パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

ロースクールと法学部③(終わり)~ネット時代の政策立案

2006-09-15 23:52:31 | ロースクール
一昨日昨日の続きです。日米法学教育体験の感想というつもりだったのですが、その違いが政策形成にも影響しているのでは?という感想を長々と書いています

③ネットによる情報コストの激減
 昨日も言ったように「いい」政策を作るには相当量の多様な情報が必要になります。分野を補い合える専門家が複数必要ってわけです。なにも政策形成だけじゃなくって、Policy Orientedな訴訟をやる場合だって、科学の最先端を取り込むってことでいろんな専門家を巻き込んでいくことになりますよね。んでいろんな専門家が内部に、或いはすぐアクセス可能なところにたくさんいるのが霞ヶ関の利点だったハズ。
 ところがというか、ネットの成熟で情報の「アクセス可能性」は極端に押し下がったハズです。公表後のネタならたいていはネット経由だから、その気になれば同タイミングでゲットできちゃうわけです。グーグルは言うに及ばず、サイエンスものならサイラスや日本のサイエンス・ポータルとか、医療系ならPubMedを漁ればどこに当たればいいか目星はつくし、統計ポータルもどんどん使い勝手が良くなっていくでしょう(期待)。逆に法律情報にアクセスしたいなという方も、判例検索法令検索は無料だし、LexisNexis JPがそのうち膨張して今カバーしてる判例タイムズだけじゃなくて、ジュリストやら判例時報やら各大学誌も取り込んでいくなりしてますますアクセスしやすくなるでしょう。立法府の情報も、国会の会議録は戦後の会議は網羅されていてしかも2、3週間後にはアップデートされて検索可能になってるし、質問主意書もあわせてフォーマルなやり取りは全てサクサクとアクセス可能で、しかもほとんどの議員はHPを持っている。NGOが似た考えの国会議員を「ネットで見つけて」協力関係を築いた例も知っている。
 数年前とある条約担当だった時も、交渉テキスト配布を含む条約事務局からのあらゆる連絡はHP上で行われるから、皆よーいドンで情報を受け取るわけです。んで分析が終わった頃に正式な外交ルートで照会が来るってことがしばしばで、だからやろうと思えば政府外でも、同じタイミングで更新情報にアクセスして、政府がキチンとしたレスポンスを起こす前に機先を制することだって可能です。フォーマル情報での霞ヶ関のアドバンテージって「ない」と言っても言いすぎじゃないと思います。
 
 違いがあるとしたら、こういう表に出てくる情報ではなくて、「本音」の部分です。これって文字には出てきにくくて、実際会ってみて五感をフル稼働させて感じとるところが重要になってきますよね。この「本音」情報アドバンテージに特化していくとすれば、ますます純然たる合意調達屋に突き進むということになります。

 でも、それじゃマズイんじゃないんでしょうかねぇ。「関係者」に含まれない人はかつては声が小さい人でしたが、関係者が固定化されるうちに非関係者の数も増えれば声も増えるし、何より声を出しやすくなったわけです、ネットができて。
 おまけに、ネットの世界だと政治家だろうが学生だろうが同じフラットな地平での議論だから、議論の良し悪しだけが判断材料なわけで、そんな場でコンセンサスだぁ~と錦の御旗のようにかかげたところで、ゴルァと一喝されて終わりなわけです。言ってみれば政策「競争」の場になるってこと。やろうと思えば持てる専門知識を楽しみで応用して、加えて得られる情報を駆使して、立派な代替提案もできちゃうわけです。そんな世界は相手にしないというのも一つの判断ですが、それじゃfairnessも何もあったものじゃなく、しかも往々にして霞ヶ関が言ってることの方がinefficientなこともあるわけで、ネット全てを無視したところで世の中全体のためにはなるわけはないでしょう。だから王道に戻って「いい」政策を追求する以外に途はなかろうと思うのです。

 昨日今日と①②③と書き連ねてきたのは、かかる状況だと政策提供の独占が崩れて、むしろ玉石混交の提案の中から「いい」政策が勝ち残る状況になるのではと思ってきたのです。もうなったか?すなわち、①あまりに素晴らしい政策を提供していれば競争する気も起きないでしょうが、能力低下でそうとも言えないわけですし、他方で ②トレーニングを受けた人材がそろって、③彼らに必要な情報もアクセス可能である のですから。
 ネット上での言論は、今はマスメディア・バッシングの方が花盛りのようで、それも一理あるというか(私もこれはヒドイというエントリを何度かしました)、どうも情報独占の往時が忘れられないような露骨な記事が散見され、いい加減にしてくれというのは右も左も保守もリベラルもある程度共通しているように思います。これって「いい」ジャーナリズムの追求を怠ってきた彼らのツケそのものとしか思えないのですが、しっかり他山の石として、政策立案スタイルも時代に合わせたものに移行していかないと、政策の提供者も受け手も満足しない本当に不幸な状態がどんどん酷くなっていくように思っています。将来的に政策立案に求められるのは、合意調達能力はそのままに、何かしらの(ある程度)高度な専門能力を持ち、しかも他の専門分野の話をちゃんと消化する能力ではなかろうかと思う次第。


