昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の記録は公表されていない。アメリカにおいても発見されていない。先日、ネットで松尾尊兌の「第一回会見」に関する論文を見つけた。
結論では、二人の会談の概要を推論していた。約37分間のうち約20分がマッカーサー元帥の一方的な演説であったそうだ。それが終わって、まず天皇は「宣戦布告に先立って真珠湾攻撃を行うつもりはなかった。…」と言う。
そう天皇が言った時に、奥村勝蔵は英訳してマッカーサーに伝える。半藤や東郷が言うように、本当に当時大使館員の奥村が、真珠湾攻撃の宣戦布告のタイプに手間取って最後通牒を遅らした張本人だとしたら、その会見の場とは、真珠湾奇襲攻撃の実の仕掛け人、犯人が通訳していることにならないか。実に奇遇な構図である。まるで小説や劇のようだ、・・・。
松尾は続けて、天皇が「その責任は日本の君主たる自分にある」と天皇の戦争責任発言を書いている。そして、そこに、「注釈」をつけて、「天皇はマッカーサー元帥には戦争責任を認めたが、日本国民には終生これを認めようとはしなかったことだけは記しておかねばならない」と。
彼は菊のカーテンを恐れてか、「注釈」で本論を語った。古風な昔気質の、そして気弱な学者であるのだろう。松尾氏はもうこの世にはいないが、生きているのならば、ぜひ奥村の事も聞いてみたい気がする。
【出典・参考文献】松尾尊兌「昭和天皇・マッカーサー元帥第1回会見」『京都大学文学部研究紀要』1990年/豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫2008年/東郷茂徳『時代の一面』ほか。