玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

まるで小説のよう

2018-12-29 22:26:50 | 近現代史

昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の記録は公表されていない。アメリカにおいても発見されていない。先日、ネットで松尾尊兌の「第一回会見」に関する論文を見つけた。 

結論では、二人の会談の概要を推論していた。約37分間のうち約20分がマッカーサー元帥の一方的な演説であったそうだ。それが終わって、まず天皇は「宣戦布告に先立って真珠湾攻撃を行うつもりはなかった。…」と言う。 

そう天皇が言った時に、奥村勝蔵は英訳してマッカーサーに伝える。半藤や東郷が言うように、本当に当時大使館員の奥村が、真珠湾攻撃の宣戦布告のタイプに手間取って最後通牒を遅らした張本人だとしたら、その会見の場とは、真珠湾奇襲攻撃の実の仕掛け人、犯人が通訳していることにならないか。実に奇遇な構図である。まるで小説や劇のようだ、・・・。 

松尾は続けて、天皇が「その責任は日本の君主たる自分にある」と天皇の戦争責任発言を書いている。そして、そこに、「注釈」をつけて、「天皇はマッカーサー元帥には戦争責任を認めたが、日本国民には終生これを認めようとはしなかったことだけは記しておかねばならない」と。 

彼は菊のカーテンを恐れてか、「注釈」で本論を語った。古風な昔気質の、そして気弱な学者であるのだろう。松尾氏はもうこの世にはいないが、生きているのならば、ぜひ奥村の事も聞いてみたい気がする。 

【出典・参考文献】松尾尊兌「昭和天皇・マッカーサー元帥第1回会見」『京都大学文学部研究紀要』1990年/豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫2008年/東郷茂徳『時代の一面』ほか。

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二人の役回り

2018-12-26 23:52:54 | 近現代史

宮内庁御用掛(通訳)の寺崎英成には高血圧症という持病があったようである。寺崎は、第2回、第3回の昭和天皇とマッカーサー元帥会見の通訳を無難に勤めたが、4回目会見(194756)は病気になり、初回の奥村勝蔵が代って通訳を勤めることになった。 

会見の翌日のAP電で、「マッカーサー元帥は〔日本〕防衛への広範な保証を与えた」と報道され、「日本をカルフォルニア州のように守る」との噂がひろがった。 

マッカーサーは激怒したそうである。その結果、通訳をした奥村勝蔵は懲戒免職となった。 

奥村勝蔵には真珠湾攻撃の最後通牒のように、また厄災が付きまとう。自ら求めているのか、寺崎との役回りがあるのか。彼には会見の後に外国の通信社に内容を洩らしたという嫌疑がかかったのだ。 

その後の話としてだが、奥村の部下であった松井明渉外課長は第8回から、後任のリッジウェイまで、ずっと通訳を勤めた。その松井が自分の担当した以外の天皇とマッカーサー元帥の会見も含めて「天皇の通訳」として文書を残していた。

松井は、それを1981年に出版をしょうとして、入江相政侍従長、等の宮内庁関係者に出版を抑えられた。この文書が出ていれば、後の歴史の見方もかわってくるだろうし、奥村の嫌疑も解決したかもしれないが…。


【出典】豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫2008

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もう一人の外交官

2018-12-23 20:37:15 | 近現代史

寺崎英成の外に、もう一人数奇な運命を背負う外交官がいる。真珠湾攻撃は、日本のお家芸ともいう義経直伝の奇襲攻撃であった。法や契約に理をおく欧米人にとって、国際法を無視した宣戦布告なき奇襲は許されない蛮行であった。 

米国は、騙し打ちと罵り「リメンバー・パールハーバー」と報復を露わにした。ほんの何分か前に届ければ、最低の合法性は担保できた筈である。戦後この行為を知って、恥ずかしいと感じた日本人は少なくない。 

暗号電報は日本大使館に来ていたのである。しかし前夜は迂闊にも送別会があって、したたか飲んだのか、電文が届いた当日は人手が足りなかった。何と緊張感のない大使館であろうか。あの緊迫情勢の中で送別会をやっていたのである。 

そして、もうひとつ決定的な失敗があった。最後通牒のタイプ印字にこだわり、時間を空費したまぬけ者が居た。その結果、作業が間に合わず、ハル国務長官に事前に文書を届けられなかった。以上が、結果としての「騙し打ち」の真相である。その原因は大使館職員の不祥事として戦後史に記された。

