紀元前2世紀末に 沢山の青年男女(海童と呼ばれる)を連れて、秦国からやってきた徐福(記紀では素戔嗚「すさのお」と書かれた)たちは、当時の古代出雲王国内で大暴れして、主王と副王の二人のトップを同時に殺害して 出雲王朝に大打撃を与えてしまう。
当時の先進技術を携えてきた、沢山の秦国人たちは その後の日本の歴史に大きな影響を与える。とりわけ徐福の長男 五十猛と次男穂穂出見(ほほでみ)の子孫たちは 互いに争いながら、大和朝廷を作り、日本を支配していく。
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その徐福(素戔嗚)を祀る 須佐神社に行ってみた。
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須佐川のほとりに須佐の森はある。(出雲市佐田町須佐)
須佐神社はこの中だ。
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鳥居を潜り参道を進むと「随身門」がある。
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門の左右に一対の人形が置いてあるが、誰なのか、そしてそのイワレの説明が無いので不明。神社のホームページにも書いてない。
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境内に亀のかたちをした石組みがあり、ムシロが掛けてあるが、これも説明が無いので不明。おもしろそうではあるが。
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拝殿の注連縄も大きくて立派た゛。本殿はここから拝むのだ。
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境内にある「塩井」の説明によると、この井戸は出雲大社裏手の「稲佐の浜」 と繋がっていて、潮の満ち干により、塩分が入ると言う不思議な井戸だ。
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本殿は高床式で妻入りの「大社造り」だ。
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本殿裏手には、杉の古木があり、樹齢1300年と書いてある。奈良時代の樹木のようだ。
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祭神の説明文。素戔嗚と奥方の稲田姫、その両親が祭られている。
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稲田姫は記紀で作り上げられた架空の姫で、徐福来日当初は、出雲王朝第七代主王(職名は大名持)の天之冬衣と宗像三姉妹の長女田心姫 との間に生まれた「高照姫」と結婚している。
一度秦国へ帰った後の二度目の九州上陸では、宗像三姉妹の市杵島姫と結婚している。
つまり稲田姫とその両親ーテナヅチ、アシナヅチは 記紀が創り上げた架空の人で実在しない人だ。
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そしていよいよ遷宮も完了した大国主の出雲大社へ
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出雲大社宮司の家。注連縄も大きくて立派だ。
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この方は穂日の子孫である。穂日とは徐福(素戔嗚)の家来で、徐福の来日に前もって出雲王朝へ挨拶に来て、徐福上陸の許可を得たという。そしてそのまま出雲王朝で働いていたと言う。
徐福来日後、大国主と事代主が相次いで出雲市の日本海側の稲目洞窟と米子市の粟島の志津の岩屋に幽閉されて殺害されたが、直接二人に手を下したのが穂日とされている。
その功績により、大和に誕生した大和朝廷により、「出雲国造」にしてもらい現在に至るという。
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出雲大社横の神楽殿前庭に翻る日の丸の旗も神楽殿の注連縄もともに日本一の大きさだと、観光案内の女性が声を張り上げていた。
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神楽殿正面の日本一の大注連縄。
古代出雲王朝を否定し続けてきた、梅原先生が「わしはまちがっておった、すまんのお」と謝った雑誌の表紙もこの建物の前と思われる。
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こちらは拝殿の正面。この注連縄も大きい。正面の白い幕の内側はすべてお賽銭を投げ入れるスペースで、覗くと百円硬貨に混じって沢山の千円札、五千円札、が見えてなかには一万円札もちらほらあった。
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本殿は遠目にしか見えないが、もちろん大社造だ。
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八足門から覗くとちょうど、なにか撤餞の行事が行われていた。
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ちょうど本殿の裏手から本殿を見たところ。この建物の左手前の部分で大国主が右手(日の沈む西の方角)を向いて祀られているという。
本殿は遷宮も済ませたが、その裏手ではまだまだ外溝工事 が行われていた。
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右が矢大臣?または、豊磐窓神。
左が左大臣?または、奇磐窓神。
これが仏閣になると金剛力士となります。
随神は、古代の貴人のボディーガードの随人に由来して、
常に貴人をお側近くで御守りする随人職は武人の最も栄誉な役目だったそうです。(侍の由来)
神社仏閣の境内(聖域)の入口を結界して悪いモノを追い払うと共にご祭神さまへ取り次ぐ役目を帯びています。
この点、狛犬(右側)と獅子(左側)もお役目は同じ。
但し、狛犬と獅子はルーツはかなり古く、オリエント地方の大王の玉座を守り(我が国の天皇玉座にも左右にいらっしゃる)、
城門に有って睨みを効かせる某かの彫像や、
スフィンクスさんやら有翼人面獣さんなどもご同類。
因みに、狛犬さんのあの(ンコ座り)姿勢は最敬礼の一つの蹲踞。(拝礼作法として意味がある)