玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

あまりにNHK的な~

2016-08-27 11:31:55 | 雑感

先日、NHKプレミアムの『英雄たちの選択』とかいう歴史的人物の選択つまり決断を各界の専門家が意見を述べ合うという番組を見ていた。まとめ役は歴史家の磯部道史、そして、最近はIQが高いと言われている脳科学者の中野信子がよく居る。

鈴木貫太郎の終戦の決断時期を論じていた。何だか、サビ抜きの寿司を喰っている感じだった。誰が何を言ったか、よく覚えていない。ただ、「ポツダム宣言を黙殺すると言ったことで、そのために広島・長崎の原爆をはじめ、沖縄決戦等と甚大な人的被害を招いた」と言った人(萱野稔人?)もいた。中野氏は「鈴木という人物は協調性があるか無いかと言ったこと」を問題としていたような。何の実りのない議論の果てに、最後の磯田道史のまとめが、「鈴木と昭和天皇の関係は特別だったから・・・」で締めくくった。

鈴木貫太郎は、昭和天皇との関係が特別だったから、終戦するために首相にしたのであって、そこにこそ、「昭和天皇の選択」があったのである。天皇の意向と指示と、鈴木の決断時期とを論じなければならないだろう。

その時、首相は軍人でなければ治まらなかったという絶対条件。まあ戦争中だから当然であるが、その中で、自分の侍従であった海軍出身の鈴木貫太郎を昭和天皇は首相にした。鈴木は天皇の終戦のための道具であり、或いは刃物であった。それが鋭利であったか、なまくらであったかということを論じるべきであっただろう。何故か一番大事なものをぼやかす、これこそがNHK的というのだろう。

 山下公園の灯台?


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あれから、さっぱり!

2016-08-19 13:31:52 | 時事

あれから、さっぱり報道されなくなったけど、老ジャーナリストのスキャンダルはどうなったのかな?誰が仕掛け人なのだろうか?どう考えても野党ではないような。彼の無党派層への人気を異常なまでに恐れた与党側の所業だろうと思うが。

しかし、ここで、考えなければならないことは、選挙期間中に堂々と、週刊誌の見出し広告を使ってネガティブ・キャンペーンを公然と行ったことだ。こうした卑怯な手段は、今後の選挙運動に大きな影響を与えることだろう。

ともかく、その後、さっぱり、2週刊誌の「老人の哀しい性を揶揄するだけの記事」の卑しい報道を追求し顕在化させない無責任なメディア連は、必ずや安住する第四権力の座から、週刊誌と同様の嫉妬深く小狡いイェロウ・ペーパーへと堕落して行くことだろう。

漁夫の利は、野望に満ちた異形の政治屋の頭上に舞い降りた。しゃしゃり出た老小説家の『厚化粧の大年増』という、思いもかけない敵失ゴールも手に入れて、都庁王宮への階段を颯爽と昇っていった。結果、何百万という都民の熱い視線に晒され、彼女は当分の間だけ、庶民側の良い政治家を演じ続けることになるだろう。それでも十分に有難いことではないか


   先日、久しぶりに横浜港を見てきました。(拡大はクリック!)

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「朕」から「私」へ

2016-08-08 20:40:35 | 時事

約三十年前の昭和天皇崩御の時の世情を思い出した。毎日、下血報道が新聞の一面に載って、いつの間にか自粛と言う名の御上や組織からの締め付けがそこら中に張り巡らされた。或る日、盛り場の灯は消えて、日本国中が真っ暗な都市となり、社会のお偉い方々はこぞって喪服のような黒いスーツを着始めた。むろん、アナウンサーは礼服を着て、お笑い番組は影をひそめた。

その時、戦争を知らない世代にある者は、昭和天皇の死によって、平和ボケのこの国に、「欲しがりません、勝つまでは!」「贅沢は敵!」という標語が席捲していたことが、容易に想像できるようになった。そして、上からの有無を言わせぬ断乎とした統制という軍國主義の真っ黒な断面が妖怪のように地中から大きな壁のように眼前にせり上がってきた。

振り返って、戦後生まれの世代にとって、あの無意味で恐ろしく長い時間の堆積は、戦前の日本國の姿を知ることができた唯一貴重な体験であった。

自分の死による社会の暗黒化への気遣い、皇族の殯(もがり)への配慮、そうした細かい処へのやさしい気遣いが感じられた平成天皇の言葉だった。そして、繰り返し何度も言われた「私(わたくし)」という言葉の清々しさであった。戦後生まれにとっては、かつて聞いたことがある昭和天皇の「朕(ちん)」という言葉は、噛み砕けない硬さ、重さ、違う世界の言葉としか受けとれなかった。しかし、あの昭和時代にせよ、その言葉を普通に聞いていた世代が、実は戦後の平和憲法下の社会の大勢を占めていたことも事実であった。

今、また、改憲派の一部には、「朕」と言う天皇制を希求している匂いが感じられる。象徴天皇制と何度も言われた平成天皇の言葉の強さを感じ取ってもらいたいものだ。

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こういう結果でしたか!

2016-08-01 19:23:48 | 時事

アメリカでトランプが共和党の大統領候補に成ったように、マスコミ操作さえ上手ければ、小さな劇団でも大東京で旗揚げできるとは驚いた。次の演目は都議会劇場で悪人狩りでもやるのでしょう。悲しいかな老ジャーナリストは、三日で物事に精通できるという政策批判力能力はあっても、将来に向けての政策作成能力は期待した程ではなかった。実践的首長経験者はあまりに腰が低く、政党に真正直であり、世間に謙虚であり過ぎた。魑魅魍魎の政治世界には向かなかった人かもしれない。

選挙は大学受験ではない。優秀な者、努力した者が必ず勝つわけではない。桁違いの上昇志向と権力欲を化粧と笑顔で隠す政治家は、これからどんなことをするのだろう。今までの常識を覆すようなことをきっとやってくれるだろう。その内容や成果はまた無責任なマスコミが過剰に伝えてくれるでしょう。願わくば、オリンピックの旗だけ取りに行くのが政治的成果の頂点でないように、腰を落ち着けて、地道に地方自治に取り組んでもらいたいものです。

 

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