前夜の送別会の主賓が寺崎英成だった。そして、タイプにこだわったまぬけ者が奥村勝蔵であった。この失態を誰もが悔しがったはずだが、大使館の上層部も、奥村も、寺崎も、帰国後処分されることは無かった。普通なら八つ裂きになるかとも思うのだが、…。もっとも、その時は戦時下で真相は全く発表されてなかったが。 

全くおかしな話である。でも、ここまで書いた話は、後世の関係者や学者らがそう云っているので、そういう歴史になっているのである。しかし実際の真実は判らない。

 どちらにせよ、日本大使館のタイプが下手な外交官の奥村勝蔵は、敗戦後、日本政府とGHQの連絡調整を行う「終戦連絡中央事務局」の情報部長になっている。それを聞いて、寺崎英成は「いい役が残っていない」と日記でぼやいていた。 

その奥村勝蔵が、第1回目の昭和天皇とマッカーサー元帥会見の通訳を勤めた。因みに、第2回目が寺崎英成である。天皇は、マッカーサーは、その事を知っていたのか?ここに奇妙、奇異を感じない人間は余程の迂闊である。 

あれから70年経って、また、この圀の政府で行われている官僚の忖度ゲームを見れば、何となく想像がつくものである。当時の東條軍部政府に外務省が忖度したのであろう。或いは、圧力に屈したのであろう。 

最後通牒の電文は14章あって、一番最後の章に交渉決裂の文句があるだけ、しかも宣戦布告と書いていない。電報も、緊急扱いではなく、普通電で送られているのである。あくまでも交渉決裂の文書であり、それをもって宣戦布告にならないという説もある。いやはや、我々庶民が事実にたどり着くのは、どうやら大変な道のりのようである。

 

【参考文献】吉田裕『アジア・太平洋戦争』/北岡伸一『政党から軍部へ』/「寺崎英成御用掛日記」『昭和天皇独白録』/H・ビックス『昭和天皇(下)』/東郷茂徳『時代の一面』

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草莽の臣

2018-12-19 22:56:47 | 近現代史

寺崎英成は、吉田茂に「陛下のスポークスマン、天皇制護持に全力を尽くしてくれたまへ」と云われて、宮内庁御用掛になった。その日、「草莽の臣 茲に在り ほととぎす」と詠む。ふとホトトギスは簡単には泣かないのだろう、…と思う。 

半藤一利は「御用掛は宮内庁の”通訳”であるが、マッカーサー元帥と昭和天皇という二人の帝王の間に立つことになる。御用掛はある意味では、両者への助言的な性格を持つ」と述べる。 

寺崎日記では、昭和22年大晦日に、天皇への拝謁が63回あったと記されている。言い方が悪いが、天皇の苦情対応のような仕事が多い。例えば、女子学習院を何とかしろとか、公職追放された前総理の鈴木貫太郎の年金をどうにかならないか、とか。 

春の人事の季節には「…外務省の人間で外務省に行かない 新次官にまだ会っていない」とぼやいている。 

「官吏として最高の地位に達した。思い残す処なし」はどうも本心ではないという気がしている。だから、彼の悔しい思いを請けた家族の手によって、こうして『寺崎日記』が刊行された、そう想うのだが、・・・。

冬が来る・・・。

 

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思い残す処なし

2018-12-16 15:54:42 | 近現代史

1946(昭和21)年12月5日の『寺崎英成日記』に「官吏として最高の地位に達した。思い残す処なし」の一文があった。宮内庁御用掛とはそれ程すばらしい職なのであろうか。

この時期は、第3回目の昭和天皇とマッカーサー元帥との会見を10月16日に済ませ、11月3日には『日本国憲法』制定・公布の後の、非常に重要な時期であることはわかる。

一介の御用掛にしては頻繁に天皇に拝謁している。この時点で神権天皇制は象徴天皇制に移行する上で、マッカーサー元帥以下のGHQと旧体制の宮中・皇室との間には、微妙で切実な駆け引きがあったことは察しられる。

その両者の意向や意見の連絡、時には調整までする御用掛(通訳)が、GHQ最高権力と戦前最高権力の接点に位置する一人の官吏として最高の役目であったのだろう、と思う。

そして、この時既に天皇の懐刀だった木戸幸一は一年まえに巣鴨の牢獄に捕らえられていたのだから、天皇は一介の御用掛(通訳)である寺崎英成に頼るほか何も手段がなかったことも想像ができる。

同年、12月13日、「アチソン大使訪問、小生の役柄及び官名説明」とある。寺崎は自分が単なる御用掛(通訳)以上の仕事を天皇に任せられていることをアメリカの高官に詳しく説明をしていたのだろう。冒頭の日記の言葉は「官吏として最高に重要な仕事をしている」という気持ちの表れだったと解したい。

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