古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

出雲王家の谷 西谷遺跡群の四隅突出墳丘墓とその埋葬品

2014年06月18日 00時00分39秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

西谷遺跡群はパンフレットや看板には「にしだに」と振り仮名がふってあるが、土地の古老は「もともとこの地は 出雲王家が幸の神(さいのかみ)のおわす、鼻高山(はなたかせんー出雲北山の最高峰の山)を遥拝した土地なので「斎谷」 もしくは「幸谷」と書き「さいだに」と読むのが正しい」とおっしゃっている 

ともあれここには沢山の四隅突出墳丘墓があり、代々の出雲の王が埋葬された場所なのだ。その副葬品がとてもすばらしく、まさに「出雲の王」と呼ぶのにふさわしいということだ。 

発掘された埋葬品が展示してある 「出雲弥生の森博物館」に出かけた。 

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これが出雲の王だ。馬具や太刀、王冠、装飾品はすべて発掘された埋葬品だ。

※発掘された埋葬品を復元模型にしたもの。 

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発掘された王冠は金色に輝いていて、ガラスやメノウのブレスレット、ネックレスがまばゆい光を放つ。

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王の太刀はもちろん 出雲王国の砂鉄で作った鉄剣であり、金箔が施されている。すばらしい剣だ。

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馬の鞍にも金箔が貼り付けられて 豪華だ。

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沢山の馬具や馬具装飾品も金色で、凄く豪勢だ。さすが王の馬。

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ブルーの輪は お妃の棺に入れられていたガラス管を繋げたブレスレットだ。

この時代にガラス細工など どうして手に入れたのだろう。支那大陸で作られたらしいという解説があるのだが。

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博物館の中には四隅突出墳丘墓の模型も展示してある。

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墳丘墓の頂上では、王の葬儀が行われている。右のお二方は新しい王で亡くなられた王との、引継ぎ式をかねた葬儀らしい。

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新しい王の後ろから見た葬儀のようす。棺が運ばれている。

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墳丘墓の上に、御柱を立てるようす。殯の宮なのか はたまた神殿なのか。

こういう巨大柱の立柱文化を信州諏訪に伝えて「御柱祭り」となったのは、出雲王国第8代副王の事代主が徐福(スサノオ)やその部下、穂日に幽閉殺害された後 母親の「沼川姫」とともに 出雲を離れ沼川姫の実家のある越の国から諏訪へ移住した事代主の息子「タテミナカタ」の尊である。

ちなみに穂日の子孫の家系が物部王朝成立後、「出雲国造(くにのみやつこ)」にしてもらい、その子孫家系が出雲大社の今の宮司である。

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博物館のまわりには 30いくつの墳丘墓があり、そのなかのいくつかの「四隅突出墳丘墓」が復元されて公園になっている。この写真は3号墓の上から隣の2号墓を見たところである。

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2号墓の四隅突出した「足」の部分の写真である。

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2号墓は中が展示室になっていて、説明パネルが置いてある。

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これらの墳丘墓が盛んに作られた頃の出雲の村の地図も展示してある。

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これらの墳丘墓からは 出雲王朝時代の聖なる山で、サルタ彦が鎮座される「鼻高山(はなたかせん)」がよく見える。逆に言うと、鼻高山に見守られるように 墳丘墓が配置されたらしい。

サルタ彦は記紀では猿田彦と書かれているが、サルタとは南インドのドラビダ種族の言葉で「鼻が長い、または大きい」と言う意味で つまりヒンドゥーの神の一人「象神のガネーシャ」のことである。それゆえサルタ彦がおわす聖なる山を「鼻高山」というのである。

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2千年の時の流れの間には、さまざまな出来事があり、鎌倉時代に 9号墳丘墓の上に神社を建ててしまったような罰当たりもいらっしゃる。中で眠っていらっしゃる出雲の王様もびっくりだ。

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この王家の谷の「四隅突出墳丘墓」は紀元後2世紀中ごろから作られ始めて、3世紀中ごろに作られなくなったという。

この時代は ヤマトでは「天の村雲」に始まる海部王朝が5代カエシネ(孝昭)、6代国押人(孝安ー自ら後漢に出向き 後漢の属国となる代わり、和国の王と認めてもらった)、7代フトニ(孝霊)の時代で 九州物部王国が第一次東征を開始し、熊野に上陸後 ヤタガラス(出雲王家の分家でヤマトの登美家の加茂建津之身)の先導で大和入りし、フトニ大王が吉備へ逃げ出したころである。

また四隅突出墳丘墓が作られなくなった3世紀中ごろは ちょうど九州物部王国と宇佐の豊王国連合軍が 第2次東征を開始して、別動隊が日本海を北上し東西出雲王家の宮殿をそれぞれ破壊して、 17代続いた出雲王朝を終焉させた時期である。

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古代出雲王朝終焉の地 田和山神殿と久奈子神社

2014年06月16日 23時07分14秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

古代出雲王朝は東と西の二つの王家があった。西は「神門臣家」で東は「向家」でそれぞれ交互に 主王(役職名は大名持ち)と副王(役職名は少彦)を出していた。 

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九州筑後平野に和国へ2度目の上陸をした秦国人徐福(記紀では素戔嗚)の子孫が打ち立てた「物部王家」は232年にイニエ王(記紀では崇神と表記)は第2次東征を決意し南下を始めた。

そして日向の地に「都万(つま)王国」を作り 宇佐の豊王国から豊玉姫を迎え「都万豊連合王国」を作った。皇子のイクメは瀬戸内海を東進し 吉備で吉備王国の激しい抵抗を受けていた。

