姫との間の長男「五十猛」と 二度目の来日で九州の
宗像家(出雲王家の分家)の宗像三姉妹の末娘 市杵島姫との間の 穂屋姫との間の 天の村雲が初代大和大王になり、
市杵島姫の生んだ徐福の次男 穂穂出見こそ九州物部家の祖であります。

物部家の第一次東征で 物部の稲飯と三毛入が 登美家当主、加茂建津之身(ヤタガラス)の導きで大和入りするも
出雲王家の大和分家の磯城家に飲み込まれてしまいます。

二度目の東征で大和入りした 物部イクメが名実共に大和の大王となりますが 物部王家は3代で消えます。
(イクメー垂仁、オシロワケー景行、ワカタラシー成務 の三代です)

つまり市杵島姫は 初代大王の天の村雲にとり、祖母であると同時に 物部イクメ大王の祖先でもあるので
出雲族にも祀られますが それよりも秦族からの支持が多いのです。京都の松尾大社、祇園の八坂神社の主祭神 は
徐福と同時に市杵島姫です。

長柄神社の直ぐ近くに地図で見つけた 市杵島姫神社を訪ねました。
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御所市池ノ内にありました。回りは昔ながらの小さな集落です。
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鳥居を潜って境内に入ると 閑散としていました。建物は拝殿らしきものがポツンと立っています。
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拝殿の中には入れません。鍵が掛かっています。
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本殿は近寄れないので良く見えません。
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拝殿のガラス越しに見ると 出雲式の竪削ぎ千木に 妻入りのお社だと分かります。
しかし説明の看板もなにもありませんでした。
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境内には なんか謂れのありそうな井戸のような会所枡のようなものが網で囲ってありましたがこれも説明看板はありませんでした。
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葛城地方の神社を訪ねてその2へ続く
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59.出雲族の移住した葛城地方を尋ねて その2 大穴持神社、御歳神社、高鴨神社  2017年6月6日

2017年06月10日 19時16分05秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて
葛城地方の神社を訪ねてその2
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葛城地方へ移住した出雲族と渡来系の人々の住み分け図です。
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古代出雲王家の系図です。
紀元前3世紀末に石見の五十猛海岸に上陸した徐福と 事前に上陸していた穂日(今の出雲大社宮司の祖先)や
大勢の海童たちにより、拉致幽閉、殺害された 第八代主王(役職名は大名持ち、記紀では大国主と書き換えられた)の八千矛や、
副王(役職名は少彦、記紀では事代主と書き換えられた)の八重波津身の子供達の系図です。

八千矛王(記紀では大国主)と宗像三姉妹の真ん中の多岐津姫との皇子、味鋤高彦は西出雲王家の人々を引き連れて
葛城南部へ移住し、高鴨家を名乗り 「高鴨神社」、「御歳神社」を建て 父親の八千矛(大国主)を祀ります。

東出雲王家の向家では 皇子の鳥鳴海が 出雲王国第九代大名持ちに就任します。そして事代主の后の沼川姫は 
皇子の建御名方をつれて実家の越の国に帰ります。そして建御名方は 出雲族や越の人々を引き連れて
諏訪地方に移住し 開拓に努めて成功します。諏訪大社の上社二箇所、下社二箇所ある四箇所の建物
すべてが建御名方と母親の沼川姫が主祭神 です。

一方活玉依り姫は皇子の奇日方を連れて 実家の摂津の国三島に帰りますが、娘の美保須須美比売は美保関宮殿
に残り 父親の八重波津身を祭り、美保神社となります。記紀で八重波津身は事代主と書かれ 後に恵比寿さん
とされるので 美保神社は 全国の恵比寿神社の総本社となります。

また奇日方たちは 摂津の人々や出雲族を引き連れて葛城中部へ移住し 鴨津波神社や一言主神社を建て父親の
事代主を祀ります。

徐福の息子「五十猛」は 大勢の海童たちや技術者をつれて 出雲から丹波へ移住します。
丹波では 五十猛は「香語山」と名乗ります。

しかし出雲族が葛城地方へ移住して 開拓しているのを見て 香語山たちも遅れて葛城北部へ移住してきます。
しかし彼らは先住の出雲族を圧倒する人数でしたから、出雲族も彼らの勢いを認め、奇日方の妹の踏鞴五十鈴比売
(たたらいすずひめ)が香語山の息子天の村雲に嫁ぎ、出雲族も天の村雲を王と認めたので ここに
初代大和大王「天の村雲」が誕生します。