 なんだか長くなってしまって、話がアチコチ飛んでまとまりもへったくれもありませんでしたが、3日分読んだ方がいたとしたらすみませんでした&ありがとうございました お礼に?パンダさんが友達からもらった中国からの癒し映像を。四川省の保護センター(The Sichuan Wolong Panda Protection and Breed Center)での(本物の)パンダの赤ちゃん16頭です。
 
  


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感想です (s6lrt@l)
2006-09-17 13:26:17
通りすがりのものです。感想を残させてください。



立法では(環境関連では殊更)誰から観てフェアでエフェクティブネスなのか、より多くのステイクホルダーの合意を得ることこそが大切なのではないかと。

その合意形成プロセスがより重要となってきたことが、過去と現在との違いのひとつではないでしょうか。



官僚の能力低下もさることながら、求められる能力が向上していることも事実でしょうし、

法政策学の重要性向上は、官僚のみならずすべてのステイクホルダーが感じていることでしょうし、

情報寡占度の低下は、民主主義的意思決定の広がりとシンクロして必然として生じることかもそれませんね。。。



個人的な思いですが、ネットは情報流通機能向上へは寄与しているものの、よりよい政策形成へ寄与するところへはまだまだのような感じがします。

その最大のクリアすべきポイントは「熟慮の伴なった提案」の実現方法でしょうか。思いつきや狭量な意見が跋扈してしまうだけでは、政策への不満をぶつける装置としては機能するものの、それを超えて創造的な政策提案機能を持つところまではいかないでしょう。。。

こういったプログなども含めて、如何なる形で「熟慮」というプロセスをビルトインするか、この課題はもしかすると、日ごろの霞ヶ関での意思決定へも通じる課題かも・・・とも思いを馳せさせていただきました。



(時として「思いが熟成するまで自身のなかで寝かせておく」というワザの駆使の重要性も、依然としてあるのではないかと・・・)
返信する
RE; (そらまめ)
2006-09-18 12:09:53
こんな長々としたエントリ達に恐縮するぐらいのしっかりしたコメントありがとうございますm(__)m

 特にフェアかどうかって客観化しにくくて結局行き着く先は人の心の中で、プロセスを踏むと(時間がかかるとう意味でFairness追求コストはかかるものの)フェアである可能性が高まるものだと思うのですが、問題は従来型のプロセス自体にオーソリティがなくなってしまったことだと思っていて、おっしゃるとおりより多くのステークホルダーの合意が大事ということにつながるんだと思っています。

 ネットは玉よりも圧倒的に多くの石を生産しているのは紛れもない事実だと思いますし、一面的な批判というのは霞ヶ関で最もあしらいやすい(××と仰るが、○○を考えることも必要云々)類のものです。熟慮プロセス(タマ磨き)をどうするかというのは確かにユニバーサルな課題で、ボランティア的なネットだと確かに致命的かもしれませんが、他方で必要なスキルを体得した人が少しずつ加えていったものが全体で見ると立派な熟慮になって「いい」ものをもらす例(やっぱりプロの専門家が絡むものが多い)も「分野によっては」出てきているのではと思っています気がしますし、もっといろんな分野で増えて欲しいなぁと思ったりします、多分に願望まじりかもしれませんが
返信する
当たり前な事ですが (おとうさん)
2006-09-19 18:42:00
いろんな意見を求めてそれをどうこれからの政策(?? 国としての方策)としていくかはそれを提案した人(特に担当者)の強い意思(希望)にかかるのでしょうね。

返って来た一つの意見で・・(うろうろ) ではなくて総合して良い方向へもっていくよう努力すべきでしょう。

そうなることを強く思うのでした。

返信する
RE; (そらまめ)
2006-09-19 22:32:05
 何か提案して意見が帰ってくる際の一般的な話だと思いますが、提案者の「志」のようなものが不可欠なのは言うまでもなくって、まぁ大体の提案者はそういうものは持っているのでちょっと舌足らずでしたがあえて触れませんでした。

 むしろ、それが思うように実現できないと言って禁じ手に走ったり職を辞したりする方も多くて、だからといってその志がいつも正しいか、完璧なものか、というと全くそうは思わないわけで、ある程度柔軟にタマ磨きする度量のほうがどちらかというと欠けているように観察しています。
返信する