玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

太平洋戦争のもう一つの理由

2022-04-29 13:34:10 | 近現代史

最初に東郷茂徳の『時代の一面』を読んだときに、東郷の憤慨を感じた。東京裁判においては、終戦に貢献した、平和を希求していたと主張した被告がいたであろう。

戦犯容疑の軍人たちの口からは言わないだろうが、多分名前をあげれば、文官であり、木戸幸一や重光葵等であろう。

ちなみに木戸幸一は天皇の平和主義を立証するために自らの日記を証拠として検察に差し出している。

東郷は終戦するために再入閣し、ロシア仲介の講和にも誰よりも早く取り組んだことを歴史に残したかったのではないか。その為に『時代の一面』を残したと私は思っていた。

しかし、また『時代の一面』を読み直すと、開戦前の膠着した日米交渉の段階で、東郷はアメリカ側の意図的な引き伸ばしを感じていて、それが何を意味したかずっと考えていたのではないだろうか。

彼は外相を辞めて1942年冬に1941年8月のルーズベルトとチャーチルの大西洋上会談の内容を知り、ルーズベルトにはその時既に戦争の決意があったことを知った。そして、終戦後の1945年冬にアメリカ議会査問委員会の資料を入手した。

そこから、東郷はアメリカ政権の立場を「如何にすれば日本に第一砲火を発射せしめることが可能かということであって、その翌日に手交すべき日本人への回答について、日本人との交渉成立を計る気配は全然ないのは極めて重大な点である」と考えるようになった。

そして、彼は「ハル・ノート」は従来の主張を超えている。わざと日本の承諾し難き事項を持ってきた、と結論付けた。

戦後、この話なると、この国では、「ハル・ノート」は正式な文書ではない。まだまだ変更できる単なる国務大臣のメモである、と言う言説がある。だから、あの戦争をまだ避けれたのだ、と云う人もいる。

この「ハル・ノート」は、渡辺惣樹によれば、フーバー元大統領の著作には「最後通牒(the Ultimatum)」と書かれているそうだ。

太平洋戦争のもう一つの理由は、アメリカのルーズベルト大統領と政権中枢が国民の戦争反対意識を変えるために日本に先攻させて、やむを得ず大戦に参戦するという、アメリカに仕組まれた戦争であった、ということである。

これについては、陰謀論だと言われそうだから、ここまでとしておきますが、…。

当節、ロシアのウクライナ侵攻に対して、アメリカが最初に戦争に参加しないと言った言葉がまた気に掛かります。

 

【引用文献:東郷茂徳『時代の一面』・渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』草思社・ハミルトン・フィッシュ『ルーズベルトの開戦責任』草思社文庫】

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太平洋戦争の一つの理由

2022-04-28 18:56:33 | 近現代史

先日、ブログで「巣鴨プリゾンからの疑惑」(4・14付)で東郷茂徳のアメリカへの疑惑を書いた。

それは「先の大戦では、米国は日本に戦争させるように仕向けたのではないか?」という疑惑であった。 

東郷の『時代の一面』を読み直していると、「敗戦の今日戦争防止の方法がまだありそうなものだとの疑念が当時の事情を知らざりし人々の間に起こるのは当然のことと思う。」そこで、当時の事情を語りはじめる。

「(仮にハル・ノートを受諾したら)一国の名誉も権威も忘れた考え方で論外である。…日本は当時大国としての地位を維持することを希望し…」と明らかに日本の大国としての名誉の事を東郷は問題にしている。

この国の国家の名誉=大国という言葉で思い出したことがあった。

東郷は1950年7月に巣鴨プリゾンで病死するが、当時、無期懲役だった木戸幸一は桑港条約で独立を回復したので、1955年に仮釈放された。彼は、なぜ戦争したかと問われて、「開戦前の日本は世界の五大国に列し、三大海軍国の一つであった。…その情況下でハル・ノートを突き付けられ、これを受け入れたらいったい日本はどのようなことになったであろうか」と答えた。

開戦時の内大臣と外務大臣が異口同音に〈大国としての名誉〉から屈辱的な「ハル・ノート」を受容できないので立ち上がったと言っている。

私は、当時としては冷静で教養のある二人がほぼ同じ戦争理由をあげてることに、大方の支配層の戦争理由の一つだと見た。明治維新以来約七十年余、欧米に伍して何とか五大国に上ったと思った、その足元を石油と鉄の資源で掬われたのがアメリカの高圧的な態度であった。

私の父と母は第一次近衛政権の頃に所帯を持ったようだ。そういう庶民にとって、大国の名誉などどうでも良かったのではないだろうか。

結果「国家的ハラキリをやらかす程度」の負ける戦争に突っ込んでいった。庶民はいつも上級層のくだらん国家の誇りとやらの為の犠牲になる。父は小さな幼子を残して満州に召集された。

今のウクライナも当時の日本のような状況なのかもしれない。ロシアも怖いがアメリカはもっと恐い。

そして、この国でも気を付けねばならぬのは、又々、変てこな世襲の輩たちが、國家・國家とやたらに云いだしていることだ。

 