天の村雲の宮殿は 「笛吹きの地」と呼ばれます。海童達は ふるさとをしのび 陶塤(とうけん、土笛の一種)を
吹いていたからですが もうこの頃には陶塤ではなく竹笛をふいていたといわれます。またそのあたりは
高尾張邑でしたから 彼らは「尾張家」、「海部家」を名乗ります。尾張家は後の笛吹きの連と同属です。

天の村雲は 笛吹の地に「葛城坐火雷神社」を建てて父親の香語山を祀りました。また後に大和平野の
香具山にも香語山が祀られました。

火雷(ほのイカヅチ)とは踏鞴(たたら)、つまり金属精錬の神様で、
穴師(金属精錬技術者)たちに信仰されたと言いますが 後に 雷神にもなりました。

また初代大和大王に 出雲王家本家からお祝いとして送られた剣が 「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)
で 後に記紀により「草薙の剣」と名前を変えられました。現在では 尾張族(海部族)が建てた
熱田神宮の奥に保管されているという事ですが、出雲王家古老の話では「出雲型銅剣」だという事です。

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続いて大穴持ち神社

大穴持ち神社は 大名持ちを祀る神社です。つまり大黒さんこと大国主を役職名でよぶ珍しい神社で 以前も奈良県吉野町にも
訪ねました。
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御所市南部古瀬の集落を進みます。このあたりはもともと巨勢(こせ)と表記されていたところで 出雲王家の血を引く
武内宿禰の五人の息子の一人「巨勢の臣小柄」に始まる 巨勢氏の地盤だったところです。

散歩中のマダムに神社を聞くと「ガードレールの切れ目に小さな標識があるけど見つけにくいからゆっくり進んでね」
といわれました。
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教えられたとおりに ガーとレールの切れ目にありました。この狭い道をバイクで降りて 左下に見えている
農作業中の方に聞くと 「バイクでは 行けないよ。歩くしか行けない」と言われたので
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ここにバイクを止めて歩き始めました。
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ここから山道が始まります。
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急勾配の山道で しかも表面が砂で覆われています。トレッキングシューズをはいてきましたが滑りながら
急登します。スニーカーではとても無理な道です。
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ずるずる滑りながらようやく神社に到着です。
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朱塗りの鳥居を潜ります。
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早速大名持ちを祀る本殿に御参りします。
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本殿横に末社が並んでいたので見ていくと、「高照姫」、「八重事代主」、「味鋤高彦」などおなじみの出雲王家の
王族が祀られていました。
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下りは一段と恐怖です。急斜面に砂がまいたような道なので ずるずる滑りながら降ります。
沢山あちこちの山歩きをしてきましたが、今まで出一番手強い道です。バイクなんてとんでもない道です。
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次は 高鴨神社
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立派な鳥居です。
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神社前に掲げられている由緒書きです。
この神社は 西出雲王家神門臣家から分家した味鋤高彦とその子孫達が立てたので 主祭神 は当然味鋤高彦と
下照姫およびその旦那の天稚彦(建葉槌)で 八重事代主も 祀られています。味鋤速雄と言うのが分かりませんが
この神社の古文書によると 味鋤高彦の息子が味鋤速雄だと書かれているらしいということです。

しかし味鋤高彦の子供は 塩冶彦、田儀津彦、大屋姫の三人ですけどなあ。まあ別のお后の子供かもしれません。
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鳥居を潜ると直ぐに大きな池があり 舞舞台があります。
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広く清潔なけいだいには 去年の今頃は「日本桜草」の展示会が開かれていました。
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参道を進むと石段があります。
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石段を登ると拝殿です。
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拝殿の奥に本殿がありますが 大社造りではなく、春日造りのように見えます。
まあ千年以上の時の流れで いろいろとあったのでしょう。
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次は最後に 御歳神社です。
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御歳神社境内を進むと石段があります。周りは滴るような新緑の世界です。
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石段の先に大きな拝殿があります。
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拝殿の奥に本殿が見えていますが 近くで見ることは出来ません。
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本殿の千木は出雲式の縦削ぎで、妻入りの建物のようです。
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由緒書きを読むと少し不思議です。
御歳とは歳神様で 出雲地方では今でもお正月は歳神様が連れてくるといわれています。
そして主祭神 はてっきり奇日方の父上の八重波津身(事代主)と思いきや、伯母さんの高照姫です。
なぜか分かりません。
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神社入口に しゃれた建物があり 「宮司ママのお店」と書いてあり カフェ「みとしの森」の看板があります。
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拝殿においてあったパンフを見ると いろいろとイベントが 盛りだくさんのようです。以前来た時にはお店はなかったのに。
タイミングがあえば一度来てみたいものです。そして出雲王族末裔の方と お話をしてみたいものです。
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「古代出雲王朝ゆかりの稚を訪ねて」トップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html
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