最初に東郷茂徳の『時代の一面』を読んだときに、東郷の憤慨を感じた。東京裁判においては、終戦に貢献した、平和を希求していたと主張した被告がいたであろう。
戦犯容疑の軍人たちの口からは言わないだろうが、多分名前をあげれば、文官であり、木戸幸一や重光葵等であろう。
ちなみに木戸幸一は天皇の平和主義を立証するために自らの日記を証拠として検察に差し出している。
東郷は終戦するために再入閣し、ロシア仲介の講和にも誰よりも早く取り組んだことを歴史に残したかったのではないか。その為に『時代の一面』を残したと私は思っていた。
しかし、また『時代の一面』を読み直すと、開戦前の膠着した日米交渉の段階で、東郷はアメリカ側の意図的な引き伸ばしを感じていて、それが何を意味したかずっと考えていたのではないだろうか。
彼は外相を辞めて1942年冬に1941年8月のルーズベルトとチャーチルの大西洋上会談の内容を知り、ルーズベルトにはその時既に戦争の決意があったことを知った。そして、終戦後の1945年冬にアメリカ議会査問委員会の資料を入手した。
そこから、東郷はアメリカ政権の立場を「如何にすれば日本に第一砲火を発射せしめることが可能かということであって、その翌日に手交すべき日本人への回答について、日本人との交渉成立を計る気配は全然ないのは極めて重大な点である」と考えるようになった。
そして、彼は「ハル・ノート」は従来の主張を超えている。わざと日本の承諾し難き事項を持ってきた、と結論付けた。
戦後、この話なると、この国では、「ハル・ノート」は正式な文書ではない。まだまだ変更できる単なる国務大臣のメモである、と言う言説がある。だから、あの戦争をまだ避けれたのだ、と云う人もいる。
この「ハル・ノート」は、渡辺惣樹によれば、フーバー元大統領の著作には「最後通牒(the Ultimatum)」と書かれているそうだ。
太平洋戦争のもう一つの理由は、アメリカのルーズベルト大統領と政権中枢が国民の戦争反対意識を変えるために日本に先攻させて、やむを得ず大戦に参戦するという、アメリカに仕組まれた戦争であった、ということである。
これについては、陰謀論だと言われそうだから、ここまでとしておきますが、…。
当節、ロシアのウクライナ侵攻に対して、アメリカが最初に戦争に参加しないと言った言葉がまた気に掛かります。
【引用文献:東郷茂徳『時代の一面』・渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』草思社・ハミルトン・フィッシュ『ルーズベルトの開戦責任』草思社文庫】