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諏訪にて 2011年8月7日
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夜明けの諏訪湖
夜の花火の最中に諏訪湖に到着。花火が終わってそのまま車中泊。
翌朝周りを見渡すと、ここもきれいな公園だった。
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湖の中で、女の人が立っている。説明板が無いので 誰なのかと聞いても、地元の人はみな知らない。
(稲田姫ークシナダ姫だという地元の女性もいた。記紀で創り上げられた
素戔嗚の架空の奥さん稲田姫がなぜこんなところにいるのか???)
私が思うには、おそらくこの地を開拓して成功したタテミナカタの母上
越の国出身の沼川姫(ヌナカワ)姫だと私は思うけど。愛する夫を徐福に
殺された悲劇の姫君だ。
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諏訪大社 下社秋宮から参拝する。
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紀元前2世紀末に、秦国から渡来した徐福(記紀では素戔嗚スサノオと書かれた)らに、殺された出雲王朝の第8代副王(職名は少彦)名前は事代主の息子「タテミナカタ」が祀られているのでぜひたずねて見たかった場所だ。
事代主の奥方「沼川姫 ぬなかわひめ」と共に、姫のふるさと越の国に引き上げてきたタテミナカタは その後出雲王家の人々の助けもあり、諏訪地方に移住して大きな成果を上げて、この地の人々に尊敬されて 諏訪大社に祀られた。
ところが記紀では 出雲にやってきた大和朝廷の「タケイカヅチ」に追い払われて諏訪に逃げ込み、この地に幽閉された」と悪意をこめて書かれた。陰謀と殺戮、を繰り返して天下を取った持統天皇と藤原不比等たちにより、歴史は大きく書き換えられたのである。渡来系であることを隠し、自分たちこそ天から舞い降りてきた神の子たちの子孫だとほざいて、万世一系などとわけの分からんものを創り上げて、その後の日本の歴史を方向付けた 諸悪の根源だ。
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秋宮の中には、なぜか「タテミナカタ」つまり「お諏訪様」を追い込んだ
張本人とされる「タテイカヅチ」も祀られている。不思議なことだ。
歴史勝者の渡来人系の末裔藤原不比等らが祀らせたのだろう。
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下社秋宮には手水に温泉が湧いている。
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こちらは下社春宮の本殿。ここも立派だ。
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「タテミナカタ」の母上「越のヌナカワヒメ」を祀っている末社。
本社はもちろん越の国つまり越後にあるそうな。しかし言代主(恵比寿さん)
の奥さんは沼川姫のほかにもう一人、摂津三島から来た活玉依姫も
いらっしゃった。沼川姫はここでは安産の神様として有名らしい。
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上社の鳥居も立派だ。雰囲気が「出雲の国一ノ宮の熊野大社」によく似ている。
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上社前宮には、お諏訪様つまり「タテミナカタ」の父君言代主時代の主王
(大名持)八千矛(やちほこ)記紀では「大国主の命」(通称大黒さん)
も祀られていた。
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諏訪大社といえば「御柱」で各社の四隅に建てられている。これは秋宮の御柱。
今は亡き岡本太郎 画伯のいうには ここの御柱祭りこそ「原日本人の縄文人たちの祭典の名残だ」と絶賛されていた。
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と言うことで念願の諏訪大社参拝を終えた。諏訪地方の開拓と開発に大きな成果をあげ、人々から「お諏訪様」と尊敬されているタテミナカタの偉大さを改めて感じた。
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