古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

9.事代主の息子タテミナカタを祀る「諏訪大社」

2012年08月05日 15時55分42秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

諏訪にて   2011年8月7日

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1

夜明けの諏訪湖

夜の花火の最中に諏訪湖に到着。花火が終わってそのまま車中泊。

翌朝周りを見渡すと、ここもきれいな公園だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2

湖の中で、女の人が立っている。説明板が無いので 誰なのかと聞いても、地元の人はみな知らない。

 (稲田姫ークシナダ姫だという地元の女性もいた。記紀で創り上げられた

  素戔嗚の架空の奥さん稲田姫がなぜこんなところにいるのか???)

 私が思うには、おそらくこの地を開拓して成功したタテミナカタの母上

 越の国出身の沼川姫(ヌナカワ)姫だと私は思うけど。愛する夫を徐福に

 殺された悲劇の姫君だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

06

諏訪大社 下社秋宮から参拝する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

紀元前2世紀末に、秦国から渡来した徐福(記紀では素戔嗚スサノオと書かれた)らに、殺された出雲王朝の第8代副王(職名は少彦)名前は事代主の息子「タテミナカタ」が祀られているのでぜひたずねて見たかった場所だ。

事代主の奥方「沼川姫 ぬなかわひめ」と共に、姫のふるさと越の国に引き上げてきたタテミナカタは その後出雲王家の人々の助けもあり、諏訪地方に移住して大きな成果を上げて、この地の人々に尊敬されて 諏訪大社に祀られた。

ところが記紀では 出雲にやってきた大和朝廷の「タケイカヅチ」に追い払われて諏訪に逃げ込み、この地に幽閉された」と悪意をこめて書かれた。陰謀と殺戮、を繰り返して天下を取った持統天皇と藤原不比等たちにより、歴史は大きく書き換えられたのである。渡来系であることを隠し、自分たちこそ天から舞い降りてきた神の子たちの子孫だとほざいて、万世一系などとわけの分からんものを創り上げて、その後の日本の歴史を方向付けた 諸悪の根源だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

07

秋宮の中には、なぜか「タテミナカタ」つまり「お諏訪様」を追い込んだ

張本人とされる「タテイカヅチ」も祀られている。不思議なことだ。

歴史勝者の渡来人系の末裔藤原不比等らが祀らせたのだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2_2

下社秋宮には手水に温泉が湧いている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

5

こちらは下社春宮の本殿。ここも立派だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3

「タテミナカタ」の母上「越のヌナカワヒメ」を祀っている末社。

本社はもちろん越の国つまり越後にあるそうな。しかし言代主(恵比寿さん)

の奥さんは沼川姫のほかにもう一人、摂津三島から来た活玉依姫も

いらっしゃった。沼川姫はここでは安産の神様として有名らしい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3_2

上社の鳥居も立派だ。雰囲気が「出雲の国一ノ宮の熊野大社」によく似ている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

6_2

上社前宮には、お諏訪様つまり「タテミナカタ」の父君言代主時代の主王

(大名持)八千矛(やちほこ)記紀では「大国主の命」(通称大黒さん)

も祀られていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

10

諏訪大社といえば「御柱」で各社の四隅に建てられている。これは秋宮の御柱。

今は亡き岡本太郎 画伯のいうには ここの御柱祭りこそ「原日本人の縄文人たちの祭典の名残だ」と絶賛されていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

と言うことで念願の諏訪大社参拝を終えた。諏訪地方の開拓と開発に大きな成果をあげ、人々から「お諏訪様」と尊敬されているタテミナカタの偉大さを改めて感じた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」トップページはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

全体のトップページへはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


8.神魂神社(天の穂日)と女神神社(玉依姫)と野見野宿禰

2012年08月03日 11時53分12秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

松江市大庭町の神魂(かもす)神社は国宝である。

この神社は 出雲王朝の祖 「天の穂日」開祖と言われていて

日本最古の「大社造」の建物は国宝である。

周辺には、八重垣神社や 「八雲立つ風土記の丘」などがある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※穂日(ホヒ)とは三世紀末に秦国から渡来して出雲で暴れた徐福

