古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

4.スサノオが降り立ったという船通山

2010年10月19日 22時36分26秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

古事記によれば、スサノオは最初新羅の牛頭山に降り立ったけど

「ここはあまり気に入らない」と言い、次に出雲の「船通山」に

降り立ったと言われている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Photo

昔は鳥上山と呼ばれていた。その名舞うの由来となった「鳥上の滝」。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Photo_2

5

船通山山頂。スサノオがヤマタノオロチを切り裂き腹の中から

取り出したという「叢雲の剣」(後の天皇家の三種の神器の一つ

「草薙の剣」)がここで取り出されたという記念石碑が立っていた。

※石碑の漢文を私が勝手に解釈した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

藤原不比等が書かせた記紀には、紀元前二世紀末に秦国から

渡来して 出雲王国の大国主や言代主を殺して大暴れした徐福は「スサノオ」と書かれ

た。そして徐福は 高天原からこの山に降りてきたと書かれたのである。

それを見た 出雲の人たちは、仰天した。

徐福は 出雲の国の隣 石見の五十猛海岸に 大船団でやってきたことは、

出雲の人々の記憶に強烈に残っているからである。

この山はもともと 鳥髪山(とりかみやま)と呼ばれていた。

そこで出雲の人は 徐福が船に乗ってこの山にやってきたことをからかって

「船通山」と呼んだらしい。

自分たちの国が 徐福に依り 引っ掻き回され、挙句の果てに徐福の子孫の

海部王朝の末裔どもに 国を滅ぼされたことを恨んでいて こう呼んだ

のかもしれない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

船通山の記録はここから入れます。 「ブログ島根の山を歩く」船通山http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947-shimaneyama/e/4e8a6d4d9aad57e3e8d48a1ac43b0647

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」トップページはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

全体のトップページへはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



最新の画像もっと見る