別動隊の曙立王(あけたつおうー大和の登美家の分家)と菟上王(うのかみおうー宇佐家)が日本海を東進して西出雲王家を急襲した。第17代大名持ちの「山崎帯王(やまさきたらし)」は当時智井宮宮殿(出雲市神門町)に居たが 慌てふためいて背後の山に逃げ込んだ。そこに新宮を建て 抵抗したがやがて降伏した。

その新宮で講和条約が結ばれ 物部軍が西出雲に駐留することとなった。新宮は後々まで(江戸時代頃まで)も「和評り(わはかり)の宮」と呼ばれたが、現在は「久奈子神社」となっている。

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久奈子神社の参道入口 出雲市古志町の山の上にある。

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さらに長い石段を登る。

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鳥居を潜り更に石段が続く。

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こじんまりとした造りだが、ちゃんと大社造になっている。

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古代出雲王朝では「幸の神三神(さいのかみさんじんー久那斗(クナト)大神、幸姫命(さい姫)のみこと、およびその御子神サルタ彦)」が信仰されていた。

久奈子とはクナト大神の御子のサルタ彦のことだ。サルタとはインド南部ドラビダ人の言葉ドラビダ語で「鼻が大きい」と言う意味で、つまり象の神様「ガネーシャ」のことだ。

(※古代出雲族はインドにアーリア人が進攻してきた為に追いやられたドラビダ人の一部が紀元前5世紀頃モンゴル経由で渡来したという。これは神門臣家と向家の伝承だそうだ)

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神社からは 出雲平野の向こう 出雲北山の最高峰「鼻高山(はなたかせん)ー鼻が高い、つまりガネーシャであるサルタ彦を祀っている神奈備山」が正面に望まれる。

もともとこの場所は神門臣家がサルタ彦を遥拝する祭礼の場所だったという。

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田和山神殿跡  松江市田和山町

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一方 都万豊連合王国の別動隊が日本海を進み 東出雲を急襲した。西暦80年頃に渡来した朝鮮人(辰韓の王子)ヒボコの子孫 田道間守(たじまもり)が東出雲王家(第17代少彦 野見彦)の宮殿の田和山神殿(松江市田和山町)を襲い破壊した。田道間守は直ちに日本海を東進続け 既に大和入りしていた都万豊連合王国 イクメと合流する。

その後武諸隅(たけもろずみ)率いる物部軍が伯耆の国日野郡から大量に侵入し東出雲王家も降伏する。野見彦は宮殿を物部軍に明け渡し、向家は八雲に移る。

物部軍は宮殿の建物に駐留し それが今の「神魂カモス神社」であり、向家の住まいが今の「熊野大社」である。

と言うことで第17代大名持ち「山崎タラシ王」、少彦「野見彦」で古代出雲王朝は終わりとなる。

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田和山遺跡南側入口。この階段が頂上まで続く。

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この遺跡は三重の堀がめぐらされている。それだけ重要な施設だったのだろう。

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上から周りの堀を見下ろす。駐車場のクルマが小さく見えるということは、高さがかなり高いということだ。

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堀の東側の部分の先には 「松江市民病院」が見えている。この病院はもともとこの遺跡に建つ予定だったが、松浦松江市長の英断で 遺跡を保存し、病院建設地を東へ移動することが決まった。

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堀の説明看板が数箇所立っている。

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山頂には柱列 の跡が発見されたが、「建物の形状については諸説あるらしいので、とりあえず柱だけを復元した」と書いてあった。

この写真は南側より北(宍道湖方面)を見た写真。

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山頂部の説明看板。

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山頂から東を見ると 正面に茶臼山が見える。茶臼山は東王家(向家)が神奈備山(幸の神三神のおわす 聖なる山)として この地から遥拝していたという。

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※追記 瀬戸内海を通り河内に上陸した 都万豊連合国のイクメ王(この時点ではイニエ王が亡くなりイクメが王となっていた)は、既にヤマトで王朝を築いていた第1次東征軍の子孫たちが激しく抵抗して 堅く守る大和盆地に入れず、生駒山地で足止めを食っていた。生駒と言う名前はイクメが長くとどまった土地から来ているという。

田和山神殿を破壊して、駆けつけた田道間守の援軍を得て、第2次東征軍は優勢となり、ついに大和入りを果たす。田道間守は大きな勢力を持つようになり、葛城地方に腰を落ち着けて、イクメ王の指図を受けなくなったという。そのあたりの地名は 田道間守(たじまもり)のタジマが訛って 当麻(たいま)と呼ばれるようになったとか。現在の当麻寺のあたりである。

(朝鮮人ヒボコの子孫である田道間守がなぜ出雲王家を恨んでいて 神殿を破壊したのかは、また別の機会に述べたいと思う)

困ったイクメ王は、旧東出雲王家の野見彦に田道間守を撃つように依頼する。神殿を破壊されて 田道間守をうらんでいた野見彦は 直ちに出雲各地で兵を集め葛城へ進軍し 田道間守を打ち破り、敗走させる。

名実共にヤマトの王になり、喜んだイクメ王は 野見彦に領地と 物部王家の重臣の称号「宿禰」(すくね)を与えこの時から 野見の宿禰 と名乗るようになったという。

また記紀ではこのときの戦争を「当麻蹶速(たいまのけはや)と野見の宿禰 の相撲の話」に作り替えて 相撲発祥の地が 当麻だという話をこしらえたという。

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