玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

マスコミは情報操作産業

2021-12-31 19:19:38 | 時事

本当に立民党は負けたのだろうか。やる前から過剰に反応したのが小選挙区の投票数だけ考えた場合の拮抗を恐れた自民公明党だった。

おせっかいかもしれないが、これから「自民公明党」と名称を変えた方が便利なような気がします。

共産と立民が異常な共闘なら自民と公明も同じだ。それを一切言わず盛んに同調したマスコミは罪深い。

おせっかいだが、随分と自民党筋からマスコミ業界に金が流れたのだろう。

あの自民党総裁選の過剰報道は財界の一流会社の宣伝費をどれだけ使ったことか。同じ時期に立民がやったらどうなったかな!

敗者の傷に塩を塗るかのように、衆院選が終わった後も、維新が勝ったというけど本当かな。

元々立民党は選挙を前にして、前回の総選挙で比例や力のない候補が党名欲しさに合流をして増えただけで、結局前回に希望の党人気の比例票がそのまま維新に流れたから、落選しただけなのかもしれない。

そういう分析が全く無いのが、今のマスコミ業界が信用できない証左です。

この際、情報操作の放送局の放送免許を取り上げたり、新聞の消費税を上げて欲しい。政権の道具となったマスコミ各社に冷水を掛ける勇気ある政党を応援したいものです。

国民に信頼される野党になるには、社会の木鐸を忘れたマスコミ業界と懼れずに戦うこと。その振りをしているだけの政党もあるようですが、…。

まだまだ安心していません。外食と言ってもこの程度です。

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国会のシーズン・オフ

2021-12-30 17:19:49 | ブツブツ

永年生きていると、いや、現役を退いて外野から、或いは高い建物の上層階から野球の試合を見るように政治を見ることもある。

国会が終わると、議員内閣制だから高級議員である政府閣僚だけが仕事をするが、それ以外の国会議員は何をしているのだろうか。

地元に帰って、官庁への口利きに忙しい人もいるだろう。野党議員は何をしているのだろう。年がら年中暇なんだからじっくり勉強するか、市民の中に入って選挙のための組織づくりに励んだら良いだろう。次は単に反自民で票が入らないだろうから。

今年も国会がシーズン・オフになれば派閥のトレード騒ぎではなく、一挙にスキャンダルの放出である。アベの「桜を見る会」が検察審査会を経て不起訴が確定したそうだ。確定と誰が言っているのか?

マス・メディアはこれで不起訴が確定したとばかり繰り返している。アベは厳正な審査で無罪が確定と言っている。公正な捜査や審査が行われたと思えない。国民は何も確定させていない。

いったい何が判ったのだろうか。検察審査会が時の権力者の罪逃れの制度になっていることが判る。小沢一郎のように逆に罪作りにしてしまうこともある。

この國は普通の人が悪いことすれば顔はメディアで晒され、刑務所に入ろうものなら二度と更生の道なんかないが、特別な人は何をしても許される。その威光を借りれば、強姦罪かも知れないジャーナリストが素顔でテレビに出て来る。

この国の何かが狂ってきている。アベを見てると完全に悪人で反社だ。彼はそろそろ退場してもらいたい。そうならないと、この国は腐った船のように沈没してしまう。

ヒトの居ない風景

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「四方の海」(後)

2021-12-29 18:58:32 | 近現代史

昭和天皇は1901年生まれだから40歳かも、木戸は1889年生まれだから52歳かな。

二人ともまだ生臭い年齢であると思う。

この御前会議の日の午前中に、突然、天皇は木戸に「会議で質問したい」といった。

木戸は質問は原枢相がやることになっているので、「今回の決定は国運を賭しての戦争ともなるべき重大な決定なれば、統帥部に於ても外交工作の成功を齎すべく…御警告を被遊ことが最も可然か」と奉答した。(『木戸幸一日記(下)』905頁)

私はこの和歌には意味がさほどないと思う。木戸によって天皇が軍部と直接対立することを避け、木戸が亡き西園寺公の代わりにたしなめたのだと思う。木戸と相計ってこの和歌を詠んだと思う。

最後に、半藤一利は「天皇は之で自分の気持ちはが伝わったと思ったんでしょうね、…。ところが東条は必ずしもわからなかった」と語っています。(『「昭和天皇実録」の謎を解く』158頁)

『木戸日記』と『杉山メモ』は「四方の海」と書いてあるんです。まあ、武骨だこと!。

―四方の海皆同胞と思ふ代になどあだ波の立ち騒ぐらむ―

 

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「よもの海」(前)

2021-12-28 19:17:24 | 近現代史

よもの海をみなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

1941(昭和16)年9月6日の第6回の御前会議で天皇は突然「よもの海」を詠います。

この和歌は、天皇が平和をなお希求していることを意味した。それは国策決定に対して拒否権を持たない天皇のギリギリの「おさとし」だった。

そう工藤美代子は『われ巣鴨に出頭せず』(261頁)で書いてます。

ふと気になって、勝田龍夫の『重臣たちの昭和史(下)』(275頁)を見ました。

天皇の厳然たる「外交により目的達成に努力すべき御思召しである」と書いています。

H・ビックスの『昭和天皇(下)』(74頁)は「よもの海」は明治天皇が日露戦争の開始に際し、戦争の結末の不安を和歌に託した。昭和天皇は二重路線〔軍事と外交〕のありうべき結果に対する準備に天皇が不安を抱いている、と書いてありました。

どうもビックスにしてはピリッとしない書き振りですね。

 

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後悔ではない回想

2021-12-27 19:17:40 | 日記

年相応に狡ければ、違った人生があったかもしれないと偶に思うことがあります。決して後悔ではないのですが、ふと思うことがあります。

あの時に、ああ云っておけば、違った人生になったかもしれないと思うこともあります。しかし、この年になると、もうどうでも良くなるんです。でもちょっと想像すると、とてもワクワクすることもあります。

コロナ禍にあると、他人と話す機会もなくなり、自粛疲れで、ふと空を見上げると、ああこんなに空は大きいし、確かに丸いのだなと思います。

とても東京にいた頃と比較すると、湘南の空は広いです。そして何時も違った表情を見せてくれます。

まだ、こうして外に出て行けるだけ幸せと思うことにしています。ともかくも、・・・。

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