【引用文献:東郷茂徳『時代の一面』・木戸幸一『木戸日記 東京裁判期』・グルー『滞日十年』】

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持続可能な小商い

2022-04-27 18:57:24 | ブツブツ

企業も、庶民も、其々みんな一応に貪欲になって、社員はあくせくとパソコンの前で貼りついているけど、結局は、何処かの、御曹司とか、世襲政治家とか、既得権者はそれぞれの権益を持っていて、成功は所定の所に落ちて、余程のことが無いと新しいことはできないようです。

誰もが手を付けない分野で一歩先に発射した者しか、なかなか大きく儲からないようになっています。

極めて少数のモノが数百人の子供でもいないと相続できないような悪戯な儲けをすると、どこぞかの起業家のように宇宙に旅立っていくとか、なんか富がたった一人の為に何百億、何千億、何兆も費やされます。それが昨今の新自由主義とかいう世界のようです。

改めて廻りを見ると、何と索漠とした風景なのでしょうか。

どこの都市に行っても同じような都市計画の街づくりで、何か腹が減ったなと食べ物屋を探すと、どこぞのチェーン店か支店で、そこでは同じような味のモノが売られています。

昔の街のだんご屋、コロッケ屋、たい焼き屋が商店街で軒を競って客を奪い合っていた。そんな風景にはなかなか出会えません。今ではそれが観光名所のようになっています。例えば、浅草や鎌倉の小町通のような、…。

昔の街には名も知られない商店街や個性的なお店がいっぱいありました。

その頃は押しなべて、商売や商業は小さな儲けだが、みんなが額に汗して働く活気がありました。今のビジネスには冷汗はあっても、ささやかな笑顔や小さな誇りは無さそうです。

ビジネスで成功したらハワイのマンション買って、果ては宇宙旅行か。

何と味気ない、つまらない世界だろうか、…。決していじけて言っている訳でもなく、先のない者は、何故だか、得てして、そう思うのであります。

長いこと閉じこもっていると、…。

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非道と無情

2022-04-26 15:58:37 | ブツブツ

隔世の感があるロシアの残虐で前時代的な侵攻は、西洋化の秩序を知った現代社会からすれば、ただただ眉を顰める以外の何物でもない。現地の情報は21世紀的にSNSで世界中に発信する。ロシアはそれをトランプ大統領の真似をしてフェイクだと言う。

多くの情報を受けるこの国のメディアは、ほとんどが残虐ロシア兵というレッテルを張り付ける。一部左翼系のメディアはロシアの侵攻理由を丁寧に載せている新聞もあるが、ほとんどのメディアは非道なロシアのレッテル貼りに忙しい。

メディアの論調は、戦争は兵士同士のみの戦いであって、市民や女性や子供を殺さないという強固な律法があるらしい。それは国際法に規定があるのだろうが、ロシアの侵略そのものが国際法違反であろう、たぶん、…。

日本的に言えば、武士道のような国家道が無いということになろう。でもこれは国際的な基準にはならない。

最初からウクライナがNATO加盟国ではないから、戦わないと宣言したアメリカは一切人的援助という派兵は行わないが、物的援助という戦争兵器は積極的に援助している。

なんか理屈だが、理屈に合わない。この国的に云うならば、「人は送らないが物は送る」という屁理屈のような気がしてくる。

アメリカには今や世界平和を守るという精神が無いことはもとより、人道擁護という心情そのものが欠けているような気がする。ロシアのプーチンも怖いが、アメリカという国は永続的に恐い。

なんかコロナが焙り出した人間の持つトンデモナイの邪な性状が、この世紀に突如露出してきたと思うようになった。

先日行った吉祥寺の商店街のシャッター

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バブルて何?

2022-04-25 13:36:49 | 

かつて若い頃に東京や横浜の深夜の都心で1万円札を掲げてタクシーを止める人たちを何度も見てきた。誰もかれもがゴルフを習ってゴルフ会員権を買って、遊びながら会員権が値上がりすると期待した。そんな時代を確かに経験した。振り返れば、あれが『バブル』か。必ず泡沫のように消えて行く幻と捉えていた。

この日経BP社の『バブル』は高橋治則氏のことが書かれている。若干長髪で田舎紳士のようなねっとりとした風貌が戦後の同世代の者として気になっていた。ゴルフ場や高級リゾートホテルを買っては肥大化していくリゾート王だと云う。

そう、彼の汗が多そうな風貌に「リゾート」というあやしい経済がもとより泡沫のように消えていく運命を感じさせる。

かつて高校で一流大学に行った者の就職先は、当時は銀行・損保や商社であった。20年経ってクラス会に行ったら、みんな銀行名が変わって居た。まったく不思議な時代だった。

その中でも天下の長期信用銀行がリゾート王の高橋治則に過大融資をして、やがて潰れて行く。この本を読んで驚いたことがある。くだんのリゾート王は既に鬼籍に入ったが、その兄が東京オリンピックの実務的な牽引者である電通の高橋治之氏であることが判った。

結局「東京オリンピック」もバブルだし、二番煎じ、いや、出がらし茶のように、また「大阪万博」をやると云う。

この国の経済的な無能さと新しいことが恐い干からびた保守態勢には殆ど開いた口がふさがらない。

歩くのがやっとのような爺さんがもう一度青春を求めるような見苦しさを感じる。東京オリンピックに執心した森、安倍、石原らの顔をつい重ね合わせてしまうのです、…。

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