(記紀ではスサノオと書かれている)の手下で、徐福の渡来の前に出雲王家を

訪れて 徐福の上陸の許可を第八代大名持の八千矛に願い出て、許可を

取ったといわれている。徐福は上陸後、穂日や穂日の息子タケヒナドリ

などと謀をして 大名持(主王)八千矛と少彦(副王)八重波都身を殺した。

穂日の子孫はその後大和に出来た、渡来系の海部王朝やそれに続く

物部王朝に取り入り、出雲国造にしてもらったという抜け目の無いやつで

記紀製作時に、藤原不比等に進言し、出雲王朝はなかったことにするよう

提案した一人だとか。古代出雲王朝を名実ともに抹殺した張本人の一人だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

03

神魂の森。たくさんの人が見学と、参詣に訪れていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

185

参道入り口の鳥居。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

28

この石段を登る。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

391

石段を登った境内。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

42

最古の大社造と言われる本殿。この建物が国宝だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

57

拝殿から本殿を見たところ・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

神社発行のパンフレットによる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

70

本殿天井の五色の雲の絵図。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1

これは本殿内部の壁絵。

代々の出雲国造(くにのみやつこ)による、神火継続式(おひつぎしき)や

新嘗祭(にいなめさい)のあと、大穴持ち(出雲王国の主王)が 

奉納相撲をご覧になっているところの絵だそうだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

70_2

奉納舞楽ー日月舞を本殿扉に描いたもの

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※しかし実際には、この神社は物部豊連合王国に 古代出雲王国が降伏

したあと、進駐軍司令官 物部十千根に明け渡した東出雲王家の

王宮跡が、神魂神社となったらしい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

玉依姫(たまよりひめ)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

女神神社 島根県飯石郡赤名町

この神社に祀られている「玉依姫」は固有名詞ではなく、日本全国の

その土地の神と結びついたその土地の「産土神(うぶすなかみ)」と

言われている。京都(山城の国)下賀茂神社の玉依姫も有名だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

46

この赤名町 現在の飯南町の玉依姫の言われである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

49

赤名町の女神神社。もともとこの社は 近くの女神山(現在は女亀山

ーめんがめやま)山頂にまつられていたという。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Photo

女亀山山頂(820m)の女亀山神社

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

野見野宿禰(のみのすくね)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

相撲の起源と言われる 當麻のケハヤとノミノ宿禰の力比べの話は有名だ。

タジマモリは辰韓からの渡来人ヒボコの子孫だ。

ヒボコは出雲への上陸を出雲王朝に拒否され、但馬の円山川上流に移住

し、但馬で沼地の開墾に苦労したという。そのため出雲王朝を深く恨んで

いたという。タジマモリは九州物部王イニエ大王の東征に参加し、

葛城の当麻に住み 大きな勢力をもつようになった。当麻の地名はタジマが

変化したものと言われる。しかし大和に進軍したイクメ王(イニエ王の息子)

の指示を聞かなくなった「タジマノモリ」を 打ち砕くため、物部王朝が

屈服させた出雲王朝の大穴持(主王)「野見彦」に助けを借りて、ヒボコの

子孫のタジマモリを蹴散らした話が 記紀製作時に 相撲の話、力比べ

の話にすり帰られたという。「野見彦」はその功績で物部王朝から「宿禰」の

称号をもらって「ノミノスクネ」と呼ばれるようになった。

その出雲王朝の大穴持出身地が 今の飯石郡飯南町野見野だという。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

45

すくも塚古墳説明文

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Photo_2

すくも塚古墳全景。 大部分を削り取られて小さくなっているそうだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」トップページはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

全体のトップページへはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー