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パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

ブッシュ大統領イラク新政策演説~There is no magic formula

2007-01-10 23:45:14 | Weblog
 今日お出かけから夜に帰ってきてNewsをつけたらこの話題で持ちきりでした。ブッシュ大統領のイラク新政策演説が今晩あったのです。テレビに映った神妙な顔つきから発せられた次のフレーズには少なからずビックリしました。
The situation in Iraq is unacceptable to the American people -- and it is unacceptable to me. Our troops in Iraq have fought bravely. They have done everything we have asked them to do. Where mistakes have been made, the responsibility rests with me.
(イラク情勢はアメリカ国民にとって受け容れがたいものです。私にとっても。我々の軍は勇敢に戦いました。彼らは我々の要請全てを成し遂げました。誤りがあったなら、その責任は私のものです)
 あの自信満々だった彼(中間選挙中)からこんな言葉が出てくるとは。。。彼の環境政策には首を傾げざるを得ないのですが(民主党は言うに及ばず共和党内でも現行環境政策へのサポートは薄いハズ)、きっと何百時間も議論と熟慮の末に達した一つの答えなんだろうことは11月の中間選挙後直ちに議会指導者と会談を持ったりしてた経緯からも明らかで、早速ホワイトハウスの該当ページで聴いてみましたが、"There is no magic formula for success in Iraq(イラクでの成功に魔法の公式なんてない)"という率直なフレーズに端的に表れているように結局何をやるにもうまくいく保証なんてないわけで、その中での決断のプレッシャーの大きさや、それでも民意を受けた政策変更を行う勇気を考えると、立場の違いはともあれあぁやっぱり立派な政治家なんだなぁと思った。
 方程式的回答がないのが結論というのは一昨日のエイズの話と同じですが、間違いを認めるという政治的屈辱を乗り越えてうまくいかなければ改めるということができるというのは、それはそれで立派なことではないかと(当たり前と言いたくなるかもしれませんが、責任をとらない国際機関と比べてみてください)。状況改善につながればいいですね。

庁→省のプラクティカルな違い

2007-01-09 23:55:32 | Weblog
 防衛庁→防衛省に今日からなったみたいで、何が違うのかとか、オオゲサな妄想だと文民統制が揺らぐとか、いろいろ話があるようです。環境分野で数年前に同じようなことがありましたから思いつくまま記憶を辿ることに。

フォーマルな違い
○閣議請議、予算提出が単独でできる
 この手のは、元来庁長官専決決裁のハズで、物理的に総理大臣印を押す時間が節約されるわけですが、結局請議書提出は紙でやってるハズなので、正味5分ぐらいしか違わない。

○府令→省令
 内閣府令ではなく防衛省令(総理府令→環境省令)になりますが、これは結構違う。通常本府の予備審査にそれぞれ数日余分に見る必要があるから、百本ぐらいの単位で考えると、ちりも積もれば山となる。

プラクティカルな違い
 法令上とは違う、「格上げ」がもたらす実際上の違いです。

○職員の士気向上
 下がりはしないでしょう、という程度のものじゃないか。目の前の仕事は変わるわけでもなし、鬨の声があがるハズもなし。

○「大臣」職の地位向上
 「国務大臣○○庁長官」よりも「○○大臣」の方が政治家としてエライ(と思われている)ので、政治の場面でのプレゼンスが(多少)上がる(気がする)→そこはかとなく政治的雰囲気が変化

○国会委員会構成
 環境庁→環境省にあわせて、参議院で国土環境委員会から独立して環境委員会が設置されましたが、委員会所属により関心を持つ議員が増える→同じく政治的雰囲気の変化ってのがあった気がする。今回外交防衛委員会から防衛委員会になるのなら同じような変化があるのでは? (注:衆議院は中央省庁等改革当時既に環境委員会だったし、今回も既に外務委員会と独立した安全保障委員会ですね)。

○党組織
 各政党の内部組織も同様にアップグレードすれば、同じく政治的雰囲気が変化。(今回の場合は既に国防部会とかあるわけでそんなことはないか。)

 こういう政治的な雰囲気の変化の結果として、予算や特に人員面でのハードルが(若干にしか過ぎませんが)下がり、結果政策実現の可能性が庁時代よりも相対的に高まったように思います(比較できないので検証しようがありませんけど)。自民党中川幹事長が「むしろ、文民統制の強化につながる」「大事なことは、戦略の企画立案面で、国民代表の政治家が文民統制することだと思う。」と言っているのも、政治的関心が高まることの裏返しではないかと。
 省令制定権以外にシンボリックな意味しかなし、設置法改正のかなりのコスト(機会費用)を考えた時に短期的には釣り合うとは思わないのですが、実はだんだんジワジワと効果があがるんじゃないんでしょうかねぇ? 折角できた防衛省頑張ってください。

エイズとアフリカ~Garrett, Becker, and Posner

2007-01-08 23:52:49 | Weblog
 先月届いた最新号のForeign AffairsにLaurie Garrett女史のThe Challenge of Global Healthという論文が巻頭に載ってて、"Why the funding boom for health care in the developing world may make things worse - not better."(なぜ途上国医療援助ブームが事を悪く-良くではなく-するのか)とデカデカと表紙を飾っていたこともあって興味深く読んだのですが、昨日のベッカー教授とポズナー判事のブログで同じテーマを扱っていて、結論が大体似ていて面白ないなぁと思った次第で。

 Laurie Garrettさんはその世界では説明不要のジャーナリストみたいですが、その論文では、
○米国の過去10年ほどで途上国エイズ対策援助は大体3倍に(注:政府の援助全体が275億ドル(2005)、民間の内外医療援助が225億ドル)、他国も援助を増額して、世銀の医療援助は34億ドルに達する(2003)など、援助が激増したこと、これは2001年にサックス教授らが途上国医療根本改善のため必要だと予測した年200億ドルをしのいでいること、
○にも関わらず状況が(例外的成功を除き)改善していないこと、
○その理由は
 ・援助が調整不足で、加えてドナーの意向に従うこと
 ・エイズなど特定の疾患を対象とするものばかりで、優先順位が高い医療
  (出産など)が後回しにされること
 ・待遇差で地元医療よりも援助プロジェクトに医療従事者が流れ、基礎的医療が疎かになること
 ・加えて医療従事者が経済面で(米国などへ)移住してしまい不足度が増していること
○解決策として
 ・目標として特定の疾患ではなく、平均寿命、妊婦死亡率など全体的な指標を採用すること
 ・先進国内の医療従事者を増やし、途上国からの移住労働者依存を減らすこと
 ・援助プログラムを調整すること
などなどを論じています。面白いなと思ったのは、労働市場のglobalizationが絡んだ話だってこと。(日本の医療労働市場には言葉と制度の壁がありますけど、他人事じゃないハズ)

 んで、ポズナー判事はもうちょっとよくある分析をしています。
  Progress in Fighting AIDS in Africa?--Posner
(相対的に)豊かな南アがさっぱり改善せず(20%以上がHIVウィルス感染)、貧しいウガンダでは90年代に15%→5%に改善したことをもって"The South African and Ugandan cases suggest that political will rather than huge foreign charity holds the key to reducing the prevalence of AIDS in poor countries."(莫大な外国援助よりも政治意思の方が、貧困国のエイズ減少の鍵だ)としています。よく言われるガヴァナンス(政治・行政)がなってないと援助をしても無駄っていう話ですね。この点を軽視して「ODAをGDPの0.7%にすれば貧困撲滅」などといっているサックス教授へのイーストリ教授の批判は先々学期ですが記憶に新しいところで。

 ベッカー教授はなぜアフリカでエイズが流行するかの原因をやや長めに言及しています。
  AIDS AND AFRICA--BECKER
○危険な性行為が米国では減少したのにアフリカでは減少していない理由として、Emily Osterを引用して
 ・収入が低いため、エイズウィルス感染リスクを減らすベネフィットが豊かな国よりも低い
 ・マラリアなど他の病気により低年齢で死ぬ可能性が高く、同じくベネフィットが少ない
○知識不足(今は大きな理由ではないハズ)
○女性の地位の低さ
などなどに触れながらいずれも断片的な理由でしかないと。
 
 こうして見比べると、何だか同じ事をそれぞれ違う角度から言ってるような気がしたんですね。根源的な話として貧困があって、卵/鶏ですがガヴァナンス不足があって(植民地時代のせいにするのは間違いとポズナー判事も指摘(リベリアは何なんだ))、援助を増やしても成果はまだら模様で、そうこうしてるとglobalizationに状況を悪化させる作用もあって、結局急がば回れ的・漢方薬的なgood governanceと片付けてしまえば簡単ですが要するにしっかりとした政治が、経済発展にもPublic Healthにも必要条件なんじゃないか、っていうこと(多分環境保護にも)。加えてどんなことも、例えば先進国内の医療事情も世界中に関係するのね、と。
 じゃぁ、good governance=民主主義、さぁ世界中に広めましょうと武力を使うとなるとこれまたエキセントリックなのですが、何も言わずにお金だけ出してる外交でいいんでしょうかねぇ、いや当座友好を取り繕うことが自己目的でもない限りそんなハズはないでしょうよ、価値の外交頑張れとか思ってみたり。或いは国内政策も対外的な影響の視点を持たなきゃいかんでしょうとも(vice versa)。結局いろんなことが絡み合って「○○ドルで△△年までに□□%貧困削減」とかサンタクロース的な方程式みたいなことがないというのは残念と言えば残念ですが、何事にせよ結局いろんな視点から地に足の着いた取組を根付かせる以外に途はないんじゃないかと思った次第

北方領土面積二等分という読売虚報は何だったのか?

2006-12-26 23:59:12 | Weblog
 Boxing Dayです。街に大荷物の人が多くて皆帰ってきてる感じ んで、ちょっとは時間ができたのでレポート書き中気になってたことを(長文注意)。読売の14日の記事でこんなのが(リンク切れてるのでキャッシュです)。
   北方領土解決へ4島「面積で2等分」…麻生外相が私案(読売、14日)

記事を読めば分かるように明らかに見出しと記事内容が全く合ってないので、ひどい見出しだなぁとクリップだけしてたところ。なのに発言そのものよりも「北方領土解決へ4島「面積で2等分」…麻生外相が私案」という見出しに反応した記事が続々と。
 ・産経社説(15日) 【主張】北方領土2等分 麻生外相は何をお考えか
 ・朝鮮半島にまで(15日) ロシア・日本紛争北方4島…日「全面積で半分ずつ」
 ・ついにロシアにまで(読売、16日(キャッシュ)) 麻生外相の北方領土解決案、露外相が受け入れ拒否
んで最後のでロシア外相に一蹴される・・・というわけだったのです。あれ、
   日本大使館前で抗議集会 麻生外相の北方領土発言で(産経、27日)
ってことが起こったんですね。結局妥協点を探りにくい雰囲気が残ってるわけですが、ホントは何を言ったのだろうと気になってたんです。国会会議録をチェックしたらアップされてたので見てみました。質問者は民主党の前原前代表だったんですね。(注:強調そらまめ)
○前原委員 ある新聞に、これは時評なんですが、安倍内閣発足直後の会見で、麻生外務大臣が、二島ではこっちがだめ、四島では向こうがだめ、間をとって三島返還というのは一つのアイデアとして考えられる、こういうお話をされたということであります。
 これを直ちに私は批判をするつもりはありません。交渉事でありますので、どのぐらいの時間をかけるのか。ことしが日ソ共同宣言五十周年ということでございまして、スペインなんかは二百何年かけて領土問題を解決したという例もありますので、拙速にやって損したということ、タイムスパンをどれだけとるかということは大変重要な問題だというふうに思いますけれども、交渉事には、私はそれはアローアンスがあっていいと思うんです。
 ただ、一つ私が気になりましたのは、例えば二島先行返還のときもそうだったのでありますが、果たして、そういう議論をされている方々というのは、島の大きさというものをちゃんとわかっておられるのかということなんですね。四島あって、半分は二島じゃないんです。
 御存じであればお答えをいただきたいと思いますけれども、歯舞、色丹が四島のうち何%で、では三島、国後まで入れたら何%か、大臣、御存じですか。御存じなければいいですよ、私、お答えしますから。

○麻生国務大臣 御指摘は正しいと思いますが、半分にしようじゃないかといいますと、択捉島の二五%を残り三島にくっつけますと、ちょうど五〇、五〇ぐらいの比率になります。大体、アバウトそれぐらいの比率だと存じます。

○前原委員 二島が七%、歯舞、色丹で七%、国後を入れて三島で三六%。ですから、おっしゃるように一四%だから、択捉というのは六四%あるわけでして、すごく大きいんです。ですから、今まさに外務大臣がおっしゃったように、半々にしたとしても、択捉はある程度は入れなきゃいけないということで、そこは、三島という言い方をしてしまうと、自民党の議員さんで、モスクワで三島でいいんだなんておっしゃった方が、議長の息子さんでおられるようでありますけれども、これは私はよくない話だと思うんですね。
 繰り返し申し上げますけれども、交渉事ですから、いろいろなアローアンスがあっていい。しかし、中国とロシアが国境線の画定をしたときに、お互い半々にしたんですよ、中ロは。だからそれに倣えということではありません。原則は四島でありますけれども、この問題を本当に解決するんだという意識があれば、今のことも含めて、三島と言い切ってはだめ。つまりは、仮に半分にまけたとしても、私はまけるつもりはありませんが、まけたとしても四島は入るんだというところの認識を持ってこの話はしておかなくてはいけないということであります。
 その点、交渉されるのは外務大臣、当事者ですから、もう時間も三十分しかありませんので、公式見解はわかっています、それは当然あるとして、しかし、御自身の言葉で、では、臨むに当たって、今の私の指摘も含めてどういうふうに考えておられるのか、本音で答弁をいただきたいと思います。

○麻生国務大臣 御指摘のありましたとおりだと存じますが、基本的には、いわゆるこの話をこのままずっと二島だ、四島だ、ゼロだ、一だというので引っ張ったまま、かれこれ六十年来たわけですが、こういった状況をこのまま放置していくというのが双方にとっていいかといえば、これは何らかの形で解決する方法を考えるべきではないか。これはプライオリティーの一番です。
 二番目は、そのときには双方が納得するような話でないといかぬのであって、今言われましたように、二島だ、三島だ、四島だという話になると、これはこっちが勝って、こっちが負けだという話みたいになって、双方ともなかなか合意が得られないといって、ダマンスキー、ダマンスキーというのは例の中国とロシアの間の島のことですが、あのダマンスキーのときも、いわゆるあれで話をつけたという例もあります。
 確かに領土の話というのは、先ほどスペイン等の話も出されましたし、ほかにも、世の中いろいろ、世界じゅうありますので、そういうような国は、金で話をつけた例えばアラスカの例もあれば、またニューオーリンズの例もあれば、いろいろ例はいっぱいあります。
 そういった例を引くにつけましても、この種の話をするときに、今言われたように、島の面積も考えないで二島だ、四島だ、三島だというような話の方が、私も全くそうだと思います。
 したがって、半分だった場合というのを頭に入れておりましたので、択捉島の西半分というか、南のところはもらって初めてそれで半分よという話になるんだと存じます。幸いにして、右というか東方、北東の方に人口は集中しておりますので、そこらのところの人口比が圧倒的に多いというのも事実なんですが、いろいろな意味でこれは交渉事ですから、今いろいろ交渉していくに当たって、現実問題を踏まえた上で双方どうするかというところは、十分に腹に含んだ上で交渉に当たらねばならぬと思っております。
 このやり取りのどこが「面積半分」の私案提示なんでしょうか? 普通に考えれば「交渉頑張って欲しいしある程度のオリシロはあっていいと思うが、四島の半分は面積を考えると二島でも三島でもない」という質問に「その通り、双方が納得できる解決目指して交渉頑張ります!」と言ったに過ぎないわけで、保守派同士のInside Baseballだとかいって逆サイドの方々が揶揄するならまだしも、「北方領土解決へ4島「面積で2等分」…麻生外相が私案」という見出しには普通の考えではなりっこない。
 考えられるのは、元々妥協は一切ケシカランと思っている記者が面積で半分のやり取りを聞いてこれが妥協になるならケシカランと考え、いっそ潰してやろうと思って書いたってことか? でも、それって質問してる前原前代表自ら「交渉事ですからある程度アローワンス」(許容度)があっていいと言ってて解決を望んでるんだから質問者も答弁者も意図しないことですよね。報道が広がってロシアにまで伝わってロシア政府が反応して・・・ってこういう外圧の引き出しってある特定の新聞の専売特許じゃなかったのね。

 ちなみに伏線として挙げられている大臣留任記者会見での麻生大臣の答弁です。外務大臣会見記録(平成18年9月26日(火曜日)23時09分~ 於:本省会見室)
(外務大臣)北方四島の問題に関しては、プーチン大統領と森総理の時から、この問題はかなり、先方もこの問題を解決しないと日露関係の進展はしないという認識を、向こう側も持っていたと思います。それに対応して、この話はずっとしこったままになっていますので、これは、役人がずっと積み上げていた話というのは60年間やってもなかなかうまくいかない話ですから、どこかで政治的な判断が必要だというようなことになってきているのではないかと思っています。従って、どこかの時点で、きちんと、外務大臣同士でどうのこうのという話ではないのではないかと、なんとなく、トップ同士の決断にならないと話が付かないのではないかという感じはします。それが、四島そのまま還ってきたら、こちらが勝って向こうが負けたとか、二島だったら向こうが勝ってこちらが負けたとかいう種類の話だと、双方で納得しないというのでは多分駄目なのだと思います。どこかで話を付けるというところは考えなくてはいけないというところなのだと思います。ルイジアナ州とかは、フランスから買ったりアラスカをロシアから買ったりしたという歴史もありますし、領土の話というのは、実に色々なケースがあるのだと思います。ロシアとの話はどこかで話の決着を付けるような努力を、双方で譲り合わないと、永遠にこの話だけで条約がとか、友好関係がとかいうのは、双方にとってあまり利益にならないなという感じがします。双方で折り合うというのは、ある程度信頼関係ができないとなかなか難しいと思いますので、事務的に積み上げていてできる話かなというのが、私自身も今、感じているところです。ただ、それでどういう答えがあるかというと、その答えを持っている訳ではありません。
外務省のHPが全部を伝えていない可能性も結構ありますが、前後のつながりからして白黒ハッキリということに疑問を呈してはいても「間をとって三島返還というのは一つのアイデアとして考えられる」なんてことは言っていないように見えますけどね。100%取ることしか許されない交渉なんて交渉になりっこないんだし、また間を取る=三島というわけでもないハズでしょうに(日本領ですと宣言するとか、4つ全部もらうがガスプロムと超長期契約を結ばされるとか←ヤダコレ、逆に2島は諦めるが漁業資源の利用権はクリル列島含めてもらうとか、ロシア軍だけ出て行ってもらうとか、要するに何でもアリなハズ)。

 実はもう一つ考えられるのは単に記者が理解力に乏しく、「半分にしようじゃないか」とか「半分だった場合というのを頭に入れておりました」とかの言葉に脊髄反射しただけの非意図的ミステイクってこと。結構あり得そうな気がしますが、そうだとすると、幼少期に「お前のジジイ(注:吉田茂)が死ねば、日本は良くなるんだ」と言われた(文芸春秋10月号)麻生大臣のトラウマというかアンチ記者度合いがますます高くなりそうな。引き続きめげずに頑張ってください。

ただ、一番の解決策は、やっぱり前原前代表のこの解決策だったのかも。
○前原委員 こういう席で不謹慎かもしれませんが、エリツィンのときは惜しかったですよね。川奈に来たときに、もうちょっとウオツカを飲ませて、そして判をつかせればよかったなとこれは本気になって思ったことはありましたけれども、これができなかったわけで、今の相手はやはりプーチンでありまして、(略)
惜しかったですねぇ(笑) 毒物を飲まされないよう注意して頑張ってください(こっちは笑い事じゃスミマセンね)。

道路特定財源の見直し~参照点はどこ?

2006-12-09 23:38:49 | Weblog
 ごちゃごちゃしてた道路特定財源見直しの件が合意に至ったんですね。
  道路特定財源の見直しに関する具体策(12月8日官邸HP) 
まぁ、今シーズンはこれで合意、来シーズン詳細詰めますってことみたいですが(良く言うと方針決定、悪く言うと先送り、何だか国際交渉みたい)、本件どうも政治のごちゃごちゃを抜きにした議論が活発なように思えないというか、いや議論はいっぱいあるんですが、どうも噛み合っているように思えないんです。なぜかというと、議論の際の参照点(議論の出発点)が人によって、あるいは同じ人でも場面によって変わってるように思えるから。具体的に言うと現状なのかと暫定税率のない本則の状態なのかということ。参照点によって損失なのか利得なのか見え方というか価値判断が変わるし、損失か利得かで同量でも違って評価されることが通例なので(endowment effect、同じものでも既得のものを手放す方が(WTA)、新たに入手するとき(WTP)よりも価値が大きく感じる)、この差は重要です。

 そもそもですが、道路特定財源は揮発油税、自動車重量税、軽油引取税、自動車取得税etc.からなっていて、「道路整備に充当するという約束で、本則税率の約2倍の税率を定め、自動車利用者に特別な負担を頂いている」(国交省道路局HP)と説明されてきてます。※※まぁ「暫定税率」そのものを定めている租税特別措置法(や地方税法附則)に「道路整備に充当するという約束」が書いてあるハズもないのですが、税目全体を道路整備に充てろと違うところ(道路整備費財源特例法や地方税法)で書いてるので合わせ読むと条文の文言解釈としても納得いくところだし、何より道路五ヵ年計画の財源が足りないと言って増やしたという暫定税率当初(74年)の経緯からして明らかですね。
んで、なんで見直しが必要かという背景は昨年末決定してた基本方針の前文に端的に示されています。
 道路特定財源は、長年にわたり、立ち遅れた我が国の道路の整備状況に鑑み、自動車利用者の負担により、緊急かつ計画的に道路を整備するための財源としての使命を担ってきた。
 しかしながら、その後、道路の整備水準の向上する中、近年の公共投資全体の抑制などを背景とする道路歳出の抑制等により、平成19年度には特定財源税収が歳出を大幅に上回ることが見込まれるに至っている。このため、現時点において、改めて、今後、真に必要となる道路整備のあり方について見極めるとともに、特定財源のあり方について、納税者の理解を得て、抜本的な見直しを行うことが喫緊の課題となっている。
 その際、現下の危機的な財政事情に鑑みれば、見直しによって国の財政の悪化を招かないよう十分に配慮し、また、特定財源の使途のあり方について、納税者の理解の得られるよう、以下を基本方針として見直す。
要するに、従来のままだと多額の剰余金が出る、他方で財政は厳しい、さて(納税者の皆様)どうしよう、ってことですね。具体的に言うと本四公団の債務処理分5000億円程が余りますよ、と。決まってた基本方針では
1.道路整備に対するニーズを踏まえ、その必要性を具体的に見極めつつ、真に必要な道路は計画的に整備を進める。その際、道路歳出は財源に関わらず厳格な事業評価や徹底したコスト縮減を行い、引き続き、重点化、効率化を図る。
2.厳しい財政事情の下、環境面への影響にも配慮し、暫定税率による上乗せ分を含め、現行の税率水準を維持する。
3.特定財源制度については、一般財源化を図ることを前提とし、来年の歳出・歳入一体改革の議論の中で、納税者に対して十分な説明を行い、その理解を得つつ、具体案を得る。
んで、これを受け継いで、安倍首相の所信表明演説では
特別会計の大幅な見直しを実行に移すとともに、道路特定財源については、①現行の税率を維持しつつ、②一般財源化を前提に見直しを行い、③納税者の理解を得ながら、④年内に具体案を取りまとめます。
としてたわけですね(注:番号付けそらまめ)。①の言いっぷりから明らかなように、ここでは参照点はあくまで現行の税率ってことですね。何事も現状からの改変っていう意味ではある意味当たり前かも。

 んでコレに対する典型的な批判が、道路に使うから暫定税率で2倍にしてるんだろう、道路に使わないんだったら本則税率に戻せ、というもの。自工会やJAFやらで作る自動車税制改革フォーラムが1,000万人の署名(!)を集めた「道路のために払っているクルマの税金の一般財源化には反対です!! 道路整備以外に使うのであれば本来の税率に戻すべきです。」の主張もそんな感じ↓
1.道路特定財源(自動車重量税等)は、受益者負担の考えから、道路整備のために創設されたものです。一般財源化や道路整備以外への転用には到底納得できません。
2.これらの税金は、早急な道路整備の必要性から、本則税率を大幅に上回る暫定割増税率が30年以上続いています。道路整備に使わないのであれば本来の税率に戻すべきです。
ここでは参照点は本則の税率ですよね。多分「暫定税率」というネーミングがイケテルというか、参照点は租特の税率じゃないよ、っていう気にさせてくれるというか。(数ある租税特別措置の中でコレぐらいじゃないか、「暫定税率」の名称がこんなに広まってるのは。住宅ローン減税の名前が「住宅ローン暫定減税」だったら縮小じゃなくて廃止されてるんじゃなかろうか)
 
 じゃぁ、参照点を租税特別措置法抜きの税率で考えた場合に、基本に戻って、1)必要性 2)担税力(税金の負担に耐える力) 3)受益ー負担関係 を考えながら多額の剰余金&厳しい財政をどうするか考えてみましょう、って議論に発展するかというと、なぜかそうならなくって、「道路に使わないなら廃止しろ」という議論で終わっているように見える。道路を作らない?ならば、税を廃止せよ!(ライブドアPJ)とか、漂流する道路特定財源 税率温存『詐欺行為だ』(東京新聞ー最後の論壇メモのオチつき)とか。後者は財政再建が必要なら「財政再建のための財源は別途、議論をすべきではないのか」と言ってますが、仮に現行税率程度なら担税力があって、受益ー負担関係もあまりに遠すぎはしないと国会で新たに判断して立法するならそれはそれで別途議論したことになる。
 
 んで、見直しを進めたい側も、既に基本方針で決めちゃったものだから(小泉前総理の執念とでも言うべきか)、参照点は現行税率から全く動いてこないわけで、違う参照点どうしの泥仕合になってたわけですね。片方は増税だと思い、片方はそんな意識は微塵もないんだから議論が噛み合うわけはないか。参照点が本則の税率だとすると、現行税率維持は±ゼロではなくて、価値剥奪なので(WTAが高いが故に)反対が強くなることはそれなりに合理的なハズ(「族議員の聖域」と切って捨てる(産経社説)のは乱暴だと思う)。他方で仮に参照点を本則だとしてもその先の議論が必要で、担税力がないならないでなぜ現行税率程度であっても(もはや)担税力がないのか示さなきゃいけないし、受益と負担の関係にしても「財政再建と自動車ユーザーは関係ありません」というのも無責任過ぎるというか、じゃぁタバコや酒の税収は喫煙者や飲酒者のために使われなきゃいけないのか、固定資産税は不動産所有者に使われなきゃいけないのか、なぜ自動車関係税制が道路整備のみに使われなければいけないのか(経緯論以外で)キチンと議論しなきゃいけないハズ。
 
 今回決まった「具体案」の多分最大の発明は「道路歳出を上回る税収は一般財源」ってことなんでしょう。具体案と言ってもその実昨年の基本方針をちょいと膨らませた程度でしかありませんが(といっても道路整備費特定財源法をいじるのねとか条文イメージがわく程度に具体的ではありますが)、また来年までごちゃごちゃすれ違いの議論をするんですかねぇ~。結局政治の力で決めるって何だか不幸というか、リソースの無駄遣いっていうか、折角「具体案」が決まったんだから前向きな議論をしてほしいという気がします。

Iraq Study Group ReportとEPA WTC Test&Clean up

2006-12-07 23:56:22 | Weblog
○Iraq Study Group Report
 昨日イラク政策に関して超党派(bipartisan)のパネルによるレポートが発表されて、話題になってます(例えば今日のNY Timesの一面トップ Panel Urges Basic Shift in U.S. Policy in Iraq)。多分このネタで超党派な提言というのは初めてのせいでしょうか。ちなみにメンバーをみたら去年まで最高裁判事だったオコーナーが共和党側でメンバーになってた。
   
ベーカー元国務長官とハミルトン元下院議員が共同議長で、結局ベーカーとライスの路線の違いじゃないのとか冷ややかな見方もあるみたいで(Dueling Views on Diplomacy Pit Baker Against Rice, またNY Times)、ブッシュ大統領とブレア首相の今日の首脳会談でも当然のように話題になって、ウェルカムしつつも全部は受け容れられない(特にイラン・シリアと協力の部分)ってことみたいで。
 政策のアウトプットもさることながら、超党派路線がどの程度ワークするのかいろいろ示唆がありそうです。

○EPA WTC Test&Clean up
 以前ちょいと話題にしましたが、EPAがグランド・ゼロ付近のビルのクリーン・アップの計画を発表したそうです。Dustに汚染物質(アスベストとか)が入っていて危険性の警告が十分じゃないとかいや、安全だとかの話。Lower Manhattan Test and Clean Program キャナルストリートから南の希望者の部屋をテストして、必要があったらその都度浄化作業を行うってことみたい(費用は連邦政府持ち)。
   
範囲も規模も不十分と批判されているようですがCleanup of 9/11 Dust to Resume, E.P.A. Says, Despite Widespread Criticism (NY Times)、1月には希望登録を開始するそうで。なぜブルックリンが入ってないんだとか、EPA側からするといや浄化事業は何度もやってきたとか、いろいろ言い分はあるみたいですが、5年も経ってるんだから、スピード感が大事ではと思う次第で。 

ブログの可能性と限界?~ミリバンド大臣と竹島/独島

2006-11-15 23:58:52 | Weblog
 先週ミリバンド英環境大臣のブログを紹介しましたが、今日の"お仕事"で話したら「えっ、イギリスの大臣が?」ってことでかなり反響を呼んで早速教えてあげちゃいました。そのイシューが関心を引いたということもありますが、大臣の見解というのは重たいので注目も集まるというか。
 ミリバンド大臣のパワーは止まるところを知らないというか、今温暖化のCOP12・COP/MOP2をナイロビでやってますが、ナイロビからのエントリで「ナイロビからポッドキャストをやります」宣言して、実際ガーディアン紙のHPで掲載されています(13日14日15日)。そもそも国際会議ってやっぱりどうしても浮世離れしているので、こうやって語りかけてくれると親しみもわくというもの。ただこの手のネット重視には壁もあって、ミリバンド大臣の提案でやってみたwiki政策提言はいたずら書きでダウンという結末に終わったらしい(続きの記事読んでないのですが)

 限界つながりなのですが、英/日/韓/(中)語を操るオーストラリア人のブログOccidentalism(韓国の歪み/ウソを英語で紹介している)で、Asked Not to Write About Dokdo on the Net(ネットで独島のことを書かないでと頼まれた)というエントリが。彼は相当詳細に"1905年以前に竹島/独島が自国領だったことを示す地図は韓国には一つもない"ということを論じています(Lies, Half-truths, & Dokdo Video ④Supp.)。んで働いている仁川の大学総長から、「非常に繊細な問題であり、大学の名声にも関わる、もし強い意見があるなら、ネットで放送するのではなく、アカデミックな論文を書くかセミナーを開催すべき」と言われて、「歴史家でない者の意見を聞いてくれるとは思わない」としつつも彼のブログで竹島/独島ネタを扱うことはやめにしたとのこと。まぁ掲載中止を余儀なくされる内容が内容ですが(まぁありそうなことだ、残念ながら)、何となくブログの利点も限界もこの短いやり取りに集約されているような気が。
 要するに非歴史家でも、establishedな歴史家と同等の発信力をブログによって備えることができ、実際上も(内容が良ければ)それ以上の発信力を持ちうるということ(いろんな使われ方しますがこれもフラット化)。他方で、(どんなにいい内容でも)どこかに限界があるというか、従来の知の作法で認められるためにはその世界での決まった作法に則った手順を踏む必要があると。大抵の非専門家はここで挫折するでしょうね、残念ながら。
 
 あぁ~、ちきしょう~、やっぱりエスタブリッシュメントの壁は厚いのかぁ~とガッカリするのは簡単だし、確かにそういう面はあるのですが、何でしょう、参加者がフラットな場で議論するという媒体の特性上、
 ・非専門家でもエセ専門家に勝つことができるし、
 ・専門家も(議論の自然淘汰の中から)安いコストでインプットを得ることができる
というのは(ブログが出てくる前と比べると)相当な利点としてやはり残る気がします。以前ネット時代の政策立案に触れた時もそうでしたが、単に権威を傘にきた議論はますます通用しにくくなって、誰であれ専門性を高める(せめてエセ専門家にならないよう)せっせと勤しむ必要があるのではと思う次第。

結局

2006-11-09 23:52:38 | Weblog
 昨日ゴチャゴチャと長引くのではと憂慮してみたのですが、共和党候補が負けを認めるという潔い決断により杞憂に終わって、上院・下院とも民主党が多数になるというひじょーにドラスティックな展開に終わりました。「一晩でこんなにも変わるなんて」と当惑しつつも「環境の勝利」と高らかに宣言したシエラクラブ(Americans Vote for Big Change, Not Big Oil)はちょっとはしゃぎ過ぎな気がしますが、まぁ彼らにすればずーーーっと辛酸を舐めてきたんだから気持ちは分かるけど こと環境政策に関していうと、全体的に直接の争点ではありませんでしたし、そもそもカリフォルニアの共和党よりもテキサスやジョージアあたりの民主党の方がよっぽど後ろ向きだろうと感じるのですが、全体的にアンチ環境派が結果として減っていることは間違いないでしょう。ブッシュ大統領もイタズラに議会と対立するつもりはないよってな姿勢を打ち出している(あるいはそうせざるを得ない)し、環境ガラミでも少なくとも何らかジワジワとしたシフトがないと考える方が難しい。
 ただ忘れていけないのは最高裁判所はそのままですよ、ってこと。5人は保守的と目されていて、そのうちのJustice KennedyがSwing Voterになってるって構図は別に変わってないわけで、しかもこの9人の判事の構成は次に誰かが交代するまで暫く変わらないわけです。判決に不満があったら法改正で対抗して、いや、あなた法改正したところでそもそも違憲なんだよ、とかちょっとした緊張状態になるかもしれませんね。ガラリと変わった(ように見える)三権の関係を残りの留学期間見物(と言ってはちょっと軽いですが)できるのは結構面白いかも。 

NIEに御用心

2006-11-05 23:59:40 | Weblog
 なんだか6日からNIE週間らしいのでちょっと一言(といいつつ長くなる気がする)。ってNIEってナンジャイ(アルファベット3文字並んでたら怪しいと思え)っていうと、Newspaper In Education(教育に新聞を)という運動というか教育メソッドというからしく、新聞協会傘下の日本新聞教育文化財団なる団体がプッシュしているらしい。彼らのHPから適宜抜粋します。
子どもたちの文字離れ、読書嫌いの傾向に歯止めをかけ、児童・生徒が活字文化に親しむ手段、方法の一つとして、社団法人日本新聞協会はアメリカやヨーロッパ諸国(中略、海外調査の上)88年2月、NIE委員会を新設し新聞界を挙げて運動に取り組むことを決定。
・新聞の切り抜きを補助教材にする従来の授業とNIEの違いは、(1)新聞を1面から最終面まで、記事や写真、広告まで丸ごと活用する、(2)複数の新聞を読み比べる―といった点が挙げられるでしょう。また、(1)教育界と新聞界がタイアップして新聞界が一定期間、複数の新聞を学校や児童・生徒の家庭に負担をかけずに教室に提供する、(2)教育界と新聞界が都道府県単位のNIE組織を結成し運動を推進する―ということが、日本のNIE運動の特徴として挙げられます。
・調査の結果、NIE授業を受けた児童・生徒のうち、2人に1人は「文章を読むこと」が好きになるなど学習態度が確実に積極的になり、社会への興味・関心が高まり、思考が深まることが確認できました。NIE授業は、全教科・領域で行われていますが、小・中・高校とも社会、特別活動、国語、総合的な学習の時間で、より多く取り上げられていました。
・先生が教室で子どもたちに新聞を配り出すと、教室の空気が活気づきます。学校で、自宅で、新聞を読む習慣が身につくと、児童・生徒は読み書き能力を知らず知らずのうちに体得します。自分たちの住む地域のニュース、国内の出来事、世界の動きについての知識の向上で、自分なりの考えや意見を持つようになり、さまざまな問題について発言し、相手の言い分を聞く能力が養われていきます。
何となく自分にはNIEに物申す資格があると勝手に感じるのは、
 ○物心ついたときから(誰に言われるまでもなく)新聞は毎日せっせと読む習慣が付いていた
  (反面大学に入るまで読書家ではなかった
 ○小学校の研究授業で総合学習をやっていて、総合学習経験世代としては最も歳を取っている部類に入るだろう※
という体験に基づいています。 ※全国的に生活科導入が決まった時に担任の教師が「生活科と競争して負けた」みたいなことを言っていて、大人の世界の一端を垣間見た気が小学生ながらした。

 んでいきなり結論から言いますが、貴重な授業時間をつぶしてNIEを導入するのは百害あって一利しかない、というと言葉遣いがヘンですが、その教育効果は本来の学習の狙いを達することに役立つとは到底思えないという気がします。唯一役に立つのかなとしたら、読み比べによる「メディア・リテラシーの育成」ぐらいしか考え付きません。というわけで以下ちょこちょこ書きます。

 最初にこれはどう考えてもおかしい、というのは国語にNIEの導入例があるということ。もう本当ですかというか、そもそも新聞に書いてある日本語というのは新聞特有言語と言うべき本当にヒドイレベルのものです(少なくとも役所言葉や法律用語に対する批判がそのまま当てはまる)。例えば小学生が新聞をたくさん読んで
  ○「~」と、教頭先生の鼻息は荒い。
  ○~が浮き彫りとなった。
  ○~。だが待ってほしい。~
  ○拝啓 校長先生様 ~

とかマネしたらどう責任をとるつもりなんですか。体験から言いますが、日本語に対する鋭敏さを養うなら新聞を10年読み続けても金閣寺一冊にかなわないでしょう。日本語の理知的な美を知るならヒロシマ・ノート一冊にかなわないでしょう。そもそも国語の教科書に載るようなのは皆が認める名文なわけで、これを読まずに新聞を読むだなんてどうかしている。論理構成に難がある記事だっていっぱいあるわけでしょう?こんないい加減な文章を書いても社会でやっていけるんだとか将来への目標が著しく下がっちゃうわけです、国語の教科書と比べて。そりゃぁマズイんじゃないか。

 比率から言うと総合学習での導入が一番多いようです。総合学習の理念は、
2 総合的な学習の時間においては,次のようなねらいをもって指導を行うものとする。
(1) 自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
(2) 学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにすること。
ってな風に指導要領(注:小中高とも同様の記述)には書かれているのですが、もっと根本に戻ると「生きる力をはぐくむ」ことに主眼があったハズ。ちなみに現行指導要領の要点はこの部分だったハズですが、その枕詞の「ゆとり」が強調され指導要領全体が誤解されたのは誠に不幸だったというか、「生きる力をはぐくむ」ことに「ゆとり」が必要なことにはならないハズですから。
 具体的には体験学習、問題解決学習を行うことが指導要領上奨励されているわけですが、
5 総合的な学習の時間の学習活動を行うに当たっては,次の事項に配慮するものとする。
(1) 自然体験やボランティア活動などの社会体験,観察・実験,見学や調査,発表や討論,ものづくりや生産活動など体験的な学習,問題解決的な学習を積極的に取り入れること。
「生きる力をはぐくむ」ための総合学習導入の時代背景を考えると、かつては学校以外の場でできていた一次体験というものがコミュニティーが崩壊して社会が拡散して極端に減っていってしまったことの対応と、暗記偏重という長年の批判に対するアンチテーゼいうことに行き着くハズ。私が昔小学校で受けたのは・・・芋やお米を一年かけて育てたり、歴史上の人物やある国を一年かけて調べたり、自叙伝を作ったりとかそんなことだったか。
 んでNIEで新聞を読んでも体験学習にも問題解決学習にもならないでしょう? だって新聞ってBy Definition情報の伝達で一次体験ではあり得ないわけで、加えて自分で何かテーマを決めて調べ物をする際に新聞って最大限評価しても出発点にしかなりませんよね。体験したり、足で調べてまた考えてとかって、新聞で言えば記事を作ることであって、既に作られた記事を読んでもそれは総合学習でやるべきこととは違うハズ。※ちなみに総合学習が各地で全くうまくいっていないようですが現場の創意工夫に委ねるなら委ねるでせめてモデル・プランなり先行事例なりをいくつか示してあげないとうまくいかないですよ、それは。準備が大変なのは子供心にも分かったし(農園を確保したりとか場合によっては一年以上前から準備する必要があるし)。地域の方に講演をお願いする例も多いようですが、NIEよりはマシかもしらんが一次体験&問題解決という発想からはズレていますよね。履修漏れ云々の混乱と同根の問題(現場とのミスコミニュケーション)を見ている気がします。

 社会科への導入も多いようで、現代社会(ってもうないのか、公民)のネタというか学習内容の実例としてもってこいというのは確かにあるかもしれませんが(にしても切り抜きで足りる)、とりわけ歴史に使うとなると胡散臭さが漂うというか、NIE学会会長の影山清四郎教授【アピール】史実をゆがめる「教科書」に歴史教育をゆだねることはできないの賛同人に名を連ねていたり日教組のシンクタンク教育総研日中教育委員会のメンバーだったりという外形的事実からそういう懸念が高まるわけです。いや全く人となりを存じ上げませんし研究分野(戦前社会科教育)からすると不思議ではないという気もしますが、何でしょう、少なくとも教科書よりも新聞記事の方が、どちらのベクトルにせよ特定の政治色の押し付けの懸念が高まることは確かでしょう? 誰だって政治活動は自由ですが授業時間外で学校以外の場でやってよということ。

 ただ、一つだけ利点があるかなぁ~と思うのは、読み比べによるメディア・リテラシーの醸成です。読み比べ専用みたいなブログも多数あるぐらいだし。何かの情報に接して鵜呑みにすることなく、自分の頭で考える習慣も付いていくことでしょうし、加えて最近はある新聞がある新聞に意見することも増えているから、いろんな意見・見方があることを知り、その上で自分はどう思うか・・・と考えていくのにはとっても役立ちそう。とすると、自分の意見を持ちつつ立場の違いを超えて他を尊重する態度を学ぶのが利点ということで、一番親近性があるのは実は道徳の時間か(・ ・?) あるいは単発特別イベント扱いにして特別学習? それも小学校高学年以上じゃないとキツイでしょうね。 それにしても新聞各社がうち揃って進める事業の利点がメディア・リテラシー育成だけというのは何ともまぁ皮肉なことで。

 最後に教育効果以外の効果というのがNIEにはあるようです。NIEのHPからコピペします。
・また「NIE実施前後での新聞閲読頻度の変化」をみると、小・中・高校とも以前に比べて、以後の閲読頻度が多くなることが示されています。
コレが狙いときたか、このコソ泥野郎(ジョン・マクレーン風@ダイ・ハード)。 というわけで!?、特にNIE実践校近辺の方がいれば!?、NIEに御用心ください。
※長文スミマセンでした&ここまで読んで頂けた方どうもありがとうございました

Get Stuck in Iraq v. Miserable Failure

2006-11-02 23:53:11 | Weblog
 中間選挙が来週火曜日ということでさすがに直前になってニュースはそればっか。2,3日前につけてたラリー・キングライブでそっくりブッシュ・クリントン・シュワルツネッガーらが出てきたりでそういうのが好きな人達にはちょっとしたお祭り(というと失礼か)みたいな雰囲気。イラク戦争の出口が見えにくいのに嫌気が広がって少なくとも下院はひっくり返るみたいな観測がもっぱらですが、さてはて。
 共和党は押されっぱなしだったのですが、一昨々日ケリー上院議員が高校生に向かって「しっかり勉強しないと、イラクから逃げられなくなるぞ(Get Stuck in Iraq)」なんていうとんでもない失言をしたもんだから、もう溜まりに溜まってたというか一斉に総攻撃を食らわしてて、ある意味こりゃぁスゴイなぁ~と感心。しかも謝罪するのが一日ぐらい?遅れた(直後には謝罪しなかった)ものだから集中砲火のいい的に。ブッシュ大統領の攻撃模様↓(後半2/3ぐらい)
 Victory '06 - President Bush Hits The Campaign Trail

 民主党でも当然批判の的で、リベラルの権化で政治的には民主党支持が鮮明なNY Timesでも発言を引用する形でも"Stop Talking. Go Home"と一刀両断にされて、実際に応援演説は全部キャンセルとか。びっくりしたのが今日メトロノースに乗っていたらチケットを切りに来た車掌さんと別の乗客が"Get Stuck in Iraq"ネタでトークになってた。ブッシュを攻撃するジョークのつもりだったんだろうがヒドイ云々。まぁこっちでは政治ネタのハードルがとてつもなく低いんですけどね。大半の人はもう誰に投票するか決めてるハズだけど、最後の週末どうなることでしょうか?

 そういえばですが、グーグル爆弾(もしくはリンク爆弾)なるものを今日まで知りませんでした、私。グーグル八分(検索結果から削除される)の逆で、特定の語をググると特定のサイトが上位に表示されちゃうっていうイタズラ!? リンクされ具合で検索結果が変わる特性を生かしてるみたいですが、"Miserable Failure"でググるとホワイトハウスのブッシュ大統領のBiographyに辿り着くという結果に。
      
みんなでリンクを張るとそうなるそうで?3年も前に話題になった有名な話なんだとか。対抗したのか次がカーター元大統領になってますね。グーグルによる説明も追加されています。
 
何となくですが、政治家と一般人の距離感が映画・テレビのセレブとのそれと大差がないように感じていて、ネガティブ・キャンペーンが流行る理由ではないかという気もしています。投票権はない見物客ですが、皆さんあと数日頑張ってください(って誰に言ってるのかよく分かりませんね)。